少子化の果てのユートピアで 4話
季節は冬に差し掛かり、廊下を行き交う研究者の吐く息は白くなっていた。
予算削減と書類作成業務の増加の煽りを受けて、篤田も他の研究者と同様忙殺されていた。元々、篤田のやり方は、研究者が被検体に密に関与する、人手のかかるものであった。書類仕事の増加は研究自体の継続を脅かしつつあった。
ニコとシイナは数日間、食事の提供を除けば実質的に放置されたような状態となっていた。ニコは落ち着きなく観測エリア内を歩き回り、何か面白いことはないかと探していた。一方、シイナはここのところ塞ぎ込み、寝室でずっと膝を抱えて座っていた。特に、廊下から漏れ聞こえてくる議員と所長の会話を聞いてしまってからは、ずっとそんな調子だ。
「──A-0417とF-0025は、あなた方の実験としては成功かもしれませんがね。今その存在が公になってしまったら国民はパニックになりますよ。研究が終了する以上、身寄りのない子供として出自を隠して児童養護施設に入れるしかない──」
「──この実験で生まれた子供で、一年以上生きたのは彼女たちだけです。経過をつぶさに観察しなくては命が危険です」
「それはあなた方の実験の都合でしょう!こんな実験などそもそも始めなければよかったという話なのです。我々は譲歩しているのですよ。なんなら、今この研究所の実態を、前政権の負の遺産として全て公開してもいいのですよ」
「──それだけは、ご容赦頂きたい」
その後も、実験、観察、施設、といった言葉が度々使われた。シイナは議論を全て理解することは出来なかったが、おおよそ議員が言いたいことの意味はわかった。
「あいつら厄介者は、生まれてくるべきじゃなかった」
「間違った実験によって生み出された」
「人間ではない何かだから、なかったことにしたい」
そう言っているのだ。そして、所長もそれに正面切って反対はしていない。二人の世話をしに来なくなった篤田も、最近ではそう思っているのではないか。シイナは、そのようにさえぼんやりと推測するようになった。私たちはもう要らないから、「施設」というところに押し込まれて暮らす──そんな漠然とした恐怖を感じるようになった。
気がつくと、もう夜になっていた。
もう就寝の時間だが、ニコはまだ寝巻きにもならずソワソワとしている。
「ねえシイナ、シイナってば」
「──なに」
「今ね、電源設備室の鍵が開いてるんだよ──」
「そう。あそこは入っちゃいけない所だよ。篤田さんが危ないって言ってた」
シイナは俯いたまま応える。
「──シイナ聞いて。停電になるとみんなあの部屋に入って直すでしょう?ってことは、あの部屋に行けば、逆に停電を起こすことだってできるはず」
シイナは顔を上げて心配そうにニコの方を見る。ニコは続ける。
「停電になったら、非常扉が開いて、センサーが止まる。そうすれば、私たちは捕まらないで外の世界に出られるよ」
シイナは、ニコの最初の脱走の時から、脱走計画をもう何度も聞されていたので、最早驚かなくなっていた。
「ねえ、やっぱりシイナも行こうよ!」
「私は行かない。もういいの──」
「シイナもこの前聞いたでしょう?このままじゃ、施設っていう場所に連れて行かれて、篤田さんとももう会えなくなるんだよ?外に出て自由になれば、またいつか篤田さんにも会いに戻って来られるよ」
「無理だよそんなの──」
ニコは諦めたように笑った。
「シイナは、やっぱりそうなんだね。頭はいいのに、閉じこもってばかり。でも、私は行くよ。シイナのことも、いつか助けにくるからね」
シイナは、何も言えなかった。ニコが外に出たい気持ちをよく知っているし、実は、今脱走するのが正しい可能性すらあるとも考え始めていた。しかし同時に、シイナは脱走が上手く行くとも思えなかった。それに万一脱走が成功したとして、それからどうする?私たちは実験で生み出されたおかしな生物なのに?厄介者でいない方がいいと思われているのに?
「──ニコ」
呼び止める声は小さく、か細く、ニコは一度振り向いて曖昧に笑うと、そのまま立ち止まることはなかった。ニコが部屋を出ていくのを見つめながら、シイナは布団から出て追いかける力が、どうしても出なかった。
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ニコは廊下を抜け、電源設備室の前に立っていた。
無機質で重そうな扉には、立入禁止、高電圧、危険といった警告表示がいくつも貼られている。日中頻繁に出入りする技術員が人手不足のために時間が無く、ロックの開閉時間を節約したかったのだろう。小さなスパナが扉と地面の間に挟み込まれ、ロックが解除されたままになっていた。そのまま元に戻すのを忘れたようだ。
ニコは、力を込めて扉を開く。ぎい、と低い音を立てる。閉まった際にロックされないよう、再度スパナは元の場所に挟んでおく。
電源設備室の中は、思っていたよりも広かった。
壁一面に並ぶ制御盤、無数のケーブル、点灯・点滅するランプ、微妙に揺れる計器の針などが部屋一面に配置されていた。
「──すご──」
思わず声が漏れる。電気、という言葉で一括りにしていたものが、ここでは細かく、複雑に絡み合っている。何がどう機能しているのか見当もつかない。
ニコは一歩、また一歩と中に入る。
「えっと──」
真横で正体不明の機械が「ヴォン」と音を立てる。ニコは驚いて身を屈めるが、特に何も起きない。少し怖くなってきたが、ここで怯んでいても自由は手に入らない。ニコは勇気を振り絞り、適当なスイッチに手を伸ばした。
カチ。
何も起こらない。
別のスイッチ。
カチ。
また、何も起こらない。
「──なんで」
焦りが出てくる。
そこで思い切って、ボタンやバーの類をまとめて出鱈目に操作した。
次の瞬間、制御盤の一角が異様な音を立て始める。計器の針が振り切れ、ランプが不規則に点滅する。そして、焦げたような匂い。
「──あ」
煙が、じわりと立ち上った。煙はすぐに黒くなり、勢いを増す。内部で、何かが弾ける音がした。パン、と乾いた破裂音。
次の瞬間、電源室の照明は消灯し、室内は非常灯の灯りだけになった。どうやら停電を起こせたようだ。
「──よし!」
ニコは小さくガッツポーズをすると、踵を返し電源設備室を飛び出す。観測エリアと外の廊下を隔てる非常扉は思いの外重かったが、体重をかければ出られないと言うことはない。中央研究棟を抜けるまでの長い廊下のセンサーは沈黙している。
中央研究棟の受付フロアから建物の外に出る時も、正門をよじ登って脱出する時も、もうセンサーや警報は作動することはない。
ニコは外の世界へ向かって走った。
振り返ることはない。
外へ──
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シイナは異変に気づいていた。空調の音が途絶えたので停電したことにはすぐに気がついた。それからしばらくして、廊下の奥から異臭が漂ってくるのを感じた。
「──?」
寝室を出て廊下を渡り、電源設備室の入り口を覗き見る。扉の隙間から、はっきりと黒煙が噴き出していた。
「──ニコ?」
胸が冷たくなる。中から、赤い光がちらつく。火だ。誕生日のケーキのろうそくより、ずっと大きな火。
「──そんな──」
どうしていいか分からない。頭が真っ白になる。
──篤田さん。
そうだ、篤田さん。シイナは振り返ると、ある場所へ向かって駆け出していた。
第三実験室。
この部屋は共用の実験室だったが、実質篤田が個人的に占有していて、シイナやニコも連れて来てもらった場所。生まれて間もない頃、顕微鏡を覗かせてもらった場所。シイナは、篤田が徹夜の時にその部屋のソファで寝ていたことを思い出した。観測エリアを抜けて、中央研究棟を上へ上へと裸足で駆け上がる。
廊下を抜け、「第三実験室」と書かれた部屋の引き戸を開ける。
「篤田さん──?」
返事はない。部屋は暗く人の気配がない。机の上に積まれたPC、資料。よく分からない実験用の機械、使いかけのマグカップ。
シイナは不安に押しつぶされそうになった。被験体であるシイナは、避難訓練も受けていなければ、火災時の通報についての知識もなく、為す術もないままその場に座り込んでしまった。火災のときに何をすべきか、シイナは教わっていなかったのだ。
どのくらいそこにうずくまっていただろうか。シイナは、座り込み、膝を抱えていた。自分たちは守られていない、この世で置いてけぼりにされる、という強い不安の感覚に襲われ、シイナはじっとそれに耐えていた。
次第に、第三実験室まで煙が上がって来た。遠くで、何かが崩れ落ちる音、ガラスの割れるような音、大人たちが叫んでいる声がする。火災に関する知識のないシイナでも、流石に強い危機感を覚え始めていた。それと同時に、もうどうでもいいか、このまま死んでしまってもいいか、という諦めに似た感覚が全身を支配しつつあった。
そもそも。
自分たちは間違った実験によって、間違って生まれて来た生命なのだ。あの、ろうそくの火の大きい版に焼かれれば、自分はきっと死んでしまうのだろうが、それは物事があるべき状態に戻るだけなのだ。篤田さんも、ニコと自分がいなくなれば、あんなに忙しくしなくても良くなるから、きっと喜ぶに違いない。そう思うと、不思議と心から恐怖心が遠のき、気づくと薄っすらとした笑顔さえ浮かんでいるのだった。
その時、実験室の入り口がガラリと開いた。
「篤田!篤田はいるか!」
眞壁の声だ。
シイナは、篤田がやってきたのかもしれない、という期待で素早く顔を上げたのだが、その期待が裏切られた事で再び落胆し、うつむいてしまった。
篤田があまり世話をしてくれなくなってから、眞壁は時々食事を持って来てくれることがあった。あまり人間らしい会話をしたことがないが、悪い人ではないらしい、ということは徐々にわかっていた。ただ、時々顕微鏡を覗き込むのと同じような目で自分たちを見ていることがあり、薄気味悪さを感じる事が多々あったのだが──
眞壁について印象深かったのは、篤田とお互いに信頼関係を持って仕事をしていることが感じられ、シイナにはそれが何とも羨ましかったことだ。自分もこんな風に、篤田や周りの人を信頼し、信頼されながら、「おしごと」というものをやってみたい。漠然と、そんな風にも感じたものだ。
「データの持ち出しが間に合わない! 手を貸せ! 篤田!」
こんな大変そうな時にデータの持ち出し?データってそんなに大事なの?シイナは憮然とした顔で、気づかれないようひっそりと眞壁が実験室を漁るのを眺めていた。
「ん──君? ちょうどいい。A-0417か。篤田はどうした?」
シイナは眞壁に見つかった。目の前の人間の心配より先に、研究に必要な部下の所在を聞いてくるあたり眞壁らしい。シイナはそう思った。
シイナはポツリポツリと状況を説明すると、眞壁は、篤田が既に生きていない可能性があると言う。それを聞いたシイナは、自分の命はこのままここで終わりにしたいことを暗に告げる。
眞壁はそれを聞いた瞬間、即座に却下する──それも極めて自己中心的な理由で。
「シイナ、結婚して私の妻になるんだ。そして、妻として、私の研究を手伝うんだ」
結婚、という言葉は絵本のお姫様が、王子様とするようなロマンチックなものだと思っていた。将来、自分は篤田と結婚するのかなあ、くらいのぼんやりしたイメージはあったが、具体的な考えは何も持っていなかった。目の前のサイコパスなおじさんと結婚する、というのは正直全然イメージがつかない。
しかし「研究を手伝う」という部分には、塞ぎ込んだシイナの心にとって、かすかな魅力があった。
かつての篤田と眞壁のように、信頼関係を持って、研究という「おしごと」が自分にもできる──としたら?
「はぁ──そんなに言うなら──仕方ありませんね。ここを出られたら考えます」
シイナは渋々立ち上がると、眞壁と研究所を後にした。背後では、研究棟の窓がひとつ、またひとつと赤く染まっていった




