少子化の果てのユートピアで 5話
二三二八年。研究所の火災から二年半が経った頃。
ツルミ共和国東部、山と畑しかない寒村の外れの、瓦屋根の地味な一軒家。そこは眞壁の生家であり、先祖の代からの家であったが、祖父母・両親は既に他界しており今は眞壁とシイナだけが住んでいた。一軒家の横に廃材で増設されたガレージは、遠くから見れば農機具小屋と大差はない。だが、ガレージ内では、金属の匂いと薬品の匂いが混ざり、古い換気扇が低い唸りを上げている。
眞壁は作業台の上で、遠心分離機の蓋を乱暴に叩いた。
「ふんっ、またイカれたぞ。あのジャンク屋め──」
乾いた音だけが返ってくる。モーターが最後の力を振り絞って一瞬だけ回り、そしてすぐに停止した。
「──蛋白質が分離しきらない」
眞壁は汚れた手袋を外し、ドライバーで機械を開ける。中の基盤が黒く焼けていた。
「それ、ジャンク屋さんに止められたのに、慶一さんが無視して買ったやつでしょ」
シイナはガレージに繋がった居間の方から覗きながら、冷たく言い放った。
彼女は研究所の人工子宮から生まれ、今年で年齢は五歳になる。だが見た目は二十歳前後の若い女だ。カーディガンの上から眞壁の煤のついた作業着を羽織っている。袖は長すぎて手の甲が半分ほど隠れている。
「はて、そうだったか──あのジャンク屋は何を買う時もいつも言い訳ばかりだからな」
ここのところ、火災の際にどさくさに紛れて研究所から持ち出した機材が動作不良になることも増えてきた。村から車で二時間ほどの場所に中規模の街があり、そこに一軒、実験器具のジャンク屋があるので、実験器具は多くをそこから調達しているが、品質の良し悪しはまちまちだ。
「シイナ、ここを半田で止めてみてくれ。直るかはわからんが」
基盤の一部を指差しながら言う。
「また半田?いいけど」
「この前みたいに、変なところを持って火傷をしないように」
「わかってるよ」
シイナは工具箱の中を漁り、作業に必要な道具をガサガサと探す。
そのとき、居間のテレビからニュースの音がガレージまで流れてきた。さっきまでシイナがこたつでアニメを見ていたが、そのまま消し忘れて出てきたようだ。
『──二三二五年の火災を経て、昨年末に事実上解体が決定された旧国立総合生命科学研究所についてです──』
無機質なニュースキャスターの声。
『旧研究所所長、高山氏の研究資金の私的流用の疑いがかかる件について、昨日高山氏の自宅に家宅捜索が行われ──』
シイナが居間の方を振り返って言う。
「またこれ」
「ふん──」
「あ、ここ懐かしいね」
画面には、空から撮影された研究所の俯瞰映像が繰り返し流れていた。焼失した中央研究棟の建屋のあった場所には重機が並んでおり、既に取り壊しが進みつつある。研究所内の跡地は、空き地ばかりだったから、当面はわざわざそこに何かを建てたりはしないだろう。
シイナはチャンネルを変えた。画面は討論番組を映し出した。画面端には赤い文字で「旧国立総合生命科学研究所の闇!」「国費で行われた"禁断の研究"」という煽りテロップが固定されている。
丸いテーブルを囲んで座る「識者」と称される人間が、得意げな顔で語っている。
『そもそもですね、「人が減るから人を作る」という発想自体が、どこか短絡的なんですよ』
白髪の男性識者が、穏やかな口調で言う。
『そうですね。量より質、という考え方もありますし──「少なく、豊かに生きる社会」を目指すべきでしょう』
別の女性識者が、深くうなずく。
『子供が減るのは確かに問題です。ただ、それは「社会全体で考える課題」であって、一部の研究者が暴走して解決するべきものではない』
『そうですね、倫理的に考えれば、当然一度立ち止まって考えるべき研究だったと思いますよ』
『そう。もっと時間をかけて、国民的議論をすべきだった』
『合意形成ですね』
司会者が合いの手を入れる。
『この研究は失敗していたということですが──仮に成功していたとしても、それを社会が受け入れられたかは別問題です』
『はい。やはり国民感情、というものがありますからね。それに、生まれてきた子供の人権はどうなるんだとか、選挙権を得られるのかとか、そう言った制度面も、事前にキチッキチッと決めておかなくてはいけない訳ですよ』
『旧政権は研究内容を把握していたという話もありますし、当然説明責任はあると思いますよ。旧政権の議員の先生たちからも、丁寧な説明があるべきなんじゃないですかね』
ここで司会者が割って入る。
『さて、ここまで旧国立総合生命科学研究所の問題について議論してきましたが──続いては、最近世間を騒がせているアイドルグループBRIGHT9の“すずっち”さんの不倫騒動について考えていきたいと思います──』
シイナは退屈そうにテレビにリモコンを向けると、電源ボタンを押す。画面が沈黙する。眞壁は興味深そうにつぶやいた。
「研究は失敗か──結構なことじゃないか。どうやら君の存在にまでは、まだマスコミは辿りつけていないようだぞ」
そう言われて、シイナは困ったような笑顔を浮かべる。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
「シイナ。今、手が離せない。出てくれ」
「はーい」
シイナは居間から玄関へ向かった。
ガレージはしばらく沈黙し、やがて足音が戻ってくる。
「慶一さん──大使館の人みたい」
眞壁の眉が動く。
「なに──?」
二人が玄関へ出ると、大柄の男が立っていた。肌は白く、瞳は透き通った美しい青色。クラシックなトレンチコートに中折れ帽。靴には汚れ一つない──やや時代がかったその出で立ちは、この村の風景からすると少し浮いている。
男は帽子に指を添え微笑むと、軽く身を屈めて会釈した。
「眞壁慶一様ですね。私はこういう者です」
差し出された名刺には、「在ツルミ共和国セントラ大使館 一等書記官」の肩書きが印刷されている。
男は流暢なツルミ語で続けた。
「学会では天才と名高い方と伺っています」
眞壁は、男の革手袋の指先から名刺を受け取り、視線だけ動かしてそれを読んだ。
「──それも昔の話だ。今じゃこのザマだけどな」
ガレージの奥に見える古びた機材群を指差して言う。錆びたフレーム、継ぎ接ぎの配線、見た目だけなら廃品置き場だ。
「ククク──皮肉でしょう?名誉も貧乏も研究のせいですよ」
男は眞壁の自嘲に合わせて、軽く笑った。
「はは。ご冗談を──ところで」
男の視線が眞壁の隣のシイナに移る。
「こちらは──?」
眞壁は相手の目を見ずに無愛想に応える。
「妻のシイナだ」
「ほう──ご結婚されていたのですか」
男は微笑んだまま、シイナを上から下まで見る。口調は礼儀正しいが視線は不躾である。内心何を思っているのか、どこまで知っているのか分からない。シイナはその視線に気づき、警戒するように体をわずかに斜めに構えた。
男は咳払いを一つし、話を本題へ移す。
「実は我が国との技術交流へのお誘いに参りました」
「技術交流?」
「はい。私どもも生命科学研究に力を入れていこうというところでして。眞壁様の知見をご教授頂きつつ、我々の成果も見て頂き、ご助言を賜れば──なにかこう、シナジーのようなものも生まれるかと」
眞壁は指を顎に当て考える仕草をした。話によっては門前払いと言う訳でもないが──この男の底が見えない。
「ふん──悪くないがね。おたくらとはちょっと前まで戦争状態にあったわけで。この話は我が国の政府を通してあるのかね」
男は微笑んだまま目を細め、少し声を落として言った。
「ツルミ政府、ですか──」
眞壁の自宅と、古びた設備をもう一度眺める。
「眞壁様は、今は政府機関で働いている──という訳でもありますまい」
言葉は丁寧だが含みは露骨だ。
「ツルミ政府が眞壁様の行動に、とやかく言う道理はもうないのではないですか?政府から厚遇を受けているという訳でも無いようにお見受けします」
男の青い目は、ガレージ奥のガラクタを見ながら細められた。
「今の境遇をどのようにお考えでしょう。眞壁様がこちらでご不満なくお暮らしなのであれば我々から申し上げることはありません。しかし、もしご不満なのであれば──」
男は一度ここで言葉を区切る。眞壁は男の言葉を待つ。
「──我が国の上級研究員のポストをご提供することも可能です。機材や資金について心配する必要はもうありません。どうです?悪い話ではないでしょう」
「帰ってくれ」
眞壁は即答する。
「あんたらの要求は分かったが、私はセントラに魂を売るつもりはない」
男はおどけた表情で驚きを表現した。
「魂!」
少し間をおいて、男は口を開く。
「我々は眞壁様の魂までは要求致しません。ただ、このままでは、セントラもツルミも、人口減少によって滅びの道を進むだけです。我々は、セントラ、ツルミといった垣根を超えて、人類そのものの存亡を憂いています。眞壁様の人工子宮分野での実績を持ってすれば、その未来を変え得る力を持っている、そのようにお見受けしております。我々は、そのお力に投資をしたいだけなのです」
「ふん──それは買い被りすぎだ」
「そうでしょうか──?」
男は再び微笑む。
「また日を改めて伺います──」
そう言って男は踵を返し、立ち去って行った。シイナは、男が去った方角をしばらく見つめていたが、やがて黙って戸を閉めた。
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シイナは古びたスクーターに跨り、もう一時間近く山道を走り続けていた。
「全く、人遣いが荒いんだよ──」
悪態をつきながらも、頼られるのが嫌いではないシイナは少し上機嫌だ。もっとも、その性分を利用されていることは薄々分かってもいるのだが──。とにかく、隣町まで壊れた実験機材の買い出しに行け──それが今日の眞壁からの用件だった。
季節はようやく春になったばかりで、道沿いにはちらほらと山桜が咲いている。淡い花の色がフルフェイスのヘルメットのシールド越しに流れていく。その景色はシイナの目を引いたが、日が暮れるまであまり時間もなく、立ち止まって眺める余裕はなかった。
機材は一応ネットでも注文できる。だが配達員は慢性的に不足しており、納品まで一か月以上かかることも珍しくない。そのうえ送料は年々上がり、もはや品物の代金より高額になることの方が多かった。辛抱強い金持ちか、身体の自由がきかない者でもなければ、多くの人間はこうして自分の足で買いに行った方が合理的なのだ。
村を離れてほどなく、道路の舗装は目に見えて荒れ始めた。峠道の中腹に差しかかる頃には、かつてアスファルトで覆われていたはずの路面はほとんど失われ、土と砂利がむき出しになり、所々で木の根が道を割って顔を出している。
色褪せた道路標識が断続的に現れ、ここが今も辛うじて「国道」であることを示している。本来なら片道二車線あるはずの道だが、外側の車線は倒木や雑草に覆われ、実質的に走れるのは中央寄りの一車線だけだ。
そして、スクーターの細いタイヤは、こうした悪路の走行に向いているとは言い難い。
「うわ、うわ──」
大きめの石を踏みつけ、ハンドルが大きく取られる。なんとか体勢を立て直したその直後。
──ゴトゴトゴトッ
ハンドルが急に重くなり、前輪から鈍い違和感が伝わってくる。タイヤが沈み込んだ。パンクしたようだ。
「あ──やっぱり村の人に頭下げて軽トラック借りておくんだった──!」
舌打ちしながらエンジンを切り、スクーターを降りる。仕方がないので、手で車体を押し始める。重い──想像以上に重い。
日は昼を少し回った頃。息も上がり、不安がじわじわと胸に広がる。一応スマートフォンは持っているが、そもそもこの機械はあまり当てにならない。村の中ですら使える場所が限られているのだから、こんな山道で助けを呼べるはずもない。
シイナは路肩にスクーターを寄せ、その場に座り込んだ。
どのくらい経っただろうか。
ビッ、ビッ。
途方に暮れるシイナの背後から、控えめなクラクションの音がした。振り返ると、古びた軽トラックが止まっている。運転席には中年の男、助手席には同年代の女が座っていた。窓が開き、男が顔を出す。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
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スクーターとシイナ自身は、軽トラックの荷台に載せられ、近くの集落まで運ばれることになった。
「ちょっと前の台風からこの辺の道は荒れててなあ。そんなスクーターじゃ危ねえよ」
運転席の男が、窓越しに声をかけてくる。
「街までは無理だけど、うちらの村までは行ってやれる。パンクくらいなら直せるからよ」
「うん!おじさん、本当にありがとう」
助手席の女性は、何も言わずに微笑んでうなずいている。
しばらく国道を走ったあと、トラックは不意に脇道へ逸れた。砂利の散らばった急な斜面を下り、さらに三十分ほど進む。
やがて森が途切れ、視界が開けた。急に、きちんと舗装された道が現れる。村に着いたのだ。
シイナは荷台の上で、横倒しになったスクーターのハンドルをぎゅっと抱き寄せる。
トラックの窓越しに見える村の様子を、シイナはじっと観察していた。
寒村であること自体は、眞壁の生家の村と変わらない。だが、明らかに違う点がある。
──子供が多い。
どの家の前にも、必ず一人か二人、子供の姿がある。何人かは、シイナを乗せたトラックに気づき、こちらを見ていた。シイナが遠慮がちに手を振ると、子供たちは驚くほど愛想よく、元気に手を振り返してくる。
賑やかで、活気のある村だ。そう思った、その直後。
違和感に、気づく。
多くの家の玄関や窓に、えんじ色の布が掛けられている。中央には白い輪のような模様。大きさも形もさまざまだが、色と意匠は皆一様に同じである。よく見ると、軽トラックのダッシュボードの上にも、同じ布が置かれている。
村の大人たちは、皆穏やかな笑顔を向けてくる。そして、示し合わせたように、両手を胸の前に掲げ、指で輪を作る。そのまま、深くも浅くもない会釈。
研究所でも、シイナが暮らすミタ村でも、スクーターの免許を取りに行った隣町でも──シイナはこんな仕草を見たことがなかった。
理由は分からない。ただ、背中に、冷たい汗が流れる。
この村には、何かある──普通ではない何かが──




