語り部さんの最初の話
異世界トリップについて真面目に考えてみた話。
誤字脱字報告よろしくお願いします。
世界観や設定についての質問は随時受付中です。感想欄よりお申し付けください^^
それは猛暑日七月三十一日。天気予報にない、夕立の日のことだった。
俺の街の市立図書館は、そこそこの蔵書量を誇る。児童福祉に力を入れているらしいこのベットタウンには、市内に図書館が等間隔に存在している。その中でも、市役所と隣接しているこの市立中央図書館は、二階フロアと三階フロア全てが本棚の森であり、他の図書館の元締めのような感じである。。
設備の清潔感や、児童書コーナーの読み聞かせサービス、専門書の充実も、『中央』と言うからには一番だ。
俺、佐藤幸一は、自身でもやや持て余す活字中毒者である。
基本的に好むのは児童書や娯楽本、主なジャンルはミステリやファンタジーとなるだろうか。
しかしながら、本に枯渇してくると、「もう活字ならなんでもいい」という状態になるようで、国語の授業で辞書を読み込んでしまって、チャイムの鳴る頃にプリントが真っ白だったり、気付くと近くにあったビデオデッキの「取扱説明書」を二時間熟読していたり(おかげで特技にテレビ番組の録画がランクインした)、専門書の専門書のような、専門用語満載のマニアックな特濃B3サイズ424頁を読むのに一日潰したり(意味の分からない専門用語を20ほど覚えた)、俺は根本では内容には価値を感じていないのかもしれない。
縦だか横だかわからない紙の束に、インクがぎっちり染みこんでいる、そんなようなものにやけに安心する妙な性質なのである。
14の若い身空で、このような趣向は潤っているとは口が裂けても言えないに違いない。
しかし本が読みたいのである。小学生に上がった時分より、図書室の司書さんに最初に顔を覚えてもらったのは、間違いなく俺だった。
欲求を収めるために、俺の図書館通いは週一から三日に一度と、学生の理想的な……むしろ、「そろそろ来るなと思ってたのよね」と呆れ笑う、名も知らぬ司書に愛想笑いを返すくらいの頻度で通っている。
その頻度で、貸出可能上限数の十冊の消化を繰り返すのである。
この夏の梅雨は長く、七月終盤まで流れ込んでいた。ようやく雨から抜け出したと思った頃、今度は直射日光に苦しむ羽目になる。
こちとら本の虫であるために、かんかんに肌を焼いてくる陽光には適応できていない。
節電のために、涼しい図書館内に逃げ込んできた若人や親子連れ。いつになく賑わう、午後から夕方にかけての夏休み期間限定ゴールデンタイム。それが少しばかり過ぎたころを狙って、その日も俺は図書館を訪れていた。
静かな図書館に似合わない喧騒も、クーラーの直接の風も届かない、本棚の森の奥深く。四方を囲む本棚の中身は、いささか内容がマニアックかつ古すぎて、学生も、もちろん子供も訪れない。こんなところにテーブルと椅子があることすら知らない利用者だっているだろう。そんなこのスペースを、勝手に俺は定位置としている。
なにぶん本の虫、もとい活字キラー。ここを本拠地として、ぐるっと今日の獲物を漁り、戻ってきて戦利品を吟味する。手持ちの物資は五百円玉と水筒と、本を入れるだけの丈夫な手提げバック。置き引きも盗りゃしないだろう。
しかしこう、早い頻度で通っていると、自身が求めるめぼしいものもパッとは浮かばない。好みのジャンルの棚はとっくに制覇しているのである。新しい棚を開拓するのも、まぁ面倒だなぁ、と思ってしまう。
俺はぼんやりとテーブルから見慣れた光景を見やり、もちろん天井と本棚と床しか見えないのだが、ふとなんとなく、「そういえばここは読んでないな」と考えた。
前述のとおり、俺は「わかるか」「わからないか」はともかく、日本語で記述している限りはだいたい開いてみたりする。ついで、わからないくせにそのまま読みふけりもしてしまう。
一つ、腰を上げて、手近の端のものを手に取った。
背表紙は擦り切れて読めない。しっとりとした肌触りの暗褐色のカバーがついている。表紙には、黒い花の影のようなデザインが大きく一つプリントされていて、表題が無い。表紙にはあえて文字が無いようだ。そこそこずっしりとした重さがある。
古く見えるのに補整の跡はなく、なぜだかブッカー(保護に貼るビニールのカバー)も、貸出用バーコードも貼られていない。 なかなかに雰囲気のいい本だった。棚のジャンルとしては、『歴史・伝記』となっている。
めくってみた。開き癖がどのページにもある。
こんな辺鄙なところにある本でも、読む人はいるらしい。
『魔女とは』と、ある。
中世の魔女狩りだとか、そういう感じの本だろうか。
ぼくが魔女と出会ったのは、戦地より帰国後一年と二か月後、風のうわさで連絡も無しに飛び込んだ、現在では師と仰ぐ教授の研究室でのことだった。
彼女は教授の助手であり、研究対象、そして妻であった。 ラズベリーのような色の瞳をしており、色白で、その時代の女性にしては体のラインの出るいわゆるタイトなスーツのようなものを着た、恐れ知らずの都会的な女性に見えた。
彼女は淡々とした口調で教授の言葉にだけ返事を返し、ぼく含めその場にいた弟子たちの、誰よりも的確な返答を教授に打ち返す。有能で色気の出さない女性。ぼくには確かにそう見えた。
(しばらく彼女を取り巻く男性についての記述がある)
※中略※
彼女曰く。
世界は、いくつもの数があるのだそうだ。
彼女らは、いくつもの世界を渡り歩き、その旅先で知恵を授ける。または争いに分け入っていく。または、現地の男と夫婦となり子を作る。または文明を滅ぼす。または種を植え、育て、知を与え、世界を作る万物の神になる。
彼女らの存在意義についてはここで言及することではない。しかし、彼女らが求め従うのは、一つの好奇心という欲求である。
彼女らは全てを知りたいのだ。ぼくの目の前で、かつての彼女の輪郭はぐにゃぐにゃと捻じ曲がり、霧の様につかめる者ではないというのに、鋼より固く、そしてどこへでも現れ消える。『知る』ことに際限の無い欲望を、彼女らは隠し持っていた。
彼女は、自身を『魔女』と名乗った。
しかしぼくが思うに、彼女は巫子であり、シャーマンであり、仙人であり、精霊のようなものであり、神でもあったのだろうし、優れた軍師で、戦士で、人をたぶらかす悪魔で、母であり、そしてやはり、邪法の魔女でもあるのだと思う。
彼女は教授という優れた男をつがいとして手に入れ、そして、ぼくに抗いがたい、知恵という欲望の種を、植えつけたのである。
流し読んでみたが、おかしな内容だった。小説だろうか。
でもなんとなく、こうした変わった本とはもう二度と巡り合えない気がしたので、それをテーブルに持ち帰りまた開く。
終盤のとある一文が目に入った。
だからぼくは、魔法使いが欲しくなった。
(魔法使い? )
ファンタジーにありがちの、その単語が何故か引っかかった。
「………ねぇ」
かけられた声に、驚いて俺は顔を上げる。橙の少し落とされた照明の下で、風もないのに綺麗な黒髪がなびいた。
本棚の森に、ラズベリーの様な瞳の色の、一人の魔女が立っていた。
※※※※
僕の名前は佐藤幸一。
後々、この物語の『語り部その一』となる男である。
ではまた後ほど、すぐにでもお会いしましょう。