ストーン・コード
※※※※
傘の下に降りそそぐ白いライト、茹だる熱気、ピンクと赤がメインの極彩色の装飾と、コントラスト強く木馬の群れの陰が浮かび上がる――――――。
(コンクリートのトンネルを抜けた先にあったのは、巨大なメリーゴーラウンドでした、なんてなぁ……)
どこかで聞いた映画のフレーズを思い出しながら、晴光は顔をしかめる。
なんてったって、暑い。いや、熱い。
強すぎるライトは、アトラクションとして子供を楽しませる気を感じさせない。足元を見てみると、ゆらりと蜃気楼ができているほどだ。
「電子レンジの中にいる焼き鳥の気分だぜ……」
「これが電子レンジだったら、僕らいまごろは全身の体液が沸騰して死んでるんだけど」
「今そんな豆知識いらねーよ! 縁起でもねーこというなよぉ! 」
蒼くなって震える晴光を鼻で笑って、クリスはつるつるの円盤に足を踏み入れた。足元のこの巨大な円盤が馬を廻す仕組みなのだろう。
晴光が、小さく「馬がリアルすぎて顔が怖い」と呟いた。なるほどそういえばこの木馬、等身大であるようだ。高さは一様に170㎝ほど。前足を持ち上げて地を猛る様子を切り取った馬たちは、筋骨隆々と顔も雄々しく、たてがみは逆立って波打っている。
「等身大サラブレッドじゃねーか。でかいしごついし、子供じゃ乗れねえだろ。俺が知ってるの、もっとちっさいポニーちゃんだったぞ」
「……ちょっと、君みたいな大男がこんなのに乗るのかい? 」
「うるせーやい。俺だってちっこい時はあったんだよ! それに妹の付き添いだってのっ! つーかお前、俺にも分かるくらい猫が剥がれてんぞ! 」
『自分がニブイって自覚はあったの? 』
呆れた声でスティールが言った。
「僕は無駄なことはしないように教育されてるからね。それより、乗馬なんて経験あるの」
自分よりずっと小さな少年に皮肉っぽく返されて、晴光は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
(“馬に乗ることはできる”ということは、“そういう必要のあるところにいた”ということで……)
クリスの頭は一瞬にして巡る。馬が必要なのは、もちろん移動のためだ。傾向として、平地の多い土地で活躍する。
(でも、こいつが馬が活躍するような文化レベルのところで育った人間か? )
違うな、と思う。なんせ、馬を筆頭とした家畜を育て、飼い慣らし、乗りこなす騎馬民族は、えてして機動力と統率性のある軍事的能力が高い。ということは、ようするに、馬と同じく人間も環境によって“育て”“鍛え”抜かれているということだ。晴光という男には、そんな鍛え抜かれた高潔さは感じない。
では、家畜を育てる農民か? いや、わりと泥臭いけれど、この男が苦労なく甘やかされて育っていることは、クリスの勘いわく間違いない。
では、教養としての乗馬をするような育ちなのか?
( ………いやいやいや。それは無い)
「まーな。俺、昔は流鏑馬やってたから、馬には乗れたぜ。今も乗れるかは分からねェけど」
馬の周りを巡りながら、晴光は言う。
流鏑馬とは、日本で古来から受け継がれる、走る馬から的を狙う技術である。奉納の意味を込めて、近年では儀式としての意味合いが強い。
頭上のライトと同じくらいにぎらついた貪欲な知識欲に満ちた視線に、晴光の口も動いた。
「うち、寺……ええと、教会みたいなやつな。それだったから、親父の知り合いのでっかい神社でやる祭に毎年駆り出されててさ」
「寺院と神社、だっけ? それって、そもそも宗教が違うんじゃなかったっけ」
「うん。そうだな。寺は仏教、神社は神道。仏教は、中国とかインド…じゃ、わかんねーか。えーと、余所の国から来た宗教なんだけどな。神道は俺の国の独自の神話で、建国神話ってやつだな」
「……ちょっと待って。信仰するものが違うんだよね?」名前を“クリスチャン”というからには――――というわけでもないが、クリスは追及して尋ねた。「それ、祭りでやるってことは宗教的な儀式じゃないの。そんなの、よその宗教を信仰してる人間がやっていいものなの? 」
「俺の家は代々仏教徒だけど……え、でも仏様と神様は違うもんだろ。うちのおやじ、年始にはぜったい神社にお参りするけど、盆はお経上げに檀家を回るぜ。なんか変か? 」
晴光は首を傾げる。
「それっておっかしいだろ。色々とさぁ」
「えええ、あ、でもっ、稲荷神社の神様と荼吉尼天はおんなじっていうし」
「発祥が同じなの? でもさっきは、仏教は別の国から来た宗教で、神道はキミの故郷独自のものだって言ってたじゃないか」
「知らねえよンなこと! 」
「なんで知らないの!? 」
お互いがお互いに、「信じられない! 」と言わんばかりに頭を抱えた。
『まぁまぁまぁまぁまぁ……』
見かねたスティールが、声だけで制する。
『ちょっとした文化の違いじゃないか。周くんの故郷は、宗教に寛容なのかい』
「かんよう……? 」晴光は奇妙な顔をして復唱した。『宗教に関して、自由なのかいってこと』
晴光はすぐに頷く。
「自由だな」
『ほら、特定の神様を信仰する文化じゃないんだよ』
「っていうか、葬式は寺で、でも結婚式は神社でっていう時と場合っつーかケースバイケースっつーか…えーとそう、神様もそれぞれ役割分担、みたいな? 」
「『みたいな? 』じゃないよ。役割分担するなよ。神様なのに時と場合でえり好みされるのっておかしいだろ。もうそれ信仰じゃないだろ……」
『はいはいはいはいはい……』
頭を抱えるクリスを宥め宥め、スティールの声は居直るように仕切った。
『あのね、まずは現状把握だよね? お互いの文化的な軋轢は置いといてだね、まずは情報収集だ。違うかい』
「……ぶっちゃけ、早くここを離れたい。暑いし」
晴光が、素直に感じることを言った。
「…そうだね。これ、確実に動くようになってるよ。飾りじゃないと思う。あの列車っていう前例もあるわけだしね。ほら、ここの床に、ぐるっと溝がある。こっちとあっちの床が別々に動くんだ」
クリスも、素直に感じることを言った。
『スルーしてやるなよ』
スティールは、久々に他人にツッコんだ。
「おっまえ性格悪いな! 」
「あっはははそうだよ気付いてなかった? 」
「今気づいたよ! 」
「ほーらもぉ、喧嘩しないでよ…」
晴光は珍しく、語気を強くして言った。
「あのなぁ、えり好みするのはおかしいって言うけどな。人間なんてもん、自分の都合のいい方を信じるもんじゃねーのかよ。流行る宗教ってのはさ、それだけ多くの人にシックリくる『筋書き』だからだろ。それぞれの都合が良くないから宗教で戦争なんて起こるんだ。何かを信じるって純粋なだけじゃねーぞ」
「それは…そうだろうけど」
クリスはたじろぐ。『へぇ』とスティールは意外に思った。晴光のはっきりした主張もそうだが、クリスが躊躇いを見せたことにもだ。
(子供に見えても、それぞれに色々あるもんだね)
「俺の国は、確かにどんな神様を信じてもいいって法律で決められてるけど、けっこうな人が『宗教』っての嫌いなんだよ。『宗教』って単語そのものに良いイメージがねーからな。神様よりも、近くにいる人間と争うことになるほうを嫌がってる。だからどんな信仰も、否定はしないけど肯定もしない。みんなが同じもんを信じてるわけじゃないって知ってるんだ。何もおかしくねーよ。神社にお参りするのは、毎日を平和に暮らせる土地そのものへ対しての礼だ。故郷への礼だ。寺にお参りするのは、死んだ家族と生きてる家族、両方が幸せでありますようにっていう願いだ。別に神様を信じてるってわけじゃない。自分が大事なことを忘れないようにするために必要なんだ。神様ってのはあっちの神様を拝んだあとでこっちで手を合わせたら怒るほど短気で薄情なのかよ。そんな神様なんざ知るか。ごちゃごちゃした儀礼なんて、俺はどうでもいい」
クリスの青い瞳が揺れる。『救世主』という名前につけられた意味と、もう忘れた名前を思い出す。
かつてはクリスも、神の御業を信じていた頃があった。
(僕の神様がもっと心が広かったら、今ここにはいないんだろうな)
今のクリスが信じられるのは、ミス・アンブレラと自分だけだ。アンブレラは確かな“利益”を自分にくれる。信じるために最も足りる説得力が他に在ろうか。
『でもおれは、クリスちゃんを信じてます』そう言った虹も、クリスは信じることができない。それを時折、クリスをこうして後ろめたくさせる。
(晴光は、やっぱり苦手だ)
クリスは分かっている。晴光の言うこと成すことが、虹と似ているから苦手なのだ。
「……むかつく」
「四文字だし! 反抗期か! 反抗期だな!? 」
「暑い! むかつく! なんだよここ! もちろんアンタ達もむかつくけど! 」
『おれも!? 』
「自分よりでかいやつはみんなむかつくってか! 知るか! 」
「ぼくもむかつきます」
「え?」と、彼らは口をそろえて割り込んできた少女の声に驚き、視線もそろえて一方を見つめた。
白馬を背に、照明に白く焼かれた砂色のトレンチコートの少女が立っている。目深に被った中折帽の下から、金髪と赤い瞳が覗いていた。
「……待ちくたびれました。ちっとも暴れてくれないから」
目尻の垂れた少女の眼は、とろんとして晴光を見つめる。少女の艶やかな視線に、先の晴光はたじろいだ。
「なんだ、あんた……」
クリスは傘の柄を掴み直す。白ウサギの赤く濡れた目は、晴光を打ち抜かんと外れない。
「いいこと、しましょう」
「……は? 」
ライトに照らされる白い弾丸となって、白ウサギは飛び出した。とっさに晴光は左腕を胸の前に、右手は“本”を床に投げ捨てる。
クリスのすぐ右脇を、晴光の巨躯が吹き飛んでいった。いくつもの馬が、ボウリングのピンのように雪崩れていく。ボールになったのは、一人の人間だ。
「おい! なんで“本”を捨てたんだ! 」
「そりゃあ、晴光くんじゃあ俺を使えないからさ」
クリスの背後に立ったスティールが言った。
「あんた、いつのまに……」瞠目するクリスは、「いや」と首を振る。「…あんたを使えないって、どうして? 」
「だって俺は、晴光くんの“本”じゃないからね」
「でも…さっきの列車ではあんたを『使えてた』じゃないか」
「あれはほら、利害の一致ってやつだ。俺も彼も、君を助けたいと思った。だから俺も力を貸せた。晴光くんの『使い方』も、肉体強化なんていう基礎的なものだったしね。でも“本”ってさ、割と相性で能力が左右するんだよねぇ」
「そ、そんな…… 」
煙る視界の中で、ゆらりと影が立ち上がった。トレンチコートの少女は落ちた帽子を拾い上げながら、まっすぐクリスに向かって歩いてくる。
クリスは傘を握りしめた。汗が冷たい。
「……ねえ、僕にはあんたは使える? 」
「俺、本としちゃ扱いづらいって定評があるんだよ。訓練も受けてない君じゃあ無理だねェ」
「そう……」
こんな時だというのに、身体は重い。気分が乗らないのだ。これでは負ける、という妙な確信がクリスの中にある。
(大見得切ったくせに……またアンブレラさんに怒られる)
今日だけで、どれだけの失態があっただろうか。不甲斐ないと言って、あの女はまた自分を折檻するのだろう。
(生きて帰れたら、だけど)
圧倒的に自信が足りない。頭の隅に、こびりつく者の存在があるからだ。『虹がいれば』。今日だけで、何度そう思ったことか。
「期待して損しました」
白ウサギは心なしか唇を尖らせ、不満そうだった。
「見かけ倒し。もっと強いと思った。あれじゃあナメクジだ。ぐにゃぐにゃで、べちゃべちゃ……君の方が美味しいのかしら」
「………」
「震えてる。あなたはカタツムリくらいにはなる? 」
うっそりと白ウサギは笑う。クリスは利き腕を抑えた。
「ねえ、お兄さん…僕の腕、震えてたかな」
「いいやぁ? しっかりしたもんだったよ」
「そう……」
クリスは唇を噛んだ。血の味がする。
白ウサギはゆっくりと、僅かに腰を落とした。『今から襲いますよ』と見せつけて、弄んでいるのだ。
3…
2……
……1。
中折帽が宙を舞った。
目の前でまた人間が吹き飛んだ。
「晴光! 」
クリスが叫ぶ。歓喜の声ではない。悲鳴染みた叫び声だ。
二度目は馬をなぎ倒すだけに飽き足らず、奥のポールにまで晴光の体は吹き飛んだ。崩れ落ちた人形のような体躯は、不格好にも立ち上がる。
白ウサギはトレンチコートの埃を叩きながら、中折帽を拾って頭に乗せる。
「……」
首を傾げた白ウサギは、まじまじと晴光を見つめる。クリスもまた、気が付いた。
(なんだ? )
「………った」
晴光は、何かを言っている。
「……なんですか」
「捕まえてるって、誰のことだ」
今度ははっきりと聞こえた。
晴光はぎらぎらと怒りに燃える目で、白ウサギを射抜いていた。
お久しぶりです。ちょこちょこ加筆修正期間中の陸一です。
『砂上特急編』まで修正完了しました。
砂上特急編だけでも大幅に加筆(といっても3000文字くらい?)したので、暇つぶしに見返してみてください。終盤、見せ場がちょっと増えています。
またちょっとだけ逃走します。月に二回は更新したいのですけれども。




