パートナーいわく
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僕はエリカの偉大さを実感している。
彼女は実にすばらしいパートナーである。YES・Noのはっきりした性格であるし、だからといって、自己主張が強すぎるということもない。頭もいいし、教養もあるので、会話していても飽きずに面白い。
男目線以前に、人間として考えても見てほしい。抱きしめられるのなら、逞しい胸板と柔らかい乳房――――さてどちらが心地よいのかと。
『晴光、君には悪いけど……僕やっぱり、エリカが相棒で良かったなって思ってるんだ』
「なんだよ突然」
晴光は首をかしげて、ポケットの中の僕を叩いた。
「そういうのは本人に言ってやろよ」
『うん。今回のことで、僕は心から実感したんだ……女性って、偉大だね』
「……ニルお前、いつになくちょっと変態臭いぞ」
『じゃあこう言いかえるよ。……女体って、神秘だね』
「もっと変態臭くなったぞ! 風呂場の前でそういう話するなよ! 」
……そう、アリス嬢はエリカを引きずってのバスタイムと洒落こんでいた。
機嫌の悪いエリカは珍しく表情に出して嫌がっていたが、アリス嬢は自ら彼女の腕を取り、文字通りひきずっていった。
ややあって、脱衣所から絹を裂くような少女の悲鳴が尾を引いていたので……まぁ、何が起こったかは想像に難くない。
脱衣所前で置いてきぼりをくらった僕ら男性陣は、会話という会話も無く、暇を持て余しているという訳である。
アリスにぴったりくっついていたチェシャーは、扉に一番近い位置を陣取って壁に凭れかかり、鋭い目つきを伏せて、長い足をぶらぶらさせている。あの体勢は、足腰やら首やら疲れそうだ。
ビス・ケイリスクは、扉から一番遠い場所。チェシャーの陰になるような位置で、床に膝を立てて座っている。
晴光はその反対側に、床に胡坐をかいて今にも欠伸しそうな顔だ。
僕と――――そして実はもう一人だけいる女の子、晴光のパートナーのファンちゃんは、晴光の懐に収まっている。
このメンバーである。場に会話が少ないのは当たり前のことだ。
チェシャーは暇つぶしに会話を楽しむ気はさらさら無いようだし、晴光は体のどこかが機敏に動いていないと、自動で省エネモードに切り替わり睡魔に襲われるという、大変都合のいい仕様をしている。
僕ら“本”と、ビス・ケイリスクの相性は、もう最悪といってもいい。
そんな雰囲気なものだから、初対面でも臆せずコミュニュケーション活動に励む晴光も、自動省エネモードというわけだ。
僕としてはそんな状況、大変いたたまれないので、とりあえずてっとり早く晴光のテンションのギアを上げていく。あわよくば、だんまりの約二名にでも話しかけてほしい。
他力本願―――――いやいや、ただ釘にトンカチを打つというだけの話。つまるところの適材適所。
……だったのだけれど、このちょっと下世話な話題は、いらぬ蛇を突きだしてしまったようだった。
いや、この場合猫かしらん。チェシャーがギローッと金色の目をすがめ、晴光を、しいては僕を、上から睨み付けてきたのである。
そも、上から見下ろす、という行為が威圧感を与えるのに効果的なのに、さらに“睨む”という行為の相乗効果で、とっても恐ろしい。
僕としては、この後晴光が「なぁなぁ」と話しかけて行くのを期待していたのだが、過程をぶっとばして、ルートすら間違えて、チェシャーにメンチを切られている。
「……おい、テメェ」
唸るように、チェシャーは僕らを見下ろして言った。
「まさか……覗きに行こうってんじゃあネェだろうなぁ」
「いいいいいいや、そんなまっさかぁー」
晴光は首をぶんぶん振って冷や汗を垂らしている。立ち上がれば晴光の方が高身長なのだけれど、晴光は身長に限らず、威圧感のある人はちょっと苦手なのだ。しかし苦手な人でも話しかけるので、晴光は割と人間としてすごい。
それにしても、肩書や年齢の割には、子供っぽい話し方をする人だな、と思った。オトナの余裕の落ち着きといったものが、口調に微塵も感じられないぞ。
「おおお俺、好みは年上ですしー」
「……アリスはてめーより年上だよ」
「あっはははは、どっ同級生で、ちょっと大人っぽい子、みたいなのが好みで! 」
エリカは晴光と同い年である。蛇足じゃない? それ。
「ニルもそんな感じだろ? なっ」
『僕、どっちかっていうと年下好みだけど』
「………ほう? 」
チェシャーの視線が厳しくなった。
「こんの馬鹿っ」
正直は僕の美徳だって、実家のおばあちゃんが言ってたんだ!
「年下好みで同年好み……へぇ」
その『へぇ』はなんなんだろう。
「俺がお前らのデータを頭に入れてねぇと思ってんのか? それに当てはまる女も風呂場にいるよなぁ」
実はそうだとしても、実行した僕らにうまみは少ないだろうな。
「そっ……」
「だからといって! 奥さんは範囲外っす! 」
……ということを言おうとしたのに。本当に晴光ってやつはコノヤロウ。
「……つっても、ついうっかり、視界の端にアリスも引っかかるかもしれねぇよなぁ」
「だとしても! 」
「うるせぇうるせぇ! うるせぇ言い訳ばっかり聞き飽きたな! ははっ、てめえらなんかに見せるもんか! 俺も見たことが無いのに―――――」
実は仮面夫婦だったりするんだろうか。
「……俺の我慢がきかなくなるから、自主的に規制しているだけだ……」
血のにじむような苦渋の声だった。
もはや年上が好みと言っても、年下が好みと言っても、彼の制裁は免れない。彼の怒りの琴線に触れないのは、綱渡りにも過ぎるのではなかろうか。
それこそ実は三十以上の年上が! とか、十二歳以下は女じゃない! とか……あれ? 普通に『十五歳から二十歳くらいが好みです』と言えば良いのでは?
しかし時すでに遅く、彼の中ではすでに僕らは妻の裸が目的の覗き予備軍らしく。
そんな修羅場の中で、救いの扉が開かれた。ええ、そりゃもう、読んで字のごとく。
「何やってんの? 」
「……アリス」
チェシャーの闘気がしゅるしゅる縮んで、みるみるコンパクトになった。チェシャーは唇を引き締め、無言で首を振る。
どうやら、妻の前では言葉少なになるらしい。
「んもう、チェシャーの声が聞こえたから来てみれば! また喧嘩してたでしょ。駄目よ? 」
「………」
いやはや、アッパレ。
アリスは意地悪く含む笑顔を浮かべ、肩をすくめる。
「さて、身も清めたことだし、せっかくだから遠出するわよ」
「遠出? こんな時にどこへ」
ビスが訝しげに首をかしげる。
「うふふ~、こんな時もどんな時もアリスちゃんには無いもの。むしろこんな時だからこそ! 貴方たちが守ってくれるんでしょう? 行き先はね……お楽しみよ。――――芋虫! 」
「……はいはい」
その声は、頭の上から聞こえたように思えた。その場の者が首を上げる間もなく、通気口から軽い身のこなしで少年が落ちてくる。
すっとした黒目勝ちの眼をした、中性的な顔立ちをしたアジア系の小柄の少年だ。
「彼は“芋虫”。私とチェシャーの養子で、“F”の幹部最年少の子ね。私の秘書もしてるから、なかなかの手練れよ。もちろん、いろんな意味でね」
「ご紹介にあずかりました。芋虫とお呼びください」
芋虫少年は礼をする。
突っ込みどころは多いにあった。僕としては、そんな悪口みたいな呼び名を口にするのは遠慮したい。何の恨みも無い人を、往来で虫呼ばわりしたくはないぞ。ついでに『いろんな意味で手練れ』とは、どういう意味なんだろう。
「……忍者みてー」
晴光が呟く。
――――――『曲者め! ええい、姿を現せぃ! 』ざくっ!
ううむ。確かに……。
「……どちらかといえば、暗殺者ですがね」
意味ありげに芋虫少年は呟いて、とたん無邪気に顔を輝かせた晴光から目を逸らす。……そうだよなぁ。晴光は好きだよね、そういうかっこいい称号みたいなの。
「ごほん……わかりましたアリス。では、即刻にアシを用意いたします。行き先はどちらへ」
待ってましたと言わんばかりに、アリスは胸を張った。
「ズバリ、日本よ! ジャックは今日はこっちにいるでしょ? 」
「ええ……では、ジェットでよろしいですね」
「関空着でお願いね」
「かしこまりました」
「ああ、あと、中に彼女が――――」アリスの手が、浴室を指す。「―――まだいるから、丁度いいわ。ミッチーも呼んで」
「かしこまりました」
『……ミッチー? 』
いきなりフレンドリーなあだ名が出てきたなぁ。
「三月ウサギだよ」
意外にも、チェシャーが疑問に答えた。
「The March Hare、三月ウサギはウチのヘッド研究者。気の弱えー乳のでかい女だ。研究以外には、ちっとも頭が回りゃしねぇ色ボケさ。ジャックは、普段はクイーンの直属の部下だ、『役立たずの兵隊』のジャック。クイーンのお達しで、大概の乗り物のライセンスを取得させられてる。まぁ、それが有効活用されてんのは、こういうプライベートばかりだが。ようするに幹部の使いっ走りだよ」
『その人は幹部じゃないんですか』
「幹部だぜ? でも、プライベートな人間関係の地位ってのがあるだろう? ちなみにジャックは日本人で、三月ウサギは日本マニアだ」
「……これで分かるだろう? 」と、チェシャーは皮肉っぽく口角を曲げ、ビス・ケイリスクを振り返って見下ろした。
「アリスは本気で、今から飛行機かっ飛ばして海を渡る気だ。俺はもちろん、他の幹部にもアリスは止められねェ……護衛さん、どうする? 」
ビス・ケイリスクは無言で首を横に振った。「仕方ない」と、いうことなのだろうか。緊張故か、ずいぶんと青い顔をしている。
子供の成りで、硬い顔をするビス・ケイリスク。
子供は無条件で庇護されるもの、なんていう綺麗ごとは言うつもりはないけれど、そうしたいとは常々思っている。
……うう、良心がうずくなあ。これは反則だ。いやいやしかし、彼が見た目通りの年齢ではあるはずがないのだ。惑わされてはいけない。
通すべきルールは、その時の状況によって変わる。……どこで読んだ言葉だっただろうか。




