友いわく
改訂・加筆・再構成の上で再投稿です。
4.
僕たち“本”は、普段あまり、相棒以外の人間に使われる機会というものは無い。それぞれ自分で選んで組んでいるパートナー同士だから、当たり前といえば当たり前。
僕とエリカも、彼女が管理局に入った年に組んでずっとな訳だから、もう六年も一緒ということになる。
彼女はどうだか知らないが、僕は自分のパートナーに不満を持った事は一度もない。でもエリカは見ての通り、近しい相手になら不平不満は割としっかり態度に出す方なので、たぶん彼女も、僕で不満は無いのだろう。
別に、エリカが美人だから……なんて不純な動機じゃない。
男の僕が言ってもあまり信用できないとは思うけれど、彼女をそういう対象としてはまったく見られないのである。別に、僕に性欲が無いわけじゃないけれども。
何せ十歳のころから一緒の仲なわけで。まぁ、その……まだ互いに二次性徴前のぺったんこの頃に、一緒に風呂に浸かったこともある女の子である。
僕がちょっと構いすぎたのと、彼女も親元離れて寂しかったせいもあって、寝床を共にしたことも、これが結構ある。今も同居しているわけだし、互いの生活情報は網羅しちゃっている。
恋愛感情を否定することはできるけれど、じゃあどういう関係かと問われれば、口を噤まざるを得ない。
恋人の様に、抱きしめあうではなく。
親子の様に、手を引くのではなく。
友人の様に、隣を歩くわけでもなく。
エリカは自分の定められた運命の中で、今もずっと戦っている。僕は彼女の歩く道を見届ける人になりたい。
しいていうのなら、『相棒』。
彼女と一緒に戦うことができる、『相棒』でありたいと思っている。
……さて、わざわざこんな話をして、じゃあお前は何が言いたいのかというと。
なんだかんだ言っても、女の子っていいよね、という話。
世の中には男と女しかいないんだから、そりゃあ男と比べれば当然だよ。うん。
湯に足を浸し、そろそろと湯船の底に腰を下ろした。胸の下まで暖かい湯に浸かり、エリカはふっと細い息を吐く。
いっぱいの湯に浸かるという風習は、エリカの故郷には無い。魔法使いの国は島国だが、たくさんの湯は基本的に贅沢品で、やってもせいぜい桶いっぱいに膝下まで。しかしエリカは祖父の趣味で、一年の特に寒い時期には風呂に肩まで浸かる機会があった。
本の国は温泉の豊かな土地なので、風呂文化も発達している。風呂は必ず備え付きに一つある。現地人のニルは烏の行水だが、故にエリカは、そこそこ風呂好きである。
広々とした湯船は、足を延ばしても余りある。しかしエリカは足を丸めたまま、縮こまるようにして湯船の縁に背中をつけた。
目の前で向かい合うアリスは、そんな彼女の一挙一動ににんまりと笑う。
「もう、もう少しリラックスしたらいいのに」
さすがのエリカも、そんなことが出来るわけがない。
がちゃこん
がちゃこん
水色のペンギンのハンドルを廻して、アリスは黄色いクチバシから泡を吐き出させる。湯に泡を流して遊ぶアリスは、シャボン玉をエリカに吹きかけた。
「裸の付き合いってやつよ。いいじゃない、私、貴方とこれがしたかったの」
「………」
エリカは答えず、ぶくぶくと鼻筋まで沈むんで逃げる。
「むくれないの! ちょっと意地悪しちゃっただけじゃないの」
唇をとがらせるアリスを、エリカは半眼でねめつける。
(……意地悪? こっちにとっては衝撃の発覚よ)
「目つぶしバブルこーせーん! 」
水面から半分突き出たエリカの顔に向かって、アリスがペンギンの口から直接泡を流し出した。視界に泡の津波が迫る。さすが独裁者、これぞまさに泡のテロである。
洗剤で目の前を真っ白にされる前に、エリカは先制して水中に頭を沈めたのだった。
※※※※
「失礼しま、す……? 」
エリカは絨毯の端を踏んだ足を止め、首をかしげた。ビス最上階のその部屋は、大きな一面の窓を背にするデスクだけがあるばかり。恐らく、この窓の景色を堪能するための部屋なのだろう。
エリカがその部屋に足を踏み入れた時、その主役たる窓には、ぴっちりと遮光カーテンが引かれていた。
薄暗い室内に人の気配はない。
部屋を間違えたか、とエリカが窓に背を向けた、その時だった。
暗闇から伸びてきた手に肩をがっちりと掴まれる。そのまま腕を背後に引かれ、エリカの肩の関節が嫌な音を立てた。
膝が崩れ、エリカはトスンと柔らかいものの上に尻をついた。腕は背中に纏めこまれている。
目映いばかりの照明がつく。
「ようこそレディ! 」
大きすぎるデスクの上で仁王立ちしたアリスが、大きく腕を振る。
そんな彼女を仰いで唖然としているうちに、あっけなく腕の拘束がとれた。
背後の白衣の男は、どんよりとした金色の目で一度エリカを眺めると、あとはもうどうでもいいと言いたげにさっさと壁に張り付くように立った。
怪訝に眉根を寄せるエリカの顔を、アリスはにまにま鑑賞する。
「――――実に素晴らしいわ! 」
デスクから飛び降りて、アリスは椅子の上で委縮するエリカの周囲を回る。
「あなたがシオンの娘ね! ――――あらなに、その嫌そうな顔」
表情を変えたつもりは無かった。すぐにエリカは無表情を取り繕う。
シオンの娘―――――管理局に入って、幾度となく言われたことだ。
何せ、エリカのこの顔こそが父譲りなのである。管理局が所有するシオンの写真は、活動が最盛期だった十代半ばのものしかない。それがまた、丁度今頃のエリカの顔と瓜二つだった。
『違法異世界旅行者』
世界を“渡る”のには、素養が必要である。多くは偶発的な事故だが、その中には、素養を利用して異世界を又にかけ“渡り”を繰り返す活動家がいる。
わざわざ異世界から異世界へ、自己の常識と危険を投げ打ってどうするのか? 話は簡単だ。彼らの多くは、危険を求めての冒険家気分か、異世界のアイテムを売りさばく商人か、なのである。
その世界に無いものを売り捌くのだから、競争相手は無いに等しく、利益に底は無い。
そういった故意に筋書きを改変する悪質なイレギュラー要素は、管理局によってマークされる。
それが、『違法異世界旅行者』という人種である。
管理局には、シオンを追って痛い目に遭った職員も多くいる。
会ったこともない父親の顔が自分と同じという事は、エリカにとってなんとも奇妙な心地のするわけで、短絡的に言えばとても『困る』のである。もっといえば、父の話を自分に持ち込まれるのは、正直エリカは『迷惑』だ。
しかし。
「その顔でそんな顔するととっても新鮮ね。あの人は怯えてるか驚いてるか困ってるかだったから」
嬉しそうに父を語る人物が現れたのには、新感覚である。
それはとても、母の話すシオンの人物像に近いのだから、なおさらだった。
「彼に最後に会ったのは、十年ちょっと前かしら。そうね……そのころ、私は世界中の国家首脳に宣戦表明した頃ね。たかだか企業の社長だもの、信じちゃもらえなかったわね」
何を思い出したのか、アリスは含み笑いした。
「この世界を変えたのは、たった一つのボタンなの。この世界にとっては、トラウマレベルの威力を見せる、ミサイル兵器のボタンよ。私はまだそのボタンを押さずに済んでいるけれど、そうできているのはアナタのお父様の功績でもあるのよ」
顔を険しくするエリカに、アリスはうっそり笑った。無邪気さの欠片も窺えない、妖女の様な笑みだった。
「シオンは不思議な人。異世界を何度も渡り歩くなんていうやつに、私の知る限りマトモなやつはいなかったわ。私のところに来た異世界人は、手に余る異世界の兵器を売りつける商人や、救世主気取りの驕ったやつ、私の身体を狙った夢と現実の区別がつかないコレクター。
その点、シオンはアイテムを売り捌くでもなく、ただここに来て、自分の正しいと思った方の味方として戦う――――それも巻き込まれて嫌々に、いつも成り行きで。そういうことを繰り返しているうちに、どんどん強くなって、流されるままに追われる身になってしまった。綺麗な顔と心をしているくせに、彼はどんな場所でも全力で生きようとする。何も無くなっても、生きるだけの力をつけてた。
私の時はね、エリカちゃん。シオンは、街で会った女の子のために戦ったのよ。――――半泣きになりながらね」
にやっとするアリスは、もとの明るい少女の顔だった。
「シオンはヘタレのふりして、異様に肝が太い男だったわ。身に着けた自己防衛なのかしら。スイッチがあるのよ。突飛なことが起こると二言目には『無理』って言うし、だいたい困った顔で尻込みするのだけれど、その時になったら実力が発揮されるタイプね。戦いとなったら凄かったわぁ…今のあなたくらい華奢なのに、一騎当千ができちゃうんだから。私が知る限り、白兵戦なら最強の魔法使いね。なんで魔法使いが白兵戦に強いんだって話だけど」
エリカにとっては、顔しか知らない人物のことだ。娘の中では父の姿は異様に若々しく、子供の姿で残っている。
それらはまるで雲をつかむような話。父のあの顔の中身は、母が語る女々しい人物と、管理局の資料の中の鬼神のような人物と。
そこに母の言う、虫も殺せない男はいない。彼には悪も善もなく、ただ戦うことが術という男だった。
アリスの語る『シオン』が、その二つに橋をかける。
―――――お人よしで流されやすく、一人の女の子のために戦う男。戦うのは嫌っている。けれど、戦う術がある。
戦うしかないところにいつも居た。
(死にたくない)
術を身につけた。――――いつのまにか、身についた。
(無理だよ、俺は失敗するかもしれない)
(でも、できる“かも”しれないんだ)
(俺は死にたくない。でも、この人たちも死にたくないんだ。俺も目の前で死んでほしくない)
自分なら守ることができるのだから、戦おう。
※※※※
(これが本当に正しいのかしら……)
エリカは膝を抱えて、湯船の波紋をじっと見た。
顔も知らない父の姿。いささか、娘の自分は都合のいい解釈をしていないだろうか。
真実、シオンがどんな人物なのか。エリカは想像するしか出来なかった。
エリカが生まれた日に、父はいなくなった。祖父は、母と孫を置いて消えた父を恨んでいる。『あいつは逃げたんだ』と言う。
母は、『よく泣くお人よしの過ぎたやつだった』と言う。笑っている。きっとまだ、故郷で父が帰ってくる日を待っているのだろう。
信じたい方を信じれば良いのだと人は言う。しかしエリカは、真実が欲しかった。
親の愛情はいらない。父子の情を交わす日がいつか……なんて、今さら憧れない。
ただ知りたいのは真実だ。彼が修羅の道を歩く鬼なのか、情に翻弄されるだけの人間なのか。
(……母さんはいつまで待てばいいの? お祖父ちゃんは、いつまであの人を恨めばいいの? )
募った恨みは、寿命を縮める。それをエリカは知っている。
人の想いもまた腐るのだ。過去の思い出を背負ったまま、それを消化しないで持ち続けていると、どんどん腐っていく。熟れの果てを飲み下すのには、倍の倍もの苦労がいる。
エリカはいわば、当事者のふりをした部外者である。だって父には会ったことが無いのだから。エリカは父親がいないと生きていけない訳ではない。でも、故郷の祖父や母は違うだろう。
管理局がシオンと接触したのは、シオンが十八歳の頃が最後である。その後の行方は知れない。ぱったりと足跡は消えた。
そして、エリカが生まれたのがその頃だ。
湯から上がり、バスローブを身につけたアリスは、浴槽の淵に手を付けてエリカの顔を覗き込んだ。
「私ね、アナタとシオンの話をしてみたかったのよ」
「……私に話せる父の話なんて、まるでありませんよ」
「ううん、それでいいの。アナタの顔を見て、シオンの話をしてみたかったの。……どうしてかわかる? 」
「私に父の面影があるからですか」
「ええ、そうね。シンプルに考えればその通り。でも、そうね……もっと言えばね、シオンにとっての最初の世界が、この世界だからよ」
「……最初の世界? 」
エリカは訝しげに、首をかしげた。そしてまさか、と思う。頭の中で一つの可能性が光った。
「七月三十日、日本の関西地方にあるベットタウン。そこで十四歳の男の子が行方不明になったわ。ちょうど二十年前の話よ。夏休みの課題をしに図書館行くといって、そのまま帰ってこなかった。その子の名前が、『東 シオン』」
「……まさか」
エリカは瞠目して、浴槽から乗り出した。
何か言いたげに、エリカは口を開いては閉じた。アリスは驚くほど静かな表情で、じっと見返してくる。
「そうよ。この世界が貴方の父親の故郷なの」
「じゃあ……父の、両親は。私の祖父母は」
「存命よ。ずっと同じ街に住んでる。でも、十年ちょっと前かしら。私が最初で最後、彼と会ったあの時に、シオンが自分で彼らの記憶は消したわ。そもそも、あの時彼がこの世界に来たのは、そのためだったのよ。今はもう、”東シオン”って男の子を覚えている人は一握りだけ。彼は親しい人の記憶と、世間に残された“記録”を消すためにこの世界に来ていて、私も公式の記録を消すのに手を貸したわ。彼の両親はずっと帰ってこない息子を待っていたんだもの。今は全部忘れて、二度目の人生を送ってる」
「そんな……」
「これが私が友人として教えられるだけの、シオンの全てよ」
アリスはそれきり何も言わず、浴室を出て行った。
エリカは口を結んで、湯が水になるまで浸かっていた。




