僧侶探偵~出頭編~
4.
朝日がうっすらと木々を照らす。嵐も、雲の端に差し掛かるほどになった頃だった。
晴光らは本来の制服に着替えている。つまるところ、彼らが所属する組織の装束である。
自由度の高いそれは、職員それぞれの得意分野に対応して、形はまばらだ。ベースは同じ、深緑の生地に、左胸のポケット、黒のネクタイと肩のボタンに良く見ると意匠がある。
エリカはカシドス地(制服で使用される生地)の折り襟の上着に、黒いプリーツスカート、ヒールの丸いエナメルのサンダル、晴光は動きやすく汚れに強いポリエステルのパーカー型の下は、Tシャツにスニーカー、ビスは身体がすっぽり隠れるマント型、などと、個性が強い。
これは個人を見ても、組織の特定は難しくなるようになっている。複数人の職員を見て、初めて揃いの装束だとわかる。
エリカが入り口を見、晴光が無言で立ち上がった。ビスはうとうと目を閉じていたが、どうやら少し前から起きているようだ。
鍵の回される音がした。
戸惑うような仕草で入ってきたのは、あの高校生の一人だった。小奇麗にしているが、特に洒落ているわけでも、派手なわけでもない。かといって、地味にしているわけでもない。身なりを整えている様子から見て、この早朝に準備をしてここを訪れたのだろうということが分かった。
少年は彼らの装束に驚いた顔をすると、警戒もあらわに扉の前に立つ。明らかに腰が引けているが、出てくる言葉には意志が強く宿っている。
「お――――お話が、あります。僕の質問に答えてください」
「―――質問によりますが」
「あな、あなたがたは、犯人ではないです、よね……」
「どうやら、確信がおありの様ですね」
ビスが尊大にも見える声色で言った。
「あーっよかった! これで仕事が終わる! 」
「……まだ早いわよ。この人が“そう”とは、まだ確定してないわ」
腕を伸ばした晴光を、エリカが小声でたしなめる。戸惑う少年に、エリカは面倒そうに手を振って、上司に先を促した。彼女もまた、長い任務の解放の兆しに、素が出てきている。
「では、これより少し詳しいお話を聞かせていただきます」
とつぜんビスも、座を正して雰囲気を一転してきた。着席を促され、つい少年も彼の正面に座ってしまう。
エリカが筆記用具を取り出して、ビスの隣を陣取った。晴光はわれ関せずと、離れた場所で欠伸をしている。
「ではどうぞ」
「あ、あの……これはいったい」
「報告書がいるんですよ。ほら早く。こっちは徹夜続きなの」
「すいませんね。では始めましょう。こちらから質問します」
「はあ……」
少年は困惑していた。
「今回、こういったことは何度目になるでしょうか」
「こ、こういったこと…とは」
「言葉が足りませんでしたね。突然、文化圏の違う場所で、既視感のある人物らと接触、または既視感のある出来事を見聞きする現象のことです。できればいつごろからかも、詳細にお答えください」
少年の顔色が、さあっと白くなる。
「わ、わかるんですか」
「それが我々の仕事ですから」
「わ、わかりました」
顔色が高揚してうっすら赤くなる。「最初はそう……もう、十三年になります」
エリカが晴光に向かって、大きく腕を振って見せた。晴光も腕を振って返す。エリカが腕でマルを作る。晴光が、歓喜に負けてガッツポーズをした。全て無音の挙動である。
「十三年もですか。長いですね」
「き、気付いたら、帝都の商人夫婦の元で暮らしていまして……それまでは、まさかとおもっていたんです。でも、学院を受験する時、夜間の塾に受講しました。そこで……」
「なるほど。そこで自覚なさった」
「はい」
「では、今回のことは驚いたでしょう」
「はい……」
ふぅ、と、少年は大きく息をついた。
「ま、まさか、こんなことになるなんて……あの、もしかして“あれ”は、貴方たちがいたからですか」
「それについては、どうとも言えませんね」
「そ、そうですか……」
歯切れ悪いビスに、少年はまた少しだけ顔色を悪くした。
「我々もまた、原因でしょう。いえ、我々は故意にそれを起こしたと言っていいと思います。探偵さんの予定にない行動に、我々は便乗したまでに過ぎませんから。けれど、探偵さんの挙動が違った……その原因については、なんとも言えません」
「……じゃあ、やっぱり」
「そうですね、貴方が原因ということも、また可能性としてはありますでしょう」
「……そうですか」
少年は一瞬でうらぶれて見えた。ビスがその肩に、そっと手を置く。
「貴方のこれからについて、我々が相談に乗ります」
「はい…」
彼はしっかりと頷いて見せた。
「貴方方のような存在を、我々は“イレギュラー”と、呼んでいます」
「イレギュラー?」
「はい」
ビスが一回、二回、深呼吸をして向き直る。「さて――――――」
「――――この世界の名前は、『僧侶探偵☆帝都事件日誌』。時は平成、舞台となるのは、日本帝国、帝都京の街。とある修行僧兼帝都大学宗教学部生の主人公が、月に一度に、何故だか必ず人死にの事件に巻き込まれ、その冷静な第三の眼で事件を解決するという――――いわゆる、児童向けライトノベルなわけですが――――認識に齟齬はありませんね」
「児童向けライトノベルって割にゃあ、ディープでバイオレンスな内容よね。どこがライトよ。三角関係に遺産争い、痴情のもつれ、不倫騒動――――展開がドロドロじゃない。ねえ、『☆』っているんですか?『☆』って」
いつのまにか彼女の手には、大きな丸い瞳のイラストが表紙の、文庫本が流し読みされている。少年にはすぐに分かった。『僧侶探偵☆帝都事件日誌』の第三巻だ――――!
「そこは作者の遊び心ですよ。幼稚感が出て、手に取りやすいでしょう。商業戦略とも言いますが。―――大丈夫ですか?」
少年は蘇る記憶を胸に、溢れる涙をぬぐった。
「いえ――――大丈夫です、その……またそのカバーを見ることが出来るなんて……」
少年の顔に、安堵の笑みが浮かぶ。
彼は胸にこぶしをあてて、自身の心象風景を語りだした。
「そりゃ―――物語の中とわかっていても、友人は良い奴で、探偵さんは尊敬できる凄い人でした。でも、これからのことを知っている僕には、展開が進むごとに耐えられない――――だからと言って、展開を変える勇気も無いのです」
ビスとエリカは顔を見合わせた。エリカが肩をすくめて、長い脚を組む。
「……まあ、意識的にこの世界の展開を変えられちゃったら、私たちは、貴方を捕縛して処分しなければいけなかったんですけどね」
「え……」
少女の口から出た不穏な単語に、少年の口があく。
「残念ですけれど、現状でも故郷にはお帰しすることはできませんの。貴方は、私たちと同じ“イレギュラー”ですもの」
言葉の間にも、みるみる少年の顔色は失望と絶望に染まっていく。
ビスがエリカから会話を継いで、締めくくった。
「……ですから、『貴方のこれからについて相談に乗ります』と、申し上げたのです」
5.
本日の夕立は、狐の嫁入りであった。白の天幕を、茜色の空が透けて、生温い色に染めている、
真夏のむっとした熱気ただよう夕焼けの中で降りだした雨粒は、一つ一つが大玉で、天幕の中にいる彼は、ズォンズォンとまるで太鼓の中にいるような気分を味わっていた。
天幕の中は、稀代の英雄を映し出すとの設定の鏡や、舞台上では天女が空を飛ぶために身にまとう帯、炎の蛇を召喚する杖など、きらびやかな衣装や、大道具らが雑多に立ち並んでいる。
ちっぽけな学生でしかない彼は、舞台という異界から召喚された数々の品を前に、そわそわと夏の雨に蒸れるシャツの襟元を拭った。その動作を、隣で彼女が、丸い大きな目でジッと見ているのものだから、よけいに落ち着かない。
いくら今年が例年より暑いといっても、釦を二つも開けているのも悪い気がして、早々に彼はボタンを上まで閉じた。もとより、彼は首元を開けっぴろげにするような性質ではない。
隣の彼女をこっそりとうかがってみると、深い藍のドレスの生地に、きらきらと水粒が乗っている。ドレスは細い肩がむき出しで、とても涼しそうに見えた。
無心にただ、綺麗だ―――と思う。
これはまずい。すぐに頭の奥から湧き上がってきた僅かな邪念に慌ててしまう程度には、彼は理性的で、生真面目すぎる頭をしてるのである。
その肩を隠すために渡せる上着も、拭くものも持ち合わせていないために、彼は半ば彼女に背を向けるようにして、体を傾けた。
彼女は天女だ。もちろん、舞台の上でのことだけれど。けれども、手を触れられないという点では、彼にとっては天女と同じだ。
「雨がやみませんね」
「そ――――そうですね」
背中越しにも、彼女が笑っているのが分かった。耳まで熱くなる。
「雨は嫌いですけれど、雲の無い、こうした天気は好きですわ」
「……これは、吉兆の雨なのです。雨上がりには、虹の橋がかかるのですよ。狐の嫁入りと云うのです」
「狐がお嫁入りをなさるのですか……」
ふう、と、長く細い息で、彼女は嘆息した。
そう――――彼女の心にあるのは、憂い。それだろう。
彼は一人色めきだって赤くなっている自分が、とたんにばかばかしく思えた。くっ、とからだを正面に向け、今度は彼女ときちんと向き合おうという体になった。
彼女は静かに、彼がそうしてくれるのを待っていたように思えた。
「せっかくですから、二人で秘密のお話をいたしましょう。ね、探偵さん」
「………」
微笑む彼女の顔を、彼はすぐに見られなくなった。
天幕の外、現世で彼がしたことを思えば。
帝国は、過ぎし1900年代の大戦において、小国らしからぬ健闘で終戦を迎えた。亜細亜にありながら、欧州の属国として参入したにも関わらず、その欧州を押さえ込んでの、大国・米との奮闘ぶりは、東の果ての国の地位を、ひいては亜細亜人全体の力を、世界に見せつけたのである。
欧州の大国にのっとり、植民地の参入に乗り出した帝国は、国土と権威を広げてその力を誇示した。
帝国は世界をも認める先進国に名を連ね、今となっては“神秘の国”は、不可侵の地とすら揶揄される。
そんな栄華の中で、芽吹いた産業がある。奴隷産業である。
「私は同じ藍の目を持つ奴隷たちを、決して同族とは思えません。だって母ですら――――私を道端に捨てたのですから、彼らの血は凍っているのです」
遠くを見る彼女の眼は、陽の落ちかけつつある天幕の下では、漆のような煌めく黒に見えた。
「私は帝国で育ちました。私がまっとうに生きるためには、サーカスで見世物の天女としてではいけなかったけれど――――けれど、不満などありません。今まで私は不自由の中でも、一番良い選択をしたと思っています」
そう言う横顔は大人びていたが、体躯は少女のようなものだった。その中身と外見の差が、彼女を天女として魅せている。
「………」
“探偵”として彼は、息をひそめて彼女の次の言葉を待った。
「私の父は日本人です。この黒髪はなによりの誇り。私が一つだけ持つ、血という財産です。日本人のただ一人の娘として平凡な日々が叶うのなら――――それは、私の胸にずっとありました。―――――なぜ、今この時に、だったのでしょうね……」
探偵としての彼はいつも求められている。それは“探偵”の元には事件が舞い込むからだ。
彼にとって、罪を裁くことは重要ではない。ただ被害者の声が彼にはよく聞こえるだけだ。不幸な思いをする人が、少しでも減ることができたなら。それだけの気持ち。
盆休みに訪れたサーカスは、当然の様に事件を彼の元に運び込んだ。
美しい天女の舞いの中、ナイフで胸をめった刺しにされたサーカスの団長は、テントの真上から舞台上に落ちてきた。
犯人はナイフ投げの少女だった。天女役の、彼女を妬んでのことだった。
「私はもうすぐ、サーカスを出て帝都の貴族様の元へ、養女にしてもらえることになっていたのですよ」
団長は彼女の聡明さに気付いていた。孤児である彼女を拾い、育ててきたのは団長だ。
彼女は看板女優として、十七年の人生で、十分すぎるほどサーカスに収益を出している。かわいい娘の様な彼女のために、団長は評判の良い養育先を探しだし、最良の条件で送り出すことが出来るはずだったのだ。
もちろん、藍の目を持つ彼女を保護できるだけの家だった。
天女は何より望む、ただの娘になれるはずだったのだ。
ナイフ投げの娘は、そんな彼女が、奇跡の様に夢の一端を掴むのを、見ていられなかった。
「先方は、人死にの出た処にいた血なまぐさい娘を、引き取るわけにはいかないとおっしゃりました。―――いいえ、もっと優しくおっしゃいましたけれど、つまりはそういうことです。団長亡きあと、サーカスは今まで通りとはいきません。私は昨日の興行が最後だったのです。明日にはあの方の養女になるはずだったのです。せめて、せめて、あと三日、犯人が有耶無耶になっていたなら――――」
彼女は顔を手で覆った。
「見ないでください。今の私の顔は、見られるものではありません」
“探偵”としての心が今回の悲劇を呼び込んだなら、彼はもう推理はできない。彼女がやめろと言うのなら、彼は一切をやめるつもりだった。
「私には最初から、この体一つしかありません。これからのことを思うと、いっそ狂ってしまいたい――――探偵さん、私はあなたを恨みます。この命が尽きる時まで、貴方を恨みます」
天幕から漏れる夕焼けが、真っ赤になって彼女に降り注いだ。
「探偵さん、事件をもっといっぱい解決してください。お願いします。こんな、私が押し付けた場違いな罪を感じているのなら――――どうか、たくさんの人を助けてください」
間近で見た彼女の藍色の目は、涙に濡れていた。




