藪在住の蛇さんいわく
飛行機の中は豪華だった。
絨毯が敷かれ、座席は肩幅の倍はある。三〇席ほどしかない小さな機体だったが、後方には旅客機には無い娯楽スペースのようなものも設備されていて、逆に高級感が強調されていた。
“本”の僕らにも、座席は用意されていた。
ファンちゃんなどは、飛行機なんて知らないのだろう。そもそも、あの国で暮らしていて、座席に拘束され、あまつ空を飛ぶなんていう乗り物には縁は無い。
僕は“飛行機”のイメージが頭にあるだけ、まだましだった。
僕は背中に垂れるパーカーのフードを、背中に手を回して引っ張る。
民族衣装を脱いで、異界の服を纏うということは、どこか居心地が悪かった。
「とっても、とっても可愛いですよ」
「あ、ありがとうございます……」
ファンちゃんはすっかり委縮して、晴光の陰に隠れている。
“三月ウサギ”の女性は、いくつもの衣装ケースを、細腕に抱えて機内にやってきていた。
ウエーブのかかったオレンジがかった金髪。肉感的な体系を、まったくカヴァーできていない振袖姿。――――本業は、遺伝子専門の学者らしい。
僕らを着替えさせるのはいいが、やはり女の子のお色直しには気合が違った。まず、服の枚数からして、明らかな差が生じている。
男のおしゃれなんてこんなもんだよなぁ――――と、自分を見下ろして思う。
ファンちゃんは、晴光の“本”である。
年は晴光より一つ下の十四歳。珍しい長い桃色の髪をして、丸い栗鼠のような目が印象的な小柄な少女だった。気は優しく、少し臆病。
けれども使われる側の“本”にもそれ相応の訓練は必要なので、見かけの印象よりもずっと優れた女の子である。
彼女の華奢で清純派のイメージそのままに、淡い色のフリルのスカートが可愛らしい。桃色の髪はいつも下ろされているけれども、大きめの飾りのついた帽子まで被って、十四歳のデート前の女の子……みたいに見える。
普段はしないおしゃれをしている晴光とを見比べて……頬を染めているファンちゃんは、とっても微笑ましく、確かにかわいかった。
普段、彼女が禁欲的な生活を心がけているだけに、幸せそうな妹分が見られて、僕としてもなんだか嬉しい。
ビス・ケイリスクは――――。
端に座るビスは、頭を隠すためだろう。大きなキャスケットをかぶって、膝に“本”を抱え、うつむいてボンヤリしているように見えた。
我関せず。
そんな態度だ。
彼のパートナーの“本”は、姿を見せる気は更々無いらしい。
そして、エリカは―――――。
「ぶはっ」
機内に入ってきたアリスは、指を指して噴出した。視線と指先には彼女。
……いや、今この格好で、“彼女”でいいのだろうか。エリカはエリカだから、彼女でいいのだろうな。
「そ、そっくり! シオンそっくり! きゃははははは」
「……やめてください」
「いやーっ! シオンと同じ顔でその女の子ボイス! 逆にすっごく違和感! すっごい面白い! 」
「………」
今度こそエリカは黙ってしまった。
エリカの衣装だけ、なぜだか趣が違っていた。黒のフォーマル、差し色にタイのブルー、髪はまとめてうなじのあたりに流して、かっちりとしたブーツがスラックスの裾から覗いている。
アリス他が、“東シオン”を見知っているというのは本当らしく、アリスの横にいるチェシャーは、ずいぶん目つきを険しくしてエリカを見ていた。彼女を通してシオンの影を見ている。
エリカはそれに対し、全面に嫌な顔を押し出して、さっさと窓際の席に座る。
(……機嫌、悪いな)
どん底である。
正直、僕も今のエリカとは接したくない。それは、今のエリカがそれをヨシとしているからだ。突けば噛むぞ、と、大げさに威嚇している。
しかし僕は、あえて藪を突きに行った。
黙って、エリカの隣の席を陣取る。さすがの晴光よりも、ことエリカに関しては僕の方がいい。
―――――黙。
「……私は――――」
アリスの声が、晴光達との談笑に移ったころ、エリカは口を開いた。
「――――めんどくさいのは、嫌いなのよ」
「知ってるよ」
「でも、あんたが居るから」
「……うん」
「面倒見がいいのも大概にしないと身を滅ぼすわよ。……もっと私のことを甘やかして」
「うん……」
そこは、『私のことを甘やかさないで』じゃないのか。
「……ちょっと、何笑ってるの」
いや、そりゃあ、にやけもしますよ。
「大丈夫だよ。僕らは家族だから」
だからいくらでも甘やかすし、ずっと一緒なのだ。
「あんたの“大丈夫”は、肝心な時に不安になるのよね」と、エリカは窓の外を見ながら言った。
※※※※
見失った。
「あ~っ! くそっ」
俺以上にクリスは悔しがり、踊り場を見下ろして地団太を踏む。
「またぁ、そんな言葉づかい、アンブレラさんに知られたら怒られますよ。お仕置きですよ」
「なんだよ! じゃあお前は悔しくないってのか! ああ腹が立つ! あいつ、絶対気付いてたんだ。わざと階段なんかに逃げ込んだりしてさ! 姿は見えないのに足音は聞こえる。自分はここにいますよ~ってアピールしながら、わざと逃げ回ったんだ」
「どうどう、落ち着いてください」
「ああもう! ふだん頭がパーなやつが冷静だとか、もっと腹が立つんだよ! 」
もうちょっといつも通り馬鹿狂えよ! と理不尽すぎることを言って、クリスは頭から湯気を出した。
そして、ふと―――顔色を変える。
クリスの年不相応に冷静な部分が、激情の下から露出する。
「……おい、コウ」
「あい、わかってますよ」
クリスは右手の傘を広げた。
クリスのそれは、十六本骨の丈夫な傘だ。柄の部分が普通のものより太く、石突(傘の先のとがった部分)がやけに長く、立派である。
きゅっ、と、クリスの長靴が鳴る。青い目が、階段の上を睨み付けた。俺はその後ろでじっと見守る。
恐らくの襲撃者は、思いのほかあっさりと姿を現した。
大き目のくすんだ緑色のジャージ。眼の上まで隠れるニット帽。黒髪。たぶん男。
ポケットに手を突っ込んだまま、行儀悪く相手は口を開いた。
「お帰り願えますか。ここはもう、閉鎖しております」
声変わりすぐの、若い声だった。
「口調だけは礼儀正しいじゃないか。言われなくても、用事が終わればすぐ帰るさ。アリスに危害は加えるつもりは無い」
「そうですよぅ。俺たちゃ、ただの観光客みたいなもんなんですから~」
若者は沈黙して、俺達を見下ろした。
「僕らはアリスと喧嘩なんてしたくないよ。でもあんたがそういう態度なら、僕らも怖くて動けない。背中からズブッ……なんてことになりそうだもんね」
「いいえ……この建物から出てくれさえすれば、私はここを動きはしません。どうぞ、お引き取りを」
「……この建物から? この世界からじゃなくて? 」
訝しげにクリスは反芻した。青い目がきらりと輝く。
(あっ、まずい)
「それってどういうことなのさ? 」
「詮索は無用ですよ」
クリスはいらぬ藪を突いてしまった。
“情報は生もの”アンブレラさんの教育方針が仇になった。
ただし俺は、クリスより空気が読める。俺の小動物的本能が警告するのだ――――この人は絶対にヤバい人だって!
「閉鎖だって? このデパートはさっきまであんなに人がいたじゃないか。僕らが知らない間に何があったんだ」
「今、もうすでに、他のお客様にはお帰り願いました」
「もう僕ら以外にはいないって?……それはおかしいな、だってせいぜい十分やそこらだ。それであんなにいた人が、もうすっからかんになってるっていうの。どんな手を使ったのさ」
「クリスぅ、クリスちゃん……ねぇ、帰りましょうよ……」
「コウうるさい。僕に任せてちょっと黙ってろ」
もうやだこの子!
「詮索は無用、と申し上げたはずですが」
「詮索じゃない。情報収集だ。僕らが安心するための、ね」
絶対違う。ただの好奇心だ。職業病だ。悪癖だ。教育の悪影響だ。クリスは笑っている。この子ったらおしゃべり好きなんだからもー!
若者はそれ以上答えずに、すっとポケットから手を出して右足を引いた。クリスも傘を構える。
血の気が引いた。
俺はとっさに、右手を振り上げた。
「―――み、水でもかぶって反省しなさい! 」
蒸気が視界を白く染める。
クリスが腕を凪ぐ前に――――若者が階段を駆け下りてくる前に――――。
クリスのセーターの襟首をひっつかみ、俺は手すりを飛び超えた。
落下――――
落下――――
落下――――――
そうして俺達は、地底の国へ――――――。
次回から新章突入です




