第82話 高校2年のクラス発表【未来16歳/沙織28歳】
窓から零れてくる朝の光に向かって、そっと指を伸ばしてみる。
指先の指輪がきらりと光った。
ベッドの中で、私は小さく息を吸い込んだ。
(春、だなぁ)
16回目の、春。
私は16歳になっていた。
少しずつ、少しずつ、私は大人に近づいている…と思う。
(早く大人になりたいな)
大人になって、沙織さんに近づきたい。
私は指にはまっている指輪を見つめると、目を閉じた。胸の奥がじんわりと暖かくなってくる。
去年のクリスマスに沙織さんからもらったこの指輪。目に見えない気持ちも大事だけど、こうして形に残る気持ちも大切だな、としみじみと感じる。
(今日から、高校二年生)
いったい、どんな一年になるのだろう。素敵な一年にしていきたいな。
私は布団から身体を起こしながら、もう一度指輪を見る。頬がふわりとゆるんでくるのを止めることができない。
(愛しています、沙織さん)
そっと、指輪に口づけをする。そして、ゆっくりと指輪を外した。
本当はずっと指につけておきたいのだけど、学校で見られて、もしも沙織さんとペアリングだということがバレてしまったら…大変なことになるかもしれない。
(早く堂々と一緒に歩きたいな…)
そう思いながら、指輪にチェーンを通す。指輪が、ネックレスへと変わる。
私はネックレスを首にかけると、ちょうど胸の谷間の上のところに指輪が収まった。
(見えないけど…一緒ですから)
いつか日の当たる場所で恋人同士で歩けるようになるまで、それまで、私たちは薄暮の中、周囲の目を気にしながら歩いていこう。
■■■■■
部屋を出て、リビングへと向かった。
そこにはすでに、私の家族がそろっていた。
「おはよう、未来ちゃん」
一番最初に声をかけてきてくれたのは、茜先生だった。お父さんと茜先生が再婚したのは去年の6月。もう1年近くになるのに、まだ「お母さん」とは呼べていない。
「おはようございます、茜さん」
茜先生と、お母さんの、ちょうど間くらい。この呼び方が今の私の距離感だった。
その茜さんがスープを暖めていて、妹のつむぎはトーストをかじりながらテレビのアニメをじっと見つめている。
「がんばれー、ぱんぱんまーん!」
すごく楽しそうだ。見ていて、顔がにやけてきていまう。可愛いなぁ。
お父さんはいつも通りコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。私に視線を向けると、「おはよう、未来」と言ってくれたので、「おはよう、お父さん」と言葉を返す。
私はテーブルの上におかれたトーストを手に取ると、そのまま壁に壁際に飾られている写真に向かって「おはよう、お母さん」と言葉をかけた。
つむぎを産んで、お母さんが亡くなってからもう6年になる。
(月日が流れるのは、早いなぁ)
つむぎももう6歳だ。今年から小学生になる。
去年までは保育園に通っていて…そこで茜さんが先生になって、その縁でお父さんと茜さんは知りあって、再婚して…
「お腹すいたー。今日、始業式前から朝練あるんだよな。先に食べておくよ」
お腹をさすりながら出てきたのは、金髪で、三連ピアスで、背が高くておっきい玲央だった。
茜さんの連れ子で、私の義兄だ。
「バスケ部、大変ね。今年はいいこといけそう?」
「まかせとけ、なんといっても秘密兵器の俺がいるからな」
「秘密のまま終わらないでね」
「言っとけ」
玲央は笑う。
今は春だというのに、真夏の太陽のような、からっとした笑顔だ。
「文芸部の方はどうなん?」
「うちは相変わらず。始業式の後、とりあえず集まるみたいだけど」
そんなことより、今日は大事なイベントが待ち構えているのだった。
クラス発表。
クラスメイトが誰になるかも大切だけど、それよりなにより…
(担任の先生が、誰になるか)
それが一番大事だった。
去年は、沙織さんが担任で、もう、素敵で幸せな一年だった。
うちの高校は、3年でのクラス替えは無い。つまり、今日決まるクラスのままで2年間過ごすことになるから、これは私にとっての死活問題だった。
(神様、どうかお願いします)
沙織さんを、私の担任にしてください。
私はいい子じゃないかもしれないけど、それでも、今は祈るしかないんです。
トーストを食べ終わった玲央は、制服に手を通して、「母さん、浩平さん、つむぎ、俺、先に朝練行ってくるから」と言って、玄関に向かった。
玄関に向かいながら、私の隣を通りすぎて、そこでぼそっと、小さい声で、
「…水瀬先生のクラスになれるように、俺も祈っておいてやるから」
とだけつぶやいて、扉を開けて出ていった。
私は真っ赤な顔でその背中を見る。春の光に包まれながら、玲央は黙って手を振っていた。
(…そういうところだよ、玲央がモテるのは)
玲央に彼女はいないけど、玲央の彼女になりたいと思っている女の子は山ほどいた。私と玲央が同じ家に住んでいると知って、嫉妬の炎を向けられたことも枚挙にいとまがない。
(私と玲央が付き合うわけなんてないのに)
私の心の中にいるのは、いつだって沙織さんだけなのだから。
「ねーちゃー、ねーちゃー」
ちょうどアニメも終わったみたいで、つむぎが嬉しそうに私に向かって歩いてきた…走ってきた。あ、これは。
「ぱんぱーんち!」
可愛らしいこぶしが私に向かってくる。影響されてるなぁ。
その可愛いぱんちを受けて、ばいばいきーんと言いながらつむぎの頭を撫でる。つむぎは満面の笑みで私をみあげると、
「ねーちゃー、つむぎ、今日から一年生だよー」
「うん。おめでとう!」
「ありがとー!ねーちゃは何になるのー?」
「私?私は二年生になるよ」
「おめでとー!」
何がおめでとうなのかは分からないけど、人に対して素直におめでとう、って言える気持ちは大切なことだと思うので、私はもう一回、つむぎの頭をくしゃくしゃってしてあげる。
「じゃぁ、私もそろそろ行ってくるね」
お父さんと茜さんに声をかける。
2人は笑って、声を合わせて、「いってらっしゃい、気を付けてね」と言ってくれる。
うん。
行ってきます。
今日から私は…高校二年生。
どんな年になるのかな。
■■■■■
春の空気は、去年よりも透明な気がする。
すれ違う学生たちの制服も、その顔につもる光の匂いも、なにもかもが、一年生の頃と違って見える。
(いよいよ…運命の、時だ…)
緊張で胸が震える。
クラス発表。
掲示板の前は人だかりになっていて、歓喜の声や落胆の声が響いてくる。神様、どうかお願いします。いい子にしますから、たったひとつの私の願い、どうか叶えてください…
「未来、おはよう」
必死に祈る私の背中から、聞きなれた声がきこえてきた。
安心する声。私の親友の声。
「おはよう、凛」
「緊張してるね」
「うん。してる」
答えながら、ふりむく。
そこに立っていたのは、髪をきちんと切りそろえた、和風人形みたいに整った顔立ちの、私と同じく高校二年になった凛だった。
「凛はもう見たの?」
「うん。さっき葵と一緒に、ね」
そう言いながら、端っこでうなだれている葵の方を目で見やった。
「あれは…」
「私と葵、今年もまた別々のクラスだったから」
そう言いながら、凛は肩をすくめた。葵は…凛に執着している。その度合いはふたごだからというレベルを軽く超えていて、見ていてちょっと引いてしまうくらいのものだった。
今年クラスが違うということは、結局、高校三年間がずっと別々のクラスということか…ご愁傷さまだけど、私だって、人の事を心配している場合ではないのだ。
「凛はどこのクラスだったの?」
「それは、自分で見てみたら?」
にっこりと笑う凛。その落ち着いた態度から、あ、凛、私と同じクラスだったんだな、と察せられた。
人ごみをかきわけ、私は掲示板へと向かう。
名前がたくさん並んでいる。
星野…星野…あった。
「星野玲央」
あ、そうか、玲央と私、同じ苗字になっていたんだった。少し笑ってしまう。その同じクラスに、私の名前があった。
(玲央と同じクラス)
これで3年間、一緒のクラスになることが確定。うん。嬉しい。
「白鷺凛」
思ったとおり、凛の名前も同じクラスに書いてあった。超嬉しい。
私と、凛と、玲央は2年1組だった。
颯真と葵は…別のクラス。寂しいけど、こればかりは仕方がないよね。
そして。
私は目を閉じる。
祈る。
お願いします。お願いします、神様。
どうか、私に。
目を開けて、担任を、見る。
「水瀬沙織」
…
あ。
やばい。
泣きそう。
「やったぁあああああああああ!!!!!!!!!!」
言葉通り、私は飛び上がってしまった。
全身で、春の光を浴びながら、悦びに満ち溢れながら手を伸ばす。
ジャンプして、光を浴びて、喜んで。
私の後ろにいた凛が、嬉しそうに…そして少しだけ、寂しそうな表情を浮かべた。
私がこんなに喜んでいるのは、凛と一緒のクラスになれたから…ではないと、たぶん、凛は気づいているんだろうな。
ごめんね、凛。
でも、でもね。
それでも、そのことを全部分かった上で。
私は我儘だから。
私は自分勝手だから。
私は、いま、嬉しくて嬉しくて仕方がないんだから。
沙織さんと、一緒。
沙織さんと、卒業まで、ずっと一緒。
大好きな人と、ずーっと、一緒。
嬉しい。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて仕方ない。
「わぁあああいい!!!」
私は全身で飛び上がって。
制服の下で。
首にかけた指輪のネックレスも揺れている。
私の高校二年生の春は、こうして、光と共に始まったのだった。




