第二話:アイドルジョッキー星乃★芽衣
陽射しに照らされた芝コースは緑の絨毯と表現できるほどに鮮やかだった。
ピンクのジョッキースーツを脱ぐと、今話題のアイドル騎手はファンに向けて手を振る。
「きゃるるる~ん! みんな~! 応援ありがとー!」
ヘルメットを外すと、代名詞のポニーテールがふわりと風に跳ねる。
星乃芽衣。年齢不詳。
経歴不詳の新星騎手である。
ファン数は絶大とは言えないが彼女目当てに競馬場に足を運ぶ人も珍しくないほどには人気の騎手だ。
一部に人気なのはその生い立ち。競馬学校に通うエリートを相手に素人から階段を上り地方で勝ち星を積み重ねるほどになった経歴だ。
「みんなの応援でメイメイやる気もりもりーーん。次のレースも、がんばるがんばる~!」
不器用なスキップをしながら騎手の待機室へと向かうと、扉は閉ざされた。
政府公認国営ギャンブル。不正対策のため中農林水産省・通称『山鳥』(ヤマドリ)管轄のもと運営が行われる。
公営ギャンブルである競馬。もちろん不正や八百長は許されない。
ジャミングはもちろん、電子機器の持ち込みや魔導筆の記入チェックも毎レース徹底管理される。
山鳥以上の権限を持たない限り、ファンは当然として馬主や関係者すらも入室することはできない。
星乃芽衣は待機個室に入るや、身体を投げるようにドサリと座る。
田舎のヤンキーのように足を組むと、まずはライターを鳴らしタバコの火を付けた。
煙がゆっくりと頂点に達すると、天井を隠すように薄く広がっていく。
「チッ……駄馬ばっかりよこしやがってあのハゲデブオーナーめ……!」
レースシミュレーションで用意していた紙を丸めて足元に置くと、乱雑に蹴飛ばした。
レースの合間は40分。周回時間や準備を考えると休憩は15分ほどだが、その15分すら我慢できない。
――次のレースに行きたい。
熱が籠もる。
今週はまだ未勝利。土日で全16レースのうち、一勝挙げないと危ない立場と言うのに勝機が見込める馬が回ってくるのは三度。
もっと言えば次のレースも最下位人気の馬に乗る予定であり、勝てない事が確定している。
「分析班もろくな人材いねーじゃねーか。無能が。ゴミゴミゴミ……ゴミしかいねーのかよッ!」
リフティングをするように蹴り上げた椅子を空中で何度も何度も蹴り上げる。彼女のいつものルーティンだ。
(本番は次の次だ。今日は外が伸びると予想されるから一度走ってみて感触確かめてみるか……)
コンコン。
「……」
ノックに対し、時計を確認する。
いつもよりも早い。
謁見禁止の隔離場に訪問者なんてあり得るはずがない。
ジャケットを羽織り左手でペンを握って立ち上がった。
「はーい! 今いきま~す!」
床に魔導筆を記してドアを開けると、そこには以前から星乃芽衣を追いかけてきたファンの姿があった。
「わ~~! いつもメイメイ応援してくれてるファンの方です~! うれし~! どうしたんですかー」
数少ないファンだ。悲しい事に全員覚えている。
だが特にこの男だけは特別だった。
"顔の形が魔法で練られた訳あり人物"
大魔省トップの八哥鳥レベルの技法だが――温い。
(皮膚血色のレイヤーが一枚多いぜクソ素人君)
ともかく、そんな要注意人物が現れたとなれば答えは一つ。
"眼の前の男は、星乃芽衣の経歴を知っている――!"
「りゅんりゅーん」
口元に手を添え、少しだけ身体を左右に揺らした。
そんなアイドルの姿を見たファンは少し照れた表情で顔を伏せると、そこに芽衣はもう一歩近づく。
肩も首もわずかに触れるように傾けると、前髪がかかる距離で甘えるような視線をそっと投げ、
――アイドルの目が無表情に落ちる。
突如芽衣の左手が動いた――!
ペン先は最短距離で首元に向かう――!
死角からの暗器は必ず殺すと書いてまさに必殺と呼べるが、右手には腹部への破裂魔法。
仮に相手が大魔省の八哥鳥であっても、軍事省の鷹であっても物理と魔法の両方は同時には防げず絶命は逃れられない。
――が。
足元での破裂音。
魔法と物理。二重の囮と本命の魔導筆の陣形も破壊されるとその男の正体がわかった。
本人もそのタイミングで偽装魔法を解くと、よく知っていた顔が現れた。
「チィ――てめえかよッ!?」
「よう」
変装用の創作フェイスを落とすまでもなく、これを防げるのはこの国で唯一人。
内務省・特別クラスの超エリート。
現役という意味では五大省庁の頂点と言われる男、
「やっぱメイメイはすげーな」
うんうんと玲司は頷く。
「イレギュラーと判断する速度。ジャミングの確認におどけたフリから前髪で確認の存在。そんでいつ描いたかわかんねー魔導筆。おお! 相変わらず仕事出来すぎて感動するぜ」
三極開闢・参謀長官"駒ヶ根玲司"
「……公務員が何の用だ。サインでも欲しいのかクソ野郎」
「是非欲しいなあ」
ハンッ、と鼻を鳴らすと二本目のタバコに火を付けた。
「おいクソ野郎――てめえまさか俺に八百長しろとか言うんじゃねーだろうな」
「ぎゃははははッ! メイメイちゃん今日一回も入着してないのに八百長してもらう意味ねーじゃん! なんだよ相棒、乗馬じゃなくてギャグセンス磨いてたのかよ」
「てめえマジで殺してやるよ――」
と、そこで通信が入った。
『星乃さん。発走遅れて15分後になります』
「了解でしゅ~! 放送員さんいつもありがとありがとーー!」
猫なで声の最中に一瞬生まれたアイドルの顔はすぐに消え去りいつもの氷のようなツリ目に戻る。
「……」
「……」
むわっ、とタバコの煙だけが宙に舞った。
「で、なんだよクソ野郎。消えろよ」
「メイメイさあ。恥ずかしくねーのか?」
「今のが俺の素なんだよ。こっちの言葉悪い方が作ってんだ」
自己洗脳はここまでできるものなのかと見上げたものだが、本日はからかうのをやめて用件から口にしよう。
「単刀直入に言う。オレの下に戻れ」
「ク ソ 野 郎」
メイメイはアイドルらしいキレイに中指を立てて見せました。
「なあメイメイ。国家招集システムは知ってるか?」
国家招集システム。
国の呼びかけに応じた場合、即座に従わなければいけない。
但しそれはあまりにも人権を踏みにじる行為なので、対価として前年度税務申告の五倍の対価を得る事ができる。
「俺が立法弱えと思ってんだろうが、流石に舐めすぎじゃねーか? そりゃ年俸罰符払えば回避できんだろ」
そう。政府に従う命令の代償として前年度申告の五倍が支払われる。これにより納税の効率化も伴う良い案件でもあり、それでも拒否を示す場合は罰金を払う事で回避もできる。
この構造により納税そのものに保険を促す政府の意図もある。
「拒否できないって知ってるか?」
「戦争や飢饉などの一級案件以上の場合な」
そこまでも知っているだろう。話が早い。
玲司は令状を取り出すと、芽衣の表情が変わった。
「特別一級だと……ッ!」
「芽衣。オレは気付いたんだ。お前という大切な存在を失って、初めて自分の気持ちに気付く事ができた」
「奴隷不足にか?」
「……」
まあ……それは否定はできん。
しかし冷静に考えてこう……馬車馬のように働いている奴隷が奴隷確保に行くというのは本当に狂った公務員だとは思う。
「なあ……マジで頼む。見逃してくれ。人生最後のお願いだ」
「本気と書いてまっじー!」
「てめえ3年前と何も変わんねえな……!」
しかし想定通りのリアクション。
玲司として優秀な芽衣を手元に置くために関係性を悪くしてはいけない。
そしてそんな玲司がお土産を用意する事も芽衣は理解していての釣り上げだ。
駒ヶ根玲司と星乃芽衣。口ほどには関係性は悪くない。
「先に言っておくぞクソ野郎。お前の顔が生理的に無理」
「……」
「俺の視界から消えろ」
口ほどには関係性は悪くない……よな? これって要求釣り上げるためのカードでそんな事ないよな?
まあいい、と気を取り直してパンッと手を叩く。
「ご存知"山鳥"は『鴉』の下部組織だ。が、馬をあてがったり有利は出来ない。真面目なメイメイもそういうの嫌いだろうしな」
「前置きうぜーんだよ一々。本当にてめえはクソ野郎だな。もったいぶって掌で転がしてやってますみたいな顔がクソ。もう一度言うぞクソ野郎。お前クソ」
「……」
星乃芽衣。内務省・特別一級クラスの超エリートであり、書記長・共議長・人事長の上位に位置する元管理官補佐の経歴を持つ"ツンデレ"だ。
尚、デレを見た者は地球上にいない事とする。
「メイメイ最近立派なお家買ったよな。あれすげー資産が付くって『灰鷹』(税金集める歳入庁)が言ってたな」
タバコの煙が漂う。もうクソ野郎とも罵る事すら諦めたようだ。
「まあまあまあ、待て待て待て。今のちょっと、ほんのちょっとオレの嫌いになったかもしれないが、メイメイが笑顔でアイドルモードで働きたいと思えるほどのお土産があるんだ」
目も合わせず三本目のタバコに火をつけた。
もう芽衣の中で結論は出ていて、これ以上は無駄。どう転んでもひっくり返せない。
「もし、俺の要求を飲んでくれれば――」
適当に顔だけ出して能力不足を装い、令状を回避する。それ以外は絶対にないと確定した。
ここからこんなクソ野郎に尻尾振るなんて出来るものならやってみろよと。
「視聴率20%超えの年末歌番組知ってるか? 国営放送のヤツだ」
「あ? それがなんだよ」
「"特別一級任務遂行立役者"を司会にしたいんだが、どこかにいねえかなー」
「……」
「ちなみに三年契約だ」
ガッ、とタバコの火が消えた。
「うりゅりゅりゅ~~~~ん」
「あとソレやめねーか?」




