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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第一章 【未来8歳/沙織20歳】
9/15

第9話 好きなの【未来8歳/沙織20歳】

 朝の光が、部屋のカーテンの隙間から差し込んできた。

 いつしか夏も終わり、季節は秋になっていた。

 少し冷たくなってきた風が部屋に流れ込んできて、カーテンを揺らしている。


「未来、起きる時間だよ。まだお寝坊さんしているのかい?」


 階下から、お父さんが私を呼ぶ声がしてきた。

 寝ぼけたまま、のそりとベッドから出て、目をこすりながら階段をおりていく。


 リビングに行くと、エプロン姿のお母さんが立っていた。

 トーストの焦げた匂いと、コーヒーの香りが混ざって鼻腔を刺激する。


「ちゃんと起きてきたね、ねぼすけ」

「ふわぁ…お母さん、おはよう」

「未来、おはよう」

「おはよう、お父さん」


 椅子を引いて、座る。テーブルに置かれたトーストを手に取り、口にいれる。

 美味しい。


「未来もコーヒー飲んでみる?」

「苦いからいやー」

「この味の良さが分からないとは、まだまだお子さんだなぁ」


 お母さんは髪をまとめながら、私のほっぺたを軽くつついてくる。


「えいえい」

「もう、やめてよー」


 相変わらず、お母さんは少しうざい。にこにこしながらいつもちょっかいを出してくる。

 お母さんはテーブルの上に置かれていた牛乳パックを手に取って、コップにそそいだ。


「はい、お子さんの未来、牛乳ですよー。赤ちゃんみたいでちゅねー。ちゃんと飲むんで大きくなるんですよー。お父さんの代わりに見張っていてあげるねー」

「…うー、朝からうるさいなー。まるで監視しているみたいじゃん」

「これはね、監視じゃなくって、愛情、って言うんだよ♪」


 そう言うと、お母さんはにこっと笑った。


 こんな私たちをテーブルの向こう側から見ていたお父さんが、「相変わらず、2人とも仲がいいねえ」と、新聞をめくりながらぼそりと呟いた。


「あれれ?あなたも寂しがってる?かまってほしい?コーヒーやめて牛乳のむ?牛乳?」


 お母さんがけらけらと笑って、お父さんにも絡み出していく。

 やれやれ、まったく君は、と言いながら、満更でもなさそうなお父さん。


 私がむくれて、お母さんがそれをからかって、お父さんもにこにこしている、そんな朝。


 こんな、なんでもない、我が家のいつもの朝だった。


◾️◾️◾️◾️◾️


「いってきまーす!」


 そう言って赤いランドセルを背負って玄関を出ると、外の空気はすっかり秋めいていた。


 すこし大きめの影を道に落としながら、小学校に向かって歩いていく。

 潮風を感じながら家の角を曲がったところで、ふと、見覚えのあるシルエットが目に入った。

 私が見間違えるはずもがない。

 私の、大好きな人のシルエット。


「沙織さーん!」


 嬉しくなって、たったったっと走りはじめる。

 私の声を聞いて振り返った沙織さんは、柔らかなブラウスにショルダーバッグをかけていた。

 大学に向かう途中なんだろう。風に長い黒髪が流されて、それをまとめる仕草が大人びて見えた。

 相変わらず…素敵。


「おはよう、未来ちゃん。今日も朝から元気そうだね」

「うん!だって、朝から沙織さんに会えたんだもんっ!」


 心の中の気持ちを、そのまま吐露する。

 沙織さんは少しとまどった顔をした後、にこりと笑ってくれた。


「有難うね」

「えへへー。沙織さんも大学にいくの?」

「うん、今日はゼミなんだ…でも、少しだけ緊張してるかも」


 発表があるんだけど、まだうまくまとまっていなくて…教授に指摘されちゃうかも、と言いながら、沙織さんは小さく笑った。


 やっぱり、綺麗。

 そんな沙織さんを見ていると、なんだか胸の奥がふわふわしてくる。


「ねえ沙織さん」

「なあに?」

「大人になったら、わたしも沙織さんみたいに素敵な女性になれるかな」


 私の問いかけに、沙織さんは少し目を大きく見開く。長いまつ毛がみえる。

 そして、それから優しい表情を浮かべる。


「ふふ、それは未来ちゃん次第だね。……でも、きっとなれるよ」


 そう言いながら、そっと、私の頭を撫でてくれた。

 その一言が、秋風よりもあたたかく、私の胸にしみこんできた。


「それに…」


 ぽんぽんって私の頭を撫でてくれた後、沙織さんはにこっと笑うと、言葉を続けた。


「未来ちゃんは、姉さんの子供なんだもの…絶対に、素敵な大人になれるよ」


 そう言った沙織さんは、なんとも言えない表情をしていた。遠くを見つめているような、優しさと哀愁がまざったような、今朝の秋のような表情。


「お母さん、たしかに美人だけど…」


 私だって、お母さんのこと大好きだけど、でも、それ以上に。


「でも、沙織さんの方が、ずっとずっと、素敵だもんっ!」

「うふふ、未来ちゃん、有難うね」


 そのまま2人で並んで歩く。

 波の音が聞こえる。潮の香りがする。

 隣の沙織さんから、いい匂いがする。

 心の中が、どきどきする。


 このままずっとずっと一緒に歩いていたかったけど、小学校と大学への道は違っていたので、途中で別れることになってしまった。


「じゃあね、未来ちゃん。小学校、頑張ってね」

「沙織さんこそ、大学頑張ってください!」


 手を振って別れたあとも、未来は何度も振り返ってしまう。沙織さんの後ろ姿を目で追ってしまう。

 それは、まるで陽だまりを持ち帰りたくなるような気持ちだった。


◾️◾️◾️◾️◾️


 学校では、颯真と美月がもう教室に来ていた。

 颯真は黒いランドセルを机にどんと置くと、私の方をみていじわるそうに笑った。


「未来ー!今日は忘れ物してないだろうな?」

「今日はって、まるで私が毎日忘れ物してるみたいに言わないでよ」

「だって未来、昨日ノート忘れたって騒いでいたじゃないか」

「もー、うるさいなー」


 颯真はいつも私にからんでくる。まるで俺小さなお母さんみたい、うざい。

 こんな私たちを見ていた美月が、くすくす笑いながら声をかけてきた。


「ねえ、颯真、あんまり未来にいじわる言わないの」

「別にいじわるじゃねえよ。俺は心配してあげてるんだっての」

「なにを?」

「こんなんじゃ、未来が立派な大人になれないかもしれないじゃないか」

「お母さんか!」


 思わず私がつっこむ。

 笑って、颯真がはしゃいで、美月がたしなめる。


 いつもの光景。

 当たり前になった、私の日常。


 私は、ランドセルを整理しながら、ふと心の中でつぶやいた。


(なんか、いいな)


 この三人の時間、好きだな。


 颯真の笑い声も、美月のやさしい目も。

 全部、宝物みたいに思える。


 チャイムがなった。

 1日がはじまる。


 私は机に座って、外を眺めながら、朝の沙織さんの笑顔を思い出していた。

 ぬくもりを胸の中で抱えたまま、そっと息を吸った。


 なんでもないはずの朝なのに、沙織さんの存在が、こんなにも大きくなっているのが分かった。


 …やっぱり、好き。


 大好き。


 気持ちが溢れてきて…止まりそうにない。


◾️◾️◾️◾️◾️


 放課後。

 私たち3人は、図書室にいた。


 今日出されたたくさんの宿題を3人で協力して終わらせよう、という魂胆だった。


 放課後の図書室にいるのは、私たち3人だけだった。

 窓際の席に3人並んで座り、ノートを広げる。


 真面目な美月はノートに細かい文字を一生懸命並べて書いていて、不真面目な颯真はペンをくるくる回しながら、すでに宿題の完成を諦めていた。


 颯真は問題集を閉じると、ひそひそ話を美月とはじめた。


「…なぁ、美月」

「なに?」

「未来、ぜんぜん集中してないよな」


 そう言いながら、私をみる。

 集中していないのは颯真もじゃない…と抗議しようかとも思ったけど。


 あらためて自分のノートを見て、愕然としてしまった。


 私、開いたままのノートの上に、さっきから同じ文字ばかりをぐるぐると書いていた。


「沙織さん」


 この文字だけを、たくさん。


「ごめんね、ちょっと、ぼーっとしていたみたい」

「未来がぼーっとするのはいつもの事だけど…」


 心配そうに、美月が私をみつめてくる。


「なにか、悩んでいる事でもあるの?」


 美月の声は、どこまでも優しかった。

 私は曖昧に笑うと、ペンのキャップを閉じた。


「…悩んでいるように見える?」

「見えたから、聞いてみたんだよ」

「…そう、だよね」

「未来に悩みなんて似合わねぇよ」


 颯真が苦笑まじりに口を挟んでくる。

 私は少し息を吸って、吐いて、そして。

 迷いながら、言葉を選んだ。


 いいのかな。

 この2人になら、相談しても、いいのかな。

 心臓が、静かに高鳴っていた。


「ねえ、ふたりとも。……変なこと、言ってもいい?」

「お、怖いな」

「どうしたの、未来?」


 息を吸う。


「…私ね、好きな人、いるの」


 一瞬、空気が止まった。

 外の風の音が、やけに大きく聞こえる。

 美月の手が止まり、颯真の笑いが引きつる。


「好きな人って、どういう……その、あの、えっと…」

「誰だよ!?」


 美月と颯真が、同時にきいてくる。

 私は俯いたまま、小さな声で答えた。


「…沙織、さん」


 沈黙。

 紙をめくる音も、遠くの足音も消えて。

 ただ、私の心臓の鼓動だけが耳の奥で鳴っていた。


 颯真が、ようやく口を開く。


「え…沙織さんって…あの…」


 未来の、叔母さんの事?


 信じられない、というように、私の瞳を見つめてくる。

 私は、こくんとうなづく。


「…うん。その、沙織さん」


 私の返事を聞いて、颯真は黙った。今まで見たことがないような表情をしている。

 かわりに質問してきたのは、美月の方だった。


「その好きって、家族としての、好きってこと?それとも…恋人にしたいって方の、好きってこと?」

「……恋人にしたいって方の、好き」


 再びの、沈黙。

 私たち3人しかいない図書室は、まるで湖の底にいるかのように、静かだった。


「……それは、ちょっと……」


 沈黙を破ったのは、颯真だった。


「…変、だよ」


 言葉が、私の心を突き刺す。

 氷の刃が、私の心臓に杭を打ったかのようだった。

 颯真の瞳の中に、今まで私が見たことがないような色が混じりこんでいた。

 異質なものをみるかのような、困惑した、深い黒曜石のような色。


「……変、かな」


 絞り出すように言葉を続ける。

 胸の奥がちりちりとしてくる。


「だって…だって沙織さんって…未来のお母さんの妹さんだろ?」

「…うん」

「家族じゃないか」

「…うん」

「それに…」


 颯真の言葉が痛い。

 私の中に染み込んでくる。


「沙織さん…女じゃないか」

「…」


 返事はしない。

 できない。


「それに、歳の差だって…」

「12歳」


 こたえる。

 こたえた。

 こたえて、しまった。


「…女同士で、家族で、歳の差あって、それって」


 いたい。

 いたい。

 言葉が、いたい。


「…そういうのって…普通、じゃないよ」


 痛い。

 痛い。

 痛い。

 心が、痛い。


 でも、何より痛いのは。




 瞳。

 颯真の瞳。

 その、困惑した、黒い黒い深みの底に。


 たしかに、「心配」を、感じ取れることだった。


 “普通じゃない”――

 その言葉が、胸の中でひどく冷たく響いた。


 その言葉が、私を心配してくれる颯真の口から出てきたことが、私を思ってくれていることが、ちゃんと、はっきり、しっかりと伝わるからこそ。


 本当のことなんだ、と、実感がわいてくる。


「そう、だよね」


 私は笑おうとした。

 にこって笑って、嘘だよー、嘘。冗談冗談、えへへへーって、笑おうとした。

 でも唇が震えて、言葉がうまく出なかった。

 喉の奥で、なにかがひっかかっているような感覚。


 だって…この気持ちは…


 嘘じゃない、から。


「未来」


 美月が心配そうに私の名前を呼んでくれる。

 でも、その優しさが、かえって私の心を凍らせてくる。


 私のことを心配してくれて、私のことを思って正しいことを言ってくれて、それが分かるからこそ、だからこそ。

 いまは、遠くに感じる。



「……ごめんね」


 私は、ノートの上に書いた「沙織さん」という文字を見つめながら、声を絞り出した。


「普通じゃなくて、ごめんね」


 私は、どうしてあやまっているのだろう。

 どうして、こんなに心が苦しいんだろう。

 どうして。

 私は。

 普通、じゃないんだろう。


「…でも」


 優しい2人。

 私のことを心配してくれる2人。

 引越し先で出会った、私にとって、初めての「親友」とよべる存在の、2人。

 そんな2人だからこそ、嘘はつけない。

 ついちゃ、いけない。


「私…沙織さんのことが…お母さんの妹が…」

「年上の人が…」

「女の人が…」


 たまらなく。


「好きなの」


 再びの、沈黙。

 2度目の、静寂。

 張り詰めるような、空気。


 颯真が、なにも言えずに視線をそらした。

 美月は唇を噛み、静かに頷いていた。


 2人の目の奥から見えるのは、同情や嫌悪などではなく…理解できないという、戸惑い。


「…ごめんね。気持ち悪いよね。こんな私でごめんね。嫌だったら、もう…友達じゃなくなっても、仕方ないよね。続けられないよね。でもね」


 唾を飲み込む。

 前を向く。

 2人に付き合う。

 口を、開く。


「…普通じゃなくても、私は、沙織さんが好き…恋人にしたい方の、好き。結婚したい方の、好き。ごめんね。私、この気持ちだけは…捨てられそうにないの」


 もう、私の心は、沙織さんにとられちゃったから。全部全部、とられちゃったから。

 初めてみたあの瞬間から、私の心は沙織さんのものになったから。

 一目惚れ、したから。

 すっごく美人だったから。

 顔が好き。

 まずは、顔が好きだから。

 それから、声も好き。

 匂いも好き。

 私を優しく「未来ちゃん」と呼んで撫でてくれるその手が好き。

 全部好き。

 大好き。

 この気持ちは、止められない。


 私の声は震えていたけれど、それでも、どこまでも静かで、真っ直ぐだった。


 美月が、そっとペンを置いた。

 その手が、私の肩に触れそうになって…けれど、触れられなかった。

 空気の中に、見えない線が一本引かれている。

 友情と、恋と、理解と拒絶を隔てる、細い線。


「……未来」


 美月の声は、かすかに震えていた。

 そして、美月は、颯真を見つめた。

 見つめ合い、うなづいて、息を飲んで。


 それから。


 手を、伸ばす。

 2人の手が伸びて。


 糸が。

 ぷつんと、切れて。


 私の肩に、のった。


 あたたかい。

 2人の手は、とけるように、あたたかかった。


「それで、いいの?」


 私は、ゆっくりと頷いた。

 だって…もう、どうしようもないから。


 私は、普通、じゃないと…

 そっちの方を。

 


 今日、自覚して。

 親友の前で。

 親友2人の前で。


 それを。

 普通じゃない道を、


 選んだ。

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