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IRREGULAR  作者: 陸一じゅん
アリスの不思議な世界~本と異世界人と最終兵器彼女~
32/77

歴史いわく


 5.


「おいコウ! 」

 俺はぱちんと本を閉じて花壇から立ち上がり、肩をいからせるクリスに向き直った。

 クリスは金髪に青い目をした男の子だ。御年ぴっちぴちの十二歳、そばかすがチャームポイントで、素朴な外見の割にはちょっと口が悪いのはご愛嬌。ギャップ萌えというやつである。

 右手に下げた黄色い傘と足元の黄色の長靴は、彼のラッキーアイテムだ。俺に言わせてみれば、武器ともいう。主に精神面での攻撃に有効。

 もう思春期の真っ只中だってのに、ヒヨコ色の雨具を愛用するなんて可愛いではないか。

 ニヤニヤしている俺にクリスは余計に真っ赤になって、アスファルトを何度も踏みつけた。

「なんだってんだよ! 迎えに行ったら、店長は『あれ? もう行ったよ? 』なんて言うし、なんで置いていくんだよ! 」

「ええ~、やだなあ、そんなに俺と行きたかったんすか? や~だな~」

「なっ……そうじゃないだろ! お前が僕の仕事に一緒に行くって、最初に言ったんじゃないか! そっ、それなのに約束を反故にして! 」

「えぇ~やだなぁ、俺だってね、今回は店長のお使いなんですよぅ。クリスが遅いからいけないんじゃないですかぁ」

「僕は遅れてないだろ! フライングすんなよな! ほら行くぞ! 」

 クリスは鼻息荒く、先だって歩き出した。やだなあ、可愛いなあ。

 ちょっと意地悪しちゃうのは仕方ないってもんだ。できればここで、手を引いてくれるくらいの男気が欲しい。

 うむ、そこまで育てるのには、この俺の手腕に委ねられるというものか。

 ビルがきらきら光っている。アスファルトからも陽光が照り返し、ちょっと汗ばむくらいに暑かった。

 クリスは白いセーターに、赤い膝丈のズボンを皮のベルトで締めている。暑くないのだろうか。

「コウ、なんで今日までエプロン着てるんだよ」

 クリスが不満げに言った。

「今日はお店のお使いだからですよ」

 俺はニヤニヤしながら返す。

 こいつが言うなら、後でエプロン、脱ごうかな。

 ……とか思っちゃう俺は、割と尽くす女である。


 ※※※※


 天然の樹のねじれと木目の美しい、どっしりした漆塗りの卓に、ただよう緑の畳の香り、陽光の透ける障子。房飾りのついたふかふかの座布団に腰かけて、とある喫茶店のアルバイト――――俺は、小豆の粒を噛みしめていた。

 古えの都、京都に本店のある創立五百年の老舗和菓子店の一級品の羊羹を、思う存分に貪り食えるとは、なんとも贅沢なお話である。

 隣のクリスは、どうやら小豆のねっとりした甘さだとか、口内を爽やかに濯ぐ緑茶の渋さだとか、これっぽっちも理解ができないようで、いやぁ…この味がわかる生まれで実に良かったと感慨する。

 鶯色の玉露は、文字通り玉の露。ついつい手を伸ばして、隣の一つも手を付けてない四角の黒い宝石を引き寄せた。ううむ、美味い。

 ……正面に座るのが、こんな古い油みたいな匂いのするオッチャンじゃなければ良かったのになぁ。


「『情報屋アンブレラ』ご依頼ありがとうございます。名代として、僕が“商品”の提供を店主より仰せつかりました」

 笑顔ですらすら口上を述べるクリスに、おじさんは目を眇める。

 金髪碧眼、白い肌にそばかすの浮いたクリスは、ずいぶん凡庸と純朴に見えるのは、俺がお墨付きをつける。顔だけなら芋っぽいのに、身なりはちょっと子供っぽいくらいきちんとしているから、良いとこの可愛い坊ちゃんに見えるのだ。

 これが愛想よく笑顔でも浮かべれば、目尻の垂れた目元がまたなんとも微笑ましい。十二歳の男の子にこう表現するのはあれだけど、クリスは割と童顔だったりする。もちろん、海外基準……いや、この場合は異世界基準で、か。

 金髪碧眼の海外イメージに引きずられがちな日本では、特に効果は高いよう。現に今まで、目の前のオッチャンも完全に「オイ大丈夫かこんな子供で」という目で見ていたのだ。

 ……でもまぁそれも、口を開くまでのお話。


「遠方はるばるよくお出でに……」

「ええ、確かに“遠方”でした」

 クリスは涼しい顔で被せて言う。

「まぁ……貴方の様な、“大物”からの依頼ですから、ね」

「そのような……仰々しい肩書きではありませんとも。今やただの爺ですよ」

 オッチャンは好々爺っぽい笑顔を浮かべる。

「過ぎたる謙遜は皮肉ですよ……と、言いたいところですが、まぁ、事実なのでは仕方ありませんね。役職に見合わず仰々しくあろうとしなかった姿勢が、自らの首を絞める……なんて」

 オッチャンは、僅かばかり顔をしかめた。

 クリスの得意技、人呼んでイメージクラッシャー。

 恵まれた第一印象を、めっためたにするクリスのマシンガントークは、彼の豊富な知識と入念な下調べに裏付けされ、ハートを蜂の巣にすること確実である。

 ……あ、緑茶って冷めると渋くなっちゃうんだよね。逝きとし生ける者、おいしいものはおいしく頂くのが、我らが人間の役目である。

 ふかぁーく息を吐き、米神をぴくぴくさせて、おじさんは言った。

「……坊ちゃん、この国には、年功序列という言葉があるんだ。ネンコウジョレツ……わかるかね」

「もちろん、ご存じですとも。この国の悪習の最たるものと学びましたね。特に、“長年重役を務めてきたから”などという、義理で権力を与えられるというのは……僕はあまりにも」

 おじさんの顔色が、みるみる土気色に染まっていくのは圧巻だった。人間の顔色って、こんなに変わるものなんだなぁ。もぐもぐ。

 これだけ口が回るのだから、普通に礼を取ることも出来るのに。しかしクリスは、たまにこういう態度を選ぶ。それはだいたい、依頼人が彼のお眼鏡にかなわない時だった。

 そろそろ口の中が甘ったるくなってきたので、急須からお茶を拝借する。ついでに空っぽになってしまった他二名の湯呑にも配膳した。

 こんながきんちょにデカい口で言われるのは、さぞや血圧に悪いことであろう。

 でもでもそこが、このクリスちゃんの狙いなのだ。怒ったら負け、笑うくらいの懐の深さが無いと、この悪童をいてこますことは難しい。

 俺だって、クリスじゃなければこんな生意気な餓鬼はごめんなのだけれど、彼だからこそこれは許される。

 いるじゃない? 駄目なことも結果的に許される、そんな性質を持った人って。

 何事もなかったように、クリスはにっこりと笑顔を向けた。

 おじさんも、一応は笑顔の体面を保ってはいる。さしずめ、このクソガキどうしてやろうかと考えている目だ。

 情報屋アンブレラ。喫茶店の裏のお屋敷に住んでいる彼らは、どこよりも質が高く、どこよりも早急に、商品――――情報を提供するただ一つの店。敷居は実に高い。

 なぜって? そりゃあ、店主のアンブレラ女史が異世界人――――それも、異世界と異世界を股に掛ける筋金の商売人だからだ。彼女の求める報酬は、カネで解決できることのほうが少ないからだ。もはや彼女は、故郷の世界なんて忘れて久しい。固定された価値観を持っていない異世界人にとって、その世界でしか使えない紙切れなんて無価値に等しいのだ。

 運が良ければ、特に価値を感じないもので済むこともある。しかしアンブレラ女史は、商人としての顔もある。それを別世界で転売して、多額の収入を得ることが副業である。倍々(バイバイ)の売買ばいばい。……いやいや、洒落である。

 彼女の商売の地域は実に幅広い。“世界を股にかけて”、情報屋稼業でガッポガッポ、日々ウハウハ。

 けれども、彼女にも弱点がある。

 情報屋アンブレラ。店主女史は、ヒキコモリなのである。あのお方は屋敷からほとんど出ない。青空と陽光というものを憎悪している域だ。であるからの、通称・アンブレラ。だからこその、故の、傘(UMBRELLA)。

 なのでクリスの活躍の場は、これまた多い。何せ風の子とすら称されるお子ちゃま。常識に凝り固まらない柔軟さは折り紙つき、標準以上の頭脳の性能は、だいたいこの先が思いやられるくらい。

 世界と世界を行脚しながらの使いっ走り――――それが、クリスチャン(十二歳児)の、あまりにも小さな身に枷られた役職だった。



「それでは、アリス、という人物についてでしたね」

 クリスはにっこりする。子供らしからぬ悟りきった笑顔は、この客には馬鹿にしているように映るはずだ。

 このオッチャンが、異世界人であるアンブレラに依頼した経緯については、俺でも想像がつく。

 アリスがこの世界の征服者になってから、この世界には僅かながらも異世界人の混入がある。むしろ、管理局が介入してきてから増えたくらいらしい。

 ひとえに原因は、“筋書き”をめちゃめちゃにしたアリスとその能力、そんな強大な能力を持ったアリスの身を守るために、結果的に筋書きの崩壊を助長させざるを得なかった管理局のせいだ。

 管理局は所有する筋書きを基準に、その世界の変化を読む。変化の基準が分からなくなった世界には、当然穴ができるというわけで。

 ―――――つまり、俺達もそんな“穴”を潜って、この世界に紛れ込んでいるわけで。


 ※※※※



 事の始まりは、西暦2008年、北京オリンピックが開催された年のこと。

 “ドクターJ”を名乗る人物の、世界各国への宣戦布告とも取れるメッセージである。

 内容については省略。切々と、世界の歴史の嘆きと、改革を願う言葉が至極丁寧に紡がれており、文書最後に、兵器を所有しているようなことが仄めかされた、ちょっと苦笑いしてしまうくらいにアレなものだった。

具体的に言うと、日曜朝八時の元祖的なね。毎週八時五十三分あたりで爆破される、お馬鹿なマッドサイエンティストのテイストでありましたとさ。

 あまりにもアレなので、たちの悪い悪戯として闇から闇へ葬られ、報道も規制されてささやかに、話題はオリンピックの試合結果の行方に流れてしまったのだけれど、その時に誰が、彼女が世界を手に入れるなんて思っただろう。

 十月に、日本人なら誰でも知っているとある家電の大手会社が、社名を横文字に変更。

 そのころ関東で通り魔事件が相次ぎ、二十日間で五人の人間が死亡。その被害者に、某政治家が凶刃にかかった。

 凶器は極めて大ぶりな刃物。“斬る”というよりは、鉄の巨大な尖った板で“断たれた”ような、まるで死神の持っている大きい鎌のようなもの、とメディアが表現してからは、ネットで妙に話題が盛り上がり、都市伝説の一つと数えられるようになる。

 それに被さるようにして、十一月。男子高校生の母親殺害事件が起こる。犯人少年は逃走、当時未成年ながら後に指名手配され、現在も捕まってはいない。

 2009年。

 二月十四日、バレンタインデー。

 “F”の社長にして創立者、ジェームズ・フェルヴィンが解任。新しく、孫娘のアリス・フェルヴィンが就任。

 メディアに顔を一切露出しないアリス社長を、“仮面社長”と称し、パパラッチがこぞって彼女の素顔を追うことになる。そのうち、パパラッチ同士が車で正面衝突なんていう間抜けな事故が起こって、アリスに向かうパパラッチ活動が自重され、下火になる。

 そんなことがあってか、新任のアリス社長はサブカルチャーの方にも手をだし、ウェブマスコットキャラクター『アリス』を発表。

 大手企業の前社長までの御堅い雰囲気とのギャップ、『世界の独裁者』なんていう奇抜なキャラクターと、実際にキャラクターの『アリス』が司会をするウェブラジオが人気となり、半年後の冬に公式でオンリーイベントが開催されるまでになる。

 “F”は事業を拡大に拡大を重ね、『ゆりかごから墓場まで』を実現する企業に成長する。


 これらまでが、表向きに起こった騒動。水面下では、アリスによる“改革”は始まっていた。



 これからが裏側、アリスが見せなかった静かなるこの世界の改革―――――真実の話。


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