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少子化の果てのユートピアで 2話

ツルミ共和国東部、沿岸に近い旧工業地帯の一角に、国立総合生命科学研究所はある。


かつては化学工場が並んでいた地域だが、人口減少と産業再編の波を受けて今では多くの設備が放棄され、一部の区画に研究施設と倉庫が点在するだけの静かな土地になっていた。


この研究所では、遺伝子治療、再生医療、老化抑制、人工臓器──そうした、生命科学研究が扱われる。人工子宮研究もその一つだ。もっとも、外向けには「人工子宮」という名称で大っぴらに研究されているわけでもなく、損傷した生殖機能の代替や、重篤な妊娠症の修復のような一般医療技術の一環として、基礎研究がくり返されている段階にある。

──少なくとも、書類上はそうなっている。


朝七時過ぎ、研究所へ向かう一本道に、ぽつぽつと人影が現れ始める。研究者、技術者、事務職員。かつてこの辺りも通勤時間帯には通勤ラッシュで込み合ったというが、それも今は昔。人の流れは静かなものである。


眞壁慶一も、その中の一人として歩いていた。変わらない同じ道、変わらない正門、そして相変わらずの抗議デモの横断幕。


幅広の布にマーカーで描かれた大仰な文字が目に飛び込んでくる。


「人工子宮反対!」

「人体実験を直ちにやめよ!」

「生命への冒涜!」


研究所の敷地と公道の境界で、拡声器を持った5人程の中年の男女が大きな声で何やら騒いでいる。

「飽きもせずに──」

眞壁は歩調を緩めず、その光景をのんびり眺めながらつぶやく。人工子宮研究による人工的な人間の生産、という政策は大々的にはなっていないものの、数年前ゴシップ誌で一度この研究所の特集が組まれてから、定期的にこの手の連中がデモをするようになった。大した人数でもないので研究所側も大きな問題にしていないが、拡声器は不快なので取り上げてもらえないものか。眞壁は見かける度にそう思案する。


正門を越えた辺りで外の喧騒は遠ざかる。中央研究棟の建屋に入ると、隣を歩く若手研究者が声をかけてきた。

「おはようございます、眞壁さん。また来てますね、あの人たち」

眞壁はつぶやくように、

「そうだな」

とだけ答え、視線を前に向けた。


「大丈夫でしょうか。政府に陳情してるって話も聞きましたよ。研究費止めろ、とか」

「ご苦労なことだ」

こともなげに答える眞壁の声には、皮肉も怒りもない。

「心配じゃないんですか?政府は市民の声にはそれなりに敏感ですよ。それに最近は、政権交代もあり得るんじゃないかって言う噂もありますし──」

「彼らには何も変えられないさ。変えないことを売りにさえしている連中だ」

棟内の廊下を二人は黙って歩く。数十年前に建設された鉄筋コンクリート製の研究棟は、壁面にところどころひび割れが目立つ。空調類も電力事情が今ほど逼迫していなかった頃の大型のものが備え付けられているが、そのせいで控えめな稼動しか許されていない。


「眞壁先生」


研究室に入ると声をかけてきたのは、別の若手研究者だった。少し硬い表情をしている。眞壁はデスクの大きなディスプレイに電源をつけPCを起動させながら、ハンガーラックに上着をかけに向かう。


「例のC-19系列の被検体ですが──」

若手研究者は俯いたまま、言葉を詰まらせた。眞壁は足を止めそちらを向く。

「どうした」

「その──今朝、呼吸停止を確認しました」

一瞬、真壁の眉が上がる。

「そうか。死因は?」

「肺炎の可能性が高いと見ています。現在、詳細を調査中です」

「なるほど。特定を急ぐように」

若手研究者は一瞬眞壁を見て、言葉を飲み込む。部屋の中に、わずかな沈黙が落ちる。

「どうした、引き続き頼む」

それだけ言って、眞壁は再び歩き出そうとする。

「──それで、終わりですか?」

眞壁は立ち止まり、振り返る。

「他にも何か報告が?」

「いえ、その──」

若手は俯いたままつぶやいた。

「──もうすぐ、一歳でしたよね。その──もっとないんでしょうか、悲しむとか──」

眞壁はしばらく黙っていたが、やがて、ゆっくりと口を開く。

「一つ、認識を確認しておきたい」

眞壁は穏やかな声色で続ける。

「去年の合計特殊出生率を覚えているか?」

「──0.84です」

「ツルミ共和国の人口は?」

「二十八万人です」

「そう。三百年前には一億の人口を擁したこの国がだ」

眞壁は天を仰ぐ。

「そしてその結果、この研究所の予算は去年より増えたか?」

若手は首を振る。

「そうだ。何一つ良くなっていない。全て、悪くなる一方だ」

眞壁は淡々と続けた。


「我々には時間がない。 結果を出す前に、この研究所は閉ざされるかもしれない。完全に人の手で制御可能な人工子宮と国民の量産体制。時間切れになる前に、結果が必要だ。とにかく結果を出さなくてはならない」


若手は黙って聞いている。


「今日の失敗も、結果を出す為の一歩だ。我々研究者は失敗を無駄にはしない。次に繋げるんだ。我々は感傷に浸って止まってなどいられないんだ」


一拍置いて、眞壁は付け加えた。


「それとも君は──」

廊下の奥、正門のある方向を一瞬だけ見やる。

「門の外で叫んでいる人たちと、同じ立場に立ちたいのかな」


俯いた若手研究者から、答えはない。

旧式の空調音は、変わらず研究室を満たしている。


若手研究者が出ていくと、部屋には再び静寂が戻った。眞壁はしばらく、その場に立ったままだった。


やがて、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、さきほど起動を終えたPCでC-1905の被検体データをいくつか眺めてみる。ディスプレイには複数のウィンドウが並んでいる。出産前の培養ログ、直近のバイタル推移、免疫指標、ワクチンの履歴。どれも、何度も見返したデータだ。


一歳。


どうしても、そこを越えられない。


肺炎。その前は循環不全。さらに前は、消化管の異常。いずれも原因はばらばらで、明確な共通項はない。


だが、結果は同じになる。どの被検体も一歳を迎えることなく死んでしまうのだ。


眞壁は机に肘をつき、両手で頭を抱えた。


「──くそっ」


思わず漏れた声が静かな研究室に小さく響く。苛立ち、焦り、逼迫。この問題を越えられずにもう何年も立ち往生している。


何かがある──見えていない、何かが。

栄養でも、免疫でも、環境でもない、別の何か。


分からない。越えられない。


やはり、神の領域に人は立ち入れないということなのか──デモの横断幕の「生命への冒涜!」という文字が頭をよぎるが、すぐに頭を振る。そんなはずはない。この世に神などいるものか。

眞壁は手を頭に載せたまま、しばらくデスクトップに並ぶウィンドウを、ただぼんやりと眺めていた。


そのとき、ドアがノックされた。


「失礼しまーす」


間の抜けた声とともに、部屋に入ってきたのは篤田だった。三十代半ば、白衣の着こなしも雑で、口に菓子パンをくわえている。研究所の空気にはやや馴染まない男だ。


「あー。眞壁さん。珍しく辛気臭い顔してるじゃないですか」


菓子パンをモグモグと頬張りながら言う。眞壁ははっとして顔を上げ、すぐに平静を装った。


「──ふん」

椅子から立ち上がり、いつもの調子を取り戻す。

「また一歳前の被検体が死んだぞ」


「聞きましたよ。C-1905でしょう。気さくで、いい子だったんですが。残念ですね」

「いい子?」

眞壁の眉がわずかに動く。

「篤田まで感傷に浸るのか。どいつもこいつも──」


「やれやれ」


篤田は大げさに肩をすくめる。


「その様子だと、分かっていませんねえ。どうして眞壁さんの被検体、いつも一歳前に死んじゃうのか」


「健康状態が不安定だからだ」

眞壁は即答する。

「だが、なぜそうなるのかは分からない。君には分かるというのか?」


「わかりませんが、僕なりの仮説はありますよ」

篤田はわざと間を取った。眞壁は無言で睨む。


「ずばり、愛情ですよ。愛情」

「──なに?」


「眞壁さんには、被検体への愛が足りない」

眞壁は天を仰ぎ、ため息をつく。


「何を言い出すかと思えば──」

「いえね、私だって科学者の端くれですから。栄養、血液成分、循環器や呼吸器の状態、温度、湿度。そういう物的要素が重要なのは百も承知です。でも、人間が育つには、それだけじゃ足りないんですよきっと」


篤田は部屋を歩きながら、壁に埋め込まれた温度・湿度計に指先で触れる。


「君が博愛主義なのは結構だが」

眞壁は眉を顰める。

「具体的に、愛情とやらはどのパラメーターを上げることを指している?」

「パラメーター!」

篤田は声をあげた。

「眞壁さんらしいなあ。ただ、そうですねぇ──あえて言うなら、観測頻度の向上。要は、もっと手間暇かけてお世話しろってことです。普通の人間の赤ん坊みたいに」

「被検体は出産時点で、通常の人間の十三歳相当の肉体で生まれて来るんだぞ。胎内教育で義務教育レベルの学習だって施している。赤ん坊のような手間暇など必要なものか」

「そのアンバランスさがいかんのです。生まれるまで得られなかった分の愛情を、生まれてから穴埋めするように、たくさん与えなくてはいかんのです」

「それで肺炎や循環不全が防げると?」

「さあ──しかし観察回数が増えれば、早期発見には繋がるかもしれません。それ以上に、私は被検体の健康に精神的な安定性が関連していると考えているのです」

「──抽象的だな」


眞壁は鼻を鳴らした。そのまま黙り込み、数秒考える。


「今、受精後半年の人口子宮が二ラインあるな」

「A-0417と、F-0025が入ってるやつですね」

「そうだ」

眞壁はゆっくりと言った。

「その二人を君に預ける。君の言う“愛”とやらで、一歳の誕生日まで生かしてみろ」

篤田の菓子パンを頬張る口の動きが止まり、目がわずかに見開かれる。

「ずいぶん太っ腹じゃないですか。僕気合い入っちゃうなあ」

「結果が出なければ、次はない」

「分かってますって」


篤田は軽く手を振り、観測室の方へ向かっていく。ドアが閉まると、研究室には再び静寂が戻った。


──愛情か


欠けたピースは、本当にその程度のことなのだろうか? 分からない。

しかし今の眞壁は、そんな藁にも縋りたいほどに、壁に直面していた。


年々厳しくなる研究所の予算と、政治や世論に左右されるセンシティブな研究テーマ。時間はない。篤田に任せたことは賭けだ。


残された眞壁は一人、ディスプレイに映る亡くなったC-1905の生体データを見つめていた。

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