第1章 「衝突以前」
神々は語らない。
沈黙の中で、ただ“残る”。
世界は一度、終わった。
破壊されたのではない。
耐えきれなくなっただけだ。
かつて、神々は空を分け、
人間はその下で祈り、生き、争った。
信仰は力となり、力は秩序となっていた。
だが、秩序は崩れた。
神々は争い、
世界は引き裂かれ、
その代償として、神は世界から追放された。
それでも、すべてが消えたわけではない。
地には傷が残り、
空には記憶が滲み、
人の内には、神の欠片が眠っている。
この物語は、
神々の戦争の物語ではない。
神なき世界で、
なおも神の影が蠢く――
その“後”の物語だ。
そして、人はまだ知らない。
沈黙とは終わりではなく、
次の崩壊までの、
ただの間にすぎないことを。
世界に名が与えられるよりもはるか以前から、
世界はすでに“見られて”いた。
唯一の空も、定まった大地も存在しなかった。
現実は無数の領域へと分かれ、それぞれが人間の信仰、恐怖、そして必要から生まれた神々によって統べられていた。
どの神系も他より優れてはいなかった。
神は、自らの信仰が及ぶ範囲でのみ支配していた。
数えきれぬ時代のあいだ、世界の均衡は一つの理由によって保たれていた。
――いかなる神も、すでに持つ以上のものを欲していなかった。
人間は、複数の空の下で生きていた。
同じ時代に、生贄、祈り、神殿、詠唱、戦争、そして盟約が共存し、それぞれが異なる神々を支えていた。
信仰は競うものではなかった。
分かち合われていた。
しかし、世界は変わり始める。
人々は交わり、
信仰は交差し、
祈りは、本来届くはずのない存在へと流れ始めた。
最初にその異変を感じ取ったのは、いくつかの神々だった。
ごくわずかで、ほとんど認識できない変化。
力の減少。
存在の希薄化。
揺らぐ確信。
それは死ではなかった。
喪失だった。
最古の神々は理解した。
信仰が分散するならば、
同時に――集中することもあり得る。
そして、かつて一度も問われなかった疑問が生まれた。
「世界は、誰のものなのか?」
当初、戦争はなかった。
あったのは議論だった。
異なる信仰に属する存在たちが、不可能な評議の場に集い、武器ではなく、権威と誇りだけを携えて向き合った。
「世界は永遠に共有できるものではない」と語る者がいた。
「そもそも、世界は我々のものではなかった」と返す者もいた。
やがて緊張は高まり、
一部の神々は、自らの領域を越えて干渉し始めた。
他国の地で起こる奇跡。
信仰なき土地で下される罰。
自らの信徒ではなく、他者の信徒へ向けられた徴。
それは、最も古い掟を破る行為だった。
「神は、呼ばれぬ地では行動しない。」
最初の介入は小さかった。
二度目は応酬となり、
三度目には、もはや攻撃となった。
空は、初めて砕けた。
戦いによってではない。
決断によって。
最初の神の一撃が、自らのものではない領域に落とされたとき、
世界は、かつて直面したことのない真実を知る。
神々は、もはや信仰について語ってはいなかった。
語っていたのは――支配だった。
そして、一柱の神が
「世界には、唯一の秩序が必要だ」と定めた瞬間、
他のすべての神々は理解した。
戦争は、避けられない。
世界は、再び動き始めていた。
それは戦争ではなかった。
革命でも、奇跡でもない。
ほんのわずかな歪み。
誰も気づかない程度の揺らぎ。
だが、神々は知っている。
均衡は、数値で測られるものだと。
そして、その数値は――
すでに一度、越えてはならない線に触れている。
人間は前に進む。
神を必要としない世界で、
それでも神の力を宿しながら。
選ばれたわけではない。
導かれてもいない。
ただ、残されただけだ。
かつて、神々は世界を支配した。
だが今、世界は神々の遺骸の上に築かれている。
もし再び、空が裂けるときが来るなら。
もし再び、沈黙が破られるなら。
それは神の帰還ではない。
“結果”だ。
そしてその結果を引き起こすのは、
もはや神ではなく――
人間である。




