白い少年
室内はなぜか、照明がぎりぎりまで落とされていた。室内は物が溢れ、あらゆるもので乱雑としている。
薄暗い中を記憶を頼りに、周 晴光は部屋の中心のデスクまで進む。
おっかなびっくり巨躯を縮める晴光から一歩遅れて、同僚であるエリカ嬢は、まるで明るい廊下を歩くように胸を張ってデスクまで辿り着いた。
デスクの奥では一人の巨大な女が、組んだ両手に被さるように顔を伏せて鎮座する。
脇を締めた逞しい腕の間で、女性の象徴が苦しそうに寄せられている。タンクトップの上半身は脂肪と筋肉で厚く、短く刈り込んだ男のような頭をしているが、シャープでなめらかな面立ちはそう強くはない。
見ての通り、彼女がこの部屋の主だ。
彼女は若者二人を眺めるように見て言った。
「実は……非常に言いにくいことなんだが、君たちに異動の辞令が出ている」
「ええっ! 」
「……そうですか」
二名は異なる反応を示した。
照明が付く。
管理局では今日もまた、研究畑の第三部隊の実験で、強制的な電力削減が行われていたようだ。
検挙に声を上げた晴光は、真っ赤に染めた頭を振ってデスクに詰め寄った。
「俺を見捨てるんすかサティママッ! 」
「いやいや、そうじゃないよ」
管理局の戦闘部隊、第四の部隊長サティは、頭を振り振り、大きなため息を吐いた。
ここ管理局には、五つの部隊がある。
一、先鋭特殊秘密部隊、第一部隊。
二、情報統括部隊、第二部隊。
三、神秘探究、技術確立の研究畑、第三部隊。
四、サティ率いる、戦闘部隊、第四部隊。
最後に五、新人育成の研修生の所属する部隊、第五部隊。
晴光は、この第四部隊に所属して一年目である。齢十五にして見上げるような背丈。縦にも横にも上等に育ち、長い手足を生まれ持った恵まれた体躯は、まさしく戦闘員に向いている。
「俺はここ以外じゃやって行ける気がしませんって! 俺、自分で言うのもなんですが――――スッゲー馬鹿なんすよ! 」
「それは分かってる。お前の頭の悪さは、あたしが一番よぉ~く知ってるさ! 」
サティはデスクを叩いて立ち上がった。その身長は二m近い晴光程ではないものの、エリカからしてみれば十分に大きい。
サティは吊り上がった目尻をさらに鋭利にとがらせて、萎れた声を出した。
「……でもねぇ、これも、お前にも悪くない話だと思うんだよ……」
「サティママ……」
尊敬する上司にそんな態度で宥められ、晴光も眉を下げるしかない。
部下に『ママ』と呼ばせる女上司は、人員最大数、百四十名の荒くれ者達を纏め上げる女傑である。男より声を張り、男以上に豪胆を地で行く彼女が、やわやわとした声を出しているのだ。これはそうある事態ではない。
しんみりする上司と部下に、一人部外者であるエリカ嬢は白い手を挙げた。
「……あの、それで私はなぜ呼ばれたんでしょうか」
エリカ・クロックフォード。長い黒髪を黒い幅広のリボンで結い上げ、色白のかんばせに桃色の唇が映える。吊り上がった丸い目は濡れた紺色。肌を晒さない装いを好んでおり、育ちの良さそうな雰囲気の淑女だ。
所属するのは第五部隊―――つまりは、つい先日まで管理局の研修生だった彼女は、当然ながら第四部隊員ではない。この第四部隊の隊長執務室に入るのも初めてだった。
「最初に言ったはずだよエリカ嬢。――――“君たち”に異動の辞令が出ている、と」
「……私、第三部隊に内定が決まっていたと存じていますが」
エリカは首をかしげた。
「ああ、ああ、そうだ。確かにそうだ。だがね、君は晴光と同い年で仲も良いし、もう研修生ではない。だから私が纏めて通達を頼まれたんだ」
「そうですか。いいえ、かまいません。どうせ、誰に聞いても同じことですから」
エリカは特に落ち込んでいるという風もない。
「私はどこに所属でもかまいません。こだわりはありませんから」
「……エリカ、本当にそれでいいのか? 自分から第三部隊を志望したんだろ? 」
「クールだね、エリカ嬢は」
「いいえ……特に興味がないだけだと思います。しいて言うなら、休暇が多ければ良いですけれど」
エリカはそう言って、肺の中を空にするためだけの息を吐く。どこかぼんやりとした視線だった。
サティはウンと頷くと、改めてデスクに腰を下ろす。
若者二人の対照的な表情を微笑ましげに眺め、第四部隊長は背筋を伸ばした。
「では、まず、私が言った日時に指定の場所へ行ってくれ。そこで、君たちは新しい部隊に配属されることになる」
「新しい部隊、っすか?」
「……まさか、新設される部隊が?」
「そうだ」
頷いたサティに、さしものエリカも驚いた顔をする。晴光は言わずもがなだ。
「新設部隊? ……もう何十年も、管理局は五つの部隊でやってきたんでしょ? 」
「確か……五十年ぶり、ではなかったですか。今更、必要なんでしょうか……ただでさえ人員不足なのに、これ以上分割するなんて」
「そうだよ。異例中の異例になるだろうね。だからこそ、君たちにも悪い話じゃあない。そうあることではないからね」
サティはデスクの上で、腕を組みかえた。
「これは第六の部隊になる。それがこれからどうなるかは、君たち次第というわけだ。いいかい? これは私の独断だけど、君たちはここ何十年もいなかった逸材だ。それが同期で二人――――奇跡だよ。そんな若い二人が、こういう新しいことに選ばれた。あたしは、それにすごく期待している。俗っぽく言うと、ワクワクしてるのさ。こんな期待を背負わせることは、申し訳ないことに君たちにとっては重荷かもしれないけれどね」
ふふっ、と、サティは抑えきれない笑いを漏らした。あでやかな唇から、白い歯が覗く。
「さあ、行きたまえ。――――新しい上司は、君たちも知る人物だ」
サティは極上の笑顔で、門出を見送った。
※※※※
ここで言う管理局とは、統括の【異世界管理局】を母体にした組織の一つ、【物語管理局】のことである。
そも、この世界には、異世界を縦横無尽に闊歩できる異世界人が、まれに存在する。
彼らは異物として、時にその世界の常識から外れた行為を行い、その世界だけにある“ルール”を乱す。いわゆるチート行為はもちろんのこと、現地人の救済行為も、そのルールの琴線に触れてしまう。
それを阻止するのが、ここ【物語管理局】である。ここには多くの異世界人が任意で所属し、三年の研修の後、活動を行っている。
ルールに縛られながら危険な異世界に乗り出すのだから極めて危険は付きまとうが、待遇は厚く、所属するだけでも生活は必ず終身保障され、経歴を積めば、それだけ給金も倍々と上がっていく。
エリカらはそんな組織の下っ端も下っ端、新人ペーペーであった。
「……知った人物? 誰かしら」
「うーん、わかんねぇなぁ……部隊の先輩とか? 」
「あんたの部隊の先輩なんて、私は知らないわよ」
エリカはうろんげに言う。
敷地内には、それぞれの部隊の冠つけられた五つの棟と、本部、特別棟を含めた合計七つの建物が、扇状に並んである。指定された場所というのは、その七つの中心――――本部の地下資料室だった。
どことなくかび臭い陰気なエレベーターを降り、窓のない資料室街に降り立つ。頭上では幾人もの職員が歩きまわっているというのに、ここでは照明すらも落とされている。
「オバケ出そうだよな? な? 」
「出ないわよ……」
怯えているのか、期待しているのか、背後で良くわからない声を出す晴光に、エリカは呆れた声で返した。
足は自然、早くなる。
「……ここだわ」
エリカは一つの扉で足を止めた。そこだけ扉が開け放たれている資料室らしき一角だ。すぐにはほかの資料室との違いは判らなかったが、中に入れば一目瞭然だった。
本棚が片づけられ、ぽっかり空いたスペースに、簡素な折り畳みのテーブルが置かれている。
そこに、脱力しきって頭を伏せて座する人物があった。
その男は白い髪の三つ編みを背中に長く垂らし、裾に鮮やかな刺繍の施された独特の民族衣装を着ている。覗く首筋はやけに青白い。
顔は伏せているので窺えず、彼からなるべく離れた場所に座った。
「少し早く来すぎたかな? 」
「……そうかもね。でも、遅刻するよりはいいわ」
「もしかして、そこで寝てるあの人が……? 」
「それは……無いと思いたいわ」
二人は小声で声を交わす。男は身じろぎもしなかった。
場はなんとなく、静寂に包まれる。
「お待たせしました」
ガタタッ
背後からかけられた声に、晴光は思わず飛び上がった。エリカは難なく静かに立ち上がり、椅子の脇に直立する。
その人物は、白い髪をしていた。左の眼は目映いばかりに青く、前髪に隠れた方の目の色は、おそらく金だ。顔色は色白を通り越して青白く、眼窩もどことなく疲れたように落ち窪んでいる。
体躯は華奢。語調は見た目よりずっと落ち着いている。
外見から見た年のころは――――おそらく十二を超えないくらい。
エリカと晴光は顔を見合わせる。彼の不気味な外見とは裏腹に、二人はしばしの安堵の表情を浮かべた。
彼らは一度だけ、このおかしな少年と仕事を共にしたことがある。
「改めまして――――ビス・ケイリスクと申します。十九歳の若輩でございますが、第六部隊の隊長に就任いたしました。これから、よろしくお願いいたします」
髪も顔色も真っ白な少年は、淡々と言った。
――――これが、たった三名が所属する新設部隊、第六部隊の設立の時であった。