第89話 決意。【未来16歳/沙織28歳】
中間テストも無事に終わり、上位者の成績が貼り出されていた。
上位100人にまで入れば、ここに点数と名前が載る。私は毎回、載ったりのらなかったりの微妙なラインをうろついているのだけど、今回の試験はけっこう自信があったので、少しウキウキしながら掲示板を見に行っていた。
「星野…星野…あった!」
64位。うん、50位以内には入れなかったけど、去年に比べてずいぶん成績も上がってきた気がする。思わず、小さくガッツポーズをとってしまった。
期末テストでは50位の壁を突破することを目標にして頑張ろう。かたつむりみたいにゆっくりとした進みかもしれないけど、私に出来ることは、今できることを一歩一歩やることだけなのだから。
(さて、凛はどうかな…一応、見ておこうか)
凛の場合は、どこに名前が書かれているかを探す必要はない。定位置に、ちゃんと名前が書かれているかどうかの確認をするだけだ。
「白鷺凛…1位」
やっぱりね。自分のことじゃないのに、私はとても誇らしい気持ちになってしまい、思わず腕組みをしてうんうんと頷いてしまった。
入学以来、凛はこの地位を他に譲ったことがない。そんな親友がいつも私の隣を歩いてくれていることが、とても嬉しくてくすぐったい。
「凛、さすがだね、今回も1位だったよ」
そう言いながら振り返る。
凛の姿は…そこにはなかった。
成績の貼られた掲示板ではなく、その隣の、学校の案内が掲示してある通常の掲示板の前にたち、一つの張り紙をじっと見つめている。
「…ん?何かあるの?」
私は凛の傍にいき、凛が眺めていた張り紙を見てみる。
そこに記されていたのは…
『告示』
『選挙管理委員会規定第5章により次の要領で生徒会長1名の選挙を行います』
『立候補募集期間 6月8日~12日13:00まで』
という、生徒会長選挙の告示だった。
「ふーん、今年も始まるんだ、生徒会長選挙」
去年のことを思い返す。去年もこの時期、6月に生徒会長選挙があった。とはいっても、立候補したのは当時の2年生で、入学したばかりだった私たちはその立候補者の名前も知らなかったし、そもそも去年は立候補者が1人しかいなかったので単なる信任投票でしかなかった。
体育間で退屈な演説を聞いて、それから名前のところに〇を書いて提出しただけだった。
「生徒会って大変そうだし、そもそも生徒会に入ったら部活と両立なんてできないから、私たちには関係がな…」
言葉が途中で止まる。
凛が、私を見つめてきたからだ。風が吹いて、凛の黒髪をたなびかせ、少しもの悲しそうな表情がみえる。
「え…凛…どうしたの」
「未来は…」
いったん、言い淀む。しばらくの逡巡の後、凛は再び顔をあげる。何らかの決意のあとが、その表情から読み取れた。真剣な目。
「…水瀬先生のことが、今でも、好き?」
「…うん」
好きだよ。
はっきりと、答える。
凛はこぶしを胸にあてて、ぐっと、こらえて、そして、搾り取るような声で…私だけに聞こえるように、尋ねてきた。
「…水瀬先生と…付き合って…いるの?」
息が止まる。
周りを見る。
近くには、私と凛の他に生徒はいない。成績発表の掲示板には幾人かの生徒はいるけれど、わざわざこっちの通常の掲示板を見に来るようなもの好きな生徒はいないようだった。
私は唾を飲み込んで、そして、大事な親友の瞳をまっすぐに見つめた。
「うん…付き合っているよ」
「…」
「私は、沙織さんの彼女で…沙織さんは、私の彼女なんだ」
言っていいのかどうかは分からなかったけど、凛に対して嘘をついていいとは思わなかった。ごまかすこともできなかった。
知らず知らず、私は胸元に隠しているネックレスに手をあてて、指輪の感触を確かめていた。
沙織さんとの、目に見える形で示された絆。今は隠しているその絆を指先に感じながら、私は凛に向き合っていた。
「そう…だよね」
凛はそう言うと、はかなげにほほ笑んだ。
「おめでとう、未来」
「凛…」
「待って」
私が口を開こうとした時、それを押しとめるように、凛がいった。
私は言葉を飲み込んで、凛を見つめる。
凛は両手を前に組んで、風に吹かれて、少しだけ笑顔を浮かべる。
「返事はいらないから、聞いてほしい」
「…」
「未来、私、あなたのことが、好き。中学の文化祭の時に告白してから、あの時ふられてからも、ずっと気持ちは変わっていないよ…好き…大好き」
「…」
「未来、あの時、好きな人がいるから私の気持ちには答えられないって、ちゃんと伝えてくれたよね。だから、いいの。これはね、私の一方的な気持ちだから」
「…未来が水瀬先生を好きでもかまわない。私は、水瀬先生のことが大好きでたまらない未来を見て、全部ひっくるめて、好きになったんだから」
「…凛」
「だから、おめでとう、未来。これは本心だよ。私、未来には幸せになってもらいたいの。未来が幸せなら、私は幸せなの」
言いながら、凛は涙をこぼしていた。
つぅっと流れ落ちた涙は、線となって凛の白い肌を濡らしている。
「私は、未来の恋人になれなくてもいい…けど、幸せな未来の隣で、親友でいさせて」
「親友だよ」
歩く。
一歩。二歩。気が付いたらかけていて、凛を抱きしめていた。
もしかしたら、他の生徒たちに見られているかもしれない。女2人で抱き合っている姿が見られているかもしれない。でも、それが一体、どうしたというのだろう。泣いている凛を抱きしめること以上に大切なことなんて、今、この世に存在するわけがない。
「…うん…ありがとう…私、未来の親友でいていいんだって、己惚れていてもいいかな」
「当り前じゃない…こんなに素敵な親友なんていないよ…凛…私こそ、凛の親友でいさせてくれる?」
「未来がいいの…未来じゃなきゃ、嫌なの」
ぎゅっと、2人で抱きしめあう。
体温がつながって、心臓の音が重なり合う。
「生徒会長選挙」
「…え?」
「今度の生徒会長選挙にね、葵が、出るの」
「…」
そう、なんだ。
意外…でもなかった。
もともと葵は生徒会に入っていたし、それに人気者の葵なら、生徒会長になってもちゃんとうまくやっていくことができるだろう。
でも、それが…どうしたというのだろう。
「葵はね、私のことが、好きなの」
「…」
知ってる。分かってる。伝わっている。
葵が凛のことを好きなのは見ていて分かりやすくて、分かりやすいというか、なんというか、あれは。
(執着、だ)
とも思う。葵は凛に固執している。独占欲じみたものも感じる時がある。ふたごで、一緒に住んでいるのだから当たり前なのかもしれないけど…それでも時々、凛と一緒にいる私を見る目つきが、氷のように冷たくなっているのを感じる時がある。
「私も、葵が好きよ。でもこの好きは、葵の好きとは違うし…私の中にある、未来への好きっていう感情とも違う」
凛は私の背中をぽんぽんと優しくたたきながら、ゆっくりと言葉を続けてきた。
「葵が、大事なの。もともと同じ人間だったからかな…とても他人には思えないし、葵の考えていることならなんでも分かる…私のことを大事に想ってくれているのも分かるし、私に執着しているのだって分かってる」
そして、私から離れる。
はなれた身体が風に吹かれて、少し、寒い。
「葵が生徒会長になって、何をしようとしているのか…私には分かるの。あの子が一番怖がっているのは私に拒絶されることだから、私が本当の意味で怒るようなことは絶対にしない…けど」
風が、強く。
「私が…心の底で…少し思っている…黒い感情は…拾ってくると、思う」
たなびいた風が、凛の黒髪を舞い上がらせ、木の葉が舞って、砂埃が立ち込める。
「私…未来が好き。大好き。だから、ね。心の奥底で…たぶん、思っているの。思っちゃいけないことを、湧き上がってくる黒い感情が、あるの」
凛の瞳。
黒くて…深くて…その奥に、蒼い炎がちらついているように、みえる。
「未来と水瀬先生が、別れちゃえば、いいなって」
凛はそう言うと、苦しそうな表情を浮かべて、脂汗を流しながら、胸をぎゅっと抑えていた。吐く息が荒くなっていて、はぁはぁって、肺の中の空気を全部押し出そうとしているみたいだった。
肩を上下させて、全身が震えていて、そのまま地面を見つめ続けて、口を開く。
「葵が生徒会長になったら…たぶん…ううん、絶対に…合法的に完璧に…私に迷惑をかけないように…でも、私の中の暗い感情を掬い取って…あの子は…未来と水瀬先生が…付き合えないように…すると…思う…」
言葉が出ない。
ただの生徒会長にそんな権限があるわけが…と思いながら、中学の時のことを思い出す。あの文化祭。颯真にキスしていた葵の姿。一瞬でその場を支配していたカリスマ性…あの子は、葵は、凛の為になると思う事なら…なんだって、やり遂げるだろう…
「私が…」
「私がっ」
私の言葉をさえぎって、凛が叫んだ。
大きい声じゃない。けど、その決意と感情が、私の心臓に突き刺さってくる。
凛は顔をあげると、私を見て、「好き」と言った後、何か吹っ切れたかのように、何か憑き物がおちたかのように、晴れやかな顔になって、いった。
「私が…なんとか、するから」
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6月12日。午後1時。
生徒会長選挙立候補者の受付が終了した。
今年の立候補者は2名。
白鷺葵。
白鷺凛。
一週間の選挙活動の後、生徒会長選挙の投票が行われ、即日開票される。
そこで選出された1名が生徒会長に任命され、生徒会に配属され。
その者は…
他の部と兼任することは、できない。




