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少子化の果てのユートピアで 7話

ガレージの奥、簡易ベッドの上でシイナは仰向けになっていた。


胸と指先に貼り付けられた電極から細いコードが伸び、年季の入ったモニターに心拍の波形が映し出されている。


季節は春から夏を既に過ぎ、秋を迎えていた。


数日前から冷え込みが深まっている為、シイナがガレージの隅で見つけ出してきた旧式の煉炭ストーブが、時々パチパチと音を立てる。


「深呼吸」


眞壁は言葉少なに、手際よく記録をとりながら検査を進めていく。


「吸って──吐け。もう一度」


「はいはい」


シイナは大きく息を吸う。眞壁が電極の位置を調整するため、シイナに顔を近づけると、シイナはわざと口をすぼめ、眞壁の顔に息を吹きかける。眞壁は黙ったまま、眉間にしわをよせ目を細め、顔をしかめる。


「どう?今日も死にそう?」

「──黙れ」


心拍数、酸素飽和度、血圧──バイタルの数値を順に確認し、キーボードで打ち込んでいく。


「それで、初潮は来たのか?」

「来てない。ずっと来ないかもね」

ストレートな質問に何の躊躇いもなく答えるシイナ。画面には淡々と"初潮なし"という文字列が打ち込まれていく。

「来て欲しい?」

シイナは意味深な含み笑いを浮かべて聞く。

「それはそうだ──実験が成功なら、理論上とっくに来ていておかしくないからな──」

「そう。じゃあ、私失敗ってこと?」

シイナはあっけらかんと尋ねるが、眞壁はその問いには答えず、代わりに鼻を鳴らす。

「とにかく──君にはまず生存してもらうことが重要だ。その意味では、今日も体調に異常はない」

「だろうね。絶好調。むしろもうこんな頻繁に検査しなくてもいいんじゃない?」

「そうはいかん。異常が出るとその後は急激に進行してしまう。君の兄弟たちも──」


そのとき。


──ピンポーン──


玄関から電子音が鳴る。シイナの顔がパッと明るくなる。


「梶原おじさんだ!」

「待て、まだ検査は終わっていない──」


眞壁の制止も聞かず、シイナは胸と腹の電極を勢いよく剥ぎとり、ベッドから飛び出した。コードは引き抜かれ、モニターの波形は一度乱れると平坦な線を写すだけとなる。シイナが服を直し裸足のまま居間へ駆けていくと、その場には検査機の不満そうな小さい警告音だけが残された。


「いらっしゃーい!」


シイナが玄関へ出ると、そこに立っていたのは四十代半ばの男だった。くたびれたジャケットに肩掛けの鞄。眼鏡の奥の目が、シイナを見るなり細められる。


「元気そうだな」

「元気元気。おじさんは相変わらず疲れた顔してるね」

「大人の余裕だ。相変わらずだな、お前は」


梶原は苦笑しながら玄関に入ると、靴を脱ぎ家に上がる。遅れてガレージから出てきた眞壁は腕を組みながら口を開く。

「今日は遅かったな」

「ここらの道も悪くなっててな、スピードが出せないんだ──ほらシイナ、土産だ」


少女漫画の単行本の束を、ドン、と紙袋に入ったまま机に置く。

「うわ!やった!」

目を輝かせるシイナ。

「どれがいいかわからんから適当に買ってきたぞ」

「勉強が終わってからだ」

眞壁は言うが、シイナは聞こえないふりをして一冊抜き取り、勝手にページをめくり始める。眞壁は憮然とした顔でそれを眺めている。


梶原は二人を交互に見て笑うと、眞壁に言う。

「シイナも随分明るくなったな。ここに来て暫くは塞ぎ込んでいて、目も合わせないし、ロクに口もきかなかったもんだが」

「ああ──最近はかなり扱いにくいな」

眞壁は苦々しく言う。

「他人に興味なんかないお前が、研究所生まれの子と結婚するなんて言い始めた日には、どうなることかと思ったが──お前も意外と大事にしてるんだな」

「ふん──貴重な実験サンプルだからな」

「こりゃずいぶんと自由な実験サンプルだな」

梶原は居間の座布団の上に寝っ転がって漫画を読みふけるシイナを見て言う。


「さ、シイナ、今日は数学からだぞ」

暫しの閑談の後、梶原は徐に鞄から教科書や参考書類を取り出しながら言った。シイナは顔をしかめる。

「微分と積分の応用。大学入試レベルだ」

「大学なんて行かないよ」

「だろうな──だがお前は天才、眞壁慶一の助手なんだ。大卒以上に勉強せんといかん」

シイナは肩をすくめる。眞壁は何も言わず部屋を出ると、ガレージの方へ戻っていった。


授業は淡々と進んだ。数式の意味を問われ、シイナは即座に答える。砕けた言葉遣いとは裏腹に、理解は早い。


「ああ、それは前やったやつでしょ?ここの係数がこれで、こうだから──y=-6logx、ただし、x>0, x≠1」


梶原は驚いたように目を開くと、何度か頷いた。

「すごいなお前。これは最難関大の入試問題だぞ」

「漫画ばっかり読んでるわけじゃないってこと」

「感心感心。じゃあこのページから先、ここまで、自力で解き進められるな?」

「えーーこんなに?」

頬を膨らませるシイナを横目にそう言い残すと、梶原は一度シイナの勉強部屋を出て、ガレージの眞壁の所へ向かった。


途中、居間の机の上に、封筒が無造作に置かれているのを目にする。


「それは今月分だ。少し多めに入れてある」

ガレージの中から眞壁が声を上げる。

「助かるよ。家庭教師も客の取り合いで厳しくてね」


そう言うと、封筒の中身を確認し、鞄にしまう。


そして居間からガレージに近づくと、鞄から何かを取り出し、神妙な面持ちで横の工具机に置いた。


「──おい、これ見たか?」

週刊誌だ。表紙には大きな文字。


『旧国立総合生命科学研究所──浮かび上がる新たな闇』


眞壁は手を止めずに視線だけを向けて言った。

「まだこのネタを擦るとは──飽きないな、世間も」

「──他人事みたいに言ってるんじゃない。今度のは少しやばい」

眞壁は立ち上がって歩み寄り週刊誌を手に取ると、パラパラとページをめくった。

「失敗続きで一年以内に多数の子供が死亡、火災の原因は被験体の脱走、脱走者は消息不明──」

「そこまではまあいい。ここだ、ここを見てみろ」

梶原は横からページをめくり、誌面の中間あたりを指差した。


「今回発覚した一連の実験の実質的指揮をとった主席研究員のMは、責任をとって研究所を辞職。田舎の実家に引きこもっているという。今回取材班はMの実家を突き止め、本人への直撃取材を敢行──」


眞壁は、数日前におかしな連中が家に訪ねて来たことを思い出していた。インターフォン越しにシイナが門前払いにしていたのを、眞壁は横目で見ていたのだった。

「──本人からのコメントは入手できなかったが、近隣住民の証言を入手した。証言によると、Mは自宅にも私設の実験設備を構え、現在も日夜人体実験を繰り返しているという──なんだこれは。『夜な夜な奇妙な動物の鳴き声や、赤ん坊の叫び声が聞こえてくることも』だと?」


ふざけたことを──眞壁は苦笑しながら言う。


「ガセ情報も混じってるがな。問題は写真だ。これ、この家だろう?」

鮮明ではないが、確かに眞壁たちが暮らす住居の写真が掲載されている。見る人間によっては、この家だと特定出来るだろう。


「──気をつけろ。記事に釣られて変な連中が集まり兼ねない」

「──そうだな、わかった。気をつけよう」

そう言うと眞壁は雑誌を閉じ、何事もなかったかのようにガレージ内での作業に戻っていった。


────────────────────


ミタ村の朝は静かだ。


里山の中腹でもう随分長い間放置され、朽ち果てたソーラーパネルの残骸に朝日が反射し、少しずつ紅葉を始めた木々の間で輝いている。夜の冷え込みが一段と深くなっており、畑の土は固く締まっている。人々の吐く息は白い。


シイナは両手に軍手をはめると、厚手のジャージの袖をまくった。


今日は、村外れの用水路の掃除だ。もはや行政の手が回らない為に、村の用水路のあちこちで落ち葉と泥が溜まってしまう。定期的に人の手で詰まりを解消しなくては雨が降るたびに通路が水浸しになってしまうのだ。


シイナは少し前から、こうした村の集まりに時折参加するようになっていた。


今日集まっているのは、ほとんどが中高齢者だ。腰の曲がった者、歯が抜けてうまく話せない者、白髪の夫婦。若い男は数えるほどで、皆どこか無口だ。


「はーい!じゃあ今度はこっちから行きまーす」


シイナは宣言すると、水路の汚泥にスコップを差し込み、詰まった落ち葉と泥を掬い上げ脇へよける。躊躇ない動きで黙々と作業を進めていく。軍手やジャージはすぐに汚れるが、気にする様子もない。


「若い人がいるってのは、ありがたいねえ」


誰かがぽつりと呟く。


泥の中からは、錆びた空き缶やペットボトルの他、木材、プラスチック片や金属片など、様々なものが出てくる。近隣の朽ちた民家や商店、インフラ設備などから、その残骸が強風や嵐の時にこうして飛んでくるのだろう。


「この辺、子供の頃はよく遊んだもんだけどな──」


隣で作業していた老人が、色褪せて空気の抜けたゴムボールをつまみながら、遠い目で言う。今は、村に子供の姿は少ない。


シイナたちによって水路から取り除かれた汚泥は、老人たちによって、粗大ゴミ、可燃物、不燃物に分別され、袋に詰められて軽トラックで運ばれていく。可燃物は役場近くの焼却場に運ばれ、不燃物は首都近くの街にある高温焼却設備で処理された後、埋め立て場に送られる。


かつては再利用の為の分別も行われたものだが、資源を消費する人間も減り、こうした田舎では殆どその習慣はなくなった。リサイクル設備を備える都市も数えるほどしかない。


作業が一息つくと、集会所の縁側で湯気の立つお茶が配られた。シイナが湯飲みを両手で包むと、じんわりと指先に熱が伝わる。


「泥で汚れちゃったろ、これ使いなよ」


顔を上げると、目の前に村の若い男が一人立っていた。真新しい軍手を差し出している。その後ろで、他の若い男たちも、少し距離を保ちながらちらちらとシイナの顔を窺っている。皆朴訥で、不器用そうな男たちだ。


「──ありがと」


シイナは素っ気なく礼を言うと軍手を受け取り、お茶を飲み干すと立ち上がった。


「さあ!もう一踏ん張りしますか!」


そう言って片手を高く上げ、作業を再開する。


心なしか男たちはシイナの横でよく張り切り、用水路の清掃は捗っていく。シイナが泥をかき出すと、男たちが手早く台車でそれを集め、分別作業の場所まで運んでいく。シイナが重い鉄材を持ち上げられないでいると、無言で近づいて行って一緒に持ち上げ、台車まで引きずっていってくれた。


「ありがと!助かった!」


シイナが短く言うと、若者は耳まで赤くして無言で頷く。それを見て、年配の婦人たちが目配せをする。


「若い男は張り切るねえ」

「そりゃ、あんな子が来たらねえ」

「でも、結婚してるって話だよねえ」

「ほら、眞壁さんの坊ちゃんとこの──」

「もう坊ちゃんって歳でもないでしょ──?」

「都会から帰ってきたけど、今は何をしてるのかしら」

「今は二人で住んでるのかしら」


若者もこうした老人たちの噂話を耳にしたようで、結婚の話を聞いて途中いたく残念そうな顔をしていたが、シイナは気が付かないふりをした。


午後になる頃には、汚泥はほとんど片付き、広い範囲で用水路の底が見えるようになった。冷たい水がチョロチョロと、しかし確かに流れていく。


「これでここら辺は、当分は大丈夫だろう」


指揮をとっていた中年の男がそう言うと、作業はお開きとなった。シイナはスコップを置くと、腰を伸ばす。筋肉に軽い張りを感じるが、疲労というほどではない。


「若いのによう働くねえ」

「いやあ、ほんとに助かるよ」


村の高齢者が近くに寄ってきてシイナを繰り返し称えると、シイナは少し照れたように笑った。


「また呼んでよ。体動かすのは嫌いじゃないし」


老婦が一人近づいてきて、シイナの袖口をそっと引く。


「これ、お家の人とお食べなさい」


包み紙に丁寧にくるまれたモナカと、香り高そうな新茶の茶葉が入っていた。シイナは「おお!」と喜ぶと、躊躇いなくそれを受け取り礼を言う。


「いい子だねえ」

「ほんと、いい子」


老人たちの輪から口々にそうした声が聞こえてくる。シイナは手を振ると眞壁の待つ家へと帰って行った。


シイナが鼻歌を混じりに家の前まで歩いて帰宅する頃には、空は茜色になっていた。皆から感謝され、そして甘いものが食べられることが楽しみで、すっかり上機嫌になっていた。


「たーだいまー──」

玄関を開けようとするが──その前にふと、足を止めた。郵便の蓋が浮いている。


「──?」


眞壁の家に郵便で送られてくるものは多くなく、特に蓋が浮くほど体積のあるものが送られてくることはほとんどない。不思議に思いながら近づき、蓋を開ける。


ぎっしりと詰まった同じような厚手の紙。


それが、一枚、二枚──、十枚以上ある。


シイナは無言で一枚手に取り、そして小さく悲鳴を上げた。


「──ひゃっ!!」


思わず紙を取り落とすと、一歩後ずさる。


「ジッケンヲヤメロ」

「クニヲデテイケ」

「ツグナイヲシロ」

「ケイコク」

「ジッケンヲヤメロ」

「クニヲデテイケ」

「ツグナイヲシロ」

「ケイコク」

「ケイコク」

「ケイコク」


同じような言葉が、赤と黄色と黒の油性ペンで、大きく一枚ずつに書かれている。


「──なにこれ──!」


線は歪み、角張っている。そして強い執念を持って、何度も、何度も、何度もなぞったような痕跡。


喉が震え、声がうまく出せない。シイナはその場にしばらく立ち尽くしていたが、我に帰るとすぐに眞壁の待つ家の中に駆け込んだ──

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