魔法使いの魔法
「やったなジジ! 」
ダルタンは笑顔でジジを抱き上げた。ジジはその腕の上で、生まれて初めて嗚咽する。
「泣くんじゃねぇよ。これでお前の望みも叶えられるってもんだろう? 」
「違う、そうじゃないんだ……ボクは、ボクは、ただ悲しいんだ。悔しいんだよ……」
ダルタンは頭の上にハテナを浮かべ、カーテンをさっと引いた。
「何が悲しいって? 見てみろよ! この世界の有様を! これが魔法使いの力だ、すごいもんじゃねぇか! お前はそれを手に入れたんだぜ」
砂漠は無い。ただただ青い空と、緑があるばかり。どこにでもある田園風景が、地平線の向こうまで続いている。
「ダルタン、そうじゃないんだよ……」
ジジは、ダルタンの肩に伏せていた顔を上げた。
「ダルタン、なんでボクをここに連れてきたの。なんでボクだったの――――それがボクは、悔しくて哀しくてたまらないんだ」
「……なんだよお前、魔法使いを取り込んでちょっとは考える脳味噌でもできたのか? なんでお前だったかって? そんなの決まってんだろ。お前はそのために生まれたんだから。これは運命ってやつだ」
「運命? 」
ジジはその顔に、苛立ちを滲ませる。
「――――運命? そんな嘘をキミは言うのか。ボクは知ってるよ。それはキベンってやつだ。これはボクのための罠さ。そうだろう? そのためにこんな体を用意したんだ」
幼い顔が憤怒に染められていく。煌とその両眼が光った。
「――――この子はなんだ? 何にもないじゃないか。なんにも育てられていないじゃないか。この子は自分が何をしたらいいのかがわからない。自分が何が出来るのかも、ちゃんとわかっていない。自分の名前の意味も、その名前を呼んでくれる人の声色の意味も、自分の心の意味も分かっていない。――――ボクって、なんてかわいそうな子なんだろう」
魔法使いは顔を両手で覆ってしまった。ダルタンは大いに困惑する。
――――魔法使いは、簡単な生き物だと聞いていた。
しかしこれなら、ただのジジだったころの方がまだ扱いやすかった。
彼は基本的に、いい加減な人間である。はっきりとした利益が目の前にぶら下がっていなければ、何も動く気が起きない。
(……めんどくせぇ)
殺してやろうか、と一瞬考えるも、損得を計算してやめた。ダルタンはしかし、頭は悪くは無いのだ。利は少ないと思いつくのは、ほんの一瞬だった。
「……なあ、ならお前、もうどこにでも行っちまえよ」
「それが出来たら苦労はしないよ……この子には、自分が何をしたいかなんて無いんだもの。ボクはもう、願いが無いこの子からは出られないんだ。キミはそれが狙いだったんだろう? 」
「……ああ、俺も押し付けられたクチ、ってわけか。残念だな。前の“ジジ”のほうがまだ好きだった。ジジは本当にかわいそうなヤツだったよ」
ダルタンは溜息を吐く。
「めんどくせぇ……」
今度は口に出した。ダルタンは、魔法使いの小さな体を抱きなおす。
「……行こうぜ、魔法使い。お前を待ってるやつがいるんだ」
「この子をこんな風にした人? 」
「ああ、そうだ。そうだが、我慢しろよ。そうしたら―――――」
ダルタンは頭を巡らせて、適切な謳い文句を探す。
「そうしたら魔法使い、お前の“ママ”に会わせてやるよ」
魔法使いはぽかんと口を開けた。しばしすると、みるみる喜色満面に頬を紅潮させる。
「――――ホントウ?ボクのママがいるの? 」
(……ガキはこれが一番だな。ジジに良く使った手だ)
こんな小さな憐憫も、明日には忘れるだろうとダルタンは思った。
※※※※
そこは、やけに広い空間が備えられていた。
壁に貼りつくように取り付けられた、棚、棚、棚。窓もなくそればかり。
薄暗く、無機質で金属的な内装は、牧歌的を体現するこの特急には似つかわしくなかった。
奥に、小さな机がある。
リオンはそこに座り、来訪者に向かって薄く微笑んでいた。
「こんにちは。貴方たちには、ボクは初めましてだね」
「……お顔は拝見させていただいてました。ライラ嬢は――――幸せそうですね」
リオンは言葉無く微笑む。
リオンの体はしっかりとしていて、強い存在感はここに居るとしか思えない。
「この列車は、蒸気機関車だったわ。線路の上だけを石炭と水で進むなんて…ひどく前時代的になったものね。前の特急とは、天と地の差じゃない。ねぇ、貴方は何を願ったの? この世界の歴史が巻き戻ること? 」
「巻き戻ればいいとは思ったよ」
リオンは立ち上がり、一番手間の棚の前に立った。中にはびっちりと、ファイルが敷きつけられている。
「――――発展の結果が、あの未来なら、巻き戻って全部ナシにしてしまえとは思ったさ。でもね、これをライラが大事に保管しているのを見て、ボクはそんな考えは捨てたんだ。……これはね、父さん―――エイダ博士が、自分のプライドをかけて書いた政府への抗議文さ」 ファイルを胸に抱き、リオンは目を伏せた。
「……父さんは死んだボクが仮初でも生きられるならって、特急を明け渡した。でも“データ化”っていっても、ただ記憶をもとに再生する人工知能装置だからさ、細かい誤差は、生きているうちに本物と照らし合わせて修正しなくちゃいけないんだ。
結果的に―――ボクは、どうやったって蘇らなかった。父も、それは分かっていたはずなんだ」
淡々とリオンは独白する。
「もう一度特急に乗り込んだライラも、それが分かってた。父さんやライラの途方もない努力や悔しさも、ボクはナシにはしたくない。歴史に埋もれても、ボクだけは忘れない」
リオンは顔を上げた。強い視線が、彼らを射抜く。
「でも、ライラの幸せには、あの一生はあまりにも辛すぎるからね。ボクは願ってしまった。ボクはライラの家族だから、彼女が一人ぼっちになって死んでいく終わり方は我慢できなかった。彼女は幸福になるべき人だったのに、彼女自身も、幸福になることを拒んだ。それをさせたのはボクだ。ボクが溶けて消えた、この世界そのものだ」
ある日、消えたはずの“リオン”という少年の願いに、魔法使いが作動した。
魔法使いを核に、リオンはもう一度形になり――――世界そのものに復讐した。
それは途方もない怨みだ。けして綺麗なものではない。綺麗なものではなかったが、世界を変えるほどの“想い”だった。
そんな想いそのものを、彼は世界を変えるほどの力にした。
「――――魔法使いは、ボクの想いを形にしてくれた。あれはきっと、そういう力なんだ」
リオンは隣の部屋を指さす。
「魔法使いはあっちにいるよ」
彼らは一度も振り返らずに、静かに扉をくぐった。
ガタン…ゴトン…ガタン…ゴトン……
大きな窓が開け放たれ、短い毛足の絨毯の上を、明るい色のカーテンが撫でるようにはためく。
室内は無人。エリカは窓に駆け寄り、窓枠に足をかけた。
――――ズァン!
とたん、目の前に窓の外から隆々とした腕が、窓枠を乗り越え壁を掴む。
エリカは舌打ちして、晴光らのいる後ろまで下がった。すかざず入れ替わりに、晴光が拳を握って走り寄る。
ダルタンはカーテンを掴み、巨躯をものともせずに窓枠を乗り越え晴光を迎え撃った。
後方で構えるエリカの手元に紫電が走る。
白刃が出現した。
ビスが音も無く、エリカの肩越しに天井を狙撃する。ジジは軽い音を立てて絨毯に降り立つと、ナイフを手に地上戦に乗り換えた。
エリカは白刃を煌めかせ、ジジの前に躍り出た。―――――構える。突く!
不格好によろめくようにして躱したジジの脚が、絨毯を滑った。
ビスの引き金が、その小さな胸に向かって引かれた。ダルタンが、鋭くジジを呼ぶ。
ダルタンの前に躍り出た晴光の右手は、灼熱に燃えている。熱された鉄の塊のような拳を、目の前の吸血鬼の頬に向かって振り上げた。
舌打ちをして、ダルタンは首をひねる。ジュッ、と、頭に巻きつけた布が焼け落ちる音がした。
激しく罵倒しながら、ダルタンの巨躯が床で受け身を取る。
地面に伏せたダルタンが素早く身を起こしたその時――――紫電走る、白刃が左の胸を突いていた。
「エリカ」
「――――ねぇ、ダルタン」
吸血鬼の赤い瞳を見つめながら、エリカはほくそ笑んだ。目映く光り輝く剣は、吸血鬼の血を吸っいながら、その体を内から焼いている。ダルタンは抜かんとその刀身を握りしめ、唸るような悲鳴を上げた。
「吸血鬼は、銀が弱点なのでしょう? 」
かっ、とダルタンは目を見開いた。エリカは告げる。「私の剣はね、『銀蛇』というのよ」
ダルタンのもう片方の拳が握られた。それは自分の腹に生えた“銀蛇”の刃を打つ。
キン――――と、鋭くも短い剣の悲鳴を最後に、それは真っ二つに折れた。
「エリカ! 」
晴光がエリカの肩を引く。エリカの脚があったそこに、吸血鬼の拳が隕石のように落ちていた。
「おい、ジジ! 捕まってんじゃねぇ! 」
ジジは飛び起きて、目の前の壁―――――晴光とエリカと飛び越え、ダルタンの右肩に舞い降りた。
ダルタンの腹からは、確かに銀蛇が食らいついたままだ。ジュウジュウと、その傷口に銀の毒が広がっているのがわかる。血の気の引いた白い顔は、さらに青さを増していた。
ダルタンの逞しい腕が、肩に乗る子供と背後の窓枠を捉えた。
「……じゃあなあ、エリカ。また会いに行くよ」
肩で息をしながら、エリカは体の力を抜く。手元にまた紫電が走ると、短くなった剣はゆらめいて立ち消えた。
短い攻防は、こうしてあっさりと幕を引いた。
「……くそっ」
晴光が珍しく悪態をつく。
「くそっ……くっそう……―――――」
「……逃げられましたね」
ビスが掠れた声で呟く。
エリカはいやおうなく、嫌なことを思い出した。最後のジジの表情――――いや、あれは魔法使いが出した表情なのだろう。
なんだろう。笑顔に失敗した笑顔、というのが正しいのか。
(――――今回は嫌なこと思い出してばっかり! )
ジジがどことなく似ていたからだ。吸血鬼が、見たくもない光景を見せたからだ。
窓の外は晴天。太陽に輝く深緑に、浅葱の白雪を被った山々。空の端に、黒い雲が少しだけ浮かんでいる。
ガタン…ゴトン…ガタン…ゴトン……
魔法使いは消えた。
※※※※
「もう、こないだのお客さん、なんだったのかしら」
ライラはごちて、箒で塵取りを叩いた。
「貴賓車両がしっちゃかめっちゃか! いたずらにしたって過ぎてるっての」
不機嫌な顔も、すぐそばの通路を老夫婦が通ったことで笑顔になった。お客様は神様だ。
「――――ねぇ、聴いてんの!? 」
客がいなくなったところを見計らって、ライラは自分と同じ色の頭を箒で叩いた。
「ボーッとしてんじゃないわよリオン! アンタがサボってたら、母さんに怒られるのはアタシも一緒なんだから―――――あっ、すいませぇん、今ご覧のとおり清掃中ですぅ」
通路を通りがかった客は、そそくさと立ち去って行った。
笑顔で双子の弟の頭に箒を乗っけているのだから、寛容な神様だって逃げ出すだろう。笑ってやると、ライラは真っ赤になって、いっそう強く弟の頭を殴りつける。
このひと時が、涙が出るほど、幸せだった。
これにて砂上特急編完結です。ピッタリ七万文字で終わりという、作者的にあらゆる意味での奇跡なお話になりました。
次の更新は、頭の中にモヤッとある、エイリアンと戦う戦隊ヒーローネタを番外で挟むか、間に合わなければそのまま次章となります。
どこぞで書いた通り、今章は『サンドスクレイパー』をガンガン鳴らして執筆していました。世界観モチーフには、『銀河鉄道の夜』、999も少し入ってます。
この機会にアルファポリスさんに登録いたしました。
詐欺の文句のようですが、ワンクリックですので、よろしければ騙されたと思ってマウスの先っぽだけでいいので、バナーをクリックお願いします。先っぽだけで十分ですので。
なんなら、一番下の評価のお星様でかまいません。何卒、何卒、ご協力をよろしくお願いします!
展開もまだまだ先っぽだけの『IRREGULAR』ですが、読了180分越えの本作をここまで読んでいただいて、平伏の思いです。
長い話になりますので、よろしければこの先もお付き合いください。
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