第六話:鬼詰めパワハラの星乃芽衣
「うりゅりゅぅ~~~ん! カラスさんのみんなー! トップアイドルのメイメイが戻ってきたよ~!」
地獄のような挨拶にオフィスが氷ついた。
ぶるんぶるんとポニーテールを右に左に揺らせながらアイドルピース。
その可愛気な姿を見る者は誰一人としていない。
『鴉』の特級クラスは一級と併用する職場。
超が付くエリートのその空間は星乃芽衣の元職場。
即ちここでは誰もがアイドル『星乃★芽衣』ではなく、元参謀長官補佐の星乃芽衣を知っている。
もとい、
『鬼詰めパワハラの星乃』をよく知っている――!
「またみんなと仕事ができるなんて夢みたいだぷ~! 仲良く仲良く、ね!」
その場にいる誰もが笑顔を作り、何度も頷く。
中には大切な取引相手との連絡中にも関わらず自ら通話を切る者も。しかし誰一人として星乃と目を合わせる者はいなかった。
「なんで帰ってきたんだよ……」
誰かが、呟いた言葉。
嫌味ではない。
人は過労と糖分不足による無意識の気持ちの吐き出しを行ってしまう弱い生物。
「うりゅりゅりゅ~~~ん!?」
頭の尻尾が、もといポニーテールがゆっさゆっさと左右に振れる。
課の全員が机を微笑みながら眺める。
"机を微笑みながら眺める"
表現がおかしいようでいて、実に適切。
目を合わさない。危害を加えられないように。各々が無になる。
そんな中、先程嫌味を発した職員に詰め寄るトップアイドル。
「日下部さんだりゅ~~~ん! その席は上級書記補佐ですねー! お仕事がんばりがんばりして、昇進したんですねー! メイメイも嬉し~ぞー!」
「……………………ッ」
日下部と呼ばれた男は机に伏せたまま震え上がった。
バンッッッ!!!
と大きな音で日下部の机を蹴飛ばす。
従来の人間の反応からして音に目が行くものだが、この時だけは誰もが自分の机から頑なに目を逸らさなかった。
鬼詰めパワハラの星乃をよく知っているとも言える生存戦略だ。
「うりゅりゅりゅ~~ん」
芽衣は机の上置かれている尖った鉛筆を一本抜き取る。
先端がきちんと鋭利になるまで尖っているのを確認すると、ゆっくりと頷いた。
さて、と目に光が灯る。
「こいつ上級書記補佐に上げたゴミは誰だッ!!!! 普通てめえから出てくるもんだろうがッ!!!」
もう一度日下部の机を蹴飛ばすと、もう彼の机はそこになかった。
「上級人事ッ!!!」
はい! と返事をすると奥からキャリア組の役職者が走ってきた。
「申し訳ございません。申し訳ございません。教育不足でした。申し訳ございません!」
「やっぱてめえか志良堂ッ!!! お前ミス隠すクセまだ直ってねーのなッ!!! 人間何年目だッ!?」
「申し訳ございません!!! ほんっっっっとうに申し訳ございません!!!」
何度も何度も頭を下げる。
そんな様子を見て、芽衣は諦めたように溜め息をついた。
「ま、俺も久しぶりっつーことで? ちゃんと頭下げるなら許してやるよ」
「あ、ありがとうございま……うごっ!」
鼻に何かを突っ込まれたと思えば――身体が動かない。
何故? と自分の身体の変異に気づいた時にはもう遅い。
魔導筆が敷かれた自由が効かない。
「うりゅりゅ~~ん。カラスのみなさ~~~ん! みなさんはー。仕事も出来ない税金泥棒の消耗品のゴミなんですー。仕事できないゴミは、せめてちゃんと礼儀は覚えましょうね~。お姉さんとの約束ぽ~~ん」
(どうしてこうなったのか……!)
誰もが頭に浮かんだその疑問は嵐が過ぎるのを待つだけだ。
「返事ッ!!!」
「「「「はい!!!!」」」」
うんうんと満足そうに微笑むアイドル。
「じゃ、志良堂が頭下げたら仕事に戻っていいぞ。ほら、早くしろ」
「ご、うごご……」
早く頭を下げてくれ――!
誰もがそう念じたものの、彼の鼻に鉛筆が突っ込まれていてそれは出来ない。
「あ? どうしたんです~~~。うりゅりゅ~~ん。他の人の時間奪うのは良くないです~。早く頭下げりゅりゅ~~~ん」
「……――ッ」
鼻に鉛筆が突っかかっていて、物理的に頭を下げる事ができない。
できないのだ。それさえ無ければいくらでもこんな頭下げると言うのに。
「――早くしろよ。俺の気は長くねえぞ?」
「――ッ!」
ドス黒い声。
つまり、そういう事だ。
流石にそれは、と誰もが思うが誰もが星乃芽衣に慣れていく。
「はぁ……仕事もできない。謝罪もできない老害。仕方ないりゅん。メイメイが~。謝るの手伝ってあげりゅ~~~ん」
「ひっ……!」
右手に突っ込む鉛筆をそのまま。そして左手が後頭部に触れ――。
「止まりなさい」
低い声と同時に黒い魔法壁が渦巻いたかと思えば、それは足元から光る魔導筆にかき消された。
鼻に鉛筆を突っ込んだまま、静止を呼びかけた声の元に星乃は視線を投げた。
「相変わらず手厳しい……これはこれは星乃様。この度はどうなされたのでしょうか?」
「ようねっとり野郎。どうもこうもねーだろ。てめえがサボってた部下を代わりに指導してやってるだけだが?」
緑のスーツを身に着けるのは頂点鴉の中の頂点。
管理者、喜沢秀作。
「幾つか質問がございます。まず、ここへはどうやって入室したのでしょうか?」
「あ? 聞いてねえのかよ。あのクソ野郎にここで働けと言われたんだが?」
その時、意図せず数人が嗚咽を漏らしたのは言うまでもない。
「――駒ヶ根君が?」
星乃芽衣は入室パスをぶん投げる。いらねえなら帰るがどうすんだと問うと、喜沢は考えた。
ふむ、と口にしたところでちょうどドアが開いた。
「この度、星乃芽衣が戻る事になった」
「駒ヶ根君」
「役職は以前と同じ管理長官補佐だ。お前たちの上司になると思うからビシバシ鍛えてもらえ」
「うりゅりゅ~ん。クソ野郎の下で働く事になりました、アイドルの星乃メイメイでーす★ 仲良くしてくれると嬉しいぞ★」
全員が息を飲んだ。
噂はあった。参謀長官が一級案件を獲得したとまことしやかに囁かれていた。
省益を考えても是非物にしたいと思う反面、このカラスは慢性的な少数精鋭(人手不足)誰が抜擢するのかと様々な推測が交わされていたが――。
誰もが、管理者である喜沢に懇願した。
頼むと。この一言で、死者が出るんだぞと。
だが――。
「現場の最高責任者である駒ヶ根君の考えである以上私からは何もございません。星乃君。おかえりなさいませ」
その時の場の空気はどう表現すれば良いのだろうか。
おぞましいものが蠢くような、そんな負のオーラがほんの一瞬漂うも。
「だ、そうだが。何やってんだてめえら……?」
バンッ!!! と完全に日下部の机を蹴飛ばすと大声で叫ぶ。
「拍手!!!」
うおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!
室内が割れんばかりの拍手喝采!
熱気は恐怖からでも生まれる事をアイドルジョッキーは証明して見せた。
「このクソ共マジで……ああ、上が無能だからこうなるか……よ~し、てめえら一人ずつ面談だ。まず志良堂。てめえこっち来い」
「しゃんぼうちょうかん様たしゅけて~~~!」
「メイメイ、鼻ピアスはいいけど目はやめろよ。仕事に支障が出る」
「しょんなぁ~~~~~!」
(最悪だ……最悪だ……)
皆の思考が最悪の二文字で支配される。これ以上の悪夢はない。最悪な人選が行われた以上、この職場は地獄と化す。
「こいつら詰めるのはちょっと待ってろ。先にオレと打ち合わせだ」
舌打ちすると、玲司の後ろをポニーテールが歩いていく。
嵐が過ぎたと、束の間の休息を獲得したと心を撫で下ろしたその時、
まるで見計らったかのようにメイメイはくるりと反転した。
「ペッ」
びちゃ。
アイドルが吐いたツバが室内の床に付着する。
「日下部!!! 掃除しとけ!!!」
「はい喜んで!!!」




