理想の城にて
8.
母を置いて特急に乗り込んだのは、ボクらが十歳の頃。
特急に襲撃があったのは、ボクらが十四の誕生日も間近の頃だ。
父母を両親と持ち、ボクらが双子として生まれて育ったこと。それだけのことが、あの頃のボクの幸福の基盤だった。
特にこれという友人もおらず、父という大きなものの下にあったボクら一家は、最初から最後まで家族とだけ深く繋がるしかなかったし、同じ立場の人間というものはおおよそいなかったからだ。
若いボクには、いつからどこから悪かったのか。誰が悪くしてしまったのか。誰を恨んでいればいいのか。それが分からなかったのだから、今となっては、時代が悪かったなどと言い訳をするつもりはない。
欲を言うなら――――もっと、この世が平和で、それこそボクに世界全部をひっくり返せるほどの力があったなら。みんな幸せだったなら。
誰もが割を食わず……いや、少しの理不尽と大きな幸せがあって、子供が死なず、ベットで老いて死ねる安穏があればよかったのに。
―――――きっと誰もかれもが、そんな未来を夢見ては間違えた。そんな時代だったのだ。
「ああ、いやだいやだ。この特急で流血沙汰なんて。本当に嫌。ねぇアンタ達、間違っても誰も絶対に死んだりはしないでよ。ボクの前でおっ死ぬくらいなら、アンタ達まとめて特急から下車してからにしてよぅ」
「ふ――――ふざけんな! 」
晴光は頭上をかすめる凶刃を転がって避けながら、背後に怒鳴った。
「セキュリティ仕事しろよ! ――――うわっ」
横になったまま、背筋を使って横に跳ぶ。
ゴロンゴロン地べたを転がるこちらは必死だと言うのに、小鳥は翼を広げて『お手上げ』のポーズで小首をかしげている。
パン パン
ポップコーンが弾けるような音を立てて、ビスが援護射撃を撃った。
音が軽ければ、その手にある凶器の材質も実に軽い。四角くて白い、プラスチックのおもちゃの銃にしてもシンプルすぎる得物。しかし弾丸の威力だけは本物だ。
管理車両はくつろぐぶんには殺風景すぎるが、戦闘となると狭々しい。
車掌とライラは、パネルのある前方の壁にびっちり取りつくようにして避難し、ビスが彼らの壁になるようにして晴光を後ろから援護している。
パパパパパパパパパ!
晴光が飛びのいたのを見計らい、あちらの銃口がこちらへ向く前に弾幕を張った。
狭い車内でしぶとく追いすがる襲撃者に、晴光がついに吠えた。
「なんで車掌さんが増えてんだ――――っ! 」
子供の体躯、帽子の陰から少し出た砂色の頭髪、金のボタンに黒い車掌服。
まさしくまったく同じ車掌が“三人”、それぞれがそれぞれの武器を手に、どこからともなく現れた。
この異常な事態に、セキュリティシステムはけろりと言うのだ。
「知らないよ。バグじゃないの」
「バグなら何とかしろよ! 」
「んまぁっ! それが人にモノを頼む態度! 」
「むしろ手を打たないと責任問題では? 」
「うぐっ……」
ビスの鋭い指摘に、さしものライラも黙る。
「さっすが隊長! もっと言ってやれ! ――――おっとぉ」
「君はもっとそっちに集中してください」
「わっかりましたぁ――――」
晴光はナイフ持ちの車掌に一気に距離を詰め、横薙ぎに蹴り飛ばした。すかさず左後ろから剣持ちの車掌が飛びかかってくるが、振り向きざまに伸ばした腕で吹き飛ばす。
大きく飛ばされた剣持ちは銃持ちに真正面からぶつかり、避ける間もなく天井に穴だけ開けて倒れ込んだ。
「よっしゃ! コンボコンプリート! 」
「お疲れ様でした」
制服のマントの下に得物を戻しながら、ビスは中腰からようやく立ち上がる。晴光はその場に胡坐をかいてほっと息をつく。
「あっ……やだ、うわぁぁぁあああ」
突然、ライラが頭を抱えて悲鳴を上げた。
「なっ、なんだぁ!? 」
「きゃーっ! いやーっ! 最悪最悪! このリオンの偽物、システムバグじゃないわ! ウイルスよ! やだーっこの偽物、倒したから特急システムのホストにダウンロードされちゃった! 」
「なっ――――」
ビスは積み上がっているはずの車掌たちを見た。いない――――消えている。
「たっ、倒しちゃ駄目だったのか!? 」
「だ、駄目じゃないわ、駄目じゃなかったけど……ああでも、ボクが少し遅かった。くっそう、脳みその小さい鳥ばーじょんのライラじゃなければもっと動作が早かったのに……」
小鳥は床に頭を擦り付けながら転がった。全身全霊で悔やんでいる。
「ああああのね……赤いのも分かるように説明すると、あの偽物ウイルスは、大豆の中のひよこ豆なのよ。大豆の中にごちゃーっと混ざって、いっしょに水吸って、いざ煮て料理しよう! って時に一緒に料理されちゃうの。それで何食わぬ顔で、全体の味を落とす、みたいな」
「本物のふりして潜りこむってことっすか? 」
「そう。リオンは――――」ライラは座っている車掌の膝あたりを撫でた。「ダメージを受けると、強制的にシステムに返還されるから、そこを利用したのね。ああ……」
ライラはまた頭を抱えている。
「は? システムにヘンカン? 」
晴光が首をかしげた。
「……車掌さんも、ロボットなんですよ」
ビスがため息交じりに注釈した。
※※※
隼は立ち往生していた。
特急のシステムエラーのことは、すでに外にも自動的に警告が行っているはずだ。次の駅には、おそらく警官隊のようなものが、一団を成して待ち構えているだろう。
少年のことは気になるが、それはもういい。
この特急を、次の街につく前に降りなければならない。そこで隼は、この特急の責任者――――車掌を探して、前方管理車両へ向かっていた。
そして隼は――――一等車両の最前部、貴賓車両の入り口で、立ち往生していた。
「おいお前! わしが誰だかわかっているのか! Ⅴ国の大臣アストロであるぞ! ええい貴様、わしのような要人まで巻き込み……このようなことをやってタダで済むと思うな! これはテロ行為だ! 」
わかってるよ、俺はテロリストだからな――――。げんなりと、隼は何度言おうと思ったか知れない言葉を飲み込む。
別にどこの大臣であろうと、今の隼には必要ない。とりあえず、ここを通り抜けたいだけなのだ。
しかしこの大臣は妙な正義感で、「ここは通すわけにはいかん! 」と、入り口にぶっとい足を突っ張って肉壁になっている。
(なんでこいつ、こんなところにいるんだろう)
「みっ、見るからに怪しげな風体をしおって……お前、外の者だな。わ、わが国に物申したいのであれば、正々堂々と、平和的に文書ででも申せばよいのだ。このような武力行使をもってしても、我が国もお前の祖国もそしてこの私も! 屈したりはせんぞ! まっ、まずは、礼儀をこの私が教えてやる。そのように顔を隠している布を取れえぃ」
半分も声をひっくり返しているくせに、よくやるもんだと隼は溜息をつく。それにも大臣とやらは「ひょっ!? 」と息をのんで、汗をだらだら流している。
―――――実に邪魔でしかない。
目を細め、肉付きの良い腹を眺める。
布の下で、隼は火器の柄を握った。
貴賓車両の前だけは、ぽっかりとオレンジ色の非常灯がついていた。二等車両までとは比べものにならない装飾や絨毯の質も、忌々しい邪魔者の顔も、きちんとこの目で見える。
ここで得物を突きだせば、またこの男はキーキーと女々しく喚くのだろうなと思う。それともこの無駄に高いプライドをポッキリ折って、膝をつけて命乞いしてくれるのだろうか。
どちらにしろ、命の危機に黙るような輩ではないだろう。
隼は銃口をアストロの顎に突き付けた。
※※※
五十年と少し前、いよいよ唯一の人類たる連合国家群は、侵食していく砂の海に、抗いきれなくなっていました。
どこも平衡した貧困と、慢性的な水不足、仏教においては死において身分の差は無いといいますが、ここにきて最悪の形での平等の時代が到来したのです……なんて、皮肉なことを言う政治家もいるくらいでした。
科学の発展しつくしたこの世界では、国家民族同士が手を取り合うことではなく、全く別の方法で問題の打開策を打ち出したのです。
いわく。
人物の記憶、自己というものをデータとして変換し、維持の難しい肉体は捨て、半永久的な自己の確立を実現する。
この政策のメリットを上げましょう。
一に、肉体の維持に必要な動作が、ほとんど必要なくなります。エネルギー供給は食物摂取ではなく、特殊な水や、電気や、油、アルコール類などの――――まぁそういった燃料のみで事足るようになります。
排せつもありません。睡眠のみ、少し前よりも多く必要になるとか。食事の“味”の楽しみは、電気をビリビリ流して疑似的に再現できるのだそうです。
二に、肉体的なハンディの差が無くなります。老いも若いも、病気も怪我も、男女の差も関係なくなります。
三に、データでありますので、狭い居住可能地域に溢れた残り三億人の人類が、肉体を損なわず、外でも生きられるようになります。
四に、半永久的な自己の存在――――つまりは、暫定的に見ての不老不死の実現であるということ。
個人はすべて国家が絶対的に安全を保障して保管するので、電波が届く限り、どんな未開の地でも光の届かなかった深海の奥深くでも、危険はなくその眼で見に行くことが出来るのだとか。
しいてはその計画においての、一番重要な、全人類のデータを保持するホストコンピューターを、エイダ・カンパニュラに開発してほしい……。
そんな突拍子もない計画を、大人たちはボクらの父さんに相談しに来ていたのでした。
見るからにエラそうな大人たちが、揃いもそろって真面目な顔をしてそんなSFみたいな話をしているのです。ボクらは父さんの後ろでこそこそしながら、思わず笑ってしまいました。
気難しい性質の父さんは、しかめっ面が地顔です。けれどこの時の父さんは、本当に始終しかめっ面をしていたように見えました。話が終わったというのに、うんともすんとも言いません。
大人たちは、笑ったボクらを悪魔でも見たように睨み付けたというのに、父が腕を組んだまま三十分も黙ったままでいると、今度はボクらを、救いの天使かとでもいうように見てくるのです。
幼いボクらは、睨まれたときにずいぶん怖い思いをしたので、ここは子供の無邪気さで和ませようと、鼻を鳴らして肩をすくめました。『お手上げ』のポーズです。ボクらはそっくりおんなじ顔で二人いるので、微笑ましさもひと際だっただろうと思ったのですが、大人はまた、悪魔を見るような目で歯を食いしばっていました。
父が考えているときは邪魔をしてはいけないのです。口の前に指を立てて、ボクらは失礼な大人たちに親切に教えてやりました。
隣で飲み物のお代わりを持ってきたジョバンニも、アームを伸ばしてきて指を立てます。ジョバンニとは、父さんが特急につけた優秀なロボットです。主に乗客のお世話を担当し、話すことはできませんがボクらの大切な兄弟分で、お客様への真心の接待はもちろんのこと、一晩で大抵の仕事を終わらせられる器用で有能なやつなのです。
ボクらの勤労も功を奏し、彼らは貧乏ゆすりをしながらも口を閉じました。
エイダ・カンパニュラは、偉大な科学者です。世界一の素晴らしい科学者でした。
そんな父は、それからまた三十分考えた後に、ようやく顔を上げ、
「……どう角が立たずに断ろうかと文句を考えていたのだが」と切り出しました。
つまりはボクらの要素通りに、答えはNOだったのです。
しぶる大人たちをジョバンニが駅に叩きだした後、父はずいぶんと疲れた様子ですぐにベットに入ってしまいました。
執念深いほど頭も体もフル活動しているような父なのです。とても驚き、困惑するボクらを、母はまた困った顔をしてベットに誘いました。
恐怖ですらありました。父は憔悴しています。もともと、あまり若い父親ではないことはボクらだってわかっていました。祖父と言ったっていい年でした。あの大人たちは、父に毒でも仕込んだのかとすら思いました。
翌朝、置きだしてきた父は、ゲッソリとしながらもいつもの倍を腹に入れ、パネルの前で、長いこと呆と砂嵐の様子を眺めていました。
「……生きることをやめたくなるほど、人々は疲れているのか」
ぽつりと、大きなため息の後につぶやいた独り言を、ボクは良く覚えています。
父はそれから、仕事の暇を縫っては抗議文を書くようになりました。一年でそれは100になり、三年で五百になり、ファイルは山と管理車両のロッカーに並ぶようになりました。
あっという間に計画は進んでいき、新聞はやがて、その計画ばかりを大見出しで載せるようになっていきます。
『素晴らしい――――』『画期的な――――』『新人類の時代の到来――――』『究極の進化への第一歩――――』
黙り込むことが多くなった父は、あくる日ついに、特急を降りました。特急が走り出して二十年、初めてのことでした。
帰ってきた父は、しかめっ面を通り越して無表情でしたが、それはずいぶんと悲しげに見えました。
なぜか、母をおいてボクら一家は三人だけで特急に乗り込むことになり、父は机に向かうことが多くなりました。
三人が揃う夕食の席では、ふさぎがちだったボクの分まで相方がよく喋って笑いかけましたが、父は母が居る時よりも大目にお酒を飲んで、すぐに寝てしまうようになりました。
それからまた幾年かが過ぎ、ボクらが十四の誕生日を迎えたころ。
――――ついに、最初の“データ化”の被験者が公式に発表されたのです。
※※※
アストロの顔が波打つ。
絶叫を上げんと、大きく口を開ける。
隼は、悲鳴が喉から出る前に終わらせようと、引き金に指をかけたのだった。
ドン
隼はその時、何が起こったのかわからなかった。
目を瞬いて、手の中の黒い凶器は確かに煙を立たせているし、火薬のにおいも鼻につくなどと、いちいち確認する。
とっさにアストロも悲鳴を飲み込んでしまったようだった。
胸元にある温もり。
ぎゅっと、小さい手が脇腹に回ってしがみついてくる。
「……やめてよぅ……隼、怖いことはしないで」
「――――リザ」
見上げてくる少女のうるんだ瞳を、隼は信じられない気持ちで見返した。
「お前……なんで」
リザはわんわんと泣きだした。隼のマントに鼻っ面を押し付けながら、涙と鼻水とよだれを擦り付けべそをかく。
「なんで……」
よろりと、一歩隼は後ろに下がった。上げていた腕も、力なく降りてしまう。
あの時、少女の体躯が無情にも弾き飛ばされるところを隼は見ていた。貨物車両の冷たい床に、くたりと投げ出される四肢を見届けた。
隼は、細い肩に手を添える。
右手に持ったままだった鉛の硬さに、リザはびくりと身を固くしながら、よけいに隼にすがりつく。
(……暖かい。こいつは生きている)
隼は強く奥歯を噛んだ。
(こんな……こんな子供まで――――)
「お前たちは――――こんな子供まで――――」
思ったことが、そのまま口をついた。
見据えられたアストロは、樽の様な体をゆすってたじろぐ。
銃はしまう。腰のナイフを、代わりに取り出した。金属音にリザが泣き声の息をつめた。
一歩。前に足を出す。
リザはしがみつく腕を強くした。
二歩。
リザがか細く、何かを言った。
三歩――――
「お願いやめて! 」
リザが腕を広げて制止する。
「やめろ娘! 早く逃げるんだ! この男はいかれてる! 」
アストロは泡を食って、隼の背後の闇を指さした。
隼だけが冷静に、凶器の威力を計算する。
(――――一発でいける)彼の頭の中で、正解が冷たく述べられた。
脳裏にちらちら、リザの泣き顔と明るい声が点滅して見えた。隼は、かがんでリザと視線を合わせる。
「逃げろ――――」
「……ごめんな。俺は、お前の一人のためじゃ止められない」
隼は、その時の彼女の顔を、もう絶対に忘れられない。
「よく見やがれ! これがお前たちの罪の結果だ―――――――ッ! 」
涙で裏返った声で叫びながら、隼はナイフを振り下ろした。
「ギャ――――ッ! 」
根元まで刺した刃はすぐに抜いた。
傷口があっという間に、どろりとしたものに覆われる。これが、こいつの中に流れていたものか。隼は、どうしようもなく哀しかった。
(――――こんなもの、空っぽなのと同じじゃないか)
彼女はまた、悲鳴すら上げる間もなくくたりと横たわった。
「あわわわわわわ……な、なんてことを――――」
「なんてことをだと――――! 」
隼は横たわる躯を指さした。
「見ろ! こいつはたった今、三回死んだんだぞ……! 」
額にぱっくりと空いた傷口からは、どろりとした黄色の液体が流れ、絨毯にみるみる染みこんでいく。
顔は安らかなものというよりも、その最期の一瞬で、時を止めてしまったようだった。
頭を刺したというのに、斬った感触はぐんにゃりとしていて、刃はたやすく一番奥まで届いた。とろりとした体液が、照明にきらきら輝いて彼女の形というものをぐずぐずに広げていく。
「三回目は俺が殺した! 二回目はさっきだ! 一回目は―――――おまえらが、この子を弄繰り回した、その時に殺したんだ!」
「あ、ああ……なんてことを……お前たちは何もわかっていない! この五十年、それしか考えてこなかったというのか。愚か者め……政策は素晴らしいものだった。結果がそれを証明している。実に革命的であった……! この子の様な……最下層の子供が、何人救われたと思う! 」
「――――救う? これを救ったとお前らは言うのか! 」
リザの形は、もうすっかり溶けて、床にだらしなく伸びている。
「どうせ“これ”はまた生き返る! そういうふうにお前らは作ったんだからな! 」
「しかし! だからといって、我々を無意味に殺めて良いわけがない! なんて人非道的――――――旧時代人め、狂っている! 」
アストロは吐き捨てた。
「ついに狂った旧時代人だと……? あんな、恐ろしいことを実行したお前らよりも――――俺たちが狂ってるってその口で言えるのか? お前らなんかが新時代の人間だと、進化の末だと言うのなら、いっそ滅んだほうがいい! 」
隼は、頭に巻いていた布をかなぐり捨てた。べちゃりと布は、黄色いどろどろに埋まる。
致死分のダメージを受けた“リザ”は、今まさにデータに還元され、この特急のどこかで再構築されようとしているのだ。事実を視界で反芻し、痛いほど胸が鼓動を打った。
「脳みそをデータにする? 体を捨てて進化する? ――――馬鹿を言うな。死ぬことが無ければ生きることも無い」
隼は握りしめたナイフを、アストロの鼻先に突き付けた。
「――――俺がこいつが生き返るたびに、こいつを殺してやる! 俺がこの国を終わらせる! 」