第96話 合宿②【未来16歳/沙織28歳】
「ここが…イベント会場ですか」
私の目の前には、大きな逆三角形の建物があった。初めてくる東京、はじめてみる景色。何もかもが新鮮に映る。
「まだ早いのに、人が多いわね…」
隣にいる凛が大きなため息をつく。確かに、まだ8時で、イベントが始まる10時半まで2時間以上もあるのに、すでに見渡す限りの人、人、人だった。
天気もよく、雲ひとつない晴天。太陽はすでにギラギラと輝いていて、今日はおそらくとても暑い一日になるだろうな、という予感がする。
「それじゃぁ、私たち一般参加組はここでいったん別れることにするから、未来と凛、それに水瀬先生は先に会場に入って準備しておいてね」
神美羅先輩はそう言うと、少し疲れた顔で手をふって来る。
いつも飄飄としている神美羅先輩だけど、直射日光だけは弱いのだった…本人に言わせると、あとニンニクや流れ水や心臓に杭を打たれるのも弱いらしい。吸血鬼だから。
「はい、それじゃ、行ってきます」
「先輩っ!頑張ってくださいねー!」
朝比奈さんが元気よく手を振ってくれる。ぶんぶんって音が聞こえてくるみたい。背の高い朝比奈さんは、なんとななく大型犬のイメージがある。手もふってくれているけど、そのお尻から尻尾も生えていて、尻尾もぶんぶん揺れている…ような気までしてくる。
可愛い後輩だなぁ。
こうして、私たち3人は先に会場へと入ることにしたのだった。
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私は最初、あの三角形のところに入っていくものだとばかり思っていたのだけど、実際のイベント会場は上ではなく、下だった。
歩いて、会場の中に入って、その広さに愕然とする。
「わぁ…広いですね」
普通の感想が口から出る。
「私たちのスペースは…どこだったかしら…」
綺麗に整列している机をみながら、沙織さんはそう呟いた。後ろ姿をみながら、私はもうそれだけで幸せを感じていた。少し出ている肩に、うっすらと汗がにじんでいるのを見るだけで、胸の奥に何とも言えないときめきが湧いてくる。
「あ、ここみたいです」
凛はそう言うと、沙織さんを追い越して小走りに歩く。
長机の下に、段ボールが2箱置いてあるのがみえる。
「これは…」
胸がときめく。印刷所から送られてきた、私たちの本が入っているのだ。みんなで頑張ってつくった本。わくわくする。
「開けてもいいです?」
「もちろん」
私の問いに、沙織さんが嬉しそうに笑う。
荷物の整理やスペースの準備はひとまずおいておいて、段ボールを開ける。中から紙の匂いがする。私たちの作った本が、存在していた。
「わぁ…あ」
なんとも言えない嬉しさが胸にこみあげてくる。20冊でひとくくりになっていたから、まずはそのまま20冊を段ボールから取り出す。少し重い。
そしてまとめていた紙をやぶり、本を手に取る。マット加工されている表紙は手触りもよく、楼蘭先輩のかかれたイラストが綺麗に印刷されていた。
「すごい…すごいすごいすごい」
語彙力が下がってしまう。
私はぱらぱらとページをめくった。文字が、イラストが、私たちの努力の結果と思い出が、そこにはびっしりと詰まっていた。
「なんか…嬉しい…」
「やっぱり、本になると違うわね」
私と凛が手を取り合って喜んでいる姿を、沙織さんは優しい目で見つめてくれている。本ってすごい。この本をみんなに見てもらいたい。
「さぁ、準備しないとね。来てくれる人のためにも、頑張りましょう」
沙織さんはパンっと手を叩き、私たちは現実に戻される。うん。そうだ。私たちは今日、サークルとしてここに参加しているんだ。これからが、本番。
会場内は心地よいざわめきで揺れているみたいで、私たちもその中の一員で、ときめく胸を押さえながら、私と凛はそそくさと準備を始めたのだった。
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「…誰も…見てくれませんね…」
現実は非情だった。
10時半になり、イベントが開始され。
さぁ、忙しくなるぞっ、と意気込んだものの、目の前を駆け足で大勢の人が通り去っていくものの、私たちのスペースに目を向ける人は全くいなかった。
文字通り、「全く」であり、気持ちいいまでの閑古鳥が鳴いていた。
「こんなに素敵な本なのに」
寂しくなって、並べた私たちの本を手に取る。綺麗な表紙、素敵な中身。でも手に取ってもらうことすら出来なかったら、その良さを知ってもらうことすら出来ない。
「最初はみんな目的のサークルさんに行くし、私たちは全く無名の一般参加なんだから、こんなものよ」
隣で座っている凛は落ち着いたもので、足早に過ぎ去っていく人の群れをぼんやりと見つめていた。私と凛が座っていて、沙織さんが後ろに立っている。長机半分の私たちのスペースは3人いるともうぎゅうぎゅうで、にぎやかな会場内の中で少し落ち着いた雰囲気になっている。
「おっ、いたいたー!」
銀髪の美人さんが手をふってやってくる。言うまでもなく、神美羅先輩だった。遠くからでもすごく目立つ。別にコスプレをしているわけでもないのに、その容姿だけで異彩を放っていた。
「もう100冊くらい頒布した?もっと印刷すればよかったかなー」
嬉しそうに語り掛けてくる神美羅先輩に向かって、私は現実を告げる。
「…インドで発見された数字くらいです」
「それは素敵だ。こたつと耳かきと並ぶ、人類の三大発明の一つじゃないか♪」
よく分からないことを言われる先輩。つまり、いつも通りの先輩だった。
「先生、未来、凛、準備お疲れ様。あとはみんなで交代しながらスペースを担当して、あとは各自、会場内を自由に見て回ろう」
神美羅先輩はそう言って笑うと、楼蘭先輩と葵を引き連れてスペースに入る。さて、自由に、と言われてもどうしよう。
「じゃぁ、私は雪原くんと一緒にいろいろ見てみますー!」
朝比奈さんは嬉しそうにそう言うと、雪原くんの手をとった。雪原くんはドキッとして朝比奈さんを見つめているけど、当の朝比奈さんは何も気づいていないみたいだった。なんか初々しくて、胸がきゅんとしてしまうのは私が先輩になったからかな。
「交代の時間になったら戻ってきます」
ぺこりと頭をさげる雪原くん。
そのまま朝比奈さんと一緒に…というか、朝比奈さんに引きずられるように会場内へと消えていった。
「じゃぁ、凛」
といって凛を見た時、凛は何とも言えない表情を浮かべていた。
「…ごめん、未来。今だけは、一緒にいけないの」
なんで?と思っていたら、結城先生がにっこりと笑って、凛の手をとった。
「白鷺さんは、今日は私と一緒に回らないといけない理由があるの」
理由?なんだろう。とりあえずスペースの中でこの光景をみながら葵ががるる、と恨めしそうな目で結城先生を睨みつけているのが見えたけど、それはこの際、無視をすることにする。
「それは…その…えーっと…」
普段の凛々しい凛とはまるで違う、なんとも落ち着かない様子。少し頬を赤らめ、動揺しているのが分かる。
結城先生はその綺麗な顔で、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「白鷺さん、私におすすめの本、教えてね…先生は大人だから、代わりに買ってあげるから」
「ちょ…先生っ」
「あはは」
あー。そうか。そういうことか。
顔を真っ赤にして結城先生に食って掛かる凛が、なんかいつもと違ってとても可愛い。
「じゃ、そ、そういうことだから、またあとでねっ」
振り返らず、凛はそそくさと歩いていった。
結城先生は楽しそうにその後ろをついていって、ちょっとだけ振り返って、沙織さんに向けてウィンクした。私の沙織さんなのに。やだ。
「じゃぁ、未来に水瀬先生、ここは私たちが見ているから、2人で会場内みてまわってきなよ」
神美羅先輩はそう言うと、手をひらひらとふって、笑った。
楼蘭先輩は黙ったまま隣に座っていて、葵はなんだかんだいいながら真面目にスペースの整理とかをしている。
うん。
うん、嬉しい。
「それじゃ…行ってきます。交代の時間になったら帰ってきますから」
「ごゆっくり♪」
どこまで分かっているかは分からないけど、どこまでも分かっていそうな神美羅先輩の言葉に後押しされて、こうして、予想だにしていなかった…沙織さんとのプチデートが、はじまったのだった。
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「すごい人の数、ですね」
「そ、そうね…」
会場内を2人で歩きながら、なんとなくよそよそしい雰囲気になる。
人がたくさん。今まで見たことが無いくらい、たくさんの人がいる。
みんな必死な顔をしていて、みんなとても忙しそうで、そしてみんな、とっても生き生きとしていて楽しそうだった。
イベント会場には言葉にできないような活気がある。サークル参加者も、一般参加者も、スタッフの方々も、みんなで一つになって大事な場所を作っている、という雰囲気がある。
あわただしいこの雰囲気は、でも、とても気持ちよかった。
「…」
会話がない。
いや、本当はいろいろ言いたいことがあるんだけど、伝えたい事しゃべりたいこと沢山あるのだけど、口に出すことができない。
朝のこと、を思い出す。
車の中での、あの、やりとり。
(手、つなぎたいな)
隣の沙織さんを見る。沙織さんも、なんか緊張してるみたいに見える。たぶん…私と同じこと、考えているんだと思う。
話題…話題、探さないと。この雰囲気をかえるような、話題。
「り、凛と結城先生、どこに向かったんですかねー」
「そ、そうね、どこかしらね」
そして、再びの沈黙。
頭がぐるぐるする。何か言わなきゃ。何を言おう。さっきの2人を思い出す。慌てていた凛と、落ち着いていた大人の結城先生。
「や、やっぱり、えっちな本買いにいったんですかね、あ、あはは…」
「えっち…な本…」
「あの、あれ、あの、その。凛も私もまだ未成年だからえっちな本買えないんですけど、でも、結城先生は大人だしえっちだから、結城先生ならえっちな本買えるのかな、って、あは、あはは」
私、何言っているんだろう?
頭が混乱して、自分で何を言っているのかよく分からなくなってきた。
しどろもどろになる。あせって、たぶん変な汗かいている。暑いし、会場内暑いからだし…
「…み、未来」
「はいっ、沙織さん」
「あの…あの、ね」
隣の沙織さんも、なんか混乱しているみたいで、2人して変なテンションになってしまっていて、それで、沙織さんが、ぽつりとつぶやいてきた。それは小さな声で、会場内の喧騒に飲まれて消えそうだったけど、それでも確かに、私にはちゃんと届いて聞こえてきた。
「…未来も…えっちなことに…興味…あるの?」
どくん。
心臓が動いた。
ゆっくりと、沙織さんを見る。沙織さんは視線を合わさないで、遠くを見つめているようにみえる。汗、かいている。暑いから?ううん。たぶん違う。私と同じだと思う。私はごくんと唾を飲み込んで、ちょっとだけうつむきながら、答えた。
「…ないことは…ないです」
「そうか…そうなんだ…」
少しの沈黙。
会場内を歩く私たち2人。
すれ違う人に、ちょっとぶつかられて、私は少しよろめいて、隣の沙織さんに、ちょっと触れた。
手と手があたって、びくっとする。
「…でも…」
触れた手が熱い。
熱いから、たぶん、こんなこと言っちゃうんだ。
私はずっと下を見たまま、ゆっくりと口を開いた。
「…私がえっちな気持ちになるのは…沙織さんにだけ…です」
「…」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
そして、指先が、熱くなる。
ちょこっと、沙織さんが、私の指先をつまんでくれた。
人ごみの中、喧騒の中、熱気の中、手をつなぐことは出来ないけど、指と指だけでつながって、そこから心もつながっていく。
「…私…も…」
押し出されるような、沙織さんの声。
「未来…だけ…だよ」
私だけ。
私だけに…、なって、くれる。
「そんな気持ちに、なるの、は」
歩きながら、視線を合わせずに、2人で、黙ったまま。
耳の奥が痛いくらいドキドキして。
汗が出てきて、胸が痛くて。
そして、今度こそ、聞こえるか聞こえないかのか細い声で、沙織さんが、本当に小さな声で、ぽつりと、つぶやくように、口を開いた。
「…今夜…覚悟、して…る」
ぽんっと、私の中のなにかが弾ける音が聞こえた気がした。
あは。
■■■■■
16時。
イベント終了の時間。
「結果、どうだった?」
という結城先生の質問に、神美羅先輩は満面の笑みでピースをかえしていた。
「わぁ!すごかったのね」
と喜ぶ結城先生に向かって、神美羅先輩の隣に座っていた楼蘭先輩が、いつも通りやれやれといった表情を浮かべると、
「由良のピースの意味、2部って意味ですから」
と答えた。
100冊印刷して、2部配布。残り98冊。これが私たちの結果だった。
「すごいじゃん、私たちの想いが、少なくとも2人には伝わったってことなんだからっ」
それでも嬉しそうな神美羅先輩。先輩にとっては、この場所にみんなで来れた、ということだけでもう大満足だったのだろう。
「惨敗なのには変わりありませんけど…でも、正直」
楽しかったです。
と答える凛。
ちなみに手にしたバッグ一杯に、結城先生と一緒に買った本がぎっしりと詰まっていた。「見せて」と頼んだのに、「いくら未来の頼みでも、これだけは絶対に駄目」と断られてしまってもいた。
私の頼み事はだいたい聞いてくれる凛なのだけど…どうしても譲れないラインというものは、たしかに存在するのだろう。
「それじゃぁ、片づけをして、撤収しましょう」
結城先生がしめて、私たちはそそくさと片づけを始める。
イベントが終わり、大きな満足感と、少しだけの寂寥感が混ざった会場内の雰囲気は、ちょっと他にたとえようもないものだった。
この気持ちを経験させてもらえただけで、今日の合宿の意味は大きかった、のだと思う。
片づけをしながら、私と沙織さんは会話を交わさなかった。
無視している、わけじゃない。
むしろその逆で…私も、沙織さんも、お互い、相手のことをこれ以上ないくらい、意識しまくっていた。
(覚悟)
(覚悟って…)
(そういう意味、で、いいの、かな)
さっきの沙織さんの言葉が何度も何度も頭の中をぐるぐるしてしまって、なんかもう、頭がパンクしそうになる。
こうして私たちの初めてのイベント参加は無事に終了して。
そして。
今夜は、みんなで、ホテルに一泊することになる。
みんなで。
みんな…
沙織さんと、一緒、に。




