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IRREGULAR  作者: 陸一じゅん
⇒フィールド:名前のない森にて。イモムシは煙に巻く。
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ワールドパターン2 語り部の場合

 ※※※※



 ビスは、眠ることが苦手である。

 どうしてかと言えば、怖い夢を“見そう”だからだ。これ以上に分かりやすい理由もあるまい。

 悪夢を見そう・・・なのだから、本当に見るのかは分からない。実際、夢の内容なんて覚えている方が少ない。

 ビスが本当に苦手なのは、“睡眠”自体ではない。その手前、床で微睡む沈黙が耐えられないのだ。

 睡眠を脳が中身を整理をする時間とするのなら、その手前のあの時間は、いわば棚から卸す作業なのだろう。棚にあった商品の間から落ちる無駄な塵や埃が、どうにもこうにもビスには耐えがたい。沈黙の間に色んなものが浮かんできて、塵積もっていく。

 嵐の前の静けさと云うが、ビスにとってのあの沈黙は、否応なくそれを感じさせる。

 たとえ悪夢を見るとして、内容は想像がつく。

 六年前の管理局を揺るがした、あの事件。

 当時、管理局所属員・アン・エイビーが、本の一族の居住区において、次々と目についた人間を殺傷。後に被害者住民の家屋から火災が発生し、二次災害とも合わせて死亡者18名、けが人は82名。

【アン・エイビー事件】と題されたその事件の背景に、ケイリスク家の悲劇が起こった。

 ―――――炎

 ―――――母の後姿

 ―――――兄

 ―――――目玉

 ――――――眼球

 ――――――雪

 ―――――雨

 それらのキーワードは、ビスの中に根強く、くっきりと、明瞭に、明確に、根を張っている。

 母は雪の中にビスをおいて、炎で骨まで焼かれた。雪はいつのまにか雨になり、家族が住んでいた家の跡を打った。

 ―――――さて、ビスには疑問がある。

 ビスがあの時、母に形見の様に手渡された“光る目玉”はいったいどこに消えたのだろう。


『兄さん、母さんがくれた“目”はどこですか』


 布団の上で再開した時、ビスは最初に確認した。兄は『知らない』と言った。そんな目玉は、どこからも見つからなかったのだ。

 いいや、兄は勘違いをしている――――ビスが最初に確認したのは、『あの眼は兄の目玉ではなかったか』ということだ。聴くまでもなく、兄の目玉は目の前に二揃いあった。じゃあ、あれは誰の目玉だったのか。

 ――――あれは、父さんの目玉だった。

 あの日、あの雪の日の事件で、父もまた別の場所で、『アン・エイビー』の凶刃に巻き込まれたのだという。

 あの日の被害者の中で、母の爆死だけは自殺――――自分で火をつけたそうだから、あれは後追いだったのだろうか。禁忌を二度も犯した両親である。それだけ愛し合っていたのだろう。

 ……そう考えれば、まぁ、そうだったのか。

 少なくともこの悲劇に世論はそう解釈し、ビスも納得した。

 あまり考えたくはない。真実の追及もしない。あの時に兄に尋ねたのは、ビスも疲弊していて、ポロッと口から出ただけだ。あれは追及するべきではないことだと分かっていた。

 ただ、あの不思議な金色の目は、父じゃなければ、兄か――――はたまた自分のものになってしまう。あの眼は特別なのだ。どう特別かは知らないが、少なくとも、ビスにとっては肉親の目玉と確信できる。

あの眼は特別だから。

―――――さて、最初にビスの目を指してそう言ったのは、誰だっただろう。覚えていない。


 睡眠は毎夜毎夜のこと。床につくたび、昨日どうやって眠りに落ちたのか。それがビスには分からない。――――これが難儀であった。

 もともと、勇健だとは口が裂けてもいえないビスである。しかしながら、異世界なんていうものを渡り歩くように出来ている彼らの体は丈夫で、そう壊れはしない。ビスもまた、悪化と小康を行ったり来たり、一歩進んで二歩下がる、的な体調だったとしても、ほどほどの無理でも動けるくらいには丈夫なのだ。

 それに、あと数年もすれば、ビスの体もそんなことは出来なくなるだろう。

 いくら子供の体を保つと言っても、限界はある。外見を取り繕っても、老いの限界はくるのだ。こんな無理無茶は、若い今にしか出来ないこと――――そう思って、不摂生を自覚しながら夜を過ごしている。

 普通の十九歳なら、それくらいの無茶はするだろう。しかし、自分の場合は――――自己を見返し、ビスは思う。

(……自分はまだ若い)

 青い、と言ってもいい。

 過去のトラウマなんかに縛られて、眠れぬ夜を過ごし、後悔するとわかってそんな現状に甘えているのだから――――僕は青い。


 頭痛が引きずってくる郷愁が、憐憫が、ビスを苛む。しかしこれも、一時の逃避でしかない。

 目の前には、切迫した“現実”がある。

 赤い顔をしかめ苦しげに呻く虹に、手をこまねいて見ていることしかできない。

 ニルはぱくぱくと何かをいいかけては口を閉じ、また口を開き、と、いう動作を繰り返している。混乱している―――――。

 ああ、“やはり”ニルにとって、虹は特別なのだ。

 動かなくては。

 せめて、せめて、この頭を働かせるのだ。ゲームのルールを確認しろ。

 ビスはポケットの中の『ゲームブック』に触れた。

「――――っぐ」

 とたんに波打った痛みに、ビスは黒い表紙を取り落として膝をついた。もはや半分見えていない揺れる視界、手さぐりで地面に落ちた冊子を拾う。そして、触れたその紙の温度に驚いた。

(熱い)

 痛みに冷えて痺れる指先にはよく分かる。けして、体温が移ったなどという温度ではない。

 なんだこれは。まるでカイロじゃないか。


 そんなビスを尻目に、イモムシとニルは接触を始めていた。

「見ての通り……彼は限界に達しています。これでは、回答者としての役目は果たせませんのは明白……違いますか」

 ニルは横目で、地面に伏せてしまったビスを確認する。『違いますか』と、それはこちらの意思は関係ない、ただの確認ではないか。

「……わかりました。回答者の変更は認められますか」

「ええ、もちろん」

 どことなく嬉しげに、イモムシは声色を変えた。


 駄目だ。

 ビスはその会話に今日で一番、恐怖に駆られた。

 砂を噛んだ顔を上げ、状況を見ようと試みる。頭が重い。重力に負けて割れてしまいそうだ。


「おやぁ―――――」

 イモムシが言った。

「―――――ビス・ケイリスク、あなたの目……」

「ひ、光ってる! 」


 あっと声を上げたニルにその“目”は、奇妙なものとして映った。暗闇に煌と輝く瞳のそれは、猫のものの光り方とも、また違う。

 だって光が動いて・・・いるのだ・・・・

 瞳孔のあるべき場所から、光の波の輪が、何度も何度も、瞳の淵へ流れていく。これが人の顔にあるものでなければ、美しいものだったろう。脂汗を滲ませる少年の顔に無かったのなら。

 ニルには、目はビスを苦しめている“異常”と見えた。

「良いことを教えて差し上げましょう――――」

 イモムシがふと、口を開く。


「――――その黒い“本”、ですが、それは我がFに所属する学士の一人『三月ウサギ』の功労の副産物……“本の一族”の模造品でして、一族のような自我がないために制御がきかない、という点を除けば効果は本物よりも絶大です。そのまま触れていると、貴方の持病が“進行”しますよ」

 ビスの汗に冷たいものが混じる。震える手でようやっと、本をニルの方に放った。

「……なんてものを」

 ニルにとっても、そんなものは地獄の産物である。“自我が無い本”。つまりは、持ち主の能力を、限界を超えて“強化”できる道具。

「そんなもの、ただの兵器じゃないか……! 」


 長いあいだ首元を絞められて、虹の目つきが危うくなってきている。足元から這いずってくるような悪寒がした。

 ―――――虹を失っては駄目だ。

 ニルは今、それを何より恐れている。

(彼女はまだ、到達するべきところへ辿り着いていない)

(コウはまだ死んではいけない)



 これからは“コウ”がいなければ―――――!



「さあ、第三問です」


 イモムシは、にっこりとする。


「あなたは今、何度目ですか? 」


 ニルは一瞬、自分が何を言われているのか見当がつかなかった。

(何度目? ……何度目って、それは―――――)

 じわじわと、その意味を理解していけばいくだけ、自分の中の“彼”が顔を出す。

 僕は――――――

 僕は、今―――――――


「……ぼ、僕は、この問題には答えられません」

 ニルは血を吐くように、掠れた声でそう言った。


 ビスは瞬く。

 これを何という。この感覚をなんという。

(……知っている)

 自分は知っているはずなのだ。この言葉を、この出来事を、これからを知っている。


「――――言いたくない! 無理なんだ! 」

「……ほう」


(なぜ知っている! )

 ニルの中は、それでいっぱいだった。誰も知っているはずがない、ニルの罪。

 ニル自身が、誰かに口を割った覚えはない。

 だって【佐藤幸一】が、墓まで持って行ったのだから―――――!


「ル、ルールがあったはずだ。回答者が答えられない質問は、見送ることができるって」

「ええ、いいでしょう」


 ビスは鉄臭い唾を飲む。


「第四問は、実技にしましょう」

 イモムシはポケットから折り畳みナイフを取り出した。

「これの刃にはたっぷりと、チェシャー特製の毒が塗ってあります」

 イモムシはわざわざ、刃を出してニルに差し出した。

「“本”は人間にして、無機物の体をも持つと言いますが――――本の一族の血液の色を、私に見せてください」

 受け取った刃はつるりと白く輝いていて、どこを見ても毒が滴っているわけでもない。イモムシはさらに腕に力を込めた。顔色が蒼くなりつつある虹がうっすらと、何かをいいたげに眼を開く。

「そうですね、どうせなら動脈がいいでしょう。静脈は色が黒ずんでていけない。手頃なのは、手首あたりですかね――――おや、まだ何か言い足りませんか? おしゃべりさん」

 イモムシがふと、腕を緩めて虹を地面に下ろす。大きくせき込んだ虹は、深呼吸を繰り返した。にわかまともに足は着いたものの、虹の肩はイモムシの腕の中からは逃げられることはない。

 虹はそれでも、気丈にニルを睨み付けた。

「な――――っにやってんですか! まさか、それを自分に刺すってんじゃあないでしょうね! んなこたぁ、この俺が許しませんよ! 」

「で、でも……」

「『でも』も『だって』もありません! さっきのアレで、あなたが何者かもう分かりました! ――――ええ、ええ、ずぅっと不思議だったんです! ぶぇげっほっ――――むせっ――――げほ、とまらん―――げほっげほっ」

 涙目を拭い、虹は邪魔だといわんばかりに、イモムシの腕の下から強引にニルに右手の人差し指を突きつけた。

「――――あなたは知っている。魔法のことも、俺が喋ってる間ずぅっと最初からわかってましたよね? 全部理解してた。知ってたんでしょう? 」

 ニルが声にならない悲鳴を上げる。

「だってあなたの本当の名前は【コウ】だから――――――! 」

「――――――それはもう僕の名前じゃない! 」

「逃げるな臆病者! あんたが死んでも、“筋書き”は変わらない! 」



 ああ、今、真実の断片が語られている。

 ビスは霞む目を、舞台上の二人になおも向けた。


「言うな、言うな言うな言うな! 他でもない君が、もう何も言わないでくれ!――――――僕はもう、【佐藤幸一サトウコウイチ】じゃない! 」

「それでもあなたも、魔法使いの弟子なんだ。あの人に魔法を貰ったんだろ! いいか、魔法ってのはなぁ! 人を幸せに出来なきゃ魔法じゃないんだよ! 師匠が何度も何度も言っていたことだ! 不幸な魔法は魔法じゃあない、凶器ってんだ、兵器ってんだよ! そうだろ? 」

ニルはぐっ、と唾を飲んだ。

虹は前のめりに、唾を飛ばしてなお詰問する。

「――――なあ。おい、“コウ”、お前は俺だ。俺も“コウ”だ。でも俺は、お前にはならない。お前みたいにはならないぞ。俺は最後の最後まで、東シオンの弟子だ。あんたと俺だけが知っていることがあるだろ……それは――――」

「……喋りすぎですよ」



 虹の脚が、また地面を離れる。今度は有無を言わさず、意識を刈り取りにかかる締め上げだった。

「――――さあ、早くしてください」

 虹が首を振る。彼女はぽろぽろと涙を零した。

 その涙に、少年が何を想ったのか知れない。しかし、彼女の想いと裏腹だったのは間違いない。

 ニルの面相は、もはやあの温和で誠実な少年の面影をのこしていなかった。殺伐とした目つきは、もはや別人である。

 ニルはナイフを右手に持って、左の手首に当て、引いた。


 出血の量は、少なくも無いが、特記して多くもない。しかしそれは、出血で傷口の毒を流せないことを意味する。ニルはナイフを木陰に放り投げた。

 そして鮮血の滴る手首を差し出してみせる。

「僕の血も、君と同じ色だ。……これで満足かい」

「ふうん……そうですね、正解といたしましょう」

 ニルは満足そうに微笑んだ。

 ああ、駄目だ―――――!


 この目はいつだって、ビスにとっての地獄ばかりを見せる。


「―――――私が、あなたたちを勝たせる訳がないじゃないですか」

 イモムシは目前の細い首に、握っていた白刃を滑らせた。少女の首筋から、ニルの手首とは比べ物にならないほどの血煙が舞う。

 ニルは呆然と、目の前で降り注ぐシャワーが地面に浸み込むまでを見つめた。

 ビスの視界が滲む。“模造本”の後遺症か、惨劇の結果にか。

 ビスは自分に言い聞かせるように思った。


 ――――これは悪夢だ。




 頭上で青い三日月が嗤う。

 さて、また次回。




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