ショットガン・ラヴァーズ
『捕まえてるあのこ……今はどうなってるのかな』
白ウサギは彼の耳元で囁く。
彼女は知っている。
人間というものは、別の人間が弱点と成りうること。より近しい存在であるだけ、最も無防備なアキレス腱になること。人というものは強い意思を持つ。その意思は何人も完全に御することはできないが、利用はできる。
彼女は交渉人である。アリスの手となり足となり、時に口となる。考える頭は、アリスの求めに応じるだけあれば良い。
『F』のやり方は、いつだって強引で極端だ。狡猾に、ずる賢く、追いこんで追い込んで、首を取るまでを成功とする。騙しも恐喝も殺人も厭わず、それが『術』ならば、いかなる非道もアリスの中には等しく選択肢にある。その中でアリスが最善を選び取り、手足たる彼女らが動くのだ。
この世界において、アリスにある選択肢はまさに無限。
しかしアリスが今回、用意したのは一つだけ。
一つの、この地下世界というフィールドだけだ。
「好きにして」と、アリスは言った。
閉鎖された広大なフィールドと、この世界の一つのルール。生かすも殺すも、すべてウサギらに任せた。
ウサギらは当然、アリスの真意に応えんとする。例外も約一名いるけれど、アリスはそれも当然分かって、このゲームを始めている。
きっと、彼女には、メンバーそれぞれがどう動き、どういう結果になるか。それも全部分かっている。アリスの予想を超える未来など、この世には無いのだ。
さて、白ウサギの交渉術は、基本として見ての通りである。
脅すか、強請るか、恫喝か。これぞ三大基礎。
アリスの元に下らぬモノなど、殲滅対象である。これが常識。彼らと『F』は対等ではない。これぞ理。
しかし管理局が現われ、彼女らの戦場は一変した。
保護という名目で飼い慣らされ、耐える日々。この世はアリスの改革で、争いの少ない大平安泰の世となったが、彼女らは『忍耐』という新たな敵と闘っている。
伝家の宝刀、『脅迫術』を封印し、保守に保守を重ねる日々だ。
白ウサギはごますりに向いていない。擂鉢でごりごり削れていくのは、彼女の金剛石より硬いメンタルだった。
かつての日々―――血沸き肉躍る、脳汁ぶちまけるような戦場への欲求は果てしない。ああ、まさしく枯渇している。
けれど、今―――――予感がする。
久しぶりに、何かが始まる予感。何か、なんて曖昧な言い方はよそう。それはきっと、戦いの再来だ。心も、体も、嵐に揉まれて血を流す時を待っている。
この、ほの暗い『今』を照らすスポットライト。それのスイッチを、白ウサギはアリスに用意された舞台上で探した。そして見つけた。
この『周 晴光』という男だと見定めた。
白ウサギはその研ぎ澄まされた感覚のままに、手探りでスイッチを探す。周 晴光が何らかのアクションを起こすのを待つ。
「捕まえてるあのこ……今はどうなってるのかな」
その一言を唇から出した時。
『ああ……』
彼女は身体の芯から震えた。
男の目が変わる。炎が灯る。―――――やっと狼煙が上がった。
(ああ……嬉しいなぁ。楽しいことが始まりそうだ)
周晴光は、冷静だった。
少なくとも『本』が無いことには、自分の力など大したことはないと分かっていたし、だからこそ静かに焦ってもいた。別れた仲間が心配でもあったし、早く合流しなければいけないと思っていた。
けれど晴光は根本的に、平成の世に生まれた子供だったために、悪癖があった。晴光の悪癖は、これに尽きる。『危惧は用心には繋がらない』。つまり楽観思考が過ぎて、最悪の場合を想定できないのだ。ポジティブが侮りに変わってしまう。
これが命のやり取りに繋がらなければ、日常ならば、大きな欠点ではなかっのだ。しかし戦いの場ならば、晴光はだいだいいつも、起きることが起こってから動くことになる。
その悪癖をカバーするのが、少し心配性を患っている相棒の『本』の少女、彼女であり、エリカとニルの二人であり、彼の上司であるサティ第四部隊長だった。
だから晴光自身は何も考えず、動くことだけに集中できる。
晴光は冷静だったけれど、常に行き当たりばったりだった。晴光の『冷静な思考』とはつまり、何も考えていないという意味である。
クリスは再三、警告した。なので晴光は晴光なりに警戒した。『ああ、本が無いとヤバいなぁ』くらいの警戒だ。
(ま、このまま進んだら会えるだろ。エリカにはニルがいるし、ビスって人は、任務で隊長するくらいなんだし。ファンだって、警戒心は人一倍強いしなぁ)
この状況は、きっと何らかの事故なのだ。そこに人の悪意など、これっぽっちも感じ取れていなかった。
だから白ウサギが目の前に現れた時、その明確な殺意を感じても、晴光は不思議そうに見つめ返しただけだった。
『危ないから』『咄嗟に』『本』は『投げ捨てた』けれども、殴られたと理解した後も、晴光自身にこれといって敵意は芽生えなかった。
(なんで? )
晴光の頭の中は、ハテナマークでいっぱいだ。
白ウサギは感情の見えない目で、ぼうっとする晴光を見下ろして、彼女は眉を寄せる。
彼女は観察するように晴光の黒い目を見返して、まったく緩慢に動いた。
※※※※
耳元で囁かれた言葉の意味を明確に想像することは、晴光にはできなかった。
それでも、彼女の言う『あのこ』への害意を感じたし、『あのこ』が『エリカ』や『ファン』や『ニル』だとしたら…なんていう、『悪い想像』ならばできた。
そして今度は、クリスにその凶器を向けている。晴光は激しい感情を動力に、『敵』に向かって飛び出した。
「捕まえてるって、誰のことだ」
「……ピンクの髪をした女の子」
白ウサギはあっさりと答えを示し、薄く笑みを引く。
「どうする? 」
さて、スイッチは入った。では彼は、これからどう動くのだ。どこにライトを当て、物語をどう転がすのか。
「……ファンか」
晴光は口をへの字に曲げて、眉根を寄せた。
「捕まえたンなら、どうしたら返してもらえる? 」
シンプルな返答だった。後ろで聞いていたクリスが、思わず『あ? 』と不穏な一文字を呟くくらいに、シンプルすぎた。
どうしてそうなったの? 説明しなさい。クリスの眼が語る。
「いや、だって、俺の仲間を捕まえて、俺らを襲うんなら、何か理由があるんだろ? 」
「理由なんて、ないよ」
白ウサギは無表情に言った。
「闘いたかったの……それだけ」
「へぇ。それだけか。なるほど」
(ちょっとちょっとちょっと! 何がなるほどなの! どこが『なるほど』できるところがあったの! )
クリスは言葉を飲み込んだ。ウサギと自称する猛獣を刺激しないために、ぐっとこらえた。
晴光の所属する、管理局第四部隊――――そこは、戦闘を目的とする組織であった。
(こないだの先輩とおんなじこと言ってら)
晴光はそう、納得する。第四部隊は、食事中にいきなり後頭部を殴り飛ばし、「ちょっと戦いたくなったから」と言えば、「なんだそうか、よっしゃあ一発いっとこうか」と返されるような組織だった。上座では我らがマザー、サティ部隊長が「クソガキ共は今日も元気だね」なんて笑っている。そこが第四部隊――――アットホームな虎の穴。常に戦国、世紀末的にヒャッハーしている。
異世界に来て三年目――――拳は愛。肉体と肉体をぶつけるコミュニュケーション。これぞ三年で染みついた、異世界人の常識。
――――つまり晴光は理解した。晴光だけが、理解できた。
「じゃあ、お前に勝てばいいんだな! 」
「うん。そうだね」
楽しみだ。白ウサギはにんまりと、満面の笑みを浮かべる。眼だけは、殺意にまみれて鈍く光る。
晴光の眼に、一度燻った火が戻った。
『ストッッオォォォォオオオオオッ―――――プ! 』
響き渡る金切声。
クリスは、まさか自分の心の声が漏れ出たのかと思ったという。
『ちょっとぉ! 何やってんの戦闘民族! キミが立てた作戦をキミがぶち壊してどうすんのさ! 』
スピーカーが悲鳴を上げて、声が降り注ぐ。
耳を抑えた白ウサギは、嫌悪も露わに顔を顰めて、晴光の腕を引いた。ちょいちょいと指で引き寄せ、耳打ちする。
「いいからさ、もう、やろう? 」
『ちょっとー! 聞いてんのー!? え、なにしてる? えっえっ、それ何してるの? んねぇっちょっとぉ! 』
「え、いいの? ああいってるけど? 」晴光が困り顔で上を指さす。
「いいよ、どうでも……」
『ちょっとぉ! 聞こえたけど! うちのマイクは優秀なんだからね! 聞こえたんだけど! 何言ってるの! ねぇ! 作戦は!? 』
白ウサギは、ライトで白く目映い上空を睨む。おそらくカメラがあるのだろう。しばし上を睨み付け、やがて白ウサギは無視をすることに決めたようだった。
白ウサギは構える。晴光も、慌てて戦闘態勢を取った。
『ちょっとー! 』
奴はスピーカーの音量を上げたらしい。音波の雨と降り注ぐ空気に、クリスとスティールは耳を押さえて蹲った。晴光が耳を押さえて何事か叫んでいるのも聞こえない。一番ダメージがあったのは白ウサギだ。若い娘にあるまじき脂汗を流しながら、構えも解かずに堪えている。
その音波攻撃がふ、と止んだ。しばらくは耳の奥で木霊していたが、クリスはやがてゆるゆると腕を下げる。
あれ、クリスは瞬いた。つい、三十秒前に固唾をのんで見ていた場所に、あのトレンチコートがいないのだ。
晴光があらぬ方向を見ているのに気付いて、クリスもそちらを見る。――――草葉のように木馬が倒れている。真新しい砂埃が、もうもうと立ち上っていた。
「なに……やったの? 」
困惑も露わに、晴光は首を振る。
「俺はなんにも……」
砂煙の向こうから、声がする。淡々と抑揚のない声だった。
「また壊してしまっタ。これ以上の損害は後に響くノニ……」
砂塵を割って、出てきたのは少年だ。後ろに白ウサギが続く。
「これ以上、ヤメテください。後に差し支エるでしょう」
「ごめんなさい。頭が冷えた……ちゃんと、するよ」
かつん。白ウサギの革靴の足音が響く。少年の足音はしない。柔らかそうな、布の靴を履いていた。
少年が前に出る。白ウサギは、黙って少年の後ろに控えた。
「ハジメマシテ。VIPの皆様。登場が遅れてしまい、申し訳ありまセン……」
黒目勝ちの眼、小さい鼻、黄色がかった肌と、ゆったりとした翠の民族衣装は、その生まれを示している。胸の前で両手を重ね、少年は礼を取った。
「イモムシと申します。不肖ながら、このゲーム。ワタシがディーラーを務めさせてイタダキます」
イモムシの手のひらが背後を示す。それを合図に、木馬の群れは姿を変えんとしていた。
ゆっくりと天井が下りてくる。同時に、目映く熱いライトは光の色を変えていく。―――――不気味で薄暗い、冷えた緑色に。
「賭けるのは皆様の大切なヒト。まずはヒトリ……」
卵だった。巨大な卵が、上から降りてくる。その周りを囲うのは、鈍色の硬質な突起物。不穏な黒い孔が晴光らに向かって覗いていた。今すぐにでも火を噴きそうなそれに、唾を飲む。
そうか、あの過剰なライトは、これらを隠すためのものだったのだ―――――クリスは理解した。
木馬に守られるように、卵が中心にぶら下がって止まった。
緩慢に、卵の殻がさける。まるで蕾が花開くように。晴光が息を飲む音がやけに大きく響いた。
卵の中には、繭に包まれたような少女の姿がある。
「お待たせイタしましタ。『ショットガン・ラヴァーズ』、起動でゴザイマス」




