リオンの栄光
4.
腹がぐっしょりと濡れている。
リオン・カンパニュラは、その短いひとときだった生涯に、幕を下ろさんとしていた。
リオンの父は砂漠特急の管理者だ。
父の――――砂漠特急の在り方は、もはや連合政府の意向には沿わないものとなったらしい。
昔はそんなことはまったくわからなかった。まさか、父の敵が、この国だなんて……。
砂漠特急に乗り込んだのが、もうずいぶんと前のことのようだ。
五年。けれど、たった五年。
子供が大人になるには十分すぎる時で、世界が変わるには短すぎる時でしかない。それが理解できるようになったリオンは、もう十分に大人だった。
あれはきっと、政府の殺し屋というやつか。
布を幾重にも巻いて、顔を分からないようにしていた。
特急はテロリストの襲撃を懸念し、武装装備をしている。それがまさか、自分を作った国に向けなければならないなんて、なんて皮肉だろう。
(……姉さんは逃げただろうか)
暗闇の中を、動く右手で探る。
パネルの位置は、目を瞑っていたって分かるのだ。
だって自分は、エイダ博士の息子。リオン・カンパニュラなのだから。
この世界の英知の結晶。
ぼくの兄弟。
(……進め、リオン)
ホイッスルを口にくわえ、自分の最期の息吹をそこに吹き込んだ。
“ピ―――――――――――――――――――”
「くそっ」
パネルを触ったとたん、けたたましく鳴りはじめたスピーカーに、隼は耳をふさいだ。
ほどなくして管理パネルが真っ黒に染まったのには、さしもの隼もギョッとする。
「お、おい! ……くそっ、全部落ちやがった。防御システムか……」
まったく、自分は何をしているのか。暗闇の中で、役立たずのまぶたを揉んだ。
「……おい、もういいだろう。俺の仕事はできなくなった。とっととあいつのところにでも帰れ」
背後からの返事は無い。暗闇に反応して、非常灯の赤い明りで、ぼんやりと周囲が見えるようになった。
隼は振り返り、それと目を合わせた。
「もういいだろう。お前の役目も終わりだ」
子供は金色の目をしていた。華奢な体に、簡素なシャツとズボンを纏っている。伸びっぱなしの癖のある黒髪を撫でまわしてやると、がくがく右に左に首が折れそうに動く。その間、子供はまったくの無表情だった。
ただ、視線だけは隼から外さない。ダルタンに命じられたことをやっているのだ。
(……なんだれは。まさかロボットか? )
すっかり面影はないとはいえ、この世界のロボット技術は極められているといっていい。どれほどかと云えば、『ほとんど人間』のレベルである。
目の前のこれの手は暖かいし、先ほど与えた飴玉も、何の躊躇もなく口に入れて転がしていたが、生物を模した機械が冷たいことの方が珍しい。ものを口に入れる動作だけならば、彼らは容易にやってのける。
けれどこの子供がロボットだとは、隼には思えなかった。
人工物にしては、汚すぎるのだ。
造形物として、この子供は垢塗れている。これは確かに食事をするのだろうし、排せつだってされるのだろう。暑けりゃ汗もかくし、フケだって出る。もう少し大きくなれば乳歯だって抜ける。
健康的な普通の子供だ。
隼の眼にはそう映った。彼が見てきた子供たちを思い出す。少なくとも、この子供は飢えてはいない。
驚いたことに、あのダルタンがほどほどに食事を与えて世話をしているようだ。
問題があるとすれば、この見てくれと情緒の面か。
リザの吸血鬼の話を思い出す。
ロボットとは、人間の代換品である。情緒の育っていない素直なだけの子供。気に入った“エモノ”をあの棺桶に入れるのだとすれば―――――。
「……まさかお前」
いや無いだろう。
「……こんな見た目でも、これは男だしなぁ……」
だとすれば、ダルタンという男はよりいっそう変態である。
嫌な想像をしてしまい、より名残惜しいが、もう一度隼は彼に言い聞かせた。
「……いいか、お前はもう好きなところに行け。俺は仕事失敗だ。帰らなきゃなんねぇ。おまえは連れていけねぇしな」
「………」
数秒、子供は隼をじっと見返した。
「……わかった」
「お前、喋れたのか」
「ばいばい」
子供は隼に手を振り、背を向けると、さっさと管理車両の扉を蹴り開けて出て行った。もう用は無いと言わんばかりだ。
ひしゃげた管理車両の鋼鉄の扉を前に、隼は手を振りかえすために上げた腕を下ろす。
「……なんだありゃ」
5.
ビスは右手をまっすぐ振り下ろした。
「ふぎゃ」
なんとも間抜けな悲鳴。
「な、なんだぁ」
晴光は頭を抱えて飛び起きた。勢い余って、天井にも強かに脳天をぶつけ、悶絶していた。これまで、たった五秒ほどの出来事である。
「た、隊長……なんすかぁ……」
「すいません。声をかけても、ゆすってみても起きなかったもので」
『よくもまぁ、この短時間でそこまで熟睡できるよねぇ』
「……兄さん」
ビスは懐を叩いて黙らせた。
「あ、あれ? なんで隊長、明かり付けないんすか」
『明かりを付けないんじゃなくて、つかないんだよ』
「……そういうことです」
ビスは暗闇をねめつけた。その両眼は、確かに薄らと光っている。右の金色の方の瞳がより目映く、蛍のように見えた。
晴光が呆けたことを言う。
「隊長、猫みたいっすね」
「……何事かあったようなので、こちらも動くことにします」
「えっ、まじっすか。エリカは」
「特に連絡はありません」
ようやく晴光の声色が、真剣みを増した。
「通信機が使えない状況とみるか、彼女のほうでは、さして連絡する状況にはなっていないという可能性も。どちらにしろ、悪い場合を考えて動きましょう」
晴光はこくりと頷く。
「まずは明かりを探しましょう」
「了解っす」
元気に立ち上がった晴光だったが、次の瞬間にけつまずき、しばしの沈黙が下りた。
※※※※
車内は規則的に、右に左に揺れるようになっていた。
廊下には毛足の長い絨毯が、隙間なく敷き詰められている。
豪華な絨毯は、砂の上を音もなく滑り行く旅中なら、どんなに良かったのろうかと思うのだが、暗闇と揺れる車内に、足の沈むほどのふかふかの絨毯では、なんとも組み合わせの悪い様子だった。
非常用の電気灯を手に、晴光は腰に制服の袖を巻きつけて、よたよた進む小さい上司の肩を支えながら、後部の管理車両を目指す。
二両続く一等車両を一つ抜けた時、対向の扉がスライドして、電気灯が丸く周囲を照らした。
「お客様」
あの車掌だった。
「ようございました。お怪我はありませんか」
「三回ほど頭をぶつけました! 」
「それは胸を張って言う事では……」
「それは良かったです」
車掌もずれたことを言う。
「どうやら、振動吸収装置と照明等、環境設備システムの元締めが切られたようです。当列車は現在、音速を超える速度で走行しております。もとより車内は振動にも耐える設備で統一しておりますが、何分この特急は老朽化も進んでおりますので、お気を付けください」
車掌は早口でマニュアルをまくしたてる。
職務に忠実なのか、かまう暇がないのか、あらわになっているビスの外見も、特にこれといった感想も無いようである。
晴光は上空から、車掌の黒い帽子と、ビスの白い頭とを見下ろした。
車掌の帽子のてっぺんの黄色いもさもがが、“もさりと動く”。
「―――――通常通りの運航には、まだしばしかかることが予想されます。不都合がありましたらば、その場を動かず、アナウンスによる指示をお待ちください」
黄色の動くもさもさ――――――。
晴光は口を開けて、蠢く毛玉の一挙一動を見守った。
黒い、ぶどうのようなつぶらな瞳が成功を見上げて、首をかしげる。小さな、小指の爪ほどもない、橙色のくちばしが物欲しげに開いた。
「なアァに見てんのよォ」
――――――それは鳥のさえずりにしては、やけに恨みがましい、重低音の声だった。
「――――――お客様は、お体の具合がかんばしくないとお伺いしております。確かに、お顔色が優れなく見えます。何か、ご入用なものがありましたら―――――」
「ブゴハッ! 」
晴光はついに唾を飛ばして噴出する。
『ぎゃっ汚ねっ』
「ヤダッ! ふざけんじゃないわよ! 」
降り注ぐ唾液に、黄色い小鳥と懐の本は、一斉に声高と抗議した。車掌は直立したまま、ぴたりと口を閉じる。
「ボクのこの羽毛は一点ものの一級品なんだよ! 礼儀ってものを知らないのかい! こんなバカを生まれて初めて見たわよ! んもう、どうしてやろうかしら」
『あのねぇ、俺だってこんな無機物に身をやつしてるけど、中身はちゃんと血の通った人間なんだからね。晴光くん、そこを忘れてマナーを怠っちゃいけないだろ。そもそもさぁ、なんで管理局員ってのはみんな本の扱いが雑なんだい。うちの弟だって今回はなぜか特にらんぼぅえっ――――ぎゃっ―――――やっ――――痛い!』
「きゃーっやだ何アンタ上着の中に小人でも入れてるっての! 変なガキンチョだとは思ってたけど! 」
『痛いよぉ! 俺はお前の兄貴だろっ! 人生の先輩をこんな手荒に扱って良いと思って―――――ぐあっ』
晴光は口を押えて目を白黒させているし、ビスは上着の上から、自分の腹あたりを拳でボコスカ殴っているし、車掌は凍ったように直立不動、その頭の上の鳥は翼を上下させて、甲高い声で喚いている。実に奇妙な光景だった。
最初に手を下ろしたのは、兄の口をしっかりと黙らせた弟だった。
「みなさん、少し――――その、頭を働かせましょう……」
「まずアンタがなんだってのよガキンチョチビ! 」
鳥がもっともなことを言った。
「ボクはライラ。この特急の誇り高き人工知能を有した、セキュリティシステムAIさ」
右の翼を広げ、もこもこの黄色い胸を張って、ライラは帽子の上をステージに礼をした。実に芸達者な可愛らしい仕草だが、そのクチバシから出る声はやけに……低い。
「オネェの鳥……」
『…シッ! 』
つぶやいた晴光に、無機物からの短い叱咤が飛ぶ。
はっ、とライラは、翼を揺らし、胸をそって抗議した。
「こ、この声はバグのせいよ! どこぞの誰かさんが、制御パネルにやらしー触り方するから……もうっ、思い出しただけで腹が立つ! 本当はナイチンゲールもかくやな艶声なんだからね! 」
ライラは翼で頭を抱えて、地団駄を踏む。
彼女が小枝の様な足で、踏みしめるたびに帽子がつぶれるので、車掌は新しい止まり木を提供することにしたようだった。
「あらありがと。お利口ね、リオン」
差し出された白手袋の手に舞台を移した小鳥は、気を改めたように胸をそらしてふんぞり返る。
「さてと、この特急でボクの眼だけはごまかせないよ。君たちの話は、トイレの中まで一から十まで存じてるし、お連れさんのことが知りたくてたまらないっていうことも分かってるんだ。愛しの君は、貨物車のメガネの女の子だろう? 」
二人はそろって、目を瞬かせた。
「……それは、黒髪でお下げの少女ですか? 」
「ええ、そうよ。もっさい格好した女の子」
ライラはより胸を張った。
「な、なぁ、その子のこと、もう少しわからないか? 今どうなってるんだ」
「やだ、切羽詰ってるのね。赤くて大きいの、もしかしてあんたの想い人だったりするの? まぁそれなら、ちょっとばかり残念なお知らせだね」
上司と部下は視線を交し合う。
「彼女はこの、忌々しい状況の主犯者と行動を共にしているわ」
ライラは尖った口を、さらに尖らせた。
「キャーッやだやだ、やめてよやめてよ! ボクを食べたってなんにもなんないよ! 猫はまずいんだってばぁ」
子猫はじたばた暴れるが、猫であるからには、首根っこを掴まれてはどうにも出来ないらしい。ダルタンは目の前にぶら下げた喋る子猫を、興味深そうに回し見て、にたにた笑っていた。
子猫は足の先が白く靴下を履いていて、三角の耳の頂上にも白雪を散らせている黒猫だった。瞳は綺麗な碧色、鼻は健康そうに桃色で、なかなかに美人猫だ。
しばらくすると暴れることを諦めたのか、子猫はダルタンにぶら下げられながらもぐったりとしている。
わめく口も閉じ、肉の詰まった毛皮袋に成り下がった子猫には興味がないらしく、ダルタンは鼻を鳴らしてエリカの方に放り投げた。
慌てて子猫を胸に収めたエリカは、ほっと息をついてその頭を撫ぜる。
「ふん、面白味の無ぇところだな、ここは」
無人の二等車両はただただ静かで、規則的に揺れるだけの箱も、ダルタンの好奇心はちょっとも刺激しない。猫を撫でるこの少女だけが、ダルタンの収穫だ。
その少女が疲れたように座席に寄りかかって、猫に視線を向け、うつむいているのを見て、ダルタンは気まぐれに言った。
「おい、お前ここで待ってろ。水でも持ってきてやる」
その言葉に、沈黙を保っていた彼女は少しばかり反応を見せて、上目づかいにダルタンを見返した。
「……ねぇあんた、連れが探してたわよ」
ダルタンが車内から姿を消すと、子猫は小声でエリカに囁いた。
「……ちょっと待って 」
エリカも小さく返し、座席に座ると、子猫を抱きしめるようにして耳を寄せる。
「いいわ……なんですって? 」
「ボクはライラ。この特急のセキュリティAIロボだ。ボクの第三機が、キミのお友達と接触したんだ。キミの今の状況は伝えてある」
「そう……」
エリカはしばし、じっと頭を巡らせた。
「……隊長は無事? 」
「あっちは元気なもんだよ。ビスくんによると、キミはなるべく波風をたたせずに待機、身の安全を最優先すること、だってさ」
「そう……好きにしていいってことね」
「どうしてそうなるのさ……」
ライラは呆れたように欠伸をする。
「もう、今夜は不確定にも過ぎるな。この特急はどうなるんだか。君たちの国には筋書きとやらがあるんだろう? ボクはしょせん機械だ。教えてよ、どうなるのよこの先」
「さぁね……ここは私たちにも不確定で未知数よ。これからどうなるんだか……多くはあのダルタンって男次第ってとこね」
子猫はまた、耳まで裂けそうな欠伸をした。
「やだな、なるべく仕事を増やさないでおくれよ。……それにしても、ああ、キミの撫で方は眠気を誘うわ……」
「いいわよ、抱いててあげるから。ニルとは今は話せないし、連れはいてほしいもの」
エリカもまた、座席に深く座って目を閉じた。
今回の作業用BGMは、ミク詐欺Pの『サンドスクレイパー』です。