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ハルの仕事と結婚  作者: singlemalt
二 月  ~恵 風~
7/21

第7話 星空の中のスマホデビュー

「結局、ごちそうになってしまって、ありがとうございました」

「どういたしまして…」

 たくさん食べて、飲んだ割には、いつもより安かった。マンションの近くまでタクシーで送るといったのだが、今出川通りにでれば、バス一本で帰れるので大丈夫だと言いバス停まで歩くことにした。

「外食は、ようするん?」

「友達と休みが一緒になれば、たまに外で食べるという程度でしょうか。こう見えても、お料理好きなので、基本的には自炊です」

 京都御所の東通りは細いため、人も車も少なく、とても静か。


「矢代さんは、東京にもおられたんですか?」

「どうして?」

「お話しされている時のイントネーションや方言が、京ことばだったり標準語だったりするので、そうかなって思ってたんです」

「御明察の通り、大学卒業するまでは京都にいて、そのあとは一六年くらい東京で仕事してた。まだビジネス日本語と日常会話の関西弁が混乱してるかな? 最近は九州とか名古屋とかの人とも話するから、雑多ななまりがまじってるんやろな」

 いまの混乱は気持ちが上ずっているからだとわかっているが、それは口にしない。

 一代のミニバイクが音を立てて通り過ぎていく。お昼間はあれほど良いお天気だったのに、きらきらとした星空から、粉雪がちらちらと落ちてくる。会話が止まり、少し後ろを歩く、彼女が少し緊張しているのがわかる。

「あんなことをしてすいませんでした。退院されてからも、矢代さんに変な看護師だと思われたんじゃないかって、ずっと心配していたんです」

「とんでもない。僕はあの時、頭のどっかで、あきらめというか、このしんどさが終わるなら、もうええかって気持ちになりかけてた。驚いたけど、結衣ちゃんの心からの励ましで、今こうしていられる。ほんまに心から感謝してる。ありがとう」

 彼女の方を向いて、頭を下げると、小さく首を横に振った。

「お正月の休みの間、きちんとお話ししなければいけない、どうすればいいんだろうって、ずっと考えていたんです。ゆかり先輩にも相談したんですけど、矢代さんのことを知らないからアドバイスできない、自分でじっくり考えなさいって突き放されてしまって。いまでも、あの時どうして突然あんなことをしたのか、自分でもよくわからないんです。でも、お元気になられて、本当によかった。退院される時は寂しかったですけど、またこうしてお目にかかれましたしね」

 顔を上げた時にぶつかった、きらきらした目が眩しい。

「熱に浮かされた夢ちゃうかと思てたんやけど、この右手が、あれは絶対に夢やないって言うんやなぁ」と指をひくひく動かすと、それを両手で隠すように覆い、「もう恥ずかしいから、忘れてください」と赤い顔でじゃれるように声を上げた。


 京都御所と同志社大学を隔てる今出川通りを、東から西に向かう203系統の巡回バスは、到着まであと五分という表示がでている。

「今日は楽しかった。よかったらまたご飯食べよね」

「そうだ、今度、今日のお礼に私が手料理をごちそうします。お口に合うかわからないですけど、よろしければお越しください」

「ホンマ? それはまた家に帰って、夢かうつつか悩まんとあかんなぁ」

 笑っているうちにバス停の表示が【間もなく】変わる。

「ホントに約束ですよ。矢代さん、お休みはいつですか?」

「土曜日と日曜日は仕事を入れんようにしてる。また熱出たら困るし」

「よかった。月曜日に来月の勤務表がでるので、予定を見てご連絡しますね。あと、メールアドレスとお電話番号を教えていただいて良いですか?」

「はいはい、看護師さんの仰る通りにいたしますよ。でもスマホでメールなんてしたことないし、メールアドレスも操作の仕方もようわからんのやけどね」

 ネットもメールもすべてパソコンという人間からすれば、携帯電話は本来の電話の機能さえあれば良い。一応スマホだが開けるのは時間を見るときくらいで、検索もSNSもしない。

 ごそごそと触っていると「ちょっと貸していただけますか?」と僕のスマホを受けとる。「よかった。同じアンドロイドですね」と手慣れた様子でいくつかのボタンを押すと、交差させるように、目の前でハの字に近づけた。「エイ!」という掛け声とともにピピっという音が鳴り、スマートホンの中に、彼女の名前や電話番号、メールアドレスが登録された。

「これで完了です。このスマホは赤外線でデータをやりとりできるんですよ」

「へぇ、そないなことができるんや。でもそれ、どことなしいやらしいというか卑猥やな」と言うと、「そんなことをいう人、初めて見ましたよぉ」と、またコロコロと笑った。

 手を振る彼女を見送ってからもタクシーに乗る気にはなれず、鴨川におりて、コートに手を入れたまま遊歩道を歩く。府立医大を越え丸太町に近づいたところで、胸ポケットに入れたスマートホンが、初めて聞く電子音と共にブルブルと震えた。


 【今、家に帰りつきました。本当にありがとうございました】

 【美味しくて、楽しくてまだドキドキしています】

 【頑張ってごちそうしますので、お時間空けてくださいね】

 【ではまた、月曜日にご連絡します。取り急ぎお礼まで】

                     【佐々倉結衣】


 使ったことがなくても、返信を押して、平仮名のボタンを押していけば、文章ができるということくらいはわかる。


 【こちらこそありがとう。本当に楽しかった】

 【では来月、またお会いしましょう。楽しみにしています】

 【明日お仕事がんばって。おやすみなさい】

                      【笑窪の素敵な看護師さんへ】


 小さな「っ」と濁点、句読点の入力に苦労した。いつものパソコン入力だと、ほんの十秒で書ける文章が、寒空の中、冷たい手を擦りながら一五分くらいかかった。

 空気が澄んで、冬の星座が煌めいている。気が付くと、となりのベンチでは、熱い抱擁の真っ最中。ポケットに手を入れたまま鴨川を歩いて家まで帰った。

 家についたのは、一一時を過ぎていた。



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