溜息のダンス
5.
揺れる床に掌をついて、クリスは晴光を見上げた。
目前のぼっかり開いた穴から、晴光が身を乗り出してクリスに片手を伸ばす。何も考えず、クリスは素直にその手を取って引いた。
「おっとと」
被った砂埃を払い落しながら、晴光は息をつく。
「慌てたからさぁ、派手にやっちまった」
「今僕ら、どうなってるの」
『この部屋が動いたのさ』
晴光の腕の中の“本”が言った。
「ここの部屋がな、」晴光が、爪先で床を叩く。「どうやら列車になってたんだ。線路がまっすぐ伸びてんのが見えたよ。いきなりこの部屋が目の前を通り過ぎてくんだもんな。ひゃー焦った焦った」
晴光は手汗の露を払うように、ぶるぶる腕を振る。
「ほら、あっという間だったろ? とっさに“本”がありゃ、なんとかなるんじゃねーかと思ってさ。俺にしては頭使ったなー。な? なんとかなったろ? 」
にっかり笑う晴光を、クリスはなんだか釈然としない気分でねめつけ、「あんたって、本当に能天気だね」
シニカルに言って鼻で笑ったクリスに、晴光は不思議そうに首を傾げていた。
※※※※
“それ”は家だった。
それだけを見るのならば、どこぞの高級住宅街の風景である。塔のある立派な家が荘厳と立ち並び、窓のステンドグラスに天使が飛んでいる。
ただし、それが並んでいるのは、下に武骨なコンクリート、上には配線と鉄柱がむき出しの武骨なホームであった。ホームとは、つまりは駅のホームである。
薄暗いそこは、“それ”と合わせて駅のものよりも何倍も広く、高く、“それ”を収めるために出来ている。
それは列車だった。そして“ここ”は、この列車の実験施設だった。
「ひゃっほぉぉおおおおおおおお!!!! やった! 成功だ!! 」
ホームの高い天井に、奇声が飛んだ。
コンクリートの床を跳ねまわり、ハンプティは拳を振り上げる。白ウサギが遠目に、冷ややかにそれを見ていた。
「“成功”の瞬間ってのはいいもんだね……だから俺は研究ってやつをやめられない。あの苦難も、この苦労も、バカみたいに机に頭をぶつける苦行も、全部がこの“成功”のためにあるのさ」
「まだ成功したと、決まったわけじゃない」
「でも走った! 走ったんだぞ! あはは、一つ目の“成功”だ! ここまではパーフェクト! これからもパーフェクトだ! だって俺が作ったんだから! 」
「……まだ走っただけだろう」
「じゃあ君は、この列車を動かせるのかい? 高さは三階建てのビルで、全長は1000m、車両ひとつでも長さ20メートルはある。時速330㎞以上の走行が可能で、しかも走っている間に外壁が壊れない! これを作れるのは俺だけだ! “成功”できたのは俺だけ! それが実証されたんだ! おいおい白ウサギちゃん…俺をもっと褒め称えてくれよ」
「……」
『それの何がすごいの? 』とばかりに、白ウサギは目を眇めて男を見つめ返す。ハンプティは『ヤレヤレ』と首を振って、指を立て、足をそろえて、顎を上げた。
「この列車は超重量級だぜ? しかもすげー早く走る。例えば、窓の処理を甘くするだけで、ちょっと外壁を脆く作るだけで、ガラスやレンガやらをめちゃくちゃにまき散らすんだ。もし、市街を走らせたらどうなる? 」
「当たったものが刺さるか、抉れて吹っ飛ぶ? 」
「吹っ飛ぶ吹っ飛ぶ! ぐっちゃぐちゃになるね! でもそれだけじゃなくて、まき散らすのが爆弾なら? 俺はこの列車を『止める』ことにも苦労したんだ。この列車は、相当な障害物でもなぎ倒して走りぬく。こいつの走った後には、文字通り草木も残らないよ」
「……車なんかは? 」
「無理無理! 最新の戦車でも、ぺっちゃんこにできる自信があるね! むしろ、こいつに生身でぶつかって死ねる奴はマジで贅沢だよ」
「クイーンならば…受け止めきれるだろうか」
「さ、さあ? あの化け物は、俺たちの実験なんかには協力しちゃあくれないだろ? 実証不可能だね。でもたぶん無理。少なくとも、世界一筋肉がモリモリのゴリラでも無理。机の上での計算では、ぐちゃぐちゃの人間の絨毯になるのは確かだね」
「……へえ」
白ウサギは、帽子の陰でうっすらと笑う。
「これは…いい玩具になりますね」
「だろう? 」
ハンプティは、何度も繰り返し頷いた。
※※※※
「なにか見える」
穴から外を見たクリスが、夜景を指さして言った。
ごうごうと風が渦巻いている中、いまだ崩れた壁から塵が飛ぶ空気に、眼を細めて晴光も目を凝らす。
蛍光色のピンク色に輝く、巨大な“傘”が見えた。
「ほんとだ……なんだあれ。でっかいキノコ? 」
「馬鹿でかいメリーゴーランドだよ」
『なにそれなにそれ! うっわーマジだぁ…これ、明らかにあれに向かってるね』
「……次は何だっていうんだよ」
クリスは忌々しげにぼやいた。
列車は着々と速度を落としていく。列車が夜闇に眩しいほどの輝きを放つ傘の脇を走り、見上げて眺められるほど近づいたころ、列車は屋内に滑り込んだ。煌びやかな夜景を遮られ、トンネルに入った列車は、一瞬にして暗闇に包まれる。
すると、今まで飾りだとばかり思っていた、室内の照明がいっせいに灯った。薄暗さに久しく忘れて居た色彩が一気に目を焼いて、それぞれ目を瞬いては顔を見合わせる。
壁穴から頭を突き出していた晴光は、穴に蓋をしたヤスリのようなざらついた壁に驚いたのか、慌てて頭を引っ込めたらしく、鼻の頭を擦り剥いていた。
「……間抜け」
「うるせー。お前だって酷い格好だぞ」
『俺以外はホコリまみれだね』
「……あんたは本だもんな。ハァ…俺、やっちまったかなぁ」
聳えるような背を丸めて、晴光は溜息を吐いて鼻の頭をさすった。
「なぁ、クリス。約束したやつ、無理になるかもしんねえ」
「危険だから、僕だけ逃げろって言いたいの」
クリスは晴光を見上げて、上目づかいに睨んだ。
「……さすがのお兄さんも、もう気付いてるでしょう。僕が普通のガキじゃないってくらい」
「普通か普通じゃなくてさあ、子供を巻き込むのはしたくねーんだよ……自分がガキってことは分かってるんだろ? 死ぬのはごめんだってこと言ってたじゃねーか」
「そうだね」クリスは素直に頷いた。「でもお兄さん、あんたは三つほど忘れてるよ」
クリスは見せつけるように、指を立てた。
「まず一つ。僕にも目的があるってこと。連れを見つけなきゃいけないし、お使いも頼まれてる。二つ。そもそも逃げろってどこへ? 僕には帰り道なんて見えないけどね。退路が断たれたにも等しいこの状況で、ガキ一人が逃げるのは危険だとは思わないの?
……そして三つ。あんたも図体はデカいけど、偉そうなこと言える年じゃない。そこのオッサンから見りゃあ同じガキだろうがよ。いらつくんだよね! そういうのってさ」
『ちょっと待って。俺は二十五歳だよ。まだオッサンって年じゃないよ』
晴光とクリスは睨みあう。いや、睨んでいるのはクリスの方だけで、晴光は困った表情で頭を掻いている。
「僕は、こういうのは自己責任でいいと思うよ。僕は勝手にあんたについていく。その方が僕の生存率が上がると考えたからだ」
「……ま、それでいいならいいけどよ……それ、俺がお前を守るって前提か? 」
「ここでお兄さんが『お前の事なんか守らないぞ』って言っても、あんたは土壇場で僕を守るだろうね。あんたは、そういうお人好しだ。だから僕は生きる」
晴光は頭を抱えた。
「本人にそれを言うのかよ! 俺が見捨てたらどうすんだよ! 意味わかんねえ! 」
「言ったところで、あんたは僕の期待を裏切らないよ。僕は確信してるからね。あんたは自分が死んだとしても、何にも考えずにか弱い僕を守るよ。ま、守られるだけの気は無いから安心してよ」
クリスは労るように晴光の肩を叩いた。頭を抱えて唸る晴光を背に、穴から離れ、もう一方の“壁”に近づく。
……この部屋が“列車”ならば、この壁の先には、結合部があるはずなのだ。
壁にぺたりと手を当てて、クリスはじっと考え込む。
(…強度は五百……いや、一応千くらいにしとこう。火力は最大、力配分は二・七・一。一は少ないか……虹のやろうがいればこんな計算しなくても、話はもっと簡単なんだけどな)
頭の中で『これくらいのことはクリスならできますよね? 』と、アンブレラがにっこりと笑っている。
「ハイハイ出来ますやれます。出来なくてもやってみせますよ……」
クリスは腰を伸ばすと、右手の傘の柄を握りしめた。息を吸う――――――吐く!
轟音に、晴光はすっくと立ち上がった。周囲はいつのまにか、砂埃で満ちている。また“壁”が壊れたのだ。
「な、なんだぁ!? 」
広いとは言えない室内で、もうもうと塵が舞う。晴光は袖で目を擦り、じっと真新しい壁穴へと凝らした。
「ほら、だから言ったでしょう。守られるだけの気はないって」
クリスが瓦礫に長靴のかかとをかけ、憮然と言った。




