子供いわく
※※※※
東シオンという異世界人の経歴は、つい六年前まで謎に包まれていた。
その男は、のらりくらりと管理局を欺き続け、かといって活動の勢いが弱まるでもなく、数々の世界を変えていった革命家だった。
シオンの理念は、シンプルである。
『目の前で傷つく人を見ていたくない』
シオンは、争いの只中に突如として現れ、戦いの鎮静を図る。その圧倒的な存在感で、ねじふせ、降伏させ、懐柔する。
シオンの手で、多くの世界の筋書きが変わった。死ぬはずだった人間は生き延びて、そのために生き残るはずの少数が命を落とした。男の行く手を阻むものは、斬って捨てられるか、逆に共感し、世の無常さを嘆くという。
最初に確認されたのが十五の時。それからたった四年間の、猛進された改変だった。
そんな男も、十八の頃からぷっつり足跡が途絶えてから先は、『やっと死んだか』と管理局も息をついたのだ。
その四年余り、東シオンはたった一人で、管理局を疲弊させるほどに振り回したのだ。
東シオンの行く末が再び明るみに出たのは、それから八年経った頃だった。
管理局に視認された違法滞在者の中に、東シオンの娘とみられる子供が発見されたのだ。
場所は、小説・フェルヴィンの劇中の舞台の一つ。『魔法使いの国』。
名前を、エリカ・A・クロックフォード。八歳の女の子だった。
彼女の母親――――アイリーンの口から、東シオンについての証言が取れた。
東シオン。当時十四歳の少年は、突然空から屋根を突き破って落ちてきた。アイリーンの祖父に拾われて、アイリーンと共に寄宿舎に就学。たびたび行方不明になりながらも魔法を学び、『魔法使い』としての技術を収めた。
就学中に、アイリーンが妊娠。卒業直後に婚約、娘の出産後に結婚する予定だった。
東シオンは消えた。
エリカが生まれた、その日に。
雨が降る夜だったそうだ。十八の若い父親は、親しい友人に妻子を頼むように言付けて、何かから逃げるようにそのままいなくなった。
息子同然に――――実際、息子孫になるはずだった男を、祖父は静かな声で罵った。
――――あいつは逃げたんだ。孫娘との未来から…エリカとの未来から―――――――
アイリーンは言う。
―――――シオンは、臆病な男だったけれど、不誠実なやつではなかった。誰よりも優しい、寂しがりやな男だった。そんなやつが、あたしや娘に寂しい想いをさせるとは思っちゃいないんだ。
――――――あたしにとっては、あいつだけが、王子様なのよ。
―――――――信じたい方だけ、あたしは信じます。
※※※※
ビス・ケイリスクは資料を捲ったまま、深く溜息をついた。白い前髪が垂れて、顔の前に幕を作る。
部屋はビスの溜息とは裏腹に、うららかな春の気温に適度な湿気が心地いい。
紙面に踊るのは、一人の伝説になった男と、その娘の名前である。
気鬱に沈みながらもしっかりと読み終えたビスは、幼い顔にはあまりに似合わない溜息をまた吐いて、資料の束を机に投げ出した。
「どうしたんだい。そんなに溜息吐いて」
ひょっこりと、湯呑みを片手に、男が廊下から覗き込んできて言った。その呑気な声に、また溜息が増える。
「なんだよもう、人の顔見て溜息吐いちゃってさあ。腹立たしく失礼な弟だね」
背中に太い三つ編みを垂らし、口元には大きな笑顔が浮かんでいる。しかし、その目元はすっぽりと熱い布でできた目隠しに覆われていた。目隠しに施された緻密な刺繍が、男を異相に見せている。
「兄さん……いえ、いいです。兄さんも、この資料に目を通しておいてください」
目頭を揉んで、ビスは机から離れた。代わりに、兄――――スティール・ケイリスクが机の上の資料を手に取る。
「…なんだい、これ。新人隊員の経歴? 」
「こんど、部下になるそうです」
「………―――――」
スティールは弟の方を向いたまま、口を開けて動きを止めた。
「……えっ、誰の? 」
それは当然の疑問だ。ビスは重い口をようよう開いた。
「……僕の」
「…はあ!? 」
「お兄さん聴いてないよ! 」と、スティールは大げさに騒ぎ立てる。当たり前だ、あえて言わなかったのだから。
「…わざと黙ってたね? 俺が、反対すると思ったから」
何も言わないビスに、さすがに兄といったところで、スティールは声を低くして唇を一文字に結んだ。
「…おまえね、俺たちの立場を分かってんのかよ。俺たちは……厳しいこと言うようだけど、出世や地位を、望める立場じゃあないだろ」
「分かってますよ」
「……そうだよな…いやってほど、わかってるよな」
スティールは大きく息をついて、苛立たしげに頭を掻いた。
ビスは観念したように(兄の目にはそう見えた)、傍眼には冷静にもいいところで、淡々と口を開く。
「今回、僕に二人の部下がつきます。二人とも十代で、三年目以内の新人です」
スティールはぱらぱらと資料を捲った。目を覆うものがあっても、その所作は『目を通す』という所作そのものである。
「エリカ・クロックフォード……研修が六年目……六年卒業できなかったってさあ……『あの』東シオンの娘? ……ああ、それでか。素行やら経歴の調査で、六年も足踏みしてたってわけ。ああもう、この時点で貧乏くじ引いちゃってるじゃないの。もう一人は…第四部隊? 脳筋かよ……若すぎるし、実力は期待できないな……ヤダヤダ、俺まだ死にたくないってーのに……」
ぶつぶつ言いながらも、分厚い資料の束をもう半分も消化している。
「……ん? ビス、これ、最後まで読んだ? 」
スティールは、最後のページを広げて指した。
「もちろん、読みましたよ」
「えー、これって、脱丁とかじゃないの? 」
「……いいえ、それはそれで、いいんです」
ビスは兄の手から資料を受け取ると、さっさと机の中にしまい込んだ。スティールはまだ首をひねっている。
その表情は、資料を眺める前よりも厳しいものだった。
「なあ、この仕事、断れないのか? 」
「無理ですよ。さっき言ったじゃあないですか。断れる立場じゃない。だからギリギリまで黙っていたんです」
「うわ、開き直りやがったな。この馬鹿弟……でもさあ、やっぱりおかしいだろ? メンバーが不安過ぎるじゃあないか」
スティールは几帳面に仕舞い込んだ資料を取戻し、弟の鼻先に最後の頁を突きつけた。ビスは無表情のまま、のけ反って紙束のビンタを回避する。
「でもさあ! ほとんどが【不明】って、この男、不安すぎるだろうよ! 」
添えられた顔写真には、赤い頭をした青年が朗らかな笑みを浮かべていた。研修期間は二年。五つある部隊のうち、現在は生粋の戦闘部隊である第四部隊に所属。そんな経歴と、生年月日の下に、あるはずの項目は二つの言葉で簡略に締められている。
「 周 晴光―――――出身世界【不明】、スカウトされた経緯も【不明】、どっから来てなんでここにいるのか! それがぜーんぶ書いてないじゃないか! 」
スティールは資料を叩き、ビスを見下ろす。弟は兄の目があるはずの布地を見返した。
「……言ったでしょう。断れないって」
「死ぬよかマシだろ! 」
「だから、無理なんですよ」
ビスは大きく溜息を吐いた。「局長からの辞令じゃあ、断れませんでしょう? 」
スティールの頭に電流が走った。
「なん…だって? 」
「僕らが、一番お世話になっている人からの『お願い』なんですよ。これは」
スティールは一時的に、失語症に陥ったようだった。
「……なんだよそれ、トップ直々の辞令って―――――――余計にヤバいじゃないか」
項垂れる兄の姿に、ビスはほんの少しだけ眉を下げる。
「あの…兄さん、実は、まだ言ってないこともあって……」
「……なんだってぇ? 」
「追い打ちをかけるようで、申し訳ないんですけれど……」
珍しく歯切れの悪い弟に、兄は悪い気しかしない。
「こんど、五十年ぶりに新設される『第六部隊』というのの隊長に――――僕、ビス・ケイリスクの就任が決まりました。隊長になった僕の、下につくのがこの二人で――――――」
言い終わる前に、スティールの声無き悲鳴が、窓から春風に乗った。




