第7話 あくたー
またしても院内のカフェテリアでサンドイッチを頬張ろうとする姉を見つけた。入店してきたオレに視線をくれるなりアキ姉は、いぶかるように目を細める。
「また来たの? ちゃんと学校に行ったでしょうね」
「ちゃんと行ったしちゃんと授業も受けたよ。で、あの子の様子はどうなの?」
「……体の方は問題なさそう」
「体の方は?」
「言葉はいまいち通じないけど、今は大丈夫よ」
「どういう意味? やっぱり外国人なの?」
「ううん、英語もスペイン語もドイツ語も中国語も試したけどダメだった。でも、外国人というより言葉を知らない、そんな感じに近い……かな」
なんだか濁した歯切れの悪い言い回しだ。
でも、アキ姉がそう言う気持ちもなんとなくわかる。彼女には言葉では言い表せない不思議な人間離れした雰囲気がある。初めて目が合った瞬間、文字通り〝意識をすべて持っていかれた〟のだ。
先輩の言っていた『宇宙人』というセリフが頭をよぎり、まさかと首を振った。
「何言っているか分からないと思うけど、私もちょっと混乱しているの。今からあの子のところに行くんでしょ? しばらく休憩だから付き合ってあげる」
「えー……、いいよ、一人で行けるから」
「別にあんたの心配なんてしてないけど」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりだけど?」
アキ姉と一緒に501号室に入ると、彼女はベッドの上に座っていた。その手にはアキ姉がお気に入りの高級カップアイスとスプーンを持っていた。そして、オレの姿を認めるなりスプーンの先を向けてきた彼女は、「ハル」と呼んだ。
イメージ通りの透明感のある声に鼓動が跳ねる。ただ、彼女の表現は乏しく感情というものがあまり感じられない。
「声が出るようになってよかった。ってオレの名前、憶えてくれたんだね」
オレが彼女に近づきながらそう言うと彼女は首を傾けた。
「彼女、最初は全然しゃべってくれなかったけど、話しかけると少しずつ答えてくれるようになったのよ」代わりにアキ姉が答える。
「じゃあ自分の名前とかは? どうして海を漂っていたかは覚えているの?」
「それは分からないみたい。一種の記憶障害だと思うけど、しばらく様子を見るしかないわね」
「そっか……」
ベッド脇に移動したオレに彼女は手を伸ばしてきた。顔に触れようとしているのだろうか、おいでと呼ぶように手首をゆっくり動かしている。オレは彼女のその手をそっと両手で包むように握る。
「キミはいったい誰なの?」
ダメ元だけど聞いてみる。すると彼女の口許がぎこちなく動き始め、「……わたし、ルナ。ハル、たすけてくれた、アリガトウ」と無垢な子どものような表情で片言の日本語でそう答えたのだ。
「ルナ? でも名前は思い出せなかったんじゃ……」
「私がそう呼んでいるだけよ」と答えたのはアキ姉だ。
「本当の名前を思い出すまでは名前が必要だと思ってね」
「どうしてルナなの?」
「彼女の瞳がまるでお月様みたいじゃない?」
そう言われたオレは彼女の瞳をじっと見つめる。確かに大きくて黄金色の瞳はまんまる満月みたいだ。神秘的な彼女にぴったりだと思う。ファッションセンスもネーミングセンスも貧相なアキ姉にしては良い仕事だ。
「よろしく、ルナ」
ルナの手を握ったままそう言うと彼女は仄かに微笑み、「よろしく、ハル」とオレの手を握り返してきた。
「――……あ、うん」
まただ……。また黄金色の瞳に見つめられて意識が散漫になっていた。いったいこの不思議な感覚は何なのだろう。
ぼんやりするオレの肩を、アキ姉が肩を叩いた。
「いい雰囲気のところ悪いけど、ちょっといい」と部屋を出るように促され、オレたちはルナを残して病室を出る。
廊下に誰もいないことを確認したアキ姉は声を潜めてこう言った。
「あの子、記憶を思い出せないんじゃなくて元々ないのかもしれない」
「え?」
「言葉もそう、最初は全然しゃべれなかったのに少し話しかけるだけでどんどん言葉を吸収するように覚えていく。そう表現した方がしっくりくるっていうか、この数時間の間に意思の疎通ができるようになったって感じなのよ。純真そのもので、まるで言葉も知らない生まれたばかりの赤ちゃんみたいで。なんていうか、その……、こんなこと言うのはどうかと思うけど、人じゃないみたいな……。まあ、そんなことある訳ないけどさ……」
人じゃないって、アキ姉がこんなオカルト的な発言をするのは珍しい。初めて聞いたかもしれない。
オレの脳裏に先輩が言っていた〝宇宙人〟という単語が再び脳裏を掠め、すぐに振り払うように否定する。
「そ、そうだよ。そんなことある訳ないだろ、人じゃないってさ……。アキ姉、働き過ぎで疲れているんじゃないの? 休みでも取って旅行したら?」
腑に落ちていない感じを残しながらもアキ姉は「そうね、与論島でも行って来ようかな」と微苦笑を浮かべた。
「なにせよ、あんたいつも暇でしょ? 時間あるときここに来てルナの話し相手になってあげなさい。記憶を思い出すきっかけになるかもしれないし」
「あー……、うん、アキ姉がそうしろって言うならそうするよ。イチオウ第一発見者だし、イチオウ」
気の無い返事をしたけど内心でかなり浮かれていた。浮足立っていた。高ぶる気持ちを抑えるのにやっとだった。
だってそうだろ? 謎の美少女との出会って浮かれない男子高校生はいない。無論、オレも例外なくそのひとりだ。
映画のようなボーイミーツガールが自分の人生に起こるなんて思ってもみなかった。
ルナと毎日会える、それだけで特別な配役を与えられた気分になった。




