酔狂ものいわく
6.
「ジャックの名前を貰ってます。今日はよろしくお願いしますね」
ビルを後にし、少し車に乗せられて走った先にあったのは、これがまた広大な滑走路だった。まさかの個人所有だという。ここだけで、いくつ我が家が入るのだろう。……お金の力ってすごい。
柔和に微笑む日系人らしき男は、右手を差し出した。ビス・ケイリスクはその手を取って、二言三言言葉を交わしている。一応彼が我々の責任者なので、この構図はまったく間違えてはいないのだけれど、なんだか違和感ばかりの光景だった。
ジャックはあまり身長の高くない、細身で筋肉質な男だった。頬に傷跡があるが、面立ちはいたって普通、短い黒髪をしていて、『学生時代は運動部で活躍してました』という感じの、礼儀正しい普通の好青年だ。
ビスの外見にも臆することなくさらりと流し、礼儀正しく頭を下げる。割り切っているのか、大人の対応、っていうやつなんだろうなぁ。
「……ニル」
声を潜め、エリカが僕の肩を叩いた。
……そう、僕ら“本”は今、普通に人間の姿でいる。アリスの要望で、「一緒に楽しみたいの」らしい。
ビスは、いざという時に本が近くにいなければ対処できないから、とやんわり主張したが、それなら二人一緒にいれば済むことでしょう? ということ。
まぁ確かにそうなのだけれど、管理局には管理局の事情、本には本しかわからない感覚というものがある。無機物の時の体と、人間としてそこに“在る”時の感覚は別物で、ぶっちゃけると、生理現象には抗えなくなる。僕はエリカ、晴光はファンちゃんと、異性がパートナーなので、ご不浄の時は辛い。
あと管理局側の事情としては、戦闘能力のない“本”もまた保護対象。何が起こるか分からない異世界では、原則として僕らが歩き回ることは避けなければならない。
ま、「この世界にある危険はアリスの近くにしか無いから」と論破されてしまうと……あれ、これって論破されてるのかな。
閑話休業。
僕らはそっとその場を抜け出し、額を寄せ合った。
「どうしたの? 」
「……アリスに言われたこと、あんたにも話しておこうと思って」
ずっと渋面を崩さないエリカは、淡々と、簡潔に話し出した。“話す”というよりは、“説明”という感じだ。感情は含まず、あくまで事実のみを述べていく。
「―――――あと、これを」
エリカはポケットから、小さいノートのようなものを差し出した。革張りの表紙で、どことなく埃っぽい。
「なに、これは」
「Fの創立者――――ジェームズ・フェルヴィンの手記、ですって」
僕はぱらりとめくり、折り線の付いたページを数行読んでやめた。
「……エリカは、もう読んだんでしょう? どこが気になったの」
エリカはいっそう表情を渋くする。
「……ここ」
“ 彼女は美しい女だった。紫色の不思議な瞳をしていて――――――”
「……私の世界の、故郷の国を拓いた始祖の魔女も……紫の眼をしているの」
“後に国土となる一つの島に、一人の“魔女”が降り立った。王となるものを選別し、玉座へと導いた彼女は、最後の時までを王と連れ添う。”
“魔女は才知と美貌に優れ、時に未来すらを予知して、永劫国を守護する魔法をかけたのだという。
“彼女はそうして、魔法使いの始祖となった。”
“紫の目を持つ偉大なる魔女。”
「じゃあ、君のお父さんは……」
「もしかしたら、父が私の国に来たのは偶然じゃなかったのかも。この魔女が、本当に異世界を渡る……私達みたいな異世界人だったのなら、父がこの世界の魔女と関係があったなら、もしかしたら」
僕もまた、沈鬱とする。
彼女は恐れているのだ。父は家族を捨てるような人だったのか。待ち続けることは無駄なのか。
少なくとも彼は自分から望んで、両親や友人の記憶を消した。念入りに戸籍や公的な記録も、故郷にあった自分の残り香を、全て。
異世界人の運命は過酷である。管理局のバックアップの無い生活は、帰る場所の無い生活というものは、急速に憔悴する。
“東シオン”がそんな過酷な生き方を選ぶような、稀有な人物だとは、僕には思えない。けれどそれが事実だとは、彼に会ったことが無い“僕”にはけして断言できない。
彼は家族のいる世界に帰ることを望んでいないから、あの日――――エリカが生まれたその日に、姿を消したのだろうか。
自分は望まれていなかったのか。顔も知らぬ父とはいえ、血は繋がった実の親の話だ。
エリカなら、こう考えるだろう。『本人に会った事が無い私は良い。でも、母や祖父は――――』
それが事実だとしたら、それを彼女一人が背負うことは――――いかにも、重い。
「ねぇ、エリカ。いいように考えよう。考えても分からないことを想像したら、悪い想像のほうが止まらなくなるのは当たり前だ」
「……ええ、そうね」
エリカは細く、長い溜息を吐いた。
「もう行こう。任務先で、おおっぴらに君と歩いて楽しめる機会だ。この先もうあるか分からないんだから」
「そうね……そうだわ」
自分に言い聞かせるように、エリカは繰り返し頷く。
エリカは物事を冷静に見られるが故に、まず最悪の事態を想定しがちである。それが今回では仇になっている。
父の本当の感情を推し量るには、今ある情報はあまりに不明瞭すぎたし、当事者の彼女もまた、あまりに家族への情が深いばかりに思考に精細を欠く。一緒に考えることの出来る僕は、彼女の家庭どころか、郷里の風景さえ、エリカの主観でしか知らない部外者だ。
部外者である僕には、話を聞くだけで答えを出せないし、答えを出すべきエリカもまた、真実を掴める域に達していない。
頭を二度軽く叩いてやると、エリカはいつも通り背筋を伸ばした。
凛とした横顔が、小さくつぶやく。
「何もかも、めんどくさいことばかりだわ」
「あはは、そうだね」
いつも通りのエリカだ。
……と、思ったんだけどな。
※※※※
「ふぃー……買った買った」
流れてもいない汗をぬぐって、俺は腕に下げたビニールの締め付けにホクホクである。
この街は中心都市とはけして言えないけれども、しかし人が安息の眠りを取る街である故に、“都会”と“田舎”の、両面の姿を見せる土地だ。
都市部の人口が流れる街だけあって、このショッピングモールを少し出るとすぐに住宅街があり、さらに百メートルと行かず、昔ながらの田園風景すら広がっている。これだけ人が多いのだから、きらびやかなショッピングモールも十二分に需要があるのだ。
人々のニーズに応え、このショッピングモールはあらゆるものが揃っている。食料品は商店街と競い合うように質を上げ価格を下げ、服飾品は流行りを提供する場所に、その中で、娯楽は外せない一つだろう。
「やっぱりいいですねぇ…痒いところに手が届くラインナップでした」
「よくもまぁ……そこまで無駄なものに財布の紐が緩むよね」
クリスの視線が痛いが、今の俺にゃあ屁の河童、というやつだ。まったく、無趣味はこれだからいけない。日々の楽しみが無いというのは、実は健康にも悪いんだぞ。
「趣味くらい、僕にだってあるさ」
クリスは憮然と言った。真面目な顔をしているのに、背景に黄色と青の看板がちらついて格好がつかない。
「あったっけ? 」
「あるだろ、ほら」
「……イタイケな依頼者の、(精神的に)イタイケな部分をいじめるっていう、そういう趣味ですか? 」
「ちっがう! 」
傘を振り回して地団駄を踏むと、長靴の底がきゅっきゅっと鳴る。かわいい。
「――――ああもう! お前の中じゃ、僕はしょせんその程度なんだね! 」
いや、本当に見当が付かないぞ。これはまずい。クリスがめんどくさい女のテンプレートみたいな台詞を口に出し始めた。
「えっと、あれだっけ。えーと……あっ、あれですね、あれ。よくうちの店でやってるあれ」
「……おい、わかってないだろ」
「わ、わかってるよう。やだなぁ……あの、あれでしょ? その……折り紙」
クリスの口がへの字に曲がる。うっすら頬が赤い。
「な、なんだよ。わかってるならさっさと言えばいいだろ」
まじかよ。
このクリス少年、たまに紙ナプキンを拝借して遊んでいるのは知っていたが……いや、教えたのも俺だけどさぁ…なんというべきか。
「奥の深い……ものですよね、折り紙って」
世が世なら世界大会だってあるんだから……うんうん、あれは職人芸として極められる技術なんだ。
「そ、そうかな……あ、あとは、この前お前に教えてもらった糸使うやつも、ほとんど覚えたぞ」
「えーと、あやとりですか……」
養い親が引きこもりだから、育ちざかり遊び盛りのはずの彼の趣味も、こんな遍歴を辿ってしまったのだろう。
アンブレラ女史は、あまりそういう娯楽を与えてくれる人ではない。自分にも人にも、相応の厳しさとセンスを求める人だ。礼儀にも厳しく、クリスも彼女の前だと、まるで言葉遣いが違う。
どちらも金がかからない一人遊びなだけに、それを一人、部屋で練習していると思うと……なんというか。
「クリス、本屋に寄りましょうか。その、本買ってあげますよ」
「なんだよ突然。お前、僕がこの国の文字が読めると思ってんの」
「いえいえ、折り紙の本なら絵と図がメインですから、クリスなら文章の解説は必要ないでしょう。写真付きのを選びましょうね」
「じ、自分で買うよ……そんなの」
俺は彼の懐は、年相応なことを知っている。ああいう本はフルカラーなだけに、総じてそれなりの値段がするものだ。
「いえー……はは、これでも年上ですからね」
「僕よりチビのくせに、年上ぶって生意気だな」
……いえいえ、クリスはそのまま、にょきにょきすくすくとタケノコのように育ってください。
「埋め合わせは是非とも、こんどしてくださいよ」
「わ、わかった。………ありがとう」
「うふふ。いえいえ」
俺は慈愛に満ちた笑顔で、右手を差し出す。
クリスはその手を見て、俺の顔を見て、きゅっと眉根を寄せた。
「……何ニヤついてんだよ。気持ち悪いな」
右手を払い落とし、クリスはさっさと先だって歩き出した。そしてふと、思い出したように立ち止まると、俺の右手の荷物をさらう。
「ほら、本屋行くんだろ」
お、おおう……。
「いっ、今のそれは亭主関白ですか。無言の関白宣言ですか! 俺より先に寝てはいけないってやつですかっ 」
「また意味が分からないことを……」
クリスはまた、恒例の大きな大きなため息を吐いた。たぶん今、めずらしく俺の顔は真っ赤だ。
「うぐぐ…そりゃ反則です。うっかり惚れ直しました……」
「ばっ……バカ言ってんじゃないっての! 」
「い、今の俺に何を言っても無駄っすよ……攻撃は全部、自らの糧として吸収できるモードなんです……残念なことに、もう何を言われてもクリスへの愛が増すだけです」
「ちょっ、ちょっと黙れ糞チビ! 」
はう。駄目だ、頭が沸騰しそうだ。
「こっ、ここは、体を動かして汗を流して欲望を発散させましょう! じゃあさっそく……」
殴られた。
「酷い。今のは言葉のあやだったのに……」
「うるさい。変態ショタコンマゾヒストの性倒錯者め……みにくい弁解をしやがって」
「ショタコンって……みっつしか違わないのに」
これは嘆いてもいいだろう。今こそ中学生と小学生、でも大人になれば三つの差なんて、むしろお似合いのカップルである。頭が良くて現実主義のクリスが、そんなふうに思っていたなんて寂しいではないか。
それに外見だけなら、童顔の自分はそこそこクリスの横でも、そう違和感はないと思っていたのに。
頭のいいクリスは、すぐに自分の失言に気付いた。目を逸らして何か言いたげに唇をとがらせている。
「……べっ、べつに、僕は……」もごもご。……くっそう、意地っ張りがかわいい。
「もう、クリスは仕方ないですね。ほら、本屋にいきますよ。俺もまだ、買いたいものがあるんです」
だからついつい、甘やかしてしまう。なんだかんだ言っても、クリスは十二歳なんだものなぁ。この年代の三歳差は、クリスにしても実に大きい。
「なんだよ……まだ買うのかよ」
「ふふふ、底なしの物欲ですよ。買える時に買うのです」
エスカレーターに足を乗せた。
その時だった。
対向の上りエスカレーターで向かってくる人物がいた。
黒髪で、ちょっと釣り目の丸い目をした背の高い人。その人は色白の端正な顔立ちで、黒いスラックスをすらりと着こなしている。
俺は気付けば、目をまあるくして“彼”の背を見送っていた。そんな俺の頭を、衝撃と痛みが襲う。
「……おい、どこ見てんだよ」
低い声で、一段下に立つ彼が睨み付けてくる。
……ううん、でも、あの人は。
俺は首をかしげかしげ、あの人物の容貌を埋もれないうちに掘り起こした。
……うん。照明で分かりにくかったけれど、俺が見間違うはずがない。
あれは確かに、黒では無くて紺色の瞳の色だったのだ。目尻の上がった猫のような目も、無駄にある目力も、横に跳ねる前髪の癖も、あの人の顔を、俺が間違えるはずがない。
「あれは―――――――シオンさん……? 」
俺がどれほどシオンさんのことを好きか、クリスもよくよく分かっているのだろう。あの人のためなら火の中水の中、あの子のスカートの中……ごほんごほん。なんていうのは、けして誇張ではない。
クリスは俺の肩を強く叩き、ぼんやりとする俺の手を引いて、エスカレーターを駆け上がった。
「ほら! 行くぞ! 」
「……え、でも、本屋は」
「ばか、何言ってんだよ」
切迫した声色に、こちらの方が面を食らってしまう。
「いいか、本は寝かせるものだけど、情報は生ものだ。鮮度が悪いと味が落ちるんだ」
なるほど、しかしそれは、誰の言葉だ。
「アンブレラさんがよく言ってる」
どこか誇らしげに彼が胸を張った。しかし俺は、アンブレラ女史に反論を申し立てたい。
「本は糧にしてこそですよ! そして何度食べても現状によって味が変わるものなのです! 」
「ようはタイミングが大切ってことだろ! 駆け足だ! 」
エスカレーターを逆行して駆け上がる。二階は服飾エリア―――紳士服売り場で、バーゲンでもしているらしい。人が多い。
礼服のような服装の人もそれなりに居て、どうにも子供二人の目線では難しい。
――――けれど。
「いた! クリス、あそこです」
「ああもう、お前って、あの人のこととなると本当に――――」
渋面をしながらも、クリスはいち早く駆けだした。俺の脚なんかよりもずっと強靭に出来ている脚力は、あっという間に人ごみを潜り抜けていく。
俺も駆け足でクリスの白いセーターを追いかけながらも、周囲に目を凝らすことをやめない。
「――――くそっ、どこだ! 」
「クリス、あっち! 」
無人の非常階段を駆け上がる。
あんなにたくさんいた黒髪でも、シオンさんのは違う――――以前そう言ったら、クリスは一言、「お前、きもちわるいな」と言った。そんなちょっとアレな特技が、初めてこうして発揮されている。
かつーん
かつーん
足音が響く。
俺は叫んだ。
声高に、あの人を呼んだ。
「てんちょぉぉぉおおおおお」
ふぉぉおお連続☆更新!これにて終了です。
何度も何度も何度も何度もすいませんでした。また改訂です。加筆してあります。それだけです。すいません。泣きそうです。
また書いていきます。アリス編、よろしくお願いします。




