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IRREGULAR  作者: 陸一じゅん
⇒フィールド:イースターランドにて。出口のない回廊、遊園地の迷路は刺激的。
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月のしずく

 遠い記憶に、友達がいた。尊敬する大人がいて、悲しいことがあった。

 魔法はあるのだと知っている。故郷に帰る術は、もう無いのだと知っている。自分が変わってしまったことを知っている。

 泡のようにすべて忘れてしまっていれば、僕はきっと、何も迷うことはなかったのだろう。


 さて、場面は僕らのいる森に巻き戻る。

 正確には、『ビス・ケイリスク』の瞳が見る世界の景色。

 平成の日本にいたはずの一人の少年。彼の見た世界の景色だ。

 僕の名前は、『ニル』。かつて『コウ』と呼ばれていた記憶がある。

 そこでは僕は、友達がいて、師匠がいて、そして魔法使いに出会っていた。

 

 僕は未だ、“あの時”のことを、後悔している。



 ∞∞∞∞



 佐藤が消えた日、夜の十一時、うちの電話が鳴ったのを覚えている。それは佐藤のお母さんからで、もちろん帰らない息子を探すための一報だった。


【七月三十一日、集団して失踪した中学生四人の事件について―――――】

 そう、あの日、消えたのは佐藤だけじゃあなかった。佐藤のほかに四人の中学生が、姿を消したのだ。

 うちの市は人口が多く、中学校も二十二校存在する。四人はそれぞれ、てんでばらばらの中学に通っていたという。

 夏が終わるころには、テレビニュースでは連日、佐藤たちの話題でいっぱいになった。最初は名前と特徴だけだったのが、顔写真が出るようになり、佐藤の家族の情報ですら出回るようになった。

 肉づけされていく情報を、僕も当然チェックした。


【先月、三十一日にて、集団して失踪した“男子”中学生、四人の事件について―――――】

【彼らは共通して、“市内の中学校に通う”男子中学生で―――――】

【失踪した全員、“面識は無く”――――】

【それぞれが、“「市役所方面へ行く」と言って外出”―――――】

【何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと見て――――】



【第二中学校の佐藤幸一くん(14才)は、“市役所内に隣接する図書館へ足を運ぶのが日課”――――】

 司書は言う。

「――――本の好きな、目立たない男の子でした」


【市立ひこばえ中学校の東シオンくん(14才)は、“同図書館にて、所属する家庭科部のメンバーで勉強会をすると言って外出”――――】

 部活動の顧問は言う。

「――――大人しいけれど、きれいな子でしたからねぇ…まさかこんなことになるなんて。家の手伝いをしたいからって、家庭科部に入ったんですよ」


【第五中学校の周晴光くん(14才)は、“母のお使いで”“知人宅を訪問しており”―――――】

 クラスメイトは言う。

「――――あいつ、バスケ部なんです。でっかくて、レギュラーで、こないだの大会でもすげー活躍して……」


【花冠学園中等部のダイモン・ケイリスクくん(14才)は、“三十日に祖母が亡くなり”“その手続きのため市役所の受付で目撃されており”―――――】

 クラスの担任教諭は言う。

「――――育ててくださったお祖母様が亡くなったと、学校の方に失踪前日に電話がありました。ふだんの明るいムードメーカーの様子からは考えられないほど、しっかりと私どもの質問に応対していたので、驚いたのをよく覚えています」



 ∞∞∞∞




 佐藤が消えて、僕らと青春というものは、一種の終わりを迎えたのかもしれない。

 仲のいい友人がいなくなるというのは、それだけ僕らにとっての大きな事件だったということだ。

 良く言えば、大人になった――――悪く言えば、トラウマになったということだろうか。

 しばらくは夏が来るたびに、じくじく胸のあたりが痛んで、じっとしていられない衝動に駆られていた。

 進展の無い事件は、僕らが年を増すごとにニュースからも減っていったけれど、それでも街の駅前にはずっとポスターが貼ってあったし、何より佐藤のご両親はずっとこの街に留まっていた。


 僕らが、晴れて成人式を迎えた年の夏。

 大学生になった僕も、さすがに図書館を利用せざるを得なくなっていた。

 使うのは、なんでだろう……やっぱり佐藤が消えたあの図書館に足が向かうので、いつもそこだ。品ぞろえもそこが一番良いっていうのもある。何より、交通面で一番便利だ。

 僕はこうやって必要にならなければ、やっぱり本なんて読まないままだった。高校から別になった久藤はまだ野球をやっていると聞いた。


 蝉しぐれを聞くと、佐藤のことを思い出す。

 仲良くなったのも、いなくなったのも夏だった。そういえばあいつ自身が夏生まれだったし、奴は夏という季節に因縁があったのかもしれない。


「今思えば、佐藤君ってさ、神隠しにあったのかもね」

 ぼんやりする僕に、佐藤が言った。『佐藤幸一』ではない。『佐藤咲希』の方だ。

 奇妙な話、僕はこの別の方の『佐藤』と、今になって縁ができていた。成人式で再会しての――――その、なんていうのか。“五年越しに実った恋”というやつだ。

 成人式を期に、やっと化粧を覚える気になったという咲希は、いまだに『顔に何かを塗る』という行為が苦手らしく、化粧っ毛はなかったけれど――――それでも、キャンパスの女子大生よりも可愛く想えるのは、惚れた欲目ではないと思う。

 ちっとも涼しくない喫茶店の軒下で、アイスティーをすすりながら、セミの求愛をBGMにする会話としてはドラマチックすぎる話題だった。


「だってね、神隠しみたいでしょう。共通点は無い、たまたまそこにいただけの人間が、居なくなるっていうのはさ」

「共通点はあるだろう? 市内在住の“男子”“中学生”で、“十四歳”」

「だから、神隠しみたいだって言ってるの。男児の十四歳って、昔で言うなら元服じゃない。“たまたま”“元服を迎える男児”が、“そこにいたから”いなくなる――――なんだかね、通りがかりの神様にでも攫われたみたい」

「おいおい……」

 一蹴して見せる体を見せながらも、僕の中では、やけに説得力ある言葉に聞こえてしまっていた。

「コウ、わかってるんでしょう? やっぱりさ、あの失踪事件には何かの意思を感じるよ。“十四歳”、“男の子”、“市内の中学生”――――夏休みなんだし、市役所周辺には中学生なんてウロウロしてるじゃない。うちの市ってお年寄りも多いから、地方から里帰りの中学生もいるかもね。それでも居なくなったのはあの四人だったんだ。…ね、意思ある存在が、故意にあの四人を選んで、連れてったように私には見える。だからあれは、“事故”じゃなくて“事件”なんだよ。誰かにあの四人は選ばれちゃったから居なくなったんだ」

 咲希は、もともと着飾らなくてもどこか華やかな雰囲気がある娘だった。ついでに、昔から変わらず頭がいい。頭が良すぎて、僕にはたまに何を言っているのかよくわからない時がある。

 そういうところ『佐藤』は佐藤に共通点があったから、あの時の僕はいつにない積極性を活用して、どうにか仲良くなろうと思ったのかもしれない。


「……なんでその話を今するの? もう五年も前の話だろ。一応……恋人同士のデート中じゃないか」

「だって、その“五年も前”のことを思い出してるみたいだからさ」

 咲希は紅茶風味の氷をぼりぼり噛んで言った。

「コウ……あの年の夏にこの街に住んでた人たちは、夏が来るたびにあの事件のこと思い出してるよ。そりゃ口には出さないけどね。特に同級生だった人達は、『佐藤』って苗字を聞くたびに思い出してるんじゃないかな? 現に、コウだってそうじゃない。……ちょっと、恋人の名前がトラウマワードになってるのよ? なんか言う事は? 」

「…その、苗字くらいなら、俺が変えてやるよ――――とか? 」

「付き合って半年もたたないうちにプロポーズとか、『こいつ出来ちゃった婚するタイプだな』って思っちゃう。経済力手に入れてから言えよ。マジ恥知らず。マジありえない。ドン引くわあ」

 僕は黙り込んだ、

「大丈夫大丈夫。私、母さんに言われてるの。将来性のある男と付き合えって。彼女の人を見る目を信じなさい」

「違えよ……さすがにボリボリ氷喰いながら駄目だしされるなんて思わなかったから、絶句してんだよ……」

「ほんと、あんなに死んだ目をしてた人とは思えないわ。半年でこうなったんだから、私に感謝してよね」

「まあ……その、うん…」


 五年間、ずっと考えていた。佐藤を忘れたことはない。

 久藤と疎遠になったのは、そんな僕のせいだと自覚している。久藤は良くも悪くも切り替えの早いやつだ。でも馬鹿じゃないし、勤めて明るくしようとしていたのは分かっていた。

 お互い、ストレスが溜まっていたんだろうと思う。二人でつるんでも、楽しくなくなってしまった――――そんな些細で女々しい理由だった。

 女々しくて、子供だったのだ。

 事件の話題が出ることが、あまりに辛かった時期があった。『佐藤の友達』として話すことが、辛くてたまらなかった。

 でもこの土地から離れられなかったのは、ひとえに僕が弱かったせいだ。あの頃は、逃げることを選ぶ元気もなかった。

 地元の高校に進学して、結局今も、地元の大学に進んでいる。


 そんな五年間は、僕の目つきを様変わりさせるのに十分だったらしい。再会した咲希は、まず驚いて、そんな僕の世話を焼きだしたのだった。

『恋人』というポジションは、しいていえば、咲希が僕を介護するのにちょうどいいから、だという。

 五年前の僕らを知っている咲希が、たぶん今では一番の僕の理解者だ。


「私はね、コウに佐藤君のことを忘れてほしくないんだ」

「……なんで? 」

「だって、佐藤君が生きてるにしろ死んでるにしろ、忘れられてたら、佐藤君には変える場所が無くなるじゃない」

 咲希はグラスの水滴をいじりながら言った。

「先は……まだ、佐藤が帰ってくると思ってるのか? 」

「思ってない。むしろ、死体が早く見つかればいいのにと思ってる」

「咲希……」

「情けない声出さないで。お葬式ってのは、大事なんだよ。あれは生きてる人のためのものだから…『生死不明』のままじゃ、夏になるたびに期待するでしょう? 帰ってくるんじゃないかって。……でも私、こうも思うの。佐藤くんが、浦島太郎だったら…って」

「浦島太郎? 」

「そう、浦島太郎みたいに、それこそ神隠しに遭ってて、ひょんなことで帰ってきた時が来るとする。そんな時、なんにも分からない佐藤君を覚えてる他人が一人でもいたら…それがコウや久藤くんだったら……それはハッピーエンドじゃない? 」

「……そうだな」

「なんてね…私だって、佐藤君のことは忘れたくないと思ってるんだよ。私だって、クラスメイトだったんだから……」

 咲希は、少し泣いていた。


 ∞∞∞∞



 図書館は二年前に改装工事が行われて、五年前よりも少し小奇麗になっていた。

 本棚の森は、やっぱり落ち着かない。

 あの日、絶対に佐藤はここにいたのだ。

 佐藤が帰ってくるとしたら―――たぶんあいつは、ここに来るんだろうな。

 絨毯を敷かれた床は、僕のスニーカーの音を吸収する。

(あれ……)


 いつのまにか、ずいぶんとぼんやりしていたようだ。知らない棚の間に、僕は立っていた。背表紙は擦り切れて読めないし、おそらくは日本語じゃあない。

 それらの本がやけに高そうに見えるのは、革表紙に、保護用のあのビニールのカバーがついていないからだろう。

(まずいとこに来ちゃったかな…)

 僕は頭を掻いて、踵を返した――――と、すぐに、前に出した足を引っ込めるはめになった。

 ――――壁だ。いいや、本棚だ。

 僕が歩いてきたはずの通路があるはずの場所には、本棚が通せんぼしていた。

 ―――――この図書館には、妖怪・塗り壁でも住んでいるのだろうか。

(いやいや、今来た道が消えるはずが……)


 道が、ない。


 それに気づくのは、すぐそのあとだった。


 四方びっちりと、本棚が並んでいる。それも、天井と床に固定されているタイプの本棚なんだってことは、二年前の改装工事の時に聞いている。地震対策だそうだ――――なんで日本の地下には、アホほど活断層があるんだろう。

 前後方辺150㎝ほど、左右方辺が3mほど。

 その縦長の狭っ苦しい四角の中州に、僕一人が取り残されている――――そんな、間抜けで異様な光景は、足元から侵食してくるような恐怖があった。

 いや――――実際、足元から侵食してくる、真っ黒い何かが……僕の目には見えていたのだ。

 うねって波打つように満ちるそれは、水面のようにも、蛇がいっぱいに詰め込まれているようにも見えた。

「な―――なんだこれ! 」


 スニーカーの淵を乗り越えようとした時、ついに僕は足を引き抜いて本棚に足をかけた。するとそんな僕を追いかけてくるように、黒いものはいよいよ動きを良くして満ちてくる。

 飲み込まれるのに、そう時間はかからなかった。

 “黒”の中はまったく冷たくも熱くもなくて、しいていうならば上から吹き付ける冷房の冷たさが、四方から跳ね返る涼しさ――――山や水場や洞窟なんかの、非人工物の冷たさと言えばいいだろうか――――に変わったというところだった。


 眼を開けるのにも、物理的な抵抗はなかった。――――精神的な抵抗はあったけれど。

 そこには、思い描いていた黒い蛇の詰まった沼も、おどろおどろしく火を噴く地獄穴も、虫すら声を潜める森も、岩に囲まれた穴ぐらの底も見えなかった。いや、最後のは近いかもしれない。

 そこは右も左も苔むす岩に囲まれた、洞窟だったのだ。


 ぼんやりと周囲が見えるのだ。光源があるはず。

 僕は、前方の光を目指して、ぬかるんだ地面を歩を進めた。

 外には、まぶしいほど真っ青な青空が広がっている。洞窟の外からはくっきりと、線を引かれたように玉砂利の“白”に地面の質が変わっていた。


「ここは……どこだ……? 」

 まったく知らない場所に出て、どっと体が重くなる。

 青空の下、玉砂利の上には、白い漆喰の壁だ。それがぐるーりと――――僕のいる広すぎる空間を、洞窟のあなぐらを要に結んでいる。

 振り返ってみると、洞窟の入り口はしめ縄で飾られていた。初詣に、神社で見るようなやつだ。


 ……ざりっ、ざりっ、ざりっ、ざりっ―――――


 どこからか、足音が聞こえてきた。

 我ながら滑稽にも、弾けたように僕は体を飛びあがらせて、硬直する。


「……網にへんなのが引っかかった」

『困ったなあ』という声色で、その男は言った。

 男は死装束のような真っ白い着物に、また葬式に着るような、真っ黒い羽織を着ている。ずるりと長い髪は、禍々しい真っ赤な赤毛だった。

 青空の下、下駄を引きずるような歩幅で歩み寄ってきた男の顔を見て、僕はさらに硬直することになる。

 のっぺりとした表情、整った顔立ち。黒々とした目の下、右の頬に、三日月の形をした痣とも入れ墨ともつかない滲みがある。

 女でもそうはいない、すべらかな肌だけに、その顔の半分を陣取る滲みは痛々しい。


「おまえ、名前は」

 それだけのことに、僕の喉は引きつった。

 ―――ざりっ

 男から、冷気が降り注ぐようだ。

 僕の体は、がたがた震えだしていた。こんなに、こんなに空が青いのに――――今は夏のはずなのに―――――。

 ふと、もしかして佐藤は、ここに来たのではないか、という考えが浮かんだ。すると体の震えが、不思議とおさまる。

「……そうか。おまえは、友を探しに来たのか」

 男が言う。

「おまえ、名前は」

 今度は、きちんと喉が仕事をした。

「……お、大森、昂です」

「ふうん……そう、“コウ”と呼ばれているのか……」

 言い当てて男は初めて、にんまりと笑みを浮かべる。頬の三日月も、ぐんにゃり歪む。

「そうか、そうか……それはいい」

 男の声は、上から降るような声だった。いつしかまた、がたがた震えながら、僕は頭を垂れて砂利を見ていた。


「ついてこい」

 男が告げた。

 ざりっ、ざりっ、ざり……男が歩きだした音がして、僕はぎょっとして顔を上げる。少しの間に、驚くほど遠くに男の背中が見えていた。

 僕は慌てて男の背を追った。聞き間違えでなければ、こう聞こえたからだ。


「おまえの友に、会わせてあげよう」



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