少子化の果てのユートピアで 1話
二三二五年十二月八日 深夜
ツルミ共和国 国立総合生命科学研究所の電源設備から発生した火の手は、まもなく研究棟全体を覆い、国内唯一の人口子宮研究施設を今にも焼き尽くそうとしていた。
老朽化が進んだ施設では火災報知器の作動が遅れ、施設内に張り巡らされたスプリンクラーも充分に機能することはなかった。地下区画で作業に従事していた研究員も火災の発生に気付くのが遅れ、逃げ場を失ったまま煙に包まれて既にその多くが命を落としていた。
人口子宮研究部部長であり、主任研究員でもある眞壁にもまた危険が迫っていた。しかし彼はこの災害の最中でも平静さを失わず、研究所のサーバーから手持ちの情報端末にデータを移し替える作業を続けていた。
「ふふ──やらかしてくれたな──」
誰もいなくなった研究室で、部下の失敗した発表でも見つめるかのような温度の声で、独りつぶやく。
研究室には少しずつ煙が充満していく。もう残された時間は長くなさそうだ。
画面上には「コピー中 7283/145302」の表示。数分前から、そこから動きがなくなってしまった。PCの性能は、三百年前から進化していないどころか、むしろ退行している。大半の研究データは持ち出すことが叶わなそうだ。
眞壁はケーブルを引っこ抜くと、PCをカバンに詰め自分の研究室を出る。
ハンカチで口と鼻を覆いながら、非常階段で階下に急行し、廊下を渡り「第三実験室」と書かれた部屋に向かう。
「篤田!篤田はいるか!データの持ち出しが間に合わない!手を貸せ!篤田!」
眞壁は実験室内で声を張り上げた。しかし室内は静まり返り、返事がない。眞壁は舌打ちすると、煙で視界が悪くなりつつある実験室内で有用なものがないか物色を始めた。この国はもう何十年も前から税収が減り続け、昨今の予算不足は深刻だ。貴重な測定器などの実験器具は少しでも持ち出さねばならない。
「ん──君?」
実験室の隅で少女がうずくまっているのを見つける。眞壁は目を細めて続ける。
「ちょうどいい。A-0417か。篤田はどうした?」
恐怖で言葉が出なくなっているのか、少女は応えない。眞壁は少女の肩を揺すりながら何度か同じ質問を繰り返す。
「わからない──地下の観測エリアからここに篤田さんを探して来たけど、もしかしたらまだ地下にいたのかも──」
「ふん、そうか。この煙ではあっちはもうダメだな。残念ながら持ち出せるデータにも限りがありそうだ。そろそろ我々も脱出しないといかん──」
少女は不安げに眞壁を見上げる。
「この研究所はもう終わりなの? 私たちはもうどこか遠くに行かされるの?」
眞壁は首を傾げながら肩をすくめる。
「さあな──この騒ぎでマスコミも来るだろう。君たちは極めてグレーな存在だから、上が上手くやれなければ、研究所も閉鎖かもしれん。ただ、私は研究を続けるつもりだ」
淡々と応える眞壁に、少女は質問を続ける。
「篤田さん──篤田さんはどうなってしまったの?」
「言ったとおり、地下はもうダメだ。篤田が地下に行っていたなら、望みは薄い」
眞壁は冷徹に応える。A-0417と呼ばれる少女は両手で顔を覆った。
「そう──それなら私も、ここで一緒に──」
「駄目だ。君は私と来てもらう」
眞壁は、少女の言葉を遮るようにして言った。
「データは少しでも残さねばならない。データ無しに研究は完成しない。君は篤田の残した貴重なサンプルだ。ここで失うには惜しい」
少女は俯いた。眞壁の言葉は何とも力強い。綺麗事ではなく、本当に一緒に来て欲しいのだろう。それはわかる。しかし、なんとも事務的な理由で、少女の心は全く惹かれない。少女は顔を覆ったまま、動こうとすらしない。
「君には多くの研究費も費やされている。成長過程で特異な経過も示された。君はこの国の希望になるかもしれない。ここで死ぬなんて損失なんだ。君もそう思わないか?」
「私そんなのわからないよ。国がどうとか──」
少女が膝を抱く力がかえって強まってしまった。眞壁が熱弁するほど逆効果なのだ。
「篤田さんがいなくなってしまうなんて──」
眞壁はぼりぼりと頭をかき、ため息をつく。
「"シイナ"、君が必要なんだ。一緒に来て欲しい。頼む、来てくれないか」
"シイナ"とよばれ、驚いたように少女は顔を上げる。しかし、まだ気乗りのしない表情をし目を伏せている。
「でも──」
眞壁は深呼吸し、言葉を続けようとする。何か言葉を、シイナを動かすための言葉を──思案を巡らせるがあまり良い案は浮かばない。
最近はずっと被験体の世話を篤田に任せきりで、同じ時間を過ごしてすらいない眞壁には、うまい言葉は思い当たらなかった。
しばらくの沈黙のあと、眞壁は研究室にあった一冊の絵本を思い出していた。絵本では、王子様が少女を迎えに来て、結婚を申し込む。すると少女はいたく喜んで、王子様と城に同行しハッピーエンドとなるのだ。篤田はこの絵本を何度も読み聞かせる事をせがまれ、辟易していた事を覚えている。
ちなみに王子が少女に出会ってから、結婚を申し込むまでの煩雑な過程は覚えていない。些末な事だ。こうして眞壁は一つの邪悪な提案に辿り着いた。
「シイナ、結婚して私の妻になるんだ。そして妻として、私の研究を手伝うんだ」
少女は再度驚きとともに顔を上げ、今度はしげしげと眞壁のことを見つめる。いつも遠巻きに自分たちを見ていた時のように、何を考えているのか分からない不思議な顔。ニヤついてもいないが、およそ真剣にも見えない。たった今自分に求婚しているようだが、そもそも研究という別の衝動に突き動かされている。狂気を内に秘めた、サイコパスの人間の顔。実験の過程で、いくつ子供の人命が失われても眉一つ動かさないという噂も聞く。
研究所から出たことのないシイナにも、この求婚が、篤田に読んでもらった美しい物語に描かれたようなものではない、と言うことはすぐにわかった。何とか断ろうと、シイナは理由を考えた。
「でも私、眞壁さんの顔あんまりタイプじゃないし──」
そう言われても、眞壁の表情は微動だにしない。
「そんなことはわかってる。でも、我慢してくれ。私には、君がどうしても必要なんだ」
あまりの強引さにシイナは思わず苦笑してしまう。
「今すぐに返事をしなくてもいい、まずはここを出て、それから考えてくれ。但し、極めて前向きにだ」
シイナは困惑した。こんなのものは自分の知る「プロポーズ」ではない。到底受け入れられない。受け入れられないが──
眞壁は同じような身勝手な理屈をしつこく何度も繰り返す。あまりのしつこさと強引さに、思わず立ち上がってしまう。
「はぁ──そんなに言うなら──仕方ないね。ここを出られたら考えるよ」
折角、感傷に浸ったまま、実験室の片隅でうずくまって死ぬことを考えていたのに。馬鹿馬鹿しくてそんな気分にもなれなくなってしまった。
「ああ、前向きにな。では、よし、この荷物を半分持て。そしてここを離れるぞ」
眞壁は実験室で物色した機材や資料の一部をシイナに押し付けた。
「え──こんなに? 非常時なのによくこんなに欲張るね──」
「ああ、上手く持ち出せれば、再購入の手続きにかかる時間を節約できる。特にここ最近の省庁の奴らはケチだからな」
シイナの頭には、この男は、たった今この荷物を持たせたいが為だけに、自分に結婚を申し込んだのではないだろうか、という疑念さえ浮かんだ。
ため息をつくシイナの手を取り、眞壁は実験室を後にする。そして二人は姿勢をかがめながら、長い廊下を超えて建物から脱出を果たした。
二人が研究所の正門に至る頃には、中央研究棟はすっかり炎に包まれてしまっていた。眞壁は研究棟の方を振り返り、呟く。
「F-0025」
「え──?」
「F-0025のデータを持ち出せなかったな──やはりそれだけは心残りだ」
シイナは何も言わず、目を細め唇を閉じた。
わずかに空が白みかける中、到着したばかりの消防隊員が慌ただしく水を放つが、炎は衰える様子を見せない。眞壁はシイナと並び立ち、その光景をしばらくのあいだ何も言わずに見守っていた。
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時は三年前に遡る。
人工生命科学学会の年次大会、その壇上に眞壁は立っていた。
「──で、あるからにして──本理論にて人工子宮を用いた受精から出産までの過程を、人の手によって完全に再現することが可能になったと考えている。この成果に基づき、今後の臨床計画を別紙に記載しているように想定している──なおPSP波による干渉に耐えるため、本研究では──」
淡々とした研究発表が続く中、聴衆の間にざわめきが広がっていた。とんでもない研究が発表されたのだ。人工子宮でタンパク質から人間を完全にゼロから培養可能。アイデアだけは数百年前から存在していたが、さまざまなハードルのために実現できた者はこれまでいなかった。したがって、これを聞いて驚かない研究者はいない。 発表が終わると盛大な拍手が巻き起こると同時に、質疑応答が相次いだ。
「成長環境の安定性についてですが、個体差はどの程度確認されているのでしょうか」
「倫理審査の前提条件は、既存の生殖医療ガイドラインを踏襲しているのでしょうか」
「受精卵段階からの外部刺激制御について、再現方法を詳しく──」
次々に投げかけられる質問はいずれも具体的で、国内外の同じテーマの研究者からの静かな熱気を帯びたものだった。会場の関心は、この研究が本当に可能であるかどうかではなく、どこまで実用的なものなのかに移っている。眞壁は一つひとつに簡潔に答え、必要とあらばスライドを戻し、数値と手順を示した。本来なら時間超過で打ち切られるはずの質疑が、司会の制止もなく続いている。
やがて、後方の席から一つだけ、わずかに調子の違う質問が上がった。風貌から察するに、研究者ではない。マス・メディア関係者だろうか。
「この技術によって、今後、出産という行為そのものが不要になる──そう理解してよろしいですか?」
一瞬、会場のざわめきが途切れる。視線は一斉に、壇上の男に集まっていた。眞壁は問いを反芻するように、わずかに間を置いた。
「不要にするかどうかは、国や社会が決めることです」
彼はそう前置きしてから、淡々と続けた。
「本研究は従来の出産行為を否定するものではありません。産み育てたい方々はこれまで通りそうすればよい。ただ本研究は、我々が三百年以上抱えてきた出生数減少と、それに伴う人口減少という問題への一つの解を示していることは確かです」
何人かの研究者が小さく頷いた。問いは倫理の入口に触れていたが、この場には、その先を議論しようという者はいなかった。司会は次の質問者を指名し、再び技術的な応答が続く。
質疑応答が終わる頃には、会場の空気は一つの感覚に収束していた。
──この奇才の手によって、禁断の技術は既に完成してしまったのだと。
眞壁は壇上から降りながら、困惑と称賛が入り混じる拍手の音を背中で聞いた。
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眞壁が会場を出たところで、昨今の郊外特有の静けさが戻ってくる。カンファレンスセンターと言うが、わざわざ人が集まって話し合いをする機会も少なく、空きが目立つ。自動ドアも電力不足で停止しており、人が手で押し開けなくては開かない。廊下の照明は三つに一つしか点灯しておらず、眞壁は薄暗い廊下を渡り、そのまま建物の外へ向かった。外気は、まだ十月であることを鑑みれば妙に冷たく、眞壁は一瞬肩をすくめた。
待機していたタクシーの後部座席に乗り込む。車体はかなり年季の入った様子で、シートの合皮はひび割れ、補修跡が何度も重ねられている。
少し遅れて若い研究員が隣に乗り込んできた。エンジン音が低く唸り、車体がゆっくりと滑り出す。
「──さすがです。大成功でしたね、眞壁さん。あの反応は想定以上でした」
まだ興奮が抜けきらない様子で、息を整えながら口を開く。眞壁は返事をせず、窓に映った自分の顔を見ていた。
ガラスの向こうでは、夕暮れの人気のないマンション街が連なり、いくつもの窓がカーテンもなく、黒い口を開けたまま沈黙している。
ドアが閉まり、車が走り出す。
窓の外を、街並みが流れていく。街を歩く人影は殆ど見当たらない。老朽化した高架のバイパスは先日の台風で橋脚が倒れ一部で崩落が起きているが、ずいぶん前から通行止めとなっている為に特に困る人間もいない。
商業区画にはかつての人の往来を感じさせる大型の店舗や飲食店の跡地が見られるが、ことごとく閉ざされたシャッターには何年も前の告知が色褪せたまま残っている。断続的に信号機の点灯していない交差点が現れるが、それでも混乱はない。通る車も、人も、そもそも少ないのだ。
「中央道でまた陥没ですね。ちょっと横道入りますよ」
タクシー運転手がそう言うと、ハンドルが切られ、車体が緩やかに傾く。迂回路のアスファルトにも、すでに何本もの亀裂が走っている。
「またか──」
眞壁は車窓ごしに荒れた街並みを眺めながら呟く。
「ここのところ、使えなくなる道が多くてですね。ナビもあてになりやしない。通行止めになるのだってちょっと遅れがあるもんですから、素人には危なくて運転もできやしませんよ。まあそれでこそ我々のような人間が必要とされて生き残れるわけですが──」
「クク──もっともだな。結構なことじゃないか」
眞壁は皮肉っぽく笑う。ダッシュボードに備え付けられたナビの日焼けした液晶には、更新がとまり一部が灰色で塗りつぶされた地図が映し出されている。
GPSは機能するが、地図と道路が正確でないなら意味がない。
「こう、ロボットみたいなやつが、陥没なんかも全部自動でガーっと直してくれたらいいんですけどねぇ──昔はそういう機械もあったって聞きますけど。御伽話みたいな話ですよ」
若手研究員は天を仰ぎながらぼやく。
「文句ならしょうもない戦争を始めたご先祖さまに言え」
そう言われて、若手研究員はキョトンとした顔で眞壁を見る。
「戦争、ですか?」
フロントガラス越しに見える秋の空は、どこまでも澄んでいる。タクシーは倒壊した街路樹を迂回しながら右折する。手慣れたものだ。
「──しらんのか?高度ロボットの類は隣国のセントラが戦争の時に撒き散らかしたPSP粒子のせいで全て動かなくなったんだぞ」
「PSP粒子って昔はなかったんですか。ぼく理系科目ばかりやってて、歴史の授業流しちゃって、あまり聞いてなかったんですよね」
まったく──眞壁は昨今の若手の不勉強さに呆れながら説明を続けた。
「隣のセントラと、我がツルミ共和国がずっと昔から離島や無人集落で小競り合いを続けていたのは知ってるな?それも知らんか?」
「あ、いえ、いつもセントラがうちらにちょっかいを出してくるのは知っています。最近もありましたよね。民主主義じゃない連中は何の前触れもなくいきなり襲いかかってくるから恐ろしいです」
「ああ──だが二五〇年前に本格的に領土侵攻を始めたのはツルミが機械兵団を完成させた時だ。ツルミの完全機械化歩兵は強力で、犠牲者無しでセントラの集落と離島をいくつも陥落させた。セントラは大いに危機感を抱いたんだろうな」
「ほえーそうなんですか。ツルミも昔は強かったんですねえ」
「ツルミの科学力は世界有数だったからな──そこでセントラがとった戦略は、自分たちも機械兵団を作る──のではなく、機械兵団の永続的無効化——PSP粒子を撒き散らすことだったわけだ。PSPは一定以上の微細半導体や回路の動きにランダムな揺らぎを与えて、まともに動かなくする性質を持つ」
「はい、PSP粒子は知ってます。それのせいで精密機器が進歩しなくなったんですよね?」
「そうだ。PSPは位相攪乱粒子と言って、一度大気に撒くと完全な収束までに千年かかると言われている。これをセントラの連中は戦争中、ツルミに向けて撒きまくったという話だ。この粒子によって一度精密機器は完全に動作しなくなって、100年ほど前に現在の水準に戻すのがやっとだった。コンピューターは三百年以上前、つまり二〇〇〇年ちょうどくらいのものより、高度なものが作れなくなった。かなり広範囲に拡散するから、セントラ自身も高度なコンピューターが使えなくなったが──」
若手研究員は車のシートにもたれかかると、車内の天井を仰いで言う。
「アホですねぇ。自分たちも不便になるのにどうしてそんなもん大量に撒くかねぇ。ほんと文明の進歩に有害な連中ですよ」
「セントラがPSPを撒いたのは、本質的に、時間が奴らの味方だったからだ。ツルミには技術力があったが、出生率が低かった。セントラは人間の数で勝れば、技術なんかどうであれいずれ勝てると、そう考えたんだろう。相手の技術力を抑えたまま、ただ時間切れを待つ。国家百年の計というわけだ」
窓の外はすっかり日が落ちた。間隔の長い道路の街灯がポツリ、ポツリと灯る中、車内は時々短く薄明かりに照らされ、またすぐに闇に沈む。
「ただ、結局時間の経過とともにセントラの出生率も下がってしまって、いまやどっちどっちで決着がつかないがな」
「そうだったんすねぇ──眞壁さんって物知りですねえ」
信号待ちの赤で車が止まる。眞壁はそれには答えずに無人の交差点を見つめている。
「──それより研究所に帰ったら、例の被験体の培養液、ちゃんと変えておけよ。ちょっと怠るとまたすぐに死ぬからな──」
タクシー運転手の肩が、ピクリ、と反応する。
「眞壁さん、ダメですよ──ラット、ラットが死んじゃうんですよね」
声をひそめて若手研究員が言う。
「ふん──」
眞壁は鼻を鳴らすと、気にするでもなく頬杖をついたまま、素知らぬ顔で窓の外を見眺めている。
タクシーは間もなく研究所に到着するところであった。




