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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第七章 【未来16歳/沙織28歳】
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第85話 文芸部へ、ようこそ【未来16歳/沙織28歳】

 一年生の授業中、白いチョークで黒板に板書をしていると、背中に視線を感じた。私の指が動き、コツコツっという音が静かな教室に響き渡る。

 その手が動くたび、視線も動いている。


(…未来じゃない)


 未来なら、すぐにわかる。むしろ、私が求めてしまう。背中に未来の視線を感じた時は、すぐに振り返って抱きしめたくなる。

 でも、今は違う。

 今は一年生の授業中で、未来は二年生だ。


(一体、誰…)


 集中するなら、黒板に集中してもらいたいものなんだけど。私の授業、そんなに面白くないのかな、と少し寂しく思ってしまう。

 私は、真面目だと思う。真面目というのは誉め言葉でもあるけど、どちらかといえば、よくない意味でつかわれることの方が多いような気がする。「あの子は真面目だから」という言葉の中には、他に褒めるところがないから、とりあえず無難なところを褒めておこう、といったようなニュアンスを感じるのだ。


「…というわけで、ここは大事なところだから、ちゃんと覚えておいてくださいね」


 そう言いながら、振り返る。

 視線の持ち主と、目が合った。

 新一年生の中でも…目立って派手な女の子。


(確か…朝比奈さん、だったかな)


 さすがに自分が担任しているクラスの子の名前は全員覚えているけど、授業を受け持っているだけのクラスの子の名前はほとんど覚えてはいない。それなのにどうして朝比奈さんの名前を憶えているのかといえば…単純に、この子が目立っているからだ。


(まだ、見てる)


 別に私、今日の化粧に変なところってなかったよね?

 それほど化粧とかに気を使うことはない人生を送ってきた私だけど、去年からはそれなりに気を使って出勤するようになっていた。

 私の勤めている高校に、未来が入学してきたからだ。

 少しでも綺麗な私を、あの子には見てもらいたい。私の生活の大部分は、もう未来のことで埋められてしまっているのだった。


 チャイムの音がする。

 私は資料をとんとんと机に叩いて整理すると、「今日はここまで」とだけ告げる。


 今日はこの授業が最後の授業。あとは放課後になるので、生徒たちも楽しそうに席を立って散らばっていく。


(…まぁ、私の授業、面白くは…ないわよね)


 少しだけ寂しい。

 これでも、できるだけ分かりやすく、生徒の為になるような授業をしているつもりなんだけどな…例えば結城先生みたいに、会話の中にも華やかさを入れることとかができれば違うのかもしれないけど。


(私には、私ができることをするしかないもんね)


 これが他にとりえのない真面目人間ができる唯一のことだろう。

 私は一年生の教室を出ると、廊下を歩き始めた。

 職員室…には、向かわない。

 今日はこのまま、直接文芸部の部室へと向かうつもりだった。


(…未来…会いたい)


 心の中は、年の離れた恋人のことで一杯になっていた。先ほどまで考えていた授業に対する反省や葛藤などは、一瞬で消えてしまっていた…うん、私はやっぱり、真面目なんかじゃない。ただの色に狂った駄目教師でしかないんだろうな。


「…せい」


 足をはやめる。一歩でも早くいけば、一瞬でも早く未来に会えるし、一時でも長く一緒にいることができる。


「…せいったら」


 最近は部室に男の子もいるし…いいのよ、別に。未来は私の彼女なんだし、別の人に気が揺れるはずもないし、未来は私しか見ていないんだから…大丈夫、大丈夫…だけど、でもね、一応、念のため。


「水瀬先生!!!」

「きゃっ!」


 手を掴まれて、びっくりして声をあげてしまった。

 振り返ると、背の高い女の子が息を切らせながら私の手を握っていた。


「朝比奈…さん?」

「もう、さっきから何度も声をかけているのに、無視しないでくださいよー!」


 そう言うと、強くつかんでいた私の手を離して、腰に手をあてながら私を見つめてきた。まつげが長い…けど、これはつけまつげだ。

 背の高さも目立つけど、もっと目立つのは、肩のあたりでクールしているその髪の毛が、鮮やかな金髪であることだ。金髪といえば、結城先生も金髪なのだけど、結城先生の場合は地毛が金髪であり、自然な印象を受けるのだが、この子の場合は…


(がんばって、いるなぁ)


 と感じてしまう。

 全力で、元の自分を変えようと、もっともっと華やかになろうとしているのが伝わってくる。


「どうしたの?朝比奈さん。さっきの授業で分からないこととかあったの?」

「授業はー、まぁ、分かんなかったよ、全部」


 悲しいことを言う。

 分からなかったのは、私の教え方が下手だからだろう…もっと頑張らないと。


「あ、そんな顔しないで、先生。別に先生の授業が面白くなくて退屈だから分からないんじゃなくって、ただ単にあたしの頭が悪いだけだから」

「…私の授業が面白くなくて退屈なのは否定しないのね…」

「それは、まぁ、あはは」


 やっぱり否定はしないんだ…落ち込むなぁ。


「まぁ、授業のことはいいじゃん」

「私にとっては死活問題なんです」

「ほら、私まだ入学したばかりだしさ。まだまだ先は長いんだから」

「…最初で躓いてしまったら、後から追いつくのが大変ですよ」

「もう、先生、真面目だなぁ」


 朝比奈さんは笑った。笑うところ、なんだろうか?これでも一応、私、先生なんだけどな。


「それで朝比奈さん、私に何か用事があるのかしら?」


 少しだけふてくされて、問いかけてみる。ここで時間を使うのはもったいないから、早く行きたいんだけど…早く未来に会いたいんだから。


「水瀬先生、今から部室に向かわれるんでしょう?」

「…まぁ、そうですけど」


 早く行きたいんですけど。朝比奈さんには関係ないんじゃないかしら。


「私も連れてってよ」

「…え」


 素で、声が出てしまった。

 誰を、どこに、連れていけって?

 そんな私の疑問が顔に出ていたのかもしれない。朝比奈さんはにまぁっと笑って、はっきりと、私に向かって口を開いた。


「私、文芸部に入りたいんだ!」



■■■■■



「…というわけで」

朝比奈樹里愛あさひなじゅりあ!15歳!文芸部に入部希望です!」


 部室について、みんなの前で朝比奈さんを紹介する。

 未来と凛は、ぽかんとした顔をしている。雪原くんは、少しびくっとしている。楼蘭さんは落ち着いた表情をしていて…にまぁっと、嬉しそうに笑ったのは、やっぱり部長の神美羅さんだった。


「これはこれは、ようこそ秘密の花園文芸部に!歓迎するわよぉ~」


 スキップでもしそうな勢いで立ち上がると、本当にスキップしながら近寄ってきた。後ろで楼蘭さんがため息をついているのに気づいてか気づかずか、神美羅さんは朝比奈さんの隣に立つと、手を朝比奈さんの頭に当てる。


「背、高いねー。どれくらいあるの?」

「172センチです!まだまだ成長期です!」

「いいねぇ。実にいいねぇ」


 本当に嬉しそうだ。

 美しい銀髪をたなびかせながら、神美羅さんは朝比奈さんの背中をバンバンと叩いていく。

 朝比奈さんも嫌がることなく、むしろ嬉しそうににこにこ笑っている。


(…なに、この状況…)


 少しは予想していたことだけど、予想以上にカオスな状況になっていた。

 問題のだいたいの原因は神美羅さんなのだけど、まるで花に群がる蝶のように、ふらふらっと嬉しそうに朝比奈さんの周りをまわりながら、今度は雪原くんにまとわりついてくる。


「遼くん、よかったねぇ。仲間ができたよぉ」

「あ…嬉しい…です」

「樹里愛のこと、知ってた?」

「クラスは違うから名前は知らなかったんですけど…でも、目立ってますから、顔だけは…」


 神美羅さんは、いつの間にか2人とも苗字ではなく下の名前で呼んでいた。慣れしたしんでいくの早すぎじゃない?と思う。私にはとてもできない。こういうところは、素直にすごいと思う。


「あたしも雪原くんのこと、知ってます!」


 元気に答える朝比奈さん。


「なんってったって、学年1位ですもんね!有名人ですよー!」


 そう言いながら、続けて「ちなみに私は最下位です!ギリギリ奇跡でこの高校に合格できました!」とあっけらかんに笑っている。


「おぉー、すごいねぇ。じゃぁ、樹里愛と遼くん、2人足して2で割れば平均値だ。これはいいコンビになる予感しかしないねぇ」

「それくらいにしておきなさい、由良」


 楼蘭さんが神美羅さんの頭を叩いて、やっとこのやりとりが終わる。いつもの光景なのだけど、少しほっとする。これこそ、本当にいいコンビ、なのだろう。


「私は楼蘭蘭子、3年生よ。そしてさっきから浮かれているこの見た目だけはいいのが、部長の神美羅由良」

「見た目だけはいい神美羅です、よろしくね」

「それで向こうにいるのが…」


 猫みたいに首根っこを掴まれている神美羅さんの言葉を体よく無視して、楼蘭さんは奥にいる2年生組の2人を紹介する。


「2年の、星野未来です」

「おなじく、白鷺凛」


 未来と白鷺さんが簡単に挨拶をする。未来の声、綺麗。好き。


「神美羅部長、楼蘭先輩、星野先輩、白鷺先輩、雪原くん、覚えました!どうかこれから、宜しくお願いします!」


 朝比奈さんが元気よく宣言する。

 授業にはついていけない、と言っていたのに、名前はすぐに覚えるんだ。こういうところが、コミュ力の強いギャルの本分、というものなのだろうか。少し感心してしまう。


「それで…」


 神美羅さんは椅子に座ると、手に顎をのせて、さっきまでとはうって変わった落ち着いた表情を浮かべると、朝比奈さんに向かって視線を向けた。

 光が後ろから差し込んできていて、銀髪が輝いている。その紅い瞳は深いルビーのようで、内に秘めた妖艶さが隠しようもなく漏れ出ている。


「樹里亜ちゃんが、うちに入部したいと思った理由を聞きたいな」


 うん。

 それは、私も思っていた。

 朝比奈さん、どう見ても、文芸部に入るような人には見えないから。偏見かもしれないけど、こんな子はもっと華やかな部活に入るものだと思う。

 さっきまであんなに明るかった朝比奈さんが、少し、寂しそうな表情を浮かべた。

 影が差す、という感じではない。陽が落ちた、と表現すべきだろうか。

 少しだけ震えた声で、それでもはっきりと、彼女は口を開いた。


「ラブレターを、書きたいんです」


 え…、と思う。

 意外な言葉だった。

 朝比奈さんは、私の方を見た。その目は、とても深くて、優しい色をしていた。


「水瀬先生が黒板に書かれる文字を見ていて、それで、綺麗だな、って思ったんです」


 私の…字?


「あたし、馬鹿だから、口で何をしゃべっても、うまく人に伝えられないんですよねー。馬鹿が何をいっても、馬鹿にしかならないし、馬鹿にしかみられないんです」


 その言葉が、私に刺さる。私も、ついさっきまで、朝比奈さんのことを、この子のことを、正直…そんな風に…軽く、見ていた。

 このけばけばしい装束の中に秘められていた想いもなにも、知ろうともしていなかった。


「あたし、今、好きな人いないんです。でも、いつか好きな人ができた時に」


 朝比奈さんは笑った。光に照らされて、それはとても、綺麗な笑顔に見えた。


「ちゃんと気持ちを伝えられたら、嬉しいな、って」


 気持ちを、伝える。

 言葉を、形にする。


 私は、今でもずっと大事に持っている手紙がある。


 2年前、未来からもらった…ラブレター。


 未来を見る。

 綺麗な子。可愛い子。私が、世界で一番、大好きな子。

 抱きしめたい。抱きしめてもらいたい。好き。大好き。こんな素敵な子と恋人同士になれて、嬉しい。私は世界で一番、幸せ。

 その幸せのきっかけを作ってくれたのは、間違いなく、あのラブレターだった。


 言葉は、伝わる。

 距離も、時間も、何もかも関係なく。


 私と未来との関係は、この2年間でずいぶん変わった。それはたぶん、いいことなんだと思う。素敵なことなんだと思う。幸せなことなんだと思う。

 けど、今、2年前のあのラブレターを読んだとしたら。

 たぶん…心が2年前に戻れる。

 文字は年を取らない。文字は永遠だ。

 変わっていく心を持つ私たちが、変わらない心を形に残すことができるなんて、これは奇跡なんだと思う。


 私は未来を見た。

 未来も私を見つめてくれている。

 好きよ、未来。だぁいすき。


 気持ちを再確認できて、私は少しだけ、先にすすめるかもしれない。

 見失いそうになった私を戻してくれて、ありがとう。


「朝比奈さん」


 私は、そっと、朝比奈さんの肩に手を置いた。

 どういうべきか。何を言うべきか。

 言葉は難しい。

 難しいからこそ、素敵で、大切だ。

 私はそっと息を吸い込むと、伝えるべき言葉を探して、そして、できるだけ静かに、ちゃんと伝わるように、言った。


「文芸部へ、ようこそ」


 これが、はじまり。

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