少子化の果てのユートピアで 6話
スクーターは、村の「工房」に預けられることになった。日が沈むまでにはパンクは直るという。工房といっても、元は納屋だったらしい建物の中に、工具と部品が雑然と並び、三人の男が言葉少なに作業をしている場所に過ぎない。
シイナが財布を出しながら頭を掻いていると、
「今日はお代はいいよ」
無愛想な声でそう言ってくれた。シイナは何度も礼を言ってそこを立ち去ると、そのまま先ほどの中年夫婦に村の中へ案内される。自分たちが暮らす家へ連れていってくれると言う。
シイナが家の前に立つと、子供たちがわらわらと集まってくる。
「どこからきた〜?」
「なにしにきた〜?」
興味津々の視線が向けられて、シイナは少し困りながらも笑って答える。
「えっと──山の向こうの村、かな」
すると、一人の子供が無邪気に尋ねた。
「なんさい〜?」
一瞬、言葉に詰まる。
「ご──いや、はたちだよ。にじっさい」
咄嗟にそう答えると子供は特に疑う様子もなく「へえ〜」とつぶやく。中年の男は、妻とシイナを大きな家の前まで歩いて送り届けると、
「じゃあ、また」
とだけ言って、自分の軽トラックの方へ走り去っていった。
夫婦なのに、一緒に家に入らないのだろうか。シイナは僅かに疑問に思ったが、口に出して質問するほどでもないので黙っていた。
家の中に招かれると、シイナは思わず足が止まった。
広い居間には、十人を超える子供たちがいた。年齢は三歳ほどの幼児から、十歳前後まで。子供たちは思い思いに遊んでいる。車の玩具を走らせる者、床に腹ばいになって絵を描く者、積み木を積み上げる者──
その周囲で、数人の女たちが家事・育児をこなしている。洗濯物を畳む者、本を読み聞かせる者、台所で鍋をかき回す者。沢山の子供で騒がしいが、女たちの役割分担がうまくなされている為に、不思議と整然としている。
「あの──澤田さん。ここは、澤田さんの家なの?」
トラックで同乗した中年女性は、シイナに澤田と名乗っていた。シイナの問いに、にこにこと大きく頷いて答える。
「そうだよ。私の家だし、みんなの家だよ」
「にぎやかだね──私が生まれたところと、ずいぶん違う」
「そうかい? あんた、都会の子だったね。にぎやかなのは嫌いかい?」
「ううん。嫌いじゃない。みんな、楽しそうだね」
「そうだねえ」
澤田は、ふと思いついたように言った。
「ここが気に入ったら、あんたも住んでいいんだよ?」
シイナは少し驚いたが、まんざらでもなさそうにはにかんだ。
「さっきのおじさんは、ここに住んでないの?」
「田沼さん?来ることもあるよ。でも住んではいないね」
「夫婦なのに?」
「まあ、夫婦だね」
「私のところでは、家族は一緒に住むよ。苗字も同じ」
シイナは悪気なく言う。澤田は穏やかに笑った。
「都会ではそうだろうね。でもさ、決まった人とだけ暮らすより、みんなで暮らしたほうが楽だし、楽しいことも多いんだよ」
確かに、そうかもしれない──眞壁と二人きりで暮らす静かな日々を思い浮かべ、思い当たるところがある。
そのとき、近くで子供が泣き出した。澤田は慣れた様子で子供を抱き上げ、部屋の中を行ったり来たりしながらあやし始める。
「あ、そうだ」
シイナはスマートフォンを取り出した。幸い、電波が僅かに届いている。眞壁にメッセージを送ることにした。パンクしたこと、親切な村人に助けられたこと、国道から脇道に入ったところにいること、帰りが遅くなること。
すぐに返事が来る。
「買い物は中止。帰宅されたし」
短い一文だけ。
「──なんだよ。心配の一言くらいあってもいいのに」
ポケットにスマホをしまうと、澤田が様子を見て声をかけた。
「なんだ、彼氏かい?」
シイナは顔を上げると、少し得意げな表情で言った。
「ふふ。意外でしょ。これでも結婚してるんだ」
すると、近くにいた別の女が口を挟んだ。
「へえ。何人と結婚してるんだい?」
「え?」
「旦那は何人いるんだいってきいてるんだ」
シイナは困惑した表情で答える。
「結婚する相手は、一人でしょ?」
女は大袈裟に目を見開く。それを見て、澤田が悟すように言う。
「ヨネさん!この子、都会から来たって言ったじゃない」
「あら、そうだったねえ。都会じゃ、誰かがこんなべっぴんを独り占めしてるんだ!勿体無い話だねえ!」
笑い声が起こる。
「私の旦那はね、十人くらいかな。たぶん」
「たぶんって、あんたねえ」
「最近来ないのもいるからさ」
「私は四人だよ。誰でもいいってわけじゃないんだから」
シイナは曖昧に笑いながら周りの人々を見回した。
賑やかさ、温かさはある。ただ、同時になんとも言えない居心地の悪さがある。
そのとき。
トントン、と戸を叩く音がした。
「失礼します」
家に入ってきたのは、十代半ばほどの若い男だった。青みがかった灰色の法衣が体にきちんと馴染み、姿勢は真っ直ぐ。凛とした表情をしている。男が敷居をまたいだ瞬間、家の中からざわめきが消える。
女たちは誰に促されるでもなく、両手で輪を作り、胸の前に掲げる。
若者は一礼し、落ち着いた声で告げた。
「父である"わのとう"の代理として参りました。来月に迫った永世祭の準備について──皆様のご尽力に、感謝を申し上げます」
若者は一度だけ周囲を見回し、静かに言葉を続けた。
「例年どおり、祭りは三日間。初日は浄め、二日目が前際、三日目に本祭となります。初日の浄めには、各家より清酒をお持ちください。難しい家は清水でも構いません。陶器の容器に入れてお持ち下さい」
女たちがうなずくのを確認し、若者は続ける。
「二日目の前祭は、食の供出をお願いします。穀物、根菜、干し肉など、供物用の保存のきくものをお願いします。それから、子供たちの為におにぎりや唐揚げなど、その場で食べるものもご用意頂けると助かります。量は各家の無理のない範囲で結構です」
呼吸を整えて続ける。
「三日目の本祭は、必要なものをこちらで用意します──若い方は薄着でいらしてください──以上です。詳細はまた追ってお知らせします。質問があれば、いつでもお願いします」
そこまで言って、若者は軽く頭を下げ、胸の前で輪を作った。
部屋の中の全員が、揃って両手で輪を作り、静かに応える。シイナもなんとなく気まずさを感じ、周りの皆に合わせて胸の前で小さな輪を作ってみる。おかしなポーズだと頭では分かっているが、皆と同じである、という一体感には奇妙な安心感がある。
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その村は、ナルセガワ村と呼ばれているらしい。
後から澤田に聞いた話では、先ほどの若者は村長の長男だという。父親は「わのとう」様と呼ばれ、代々この辺りの名主の家系に連なる人物で、村中の者から深く敬われているそうだ。
──とはいえ。
シイナには、どうしても腑に落ちないものがあった。年端もいかないあの若者の前では、遥かに年長の大人たちでさえ、背筋を伸ばし、物音ひとつ立てず、従順に応じている。そこには、尊敬、というよりも、何かもっと特別な緊張感のようなものを感じる。
しばらくして、若者がシイナの存在に気づいた。「これは。お客様ですね──」穏やかな声でそう言いながら近づき、胸の前で輪を作って軽く頭を下げる。
「この村は騒がしい者も多いですが、悪い者はおりません。何かお困りごとがあれば、近くの者にお申し付けください。村の者が、必ず力になります」
柔和な口調。だが芯のある太い声。部屋中の視線が一斉にシイナへ集まる。シイナは気恥ずかしさにしどろもどろに答える。
「あっ、はい、どうも──」
「──おや」
若者はふと首を傾げ、シイナに一歩近づく。
「変わった目をされていますね」
若者は、心の奥の方まで覗き込むような、そんな瞳でシイナを見つめる。
「子供のように澄んでいますが──大きな悲しみを越えてきた目です」
どきり。
心臓が跳ねる。
──気づかれている?
自分の出自を知っている人間は眞壁や研究所の関係者くらいしかいないはずだ。しかし、直感でそうした不自然な出自が分かる者もいるのか──
もしもこの不思議な集団に、自分が人工子宮から生まれた存在だと知れたら、一体何をされるかわからない。シイナは警戒心から無意識に後ずさっていた。
──ガタン
床の段差に足をとられ、後ろに大きくよろめいた。
「危ない──」
次の瞬間、腕を掴まれていた。大きく、温かい手。反射的に息を呑む。
「──失礼しました。お怪我はありませんか?」
手を握られたまま引き寄せられる。そのまま、若者はまじまじと手を見つめられる。
「美しい手をしています──」
シイナは驚いて、すぐに手を引っ込める。先ほどから胸の鼓動が収まらない。
「私は村瀬理と言います。父はこの村の『永世の輪』の長であり、私はその名代であります。失礼ですがお名前をお伺いしても?」
「──シイナ。眞壁シイナ」
「なるほど、シイナさん」
村瀬は一呼吸置くと口を開く。
「ご結婚はされていますか」
「いちおう、してる──」
シイナがもじもじしながら答えるのを村瀬は興味深そうに眺め、意味ありげに何度かうなづく。
「お子様のご予定は?」
「へ──?」
「結婚していれば、人は子供を産むものです。産むべきでしょう、そうではありませんか?」
声は柔らかいが、有無は言わさない圧力を感じる。
「そういうのは、よく分からない──」
「ああ──それはいけません」
村瀬はシイナの返答に被せ気味に言い放つと、天を仰ぎ両手を高らかに掲げた。
「美しく年若い女性がご結婚されながら、出産にご関心をお持ちでない──これは自然なことではありますまい」
村瀬はそう言いながら首をゆっくりと左右に振る。
「失礼ですが、旦那様とは毎夜愛し合われていますか?」
「──なに?」
シイナは意表を突かれた質問に、思わず聞き返してしまった。火事場のどさくさで求婚され、その後の流れで結婚してしまったが、愛し合っているか、と聞かれてもよく分からない。更に、質問が夜に限定されている意図もわからない。
村瀬は、やれやれといったように肩をすくめる。
「いけませんね──この村にいらっしゃいなさい。夫婦とは、男女とはどうあるべきなのか、皆が教えてくれます。子を沢山授かる事が出来ます。早い方がいい、沢山の子に囲まれる幸福、これを超えるものなどありません。お一人でも、旦那様とご一緒でも構いません、この村はあなたを歓迎しますよ」
そう言う村瀬の目は純粋で、言葉は極めて押し付けがましく、シイナはそれに軽い恐怖を覚えた。
「──私は今の暮らしでも満足してる」
シイナがそう言うと、周囲の者たちがお互いにヒソヒソと耳打ちし始める。おかしい、病だ、ボソリ──、ボソリだ──近くまできているのか──。口々に呟く村人たちの言葉が断片的に聞こえてくる。何を言われているのか分からないが、あまりいい気はしない。
「皆さん、決めつけはいけません。彼女からは何か特別なものを感じます──何かご事情がおありなのでしょう」
村瀬は周囲をなだめながら言う。
「しかし、なんの事情もなく出産や育児に関心がないのだとすれば、それはこの国を長く蝕み続ける瘴気に冒されているのかもしれません──我々はそれをボソリ、と呼びます」
「ボソリ──?」
村瀬は大きくうなづくと、ゆっくりシイナの前で両手の輪を作り、改めて頭を下げ、そして説明を始めた。
「ボソリは、言ってみれば、人間の世に訪れた最後の悪魔のようなものです」
「悪魔──?あの物語とかに出てくる?」
シイナは突拍子もなく出てきた言葉に顔をしかめる。
「ええ。人間には欲望や、怒り、嫉妬、執着といった厄介な感情があります。シイナさんは──そうですね──自我への強い思い入れ、そう言ったものに心当たりはありませんか?」
シイナは身を固くしたまま、何も言わずに村瀬の次の言葉を待つ。
「──とにかく、昔から人間はそうした負の感情に焼かれ、苦しみながら生きてきた──こうした感情も悪魔の仲間であります。これに対しては、様々な教えが古くから警告してきた。無欲を目指しなさい、争いや執着をやめなさい、他人に親切にしなさい──こう説いて、心や世間の平穏を重視してきた。それによって、信心深い者は救われたし、そうでない者は救われなかった──ただこれは本題ではない」
シイナは黙って聞いていた。まだ話が見えない。
「ここで少し、悪魔の目線に立って考えてみましょう」
村瀬は少し意地悪く微笑みつつ、片手を宙に上げながら言う。
「悪魔は人間に危害を加えたいと思っている。人間と敵対しているのです。人間の世を終わらせる為に、欲望、嫉妬、怒り、執着、こうした感情で支配しようとしました。その結果、人間の世はどうなったのか?三百年前の時点で、そうした悪魔たちの思惑はうまくいっていたのでしょうか?」
村瀬は近くにいた村人の一人の肩を叩いて答えを促す。
「いいえ、三百年前はまだ人間の世に、終わりの気配はありませんでした」
村人が答える。
「その通り──!三百年前、人間は全然滅ぶ気配などなかった。欲望、嫉妬、怒り、執着、これらを抱えながら、大半の者は克服など一切することないまま、人口は減るどころ、百億人に迫る勢いで増え続けたと言われています。これには悪魔も手を焼いたことでしょう」
シイナは苦笑した。極端だが、そういう歴史の解釈も成り立つ。
「しかし、悪魔の中にも非常に賢いやつがいた。怒りや嫉妬のような、一目で負の感情と分かってしまうものでは、人間を滅ぼす事はできない。であれば、負の感情とは気づかれずに、滅びへ導く精神へ向かわせる事ができれば──」
村瀬は言葉を切り、窓から外の景色に目を向ける。
「それは人間に致命的な毒になる」
「──気づかれずに滅ぼすなんて、そんなことができるの?」
シイナが怪訝そうに言う。村瀬はそれには直接答えずに続ける。
「シイナさんは学校で、自由、多様性、男女平等、自己決定権、自己実現──こういった言葉や考え方を習いましたよね?」
「教わったね」
シイナは、研究所での社会科の授業を思い出していた。人類が沢山の犠牲を払いながら獲得してきた、高潔な概念の数々──授業へのアクビの記憶とともに、覚えている。
「都会では、こうした考えが当然になりすぎて、空気のようになっている──これはもはや信仰です。高潔ですし、もちろん多くの場面で有用です。大きく間違ってもいません。しかし、これらを過度に信仰した結果、出生にまでその考えを適用してしまった。これがボソリの瘴気に当てられた状態です」
シイナは反発する。
「そんな──人は自由な方がいいし、なりたいものになれる方がいいよ。それを病気みたいになんて──」
「はい、その通りです。シイナさんの言う事は正しい。誰も反論できない」
村瀬は頷きながら、シイナの言葉を遮った。
「三百年前当時、食べ物も娯楽も豊富にあり、国の中は愉快な隣人で溢れ、コンピューターは現代より高度な仕事をし、人間は自然を支配したと言います。そして、どんな仕事をするのも自由、仕事をするもしないも自由、結婚するのも、しないのも自由、子供を産むのも、産まないのも自由──ユートピアのような社会を実現しました。人々は正しい方向に進んでいるかに思われたのです」
しかし──と村瀬は続ける。
「人は減り続けました。子供が生まれないからです。人々はそれを見て、悪魔がどこに潜んでいるか血眼で探しました。給金が安いのがいけない、教育が高価なのがいけない、物価高が、家事をしない男が、男を選り好みする女が──社会が──地域が──国が──なんとも滑稽です。ボソリの悪魔はそんな分かりやすいところに隠れてはいません」
シイナにはもう、なんとなく結論は見えてきた。
「自由、多様性、男女平等、自己実現、自己決定権──こういった道徳や倫理で誰も否定ができない所から、ボソリの悪魔は人々を冒していったのです。本来、結婚し子供を産むというのは、共同体や種への貢献という意味合いが強かったのです。しかしボソリに冒された社会では、これらを完全に自己決定や自己実現の問題に組み入れてしまいました」
「──みんな自由だから、子育てを怠けているというの?」
村瀬はシイナの方を見て微笑む。
「いいえ、怠けているのではありません──病なのです。悪魔に魅入られ、冒されているのです。そんな馬鹿な、と思うかもしれませんが、現実を見てください。一億を誇ったこの国の人口は現在たった二十数万。それも年々減少しています。田畑は荒れ果て、廃墟は崩れ落ち、野生動物の脅威は日増しに大きくなり、滅びの訪れを肌で感じる。しかしこの期に及んで、人々は未だにユートピアを信じていた頃の価値観を変えられずにいるのです。これが病でなくてなんだと言いましょう」
シイナの脳裏には、さきほどの隣町への荒れた道路が浮かんだ。村瀬に何も言い返す事は出来なかった。
「我々ナルセガワ村は、滅びの悪魔、ボソリと戦うことを決意した最初の集団です。この世界で最も先進的な教えに従って生きています。後で村を回って若者や子供達を見てください。彼らは未来であり、滅びから遠いところにいます。ユートピアのような耳障りの良いものはありませんが、確かな幸福と、そして未来がある。それを感じて頂きたい」
ここまで話して、村瀬は一歩引き、再び胸の前で輪を作る。
「そろそろ私は次の用事がありますので、これで失礼いたします。シイナさん、重ねて言いますがこの村においでなさい、村はあなたを歓迎しますよ。それでは皆さま。今年も──輪が、滞りなく結ばれますように」
若者は深く頭を下げる。それに合わせ、家の中の全員が一斉に同じ仕草で頭を下げた。胸の奥に、言葉にできない感情が渦巻いていた。若者が家を出ていくと、ざわめきがゆっくりと戻ってきた。
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スクーターのタイヤ交換が終わるころには、空はすっかり夕暮れの色を帯びていた。シイナが約束の時間より少し早く工房に戻ると、男たちはすでに工具を片付けているところであった。
「そこ、できてるから」
男はそういってスクーターを指差した。澤田をはじめ、村人たちは口々に、泊まっていきなさい、夕飯を用意する、とシイナを誘ったが、シイナは何度も頭を下げて断った。
「ありがとうございます。でも──家で待っている人がいるので」
それは半分本当で、半分は言い訳だ。この村にこれ以上長く身を置いてはいけない。なんとなく、そう感じた。
国道へ続く脇道まで軽トラックで送ってもらい、そこからスクーターにエンジンをかける。昼間よりも慎重な速度でスクーターを走らせ、家路に着く。またパンクしてしまったら、今度こそ野宿になってしまう。シイナは緊張した面持ちで、しばらくソロソロと道を進んでいると、背後から、エンジン音がする。
振り返ると、軽トラックが後ろから、減速しながら近づいてくる。シイナは自分の暮らす村の集会場で、何度か見覚えのある軽トラックだ。運転席の窓が開き、運転手が言う。
「──そんなスピードじゃ日が暮れるぞ」
聞きなじみのある冷淡な声。シイナはその声に驚きつつも、なんとも安心感が込み上げてくるのを感じた。
「うそ──!迎えにきたの?」
トラックはシイナの横に停まる。眞壁は車を降りることもなく、腕を窓枠にかけたまま少し顔を出して言う。
「君が買い出しに行けないから、代わりに行ってきた。その帰りだ」
それだけ言うと、視線を道の先へ向ける。だがシイナはすぐに気づいた。足元の地面に、同じ模様の真新しい複数の轍。それは、同じ車が何度も行き来したように残っている。
「──ここら辺で、ウロウロしてたの?」
シイナが尋ねると、眞壁は一瞬眉を上げ、言葉を詰まらせる。
「ん?」
視線を逸らし、鼻を鳴らす。
「まあ──いいから乗るんだ」
助手席に親指を向けながら、言葉少なに乗車を促す。自身は一度車を降りると、シイナのスクーターを荷台に積み込んだ。
「少し前まではこの辺ももう少し走りやすかった気がしたが。うん──」
眞壁は誰ともなしに呟く。シイナは眞壁が車に戻ってくると尋ねる。
「トラック、村の人から借りてきたの?」
「そうだ」
「すごいね、いつも中々貸してくれないじゃん?」
「ケチな連中だからな──」
「お願いして、借りてきたの?」
「ん──まあそうなる」
シイナは眞壁の横顔を見つめる。
「ねえ、私のこと心配した?」
少しいたずらっぽく尋ねる。眞壁は何も言わず目をそらし、思い出したように車にエンジンをかける。「あー!すごい、ちゃんと心配したんだー!?そういうのあるんだ一応!」
「馬鹿を言うな。君は私の重要な研究資産なんだ。いなくなられては困るんだ」
そういう眞壁の声には、少し疲れがあった。
「そうだったね、人体実験のサンプルだもんね、心配するしかないよね」
そういうシイナの声はなぜか少し明るい。
「──暗くなる前にさっさと帰るぞ」
トラックが動き出す。
「迎えにきてくれてありがと」
「帰り道にたまたま見かけただけだ」
エンジンの低い音とともに、流れ始める風景。シイナは夕闇の向こう、ナルセガワ村の方角をじっと眺めていた。
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家に着くまでの間、車を運転しながら眞壁はシイナの話を黙って聞いていたが、話が終わると口を開いた。
「永世教の奴らだ」
シイナは首を傾げた。
「エイセイキョウ?」
眞壁は少し間をおいて続ける。
「ああ──君の話では、自分たちでは永世の輪と名乗っているらしいが──ところで君はそもそも宗教を知っているのか?」
「うん、社会の時間に教わったよ。どんな神様を信じるかが人によって違うんでしょ」
そうだ、と眞壁。
「慶一さんはなんの宗教なの?」
「私はいかなる宗教も信じない」
シイナは、そうだろうね、と何度もうなずくと、ふと思いついたように言う。
「人工子宮教なんじゃないの?」
少々むっとした表情となる眞壁。
「人工子宮は科学だ。ちゃんと理論や根拠がある。宗教にはそれがない」
一緒にするな、とでも言わんばかりだ。
「ああ、ゴメンゴメン、そうでした」
シイナが片手を上げながらおどけた表情でなだめると、眞壁は少し間を置いて説明を続ける。
「永世教──害のある連中ではない。ただとにかく信心深く、いつも集団でいるので気味が悪い」
「おばさんが、旦那さんが十人いるとか言ってたよ。おじさんも、奥さんが五人とか。それって普通なの?」
「普通ではない。この国では重婚は禁止されている。外国でも大体はそうだ」
「やっぱり、変だよね──」
「ああ──なにより、やつらは自分たちの祭りのせいで村長が逮捕された事もある」
「へえ、お祭りの話してたよ。どうして祭りで捕まるの?」
「まあ、それは──」
眞壁は言葉を切ると、一瞬シイナの方を見る。表情に幼さが残るが、設計的には精神的にも肉体的にも二十歳を超えているはず。そう考えて、続ける。
「乱交、というものをやっていたらしい──」
「ランコウ?なにそれ」
眞壁は、研究所で篤田がきちんと性知識の教育を行っていたか、記憶を辿ったが、そのようなものは思い当たらなかった。教育プログラムの欠陥だ、改善した方が良いだろう。苦々しくそんなことを考えながら、眞壁はしばし押し黙った。
「複数人同士でかわるがわる性交をする」
「──え?」
シイナはなんとも気まずい表情になる。一応、性交の意味は知っている様子だ。眞壁は更なる詳細な説明を求められなかったことに安堵した。ちなみに、眞壁自身もシイナには異性として指一本触れたことはなかった。
「そんな村に長居しなかったことは正解だったな」
「そうだね──」
「ちなみに、そこの村長はその件の他に、政治家への贈賄なんかでも捕まっている。今も刑務所に入っていたと思ったがね」
シイナはそれを聞くと恐ろしくなってきた。村の皆はそんな悪い人を村長として崇め、信心深く暮らしているということか。
舗装された道路が出現し、悪路で揺れていた軽トラックの走行も安定してきた。そこからは速度が出せるので、すぐに村の入り口に辿り着いた。
「そういえば、村には若い人や子供がたくさんいたよ」
眞壁はそれを聞くと暫く考え込むような顔をした。
「ふん──なるほどな。そういう手段もあるということか」
「どういうこと?」
眞壁はすぐに答えずに、村の集会場に軽トラックを停車した。そしてトラックを降りると、シイナのスクーターを押して家の方向に歩き始めた。シイナは、眞壁が隣町で買ってきたガラクタにしか見えない実験器具を両手いっぱいに持ち、眞壁に遅れないよう小走りでついていく。
「滅びに抗う方法は一つではないということだ──やつらの気味の悪い信仰が正解なのか、私の信じる科学の方法が正解なのか、どちらも無力なのか──いずれ答えが出る」
眞壁は前を向きながら、ポツリポツリとそう言うと、家に入るまでそれ以上言葉を話す事はなかった。




