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IRREGULAR  作者: 陸一じゅん
観劇:砂上運行特急~魔法使いと魔女と恋する吸血鬼~
13/77

赤い本

 3.

 一等車両


「夜分遅くに申し訳ありません。切符をご確認」

 その声の人物を探して、頭に寝癖を付けたまま、彼はきょろきょろと通路へ首を出した。

「切符をご確認」

 もう一度。それがすぐ下から聞こえたので、晴光は大きく飛びのいて、低い天井に強かに頭をぶつける。

 その小さな人物は、晴光のみぞおちほどの背しかない。

「あのー……どちらさんですか」

 人より二回りは大きい背を縮め、晴光はまだ寝ぼけた声で言った。

「ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。わたくし、当列車の車掌を務めさせていただいております」

「はぁ……」

 晴光は欠伸を噛み殺しながら、ポケットから切符を二枚出して見せた。

 ちょこまかと動く小さな手が白い手袋をはめて、切符を慣れた様子で切っていった。

 車掌は鼻の中ほどまで深く帽子を下げ、見下ろす晴光からは、帽子のってぺんの黄色のふわふわしか見えない。

「ご確認いたしました。して、お連れの方は」

「いやぁあの人は……もう寝てますよねぇ。年ですし、こんな時間ですから」

「申し訳ありません。起こしていただくことは可能でございましょうか。切符のご確認の折には、必ず乗客皆さんを、一緒に確認させていただくことになっておりますので」

「それじゃあ仕方ないっすね。わかりました」

 入り口をふさいでいた大柄な体躯が、しばし内側へ引っ込む。

 いくばくもせずに、青年が支えになるように、子供ほどの体躯をした“人間らしきもの”が現れた。

 骨ばった華奢な体躯に、布を頭から巻きつけたようなものに身を包んでいる。頭の先から、見事な白髪が露出していた。本人の目元さえ推し量れないほど、厚い生地が幕を張っている。

「夜分遅く、睡眠を妨げまして申し訳ありません」車掌は同じ文句を、もう一度繰り返した。

「いいえ、夜に時間をずらしていただくのは、こちらがお願いしたことですから。あまり昼に戸を開けて人目に付きたくないもので。こちらこそ、お手間を取らせましたね」

 掠れた低い声で、小さな“老人”は言った。

 車掌は紳士的に一礼すると、足音も無く去って行った。

「ひぇ~……何すかあれ。ひゃー……」

「何か」

「いや、ただ、変な人だなって」

「……こちらも、相当な“変な人”でしたでしょう」

 ビスは奥に引っ込むと、早々にテーブルの上に、顔の布を投げだした。布はスチール製のテーブルにあたって、がちゃんと硬い音を立てる。

「わわっ、変声機が壊れちゃいますよ隊長」

「……ああ、すいません」

 あまり悪びれた様子もなく、ビスは椅子に腰かけた。鉄仮面にわずかに疲労が出ているように見え、晴光がおもんばかる。

「……あの、大丈夫っすか」

『ははっ! ビスはね、本当のところ、ここでの仕事は嫌だったのさ』

「兄さん……」

 ビスは布を着た懐あたりを軽く叩く。

『いてっ』

「え、そうだったんすか」

 晴光が目を瞬いた。

『ほら、こいつ体弱いだろ。暑かったり寒かったり、砂漠じゃ絶対に体壊すじゃないか。保障されてるようなもんさ』

 ビスは兄の横暴に、ことさら深い溜息を吐いた。

『それで真面目だからね、どうせ自分が体調崩して、足手まといにならないかが不安なのさ』

「……」

 ビスは布のたくさん巻かれた懐から、重い音を立てて一冊の本を取り出した。

 ビスの胴体ほどもあるそれは、皮のような光沢の赤い表紙に、黒で花の様な装丁がある。ビスはそれを肩ほどの高さに、背表紙を下にしてかかげて持ち上げ、ぱっと手を離して、硬いテーブルに強か叩きつけた。

『ぎゃっ』

 “本”は、男の声で悲鳴を上げる。ばらばらとページが無残にも広がった。

『ひどい! たった二人の兄弟じゃないか! 実に酷い! こんな横暴が許されるもんか! ねぇ? 晴光くん』

「いや、ありゃあ……お兄さんも悪いと思うっす」

『酷い! 』

「……」

 疲れているのは兄さんがいるからですよ、とは、ビスもさすがに口に出さなかった。

 先ほど暴露された、自身の体調の懸念も大いにある。しかしこの“本”の兄を連れているというだけで、ビスの体力は二倍速で消耗されていくのだ。

 何故って? そりゃあ、この“本”が重いからである。彼を持って移動しなければならない弟の体は、実に貧弱なのだ。

 まさか相棒である実の兄を、晴光に代わりに持って運んでくれとも言えない。

 前回の長期任務では戦闘になる可能性が低かったため、留守番をしてもらっていたのだが、久々にこの重量のものを身につけてみると……これがまた、どうにも疲れた。

 お調子者の気がある兄は、久々の任務にはりきって、お喋りも二倍になっている。人の気配が消えると、待ちきれないとばかりにお喋りを始めるのである。

「兄さん、ちょっと黙って」

『お前が元気がないのなら、俺はおまえの分まで口を開こう! さぁ晴光くん、一晩中喋りつくすぞ! 』

「はい! つきあいます」

 なぜ君まで元気に返事をしてしまうのか……ビスは大いに閉口した。



 エリカはまれに見る多くの才ある新人であると、ビスは見ている。

 管理局は慈善集団だ。異世界に“渡って”しまう特性を持つ者らが、自分たちと同じ被害者たちを保護することを目的とする。利益、見返りを求めず、危険な異世界におもむくのだ。

 世界によっての文化は違う。資源も、通貨も、何を価値とするかも、その特性が大きく変化している。もちろん集う同士であっても、本性の姿や価値観は天と地の差ほどの落差が存在する。しかし、人の心、精神というものの方向性は共通するものが多いことが分かっている。


 何を大切にするか。何に怒るか。


 彼らには、姿を除けばそれだけの違いしかない。

 管理局は多くの異世界人たちを束ねるために、そういった価値観の“隙間”を縫うように規定を設けている。その規定が、彼らの法である。

 ビスが思うに、エリカは管理局が長年をかけて模索した、その“隙間”を無意識に突くのが上手いのである。 

 エリカは、採用こそ今期からの新人だったが、その実力は高い。彼女は吸収が早く、機転がきいて、目立つ容姿も、逆手に取る方法をよくよく承知していた。

 何かと器用なエリカは、それこそ“少女”という属性だけを残して、別人にも化けて魅せる。また土壇場アドリブにも強い。この芯の強さは才能だ。

 今回も、単身別行動を任せてある。


 晴光もまた、使いどころを間違わなければ、実に多岐性のある部下である。

 彼はもともと、戦闘を特化した部隊に所属していた。エリカとは反対に、素直で繕わない精神はある意味で武器であるし、小人数での長い遠征では、彼のムードメーカーとしての力も実に大きかった。

 ただ、彼の鷹揚さは個人的には大いに好感が持てるのだが、ビスのやり方だと、そのどうしても目立つ外見と陽気な気性もあって、素直さが仇になってしまう。

 ようするにこの少年、機転がきかないのである。ついでにヘマをすると、それがとてもよく目立ってしまうという少し悲惨な性質を持っている。

 こと戦闘においての勘が日常にはちっとも生かされないのは、いったいどういうことなのだろうか。ビスは首をかしげる。

 司令塔としてのビスは、だから実をいうと、晴光が少し苦手なのだ。エリカの使い勝手が良すぎるというのもあるかもしれない。

 若き天才は考える。

 ――――――さて、どう使ったものか。



 今回、この管理局第六部隊のメンバーは、二手に分かれて、それぞれの持ち場で仮初の役割に身をやつしている。

 エリカは下級階級の出稼ぎの少女。本人いわく、地味で目立たなくて、ちょっと気の弱いけれど頑張り屋、磨けば光るシンデレラガールというコンセプトらしい。

 ではさしずめ残った男子勢は、謎のご隠居と従者のお忍び旅行、といった風になるのだろうか。なんともまぁ、狙ってもいないところに着地しているが、あの車掌ならば気にし無さそうである。

 一等車両だということを抜きにしても、車内は実に静かだった。

 線路を通る時の“ガタンゴトン”というあれも、振動からして無い。この英知の集大成たる特急は、貨物車両を覗き、まんべんなくそうなのだそうだ。

 しかしながら、“謎のご隠居と従者”の部屋は、たいそう賑やかになってしまっていた。

『ビスが君くらいの時はねぇ……』人の恥を、勝手に肴にしないでいただきたい。


「でも、さすが一等車両って感じっすよねぇ」

 晴光はすでに、窮屈な首元を緩めていた。彼には少し小さい椅子の上で、大きく伸びをする。

「電車って言ったら狭々しいイメージがあったんだけど、やっぱり豪華だよなぁ」

『君ならどこでも狭いでしょ』

「そうっすね……頭ぶつけちゃいますもん。猫背になりそうっす」

『……うちの姫は今頃何してるかなぁ』

「彼女は仕事に関しては責任感が強いですから、大丈夫ですよ」

「あ~……そういうとこ、俺も憧れてんすよねぇ……」

『なんだいなんだい? そこんとも、もーちょっと詳しく。お兄さんに話してみなさいよ』

「兄さん、そろそろ止してください。アルコールも無いのに絡まないで。今は任務中ですよ」

 ほどなく晴光はいびきをかき始めた。ビスは備えつきのラッグから、コーヒーを取り出して口をつける。

 すぐに後悔した。生温く水っぽい。その上に、胃がもたれそうなほどに甘い。

 到着は明朝である。今夜何も起こらず乗り切れば、一時帰還できる。

 ビスは具合の悪化しそうな飲み物に蓋をして、ラッグに戻し、眠気を吐き出すため息を吐いた。

 その時。

 “ピ―――――――――――――――――――――”

 ホイッスルの音がスピーカーから高々と響き、天井がブォンとおかしな音を立てると、ほどなく照明が落ちて真暗になってしまった。

 手さぐりでテーブルまでいき、あにを手に取る。

『ビス? ビス? どうしたんだい。何も見えなくなっちゃったけど』

「何か始まったようですね」

 やれ、溜息の多い夜である。




 エリカは眠ることが好きである。

 健康的な若者が没頭する、食欲や物欲、色欲やらの快楽を、睡眠において変換している節があるほどに、睡眠を愛している。

 ついでに低血圧であるので、寝ているときの方がより至福――――という一面もある。彼女の寝起きは、ひたすらに悪い。

 妙齢の娘としての趣向には、生物の本能に忠実すぎる趣味である。

 エリカは惰眠をむさぼるということはしない。

 なぜか? 惰眠とは、“惰”性の眠りだからだ。“ムダ”の“ダ”だからだ。

 エリカは基本的に、手抜きが出来ない性分である。100を出すか、0を出すか。エリカにはそれしかない。

 より心地いい素晴らしいその時を、一〇〇パーセントで演出するために、エリカは全力で0パーセントを出す。趣味を眠りとするものとして、それが醍醐味なのである。

 元々、親元を離れ、一人寝の孤独を紛らわすための眠りだったのだが、いつしか若い娘に似合わない趣味と化してしまった。

 しかしいかに良質な睡眠を取ろうとも、その現実との落差には、寝起きの悪さは改善されなかったのだが。


『――――エリカ! エリカ! 』

「うっ……」

 失神と睡眠が違うのだと、エリカは実に久々に実感した。

『大丈夫? 痛いところは無い? 』

「ちょっとあんた……もうちょっと、静かに……」

 頭の中に響く声に応える。

 とりあえず、頭が痛い。レンズが重い眼鏡が眉間に食いこんで、米神が特に痛む。無理な体制で寝違えたのか、右肩もじんわりと痛い。ついでに、寝起きの機嫌はいつもの三倍悪い。

「……オールオッケー。仕事の意欲は万全よ」

『無事なんだね? よかった……』

 目覚まし時計の様に安否を問うていた声は、顔も無いのに安堵の息を吐いた。

 周囲を確認する。ランプは消え、真っ暗だった。人の気配も消えている。

 身体を動かさぬまま、エリカも息をつく。この調子なら、彼女が一番に心配だった懐の声の主も、何事も無かったようだ。

「ニル……今どうなったの」

『ダルタンってやつは、隼と連れ立って出ていったよ。でも、後から君を迎えに来る気らしい。その後、全部消えちゃった。えらく気に入られたみたいだね。縛りもしなかったよ……身体に緊縛の痕はつけたくないってさ』

 ニルは簡潔に答えた。

(ああ……)難しいことになった。エリカは、痛む頭を温めにかかった。


 貨物車両に下級階級の出稼ぎ娘の役で潜りこむのは、彼女が志願したことだ。個人では実に頼りないビスの元には、晴光かエリカ、どちらか一人が残ることになっていた。

 エリカはすぐ、ダルタンに目を止めた。

 明らかに世界違いの装束が目を引いたのもあるだろうが、それ以上に、ダルタンがこの場に溶け込む努力を何もしていなかったことに、エリカは眉を寄せた。

 目立てば人の目に触れる。中にはなにがしかの筆者もいるだろう。強い印象は、物語上にもいともたやすく浮かび上がる。管理局に見つかる可能性も高いではないか。

 この男が、管理局なんて組織の存在を知らない可能性もある。

 けれども、どちらにしろ、現場のエリカ達には面倒なことは違いがなかった。

 こと、戦闘に置いては、メンバー内では晴光が実に強い。しかし“これ”には――――はたして勝てるのだろうか。

 若いエリカには、目利きもそうできない。ただ、自分よりは明らかに場数を踏んでいるだろう程度には分かる。

 晴光とエリカは同い年だ。しかし、管理局に“保護”されたのは、エリカの方がずっと早い。その分、より多く修羅場を潜ってきたのも彼女のほうだった。

 晴光はいいとこ取りをする、天性の運があるのだろう。エリカは思う。

 エリカ自身も、そう無い幸運の持ち主と思っているが、それはどちらかというと悪運寄りな気がしてならないのだ。

 しかし晴光のそれは幸運。人と天と土地に恵まれている。

 エリカは魔女として生まれたが、便利な科学は大いに推奨する派だ。しかし魔女の目には、ときたまこういった、個人の持つ透明な力が見える。

 きっと晴光は、いいところで育ったのだ。周囲の人間が、実にいろいろなものを彼に惜しみなく与えたのだろう。それが彼を守る力なのだ。

 エリカはダルタンに近づいた。体裁を取り繕わないのは、馬鹿なのか天才なのかというところだったが、どうやら馬鹿寄りの天才だったようで、ああも沈み込むほど気に入られるとは思わなかった。色に弱いだなんて、どんな猛者も威力が半減だ。

 しかし現在でも、エリカは身の危険を感じている。奴は気に入らなければ、そこらで惚れた女なんて、すぐに殺すだろうと感じた。

 あれは嵐のようなものだ。それも風自体に意思がある。抗えばそれだけ危険が増す。風が収まるのを待つ方がいい。つまり、逃げた方が危険だということだ。

 この身で隊長らに接触を試みれば、あちらにダルタンの興味が飛び火して余計に危険だ。

 魔女としての目なんて、女の勘を強くしたようなものだけれど、なかなかに馬鹿に出来ないのである。

 特急の前と後ろで、図らずも上司と部下は深い溜息を吐いた。





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