わるつ
Ⅹ3
白ウサギは、外見的、性質的には、二十そこそこの娘である。
中折帽子の下で、短く切られた金糸と白磁の肌を持ち、一見して並々ならぬ美貌を誇る娘盛り。
控えめに膨らんだ胸は厚い上着の下に隠して、眉を引くだけの化粧で、花のかんばせを帽子の陰で娘は男を模している。
誰に謂われたでもなく(もちろん、アリスにも)物心ついた時からの格好だった。白ウサギは女の服は好まない。けれども、心も男というわけではない。これでも婚約を交わした恋人がいたりする。
寡黙な男装の少女は、側らにブロンズのステッキを握り、帽子の下から森をねめつけた。耳を傍立たせ、鼻をつかい、目を細める様はまるで野生の獣である。
少女の腰ほどの長さのこのステッキが、青銅にしては不自然な重みをもっているのを知っているのは、Fの中でもそう多くは無い。つまりは、このステッキの主な材質が、鉛であることを知る者だ。
白ウサギの役割は、アリスと“外”とを繋ぐ、仲介人だった。このステッキが鉛製だと知っているのは、彼女の反撃を知っている者に他ならない。――――そう、反撃だ。白ウサギが武器を取るのは、交渉相手がアリスに仇討った時だけと決めていた。
アリスの創ったこの森は、蟲の声も鳥の囁きも無い。どっぷりと沈む静寂に身を潜める。
“ウサギ”であるからにして、森は彼女が戦場とするにふさわしい。
ふと、白ウサギは白手袋を胸にあてる。
(……これは、高揚? )
かれこれ五、六年は久しい感覚だった。
敵が強大すぎる組織になってから、アリスは一切の争いを禁じた。いや、戦い自体は終わってはいない。仲間の尊い血を守ることこそが、アリスが提示する新しい戦い方だった。
(僕がこんなに飢えていたなんて……)
白ウサギは、自分が仲間内で比較的、冷静で温厚な方だという自覚がある。だからこそ、ここ最近の現状にも、誰よりも適応していたと錯覚していた。
(僕がこうなんだから…クイーンやチェシャーの我慢はすごいな)
子供のころから、あの二人が一番強かった。それに比例するように横暴で、暴虐で、血を流す様を好み、アリスへの忠誠はもはや狂信であった。
チェシャー、クイーン、キング、白ウサギ。
“F”の中でも、彼らは特別だ。共通点は、アリスに死ねと言われたら喜んで死ねるだろうこと、アリスに“人間”にしてもらった化け物だったこと。
彼らはアリスが生まれる過程に出来た、副産物で失敗作たちだった。
“神様の子”が生まれた後でも、使い捨てるために生み出され続けた失敗作。
牙こそなかった。それでも確かに、あの頃の自分たちは獣だった。自分がまだ獣だったころの、冷たい檻の中をまだ覚えている。
静寂を破る、殴打音がすぐ近くでした。
「あれ……」
白ウサギは、純粋に驚いた。右手に握っていたはずのステッキが無い。
樹木の幹に片足をかけて、幹の中ほどまで深く深く抉るステッキを引き抜く。あっさりと生木の割れ目から、細腕が得物を救い出した。
(不覚だな。自分のストレスも把握していなかったなんて。浮かれすぎないようにしないと……クイーンはきっと、もっとひどく浮かれてる)
白ウサギは、自分が仲間内では、冷静で温厚な方だという自覚がある。
牙こそない。爪も無い。こうして言葉を、道具を使うことを覚えた。恋をした。愛を知っている。
彼女の鋭敏な耳が、落ち葉を踏む足音を拾う。
―――――それでも、自分の中には獣がいる。
彼女の飴色の瞳の奥で、ほの暗く赤い光がちらついた。
※※※※
きらびやかな色とりどりの照明が、夜闇の中でくっきりと遊具達を浮かび上がらせている。夜の森に突然現れた遊園地は、娯楽施設とは到底思えないいかがわしさが強く香った。
壁沿いに歩いて見つけた入り口ゲートは、迎え入れるように開け放たれていた。無人の受付をガラス越しに覗き込むと、マイクの前に座らされた大きなウサギの縫いぐるみがこちらを見返す。
ごくり。
晴光は音を立てて唾を飲んだ。自分はひどく、ここにいるのが場違いな気がする。
ウサギに見送られながら、晴光が戦々恐々としながらゲートをくぐると、中世の田舎町を模した広場に出た。石造りの小さな噴水が、照明で黄金に色づけされて飛沫を飛ばしていた。
いやに安っぽく再現された農家の家を覗き込む。おそらくは土産物屋であった。
「誰かいませんか」
返事は無い。
ブゥ―――――…ン
煌々とした灯りから飛び交う小さな音と、さらさら流れる噴水の水音が、静寂を助長させる。耐えかねて、晴光はいそいそと広場を後にした。
石畳を駆け、次に出たのはゲームセンターと隣接したレストラン街。見覚えのあるチェーン店の看板を掲げた店は、そろって照明が落とされていた。人がいないことは一目で理解できたので、立ち止まることなく通り過ぎる。
等間隔に電灯があるので、道々に暗い場所などどこにもなかった。それでも、晴光はざわつく胸中を鎮めることができない。
ジェットコースターのレールを頭上に、コーヒーカップが見えた。
「誰かいないか! 」
コーヒーカップは乗客を待つように停止しては、回転を始めと繰り返している。コーヒーカップが回るのと一緒に流れる、軽快なワルツがBGMだった。
「…ん? 」
ぽつん、と、石畳の上の奇妙なものが晴光の目を引いた。夜目にもまぶしい黄色のものが、向こうに落ちている。
見下ろすほどに近づいてみても、晴光はさらに首を傾げた。
「長靴? 」
黄色のぴかぴかの長靴だ。サイズは23センチ。女物とも見える大きさだけれど、それにしては真っ黄色とは華がない。丸みを帯びた爪先は、どうやら子供用のようだ。
晴光は上を見上げてみた。
レールの上を無人のコースターが走っている。目を凝らして確かめても、座席に人影は無い。
コースターは最初にずいぶん高く昇るようで、天突くようにレールが付きだしているのが見える。
(あれに乗ったら、このへんがだいたい見渡せるな……)
乗り場で待っていると、帰還したコースターは予想通り、コーヒーカップと同じに乗客を待つ仕様のようだ。乗り込むと、待ってましたとばかりに勝手に安全バーが落ちてきて、晴光を座席に固定した。
(……そういえば、ジェットコースターなんて何年ぶりだろ)
座席の間で、限りなく折り曲げて収納した足をさすって思う。子供の時に両親と連れられて行った遊園地では、こんなに窮屈なことにはならなかった。このジェットコースターが、特別狭いというわけではないのだろう。晴光が大きすぎるのだ。
ゆっくりとレールの上を滑り出す。
傾く体に、不謹慎にも胸が高鳴った。
(だ、だめだだめだ、ちゃんと見ないと……)
落下、回転、傾斜―――――。
「うっひゃぁああぁぁああああああああ」
※※※※
「お、俺…普通に楽しんでどうするんだっての……」
打ちひしがれた晴光を乗せて、コースターは二週目を走り出した。今度こそ、晴光は勤めて風景に目を凝らす。
眼下にはまっくらな森が地平線まで広がっている中で、この遊園地だけが極彩色に彩られて浮遊していた。壁に囲まれた遊園地の敷地は、歪んだ楕円を描いている。
観覧車がひとつ、ジャットコースターが大中小と三つ点在(今乗っているのが、一番大きいコースターのようだ)、建物はいくつもあったけれど、池の畔でひときわ目立つ立派な洋館らしき屋根は、お化け屋敷かミラーハウスあたりか。ざっと見て、どうやらどの道筋も、あのレストラン街に必ず戻る道順になっているようだった。
途中、レールはもう一つのジャットコースターのレールと交差する仕様になっている。
ちょうどトップスピードで、重力に逆らってひっくり返りながらのすれ違いだ。タイミングよく、あちらのコースターもやってきていた。
一回目は交差していなかったはずだから、何回かの確率で、この地点で顔を合わせる仕組みになっているようだ。
ぐるんと視界がひっくり返る―――――晴光は上目づかいに、相手のコースターを見下ろした。
「―――――うええっ!? 」
それが見えたのは一瞬のことだった。すでに相手のコースターは、尻を向けて走り去っている。こちらのコースターも急速に離れていく。
“すれ違い”の一瞬、確かに怯えた青い目が、晴光に助けを求めて見上げていた。




