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水滴

作者: アマヤドリ
掲載日:2026/04/18

 向かいを流れる渓流と、そのせせらぎを全身で浴びる。

 どうどうと響く音の空白に、入り込むように、鳥の話し声が聞こえている。

 靄のように立ち込める湯気の中、湯船の縁に頭をもたれさせる。ちょうど見上げた先には、空が広がっている。

 天まで湯気で覆われたような空模様。ぼうとして空を見つめていると、灰で塗りたくられた空の端から、淡い青がこぼれた。

 目を刺すようなその透き通る青は、次第に灰のキャンバスを濡らしていった。水をこぼしたように、あたり一面の灰を鮮やかに群青に染めた。

 見違えるように澄んだ空の青は、目に染み入るように鮮烈で、湯船に浸かってその様を見ていた僕は、何故か身体がぶると震えた。唇はなにか言いたげに揺れている。

 視界の左端から頭上まで横に生えた紅葉の葉は、ついさっきの雨に、装飾具のように水滴をまとっている。そこへ、陽光が差すものだから、さながら水晶のようでさえある。

 その高く天に伸びた紅葉は、時折、熱い湯船につかったかのようにぶると葉先を揺らした。その拍子に水滴が、ぽたりぽたりと顔に落ちた。

 そうして、雲間が晴れたころはまだ綺羅びやかな水晶をつけていた紅葉も、気づけば残っているもののほうが少なくなっていた。

 ただ、その木の中に、決して落ちることのない水滴が一粒あった。

 ちょうど視界の上の端を横切るように生えた枝の中腹。まだ視界には灰色しか映らなかったころから、そこにあった。

 群青が覗いても、鳥がとまっても、木が鳥肌を立てて震えても、そこにあった。

 葉先の方から伝った水滴を、そいつは、ひとつ、またひとつと取り込んでいった。

 もう随分膨らんでいるはずのそいつは、頑なにその枝を、離れようとしなかった。まるでなにかを拒むように、必死にその枝にくっついて見えた。

 

 ”そりゃあ、さ。

 そうしてるのが一番らくだろうけどな。”

 

 もう、過ぎたことなのに。未だに鼓膜にこびりついて取れない。あの突き放すような目つきと裏腹の、憐れむような顔つきが、視界をよぎる。

 鳶が横切ったように一瞬、その影に侵される。

 大きく、長く、息を吐く。

 湯気に混じる。

 消える。

 あの水滴は、今だその場を動かなかった。

 弾けそうなほど大きな粒になりながら。

 今にも落ちそうなほど微細に震えながら。


「お前、いつまでそこにいるんだよ。」


 枝の中腹で震えるそいつに、僕は思わずそう口をつく。

 

 放った言の葉は湯気に混じった。

 混じったと思ったらわからなくなった。

 

 言の葉が混じった湯気たちが、他の湯気たちと戯れながら、緩やかに天へと登っていく。そしてちょうどその枝に、その湯気が届くかという頃、その水滴はぽたりと落ちた。

 なんの素振りもなく突然に、この額めがけて降ってきた。額の上で弾け飛んだ。


 風呂からあがって身体を拭いても、

 浴衣に着替えて、水をのんでも、

 夕飯の膳を平らげても、

 額に落ちたあの感覚だけは、弾け飛んだあの感触だけは、どうしたって消えなかった。

 頭蓋に染み込んだようにさえ感じられた。






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