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IRREGULAR  作者: 陸一じゅん
⇒フィールド:名前のない森にて。イモムシは煙に巻く。
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ワールドパターン18 魔法使いの弟子の場合

 これは悪夢の一幕か?

 …いいや、僕はもっと、怖い出来事を知っている。あれは例えるなら、自分の足元から自分の世界が死んでいく感覚だ。

 僕はもう、とっくにおかしくなっているのかもしれない。何せ、虹に会った時から、僕の混乱する頭の隅には、一つのことが蔓延っていたのだ。

 そして今、彼女の血を浴びて、僕に出来ることが増えた。

 虹が地面に伏すより一瞬前には、僕は、イモムシに無防備な背中を晒して地面を蹴っていた。イモムシは追ってこない。

 大丈夫、きっと僕はできる。

 僕の魂は、まだ魔法を知っている。

 僕が『サトウコウイチ』だった頃の話を、少しだけ教えよう。虹はまるで『コウ』を希望の光のように言ったけれど、あいつは傲慢を極めた最悪なやつだったんだ。

 僕は今でも、あの時の自分を許せない。

 どうして何もできなかったのか、どうしてああなってしまったのか、どうして、どうして、シオンさんは死んでしまったのか……!


 頭の中でいろんなものが見えては消え、また見える。

 エリカ、どうか僕を助けてくれ。僕に奇跡を起こすとしたら、きっと君なんだ。


 飛びつくように走ってきたニルを、ビスはぼんやりとした目で見上げた。少年のこの表情を、ビスは知っている。さっきのイモムシと同じ顔だ。その眼に満ち満ち溢れるのは、決意の光だ。炎を背景にしたような、ほの暗い――――あの時の母と同じ……。


 ニルは土埃にまみれたそれに飛びかかると、強く胸に抱いた。

 ブックマーカーと称した“黒い本”は、オリジナルであるはずの“本の一族”の少年に、まるで決着のための剣のように腕の中で抱かれている。

 そんな奇妙な状況を、イモムシはじっと見つめていた。

「虹ちゃん! 」

 すると今度は、こちらへ向かってくるではないか。虹も確かに、少年の声に応えて力の入らない腕を伸ばした。


 ―――――“俺”の魔法は、体液により近しい水分ほど、より使いやすくなる。


「……っかふ」

 イモムシは、自分の左の鎖骨に生えた、真っ赤な長い長い針を見下ろした。それは地面の血だまりから一直線に、彼の体を目指して伸びている。

 ――――次々と、イモムシの体に赤い針が乱立していく。

(……ああ、ひどい。もう立っていられないじゃないか。でも倒れたら、もっと痛そうだ……)

『イモムシ』は、そんな見当違いのことを考える。

 三月ウサギ、喜ぶべき結果ですよ。この模造本なら、本の一族でも使えるらしい。

 イモムシは倒れなかった。いや、正確にいうのなら、地面から縫いつけられたイモムシは、倒れることもできなかった。

 地面に倒れているのは、ニルの方だ。

(“本”を使って、毒の巡りが早まったのか……)

 狭まる視界のなかでも、イモムシはなお冷静に状況を見る。

 死ぬことは怖くない。

 ただ、口惜しい。アリスその人から、永劫離れる場所に行くことが。

 だからイモムシは、なおも這いつくばる彼らを見下ろし、口を動かした。

「ふ、『不正解』です、よ……ま、まだ…勝ちは…きまってない……あ、あなたがたは…先には、進めない……」


 ビスは這いずって、ようやく虹の首筋に触れながら、その言葉を聞いた。

(そう、全滅だ。自分以外の全員が致命傷……)

 虹がビスの袖に縋り付く。

「こっ、怖くて…ふ、震えて止まらないんす……し……しにたくない。お、おれは…ま、まだ……」

「血は止まりましたよ……少し黙って、目を閉じてみましょう……ほら、ゆっくり…」

 ビスは天を仰いだ。

 どうして何もできなかったのだろう。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 どうして、どうして、自分だけが生き残るのか……!

 これが悪夢に違いない。


 ニルは“コウ”と名乗る少女を見る。

 (…そうだね、君が言った通り…僕らはおんなじだ。名前も、生き方も、最後も――――)

 自嘲して、ニルは冷たくなりつつある、虹の手を握りしめる。

(……そういえば二度目だな。二度も死ぬ経験をするなんて、なかなか無いことだ)


 ニルが静かな眼で、ビスをまっすぐに見た。その眼に、ビスの肩が震える。

 ――――なんて目をするんだ。

 彼は、あまりにも冷静だった。自分の行く末にも、目の前で力尽きようとしている命にも、何にも揺さぶられることはなく、ただただ終わるのを待っている。

 諦めている。

「ビスさん……お願いがあります。エリカを―――――」

 ただ、その口が最後の言葉を口にした時だけは、彼に残るほんの小さな執着というものが、見えた気がした。

 ……ああ、そうだ。これは、ビスを置いていった母親と同じ目だ。彼らは望んで死に行こうとしている。諦めてしまった。

 ビスはもう、思い出していた。


(ああ…この言葉の先を知っている)



 イモムシは確かに問うたではないか。あの質問はニルではなく、ビスにこそふさわしかったのではないか。

『あなたは今、何度目ですか? 』


 これは二度目。

 少し違う結末を、ビスは確かに知っていた。



 ※※※※



 勝利条件はただ一つ。正しい答えを見つけること。

 父にもらったその体、母にもらったその命、貴方が背負った因果だけで、ゆるぎない勝利を私に捧げるの。勝つまで筋書きは終わらないわ。

 私が貴方に望むのは、絶対的な勝利と、因果に負けないハッピーエンド、弱者は必ず勝つという希望、願えば叶うという意思、奇跡は努力によって降り注ぐのだという証明。

 ゲームはまだ、一番最初のステージよ。


 ※※※※


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 ※※※※


「し……しにたくない。お、おれは…ま、まだ……」

 身体は動かない。僕はやはり、彼女を失いつつあることを悔いていた。

 僕の―――『佐藤幸一』のことは関係なく、『コウ』ではなくニルとして、彼女のような人を失くすことを悔いている。

 まだ十五歳だ。子供じゃないか――――こんなところで、ワケの分からないことに巻き込まれて、悔しくてたまらない。

 寝そべる地面は冷たいはずなのに、体はとても熱い。毒はじわじわと、身体の末端から侵食していくのがわかる。頭ばかりがはっきりしていた。いっそのこと、先に僕の命を刈り取ってくれと思う。虹という少女の死を見てから逝くのなんて、僕には耐えられなかった。

 でもたぶん、嘆く時間は僕にもそう無いことが救いだ。

 頭上には笑う月。ああ、何が可笑しいものか―――――エリカはどうしているだろう。僕がいなくても、ちゃんと食事を作るだろうか。……作るだろうなぁ。彼女は本当は、僕がいなくても何でもできちゃう子なんだ。自分ともう一人くらいなら、ちゃんと世話できる。


「……最後に虹さん、聴きたいのです」

 ビス・ケイリスクが、虹の耳元でささやいたのが聞こえた。こんな時に、何を。

「僕はどうしたら、勝てたと思いますか? 」

「な、何を……」

 思わず口をはさんだ。骨が軋む首を、むりやりに彼に向ける。ビスは僕に向かって無言で首を振ると、今度は彼女の肩を揺らして、同じ質問をした。

「……教えてください。どうしたら勝てましたか」

 虹はゆっくりと、時間をかけて無理に表情を作ったように見えた。

 笑っている。

 虹は意味深に微笑んで、最後、吐息のような声で誰かを呼んで、息を引き取った。


 ※※※※


 まだ、まだだ。

 分岐点は、大切なのは、もっと前だ。

 ニルが死ぬ前、虹が死ぬ前、イモムシが死ぬ前―――――。

 ありとあらゆる可能性がある。見るたびに結末が変わるのだ。

『ビス・ケイリスク』という人間の中で、何度彼らが命を落とせばいい。

 考えろ―――――ここはアリスの国、アリスの意に沿わない出来事は起こらないのだ。これもアリスが織り込み済みの出来事だ。

 必ず正しい答えがあるのだ。

 イモムシがニルを殺す。虹を殺す。自分を殺す。ニルが虹を殺す筋書き、虹がニルを殺す筋書き、問題を二問間違える筋書きも、全問正解する筋書きも、一問も答えず死んだ筋書きもあった。

 考えろ。頭を止めるな。彼らは本当は、一度だって死んじゃいない。


 これはあくまでも、『ビス・ケイリスク』の頭の中の出来事だ。


 これはビスにとっての『あるかもしれない未来』、ビスの“眼”が見せる疑似体験だ。現実のビス・ケイリスクは、あの“黒い本”を手にして、イモムシの前に立っている。まだ一問目どころか、回答者も決まっていない。

 アリスは知っていたはずだ。ビスの能力、父親から受け継いだ眼。

 アリスはなんだかんだいっても、管理局の一員としての権力も相当のはずである。個人の情報など、最初から承知のはずなのだ。それも踏まえて、“禁忌の子”であることなど、彼女の前では関係がない。本の一族の相の子だとして、それはどうでもいいのだ。むしろ、特殊な“目”を持っていた父のほうが、彼女には興味深いのかもしれない。

 あの“黒い本”は、ビスへの罠だったと考えるのが妥当である。

 そも、ビスは予防処置として、身体の時間を止めている。しかし人間の細胞というものは、常に減っては増えての繰り返しである。上に、細胞の寿命はそれぞれ決まっている。“本の一族”の血を以ってしても、複雑で緻密なイメージが必要となる技術である。それでも、完全に『時間を止める』なんてことは不可能だ。

 肉体の老化、という消費を、限りなくゆっくりと時間をかけて流しているにすぎない。そして“本”は、本来なら、そうした“消費”を促進させる一面もある。

 自分の体そのものに本の血を持っているビスだからこそ、リスクを少なく、過程を省略して、そのようなことが出来ていた。


 管理局には、多くの異能者が存在する。エリカの魔法もそうだし、晴光にもあるものだ。そう珍しいことではない。

 多くの異能にして、エネルギー源は自身に由来する。この“眼”もまた、使えば消費するのはビス自身となる。

 ビスの能力は、“目”だった。

 金色の、波紋状の光が流れる目だ。夜闇になると少し目立つ程度にだけ、ビスは制限をかけている。―――いや、いた・・


 ビスの目は、記憶を見る。対象の“過去”を記憶として見る。また、対象の“現在”の視点も見ることができる。

 第二段階として、この目は自分の記憶も見ることができる。自分の“未来”の記憶だ。実質の『未来視』である。


(……考えろ)

 自分に言い聞かせるも、しかしすでに思考は止まりつつある。“黒い本”を手元に持っているうちは、肉体的には“本”が肩代わりしてくれている。消耗しているのは、精神力だった。


 アリスはもしかしたら、“黒い本”をニルにも使わせたかったのかもしれない。

 虹の血から、赤い針山を作り出したのを思い出す。―――――あれが、『魔法』なのだろう。イモムシがさかんにニルの正体について突いていたのだから、アリスももちろん、ニルが魔法を使えると知っていたのだ。

(……だとしたら、ゲームクリアの条件が一つ増える)


 現在、イモムシの発言から仮定される条件を上げていくと、これだけになる。

 ・イモムシに勝利する

 ・全員の生還

 ・ビスに能力を使わせる(?)

 ・ニルに魔法を使わせる(?)


 イモムシは勝たせる気はない。まず、反則ともいえる行動を起こす。そしてそれはだいたいにおいて、ニルを殺害する方向に動いている。そのためなら、ついでといわんばかりに、虹と、そして自分も、殺害対象と認識されているようだ。

 そう、そのイモムシが問題なのだ。

 ゲームの発案者、出題者はイモムシだ。彼自身が勝利を認めない限りは、我らに勝利は無い。


 イモムシの背後には、確実にアリスの意図がある。

 ここはアリスの国――――彼女の影響は満ち満ちている。特に彼女に一番近しい“F”のメンバーは、洗脳のレベルで、彼女の“意図”を組み込まれている可能性だってある。

 彼らはアリスの不利には動かない。


 だとすれば――――イモムシのルール違反も、アリスの意図したこと、となる。

 しかし――――彼女が、勝てないゲームをさせるのか?

 彼女の目的が、ニルの過去を暴くことと、ビス・ケイリスクの能力を使わせること、それだけだとしたら、奇妙ではないか。不可解ではないか。彼女にメリットが何一つ見つからない。そのうえ、最悪は全員が死亡するのだ。


(あとは……虹の存在)

 虹は今、半分の確率で死亡する未来にある。

 くどいようだが、自分らは異世界人だ。そしておそらくは、彼女もまた異世界から迷い込んだ人物だ。

 そんな虹は、なぜかニルと――――いや、この場合は『佐藤幸一』と呼ぼうか――――佐藤幸一と、互いに互いの知識がある。

 しかし面識はない。二人を繋ぐのは『東シオン』、エリカの父だ。そして彼は違法異世界旅行者として、管理局に指名手配されている身である。

 ならば、その『弟子』を名乗る虹が、『異世界人である』という証明がされたのと等しい。

 しかし、『佐藤幸一ニル』は……?


(彼はいつ、東シオンに出会った? )

 そう、そこに戻ってしまう。

 彼の素姓も、もちろん明確に記録がある。確か家族も、管理局近くの居住区に健在だったはずだ。

 ニルが『佐藤幸一』と名乗るタイミングも、東シオンに出会うタイミングも、彼の経歴には無い。


(……これは後にしよう)


 まだ彼らは死んではいない。

 しかし『半分の確率で死ぬ未来がある』ことは事実である。

 …いや、それ以前に、ビス自身が、この繰り返しの世界からいつ抜け出せるのかも分からない。ただでさえ少ない体力が枯渇して、ビス自身が命尽きるまで…ということも大いにある。


 死ぬものか。


 まだ自分には兄がいる。兄弟二人、清廉に生きることにどれだけ苦労したことか。あらゆるものを切り崩してきたのだ。

 この世界は兄から“弟”すら奪うのか。両親は死んだ、財産などとうに無い。宝は互いの命しか残っていない。これ以上、自分たちから命以外の何が奪えようか。

 ビスは爪を噛む。煌々と光るこの目が、何より疎ましい。



 ※※※※


「ジャンケンしましょう! 」


 そしてビスは、十八回目の“ゲーム”を開始する。






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