第81話 夢の終わり、夢の始まり。【未来15歳/沙織27歳】
素敵な夢を見た。
クリスマスのイルミネーションの下、沙織さんとお揃いのペアリングをしてキスをする夢。
雪が降ってきていて、その雪がイルミネーションに照らされていろいろな色に煌めていた。まるで、満天の空から星が降ってきたかのように。
吐息と吐息が混ざり合って、お互いの心臓の音がつながりあうほどに密着していて、まるで沙織さんと一緒に溶けあっているかのような、幸せな、夢。
目が覚めた。
胸の奥がふわっと温かくなり、じんわりとした幸せが身体中をめぐっている。
(夢…だったかな)
あまりにも素敵な夢だったから、それが現実と区別つかなくなってしまっていた。まるで胡蝶の夢のように、どちらが本物なのか夢なのか分からない。
(ううん)
そっと、指を確かめる。
そこには、たしかに指輪が存在していた。
薄い冬の朝の光が、窓のカーテン越しに部屋に差し込んでくる。私は布団から手を出し、かかげる。
光が指先に触れて、きらりと光った。
(綺麗…)
細い銀色のリングに反射して、まるで小さな星が瞬いているかのように、光が散らばっていく。
息が止まる。
胸がきゅっと締め付けられて、次の瞬間、じわぁっと熱さが広がってくる。
(夢じゃない…本当のことだったんだ…)
昨日のことを思い出す。
沙織さんと一緒にお店に入って、沙織さんと一緒にリングを選んで。
つけてもらって、お揃いになって。
クリスマスの空の下、キス、して。
雪の匂いに包まれて。
沙織さんの…沙織さんの身体の中に、少しだけ触れて。
それが全部、本当にあったことで。
「幸せすぎるよぅ…」
思わず、布団の中で丸まってしまった。
枕に顔をうずめたままで、足をばたばたとばたつかせる。
(沙織さん)
(私の大事な恋人)
(キス…気持ちよかった…)」
ちょっと大胆なことしちゃったな、と、思い返すたびに恥ずかしくなる。
恥ずかしいけど、嫌じゃない。
えへへ。
えへへへへへ。
自然に顔がにやけてしまう。指を開いて、何度もなんどもそこにちゃんと嵌められている指輪を見つめる。
私と沙織さんとの、絆の証。
(そうだ)
私はもぞもぞと動くと、スマホを手に取った。
この幸せを、真っ先に伝えたい。
私は布団に横たわったまま、リングがはまっている指にそっと唇をつけて、そんな姿を写真で撮った。
『沙織さん、おはようございます。昨日、幸せでした。今も幸せです。朝からずっと、沙織さんのことばかり考えています』
写真を添付して、沙織さんにメッセージを送る。
送った後、
(あ、しまった…私寝起きのまま…寝ぐせ直していなかった…)
と気づいてしまう。可愛くない私送っちゃった。失敗…沙織さんには、私の一番可愛い姿を見てもらいたかったのに。
既読がついた。
後悔しても、もう遅い。私の可愛くない顔、見られちゃった…
そしてしばらくして、返事が返ってくる。
『未来、おはよう。私もとっても、幸せよ』
そして、添付されている写真を見て、私はどくんと心臓が跳ねるのを感じた。
(わぁ…沙織さん…)
そこには、さっき私がしていたように、指をそっと唇に近づけている沙織さんの姿があった。
ただひとつ、ちょっとだけ違った点もある。
写真の中で、沙織さんは、ちょっとだけ舌を出して、指輪にキスしてくれていた。
(沙織さん…っ)
昨夜のキスを思い出してしまう。
沙織さんの舌の柔らかさを思い出してしまって、恥ずかしさでベッドの上をごろごろしてしまった。
あんまり動いたから、勢い余ってベッドから落ちてしまう。
ごつん。頭を打つ。痛い。
「未来ー、なんか音聞こえたぞー。何かあったのかー?」
「れ、玲央…なんでもないよーっ。ベッドから落ちただけっ」
ちょうど扉の向こう側から玲央がたずねてきたので、頭をさすりながらそう答える。
「朝からテンション高いなぁ。昨日いいことあったのは分かるけど、あんまり羽目をはずすなよ」
母さんたちにバレるからな、と、少し落ちた声のトーンで続きが聞こえてきた。
うん…うん。
私は指輪をそっとかくして、頷いた。
「もう朝ごはんできてるみたいだから、早く起きて来いよな」
玲央の足音が遠ざかっていく。私はそっと、深呼吸をする。
(落ち着け…落ち着け)
ニヤけていないで、普通の顔をして、リビングに行かなきゃ。
恋人と指輪交換して、舞い上がっている女子高生の顔なんか絶対に見せちゃいけないんだ。
そう思いながら、沙織さんに返事を返す。
『沙織さん、素敵すぎます。もう大好きです。早くまた会いたいです』
会いたい。
昨日会ったのに、もう今日も会いたい。できるなら、今すぐ会いたい。ずっとずっと、一緒にいたい。沙織さんの体温を感じたい。
(そして、会ったら…)
えへへ。
照れる。
扉をあけて、部屋を出たら、もう去っていったと思っていた玲央がまだ立っていた。というか、引き返してきていた。
「はい、失格。バレバレ」
「…っ」
卑怯だよー。
さっき、先にリビングに向かっていたじゃない…
「お前はつめが甘いんだよ…ちゃんと気をつけろよ」
「ふぁい…反省してます…」
少しうなだれる。
でも、たしかに、今のままニヤニヤしながらお父さんや茜先生の前にいったら、何事かと問われていたかもしれない。そうしたら、私はうまくごまかすことなんて出来なかったかもしれない。
そう考えると、ちゃんと先に警告してくれた玲央には感謝するしかない。しかないんだけど。
「…いじわる」
「ん?何か言ったか?」
「素敵なお兄ちゃんだな、って言ったんだよっ」
私は肩をいからせてそう言った。玲央は笑うと、ぽそりと小さな声でつぶやいた。
「指輪、似合っているぜ…おめでとう、な」
この、金髪で三連ピアスで見た目だけ不良な義兄は…ずるい。
私は耳まで赤くすると、指にはめた指輪にそっと触れて、ちゃんと隠しておこう、と思った。
今度こそ先にリビングに向かう玲央の背中にむけて、いーっと舌を出す。
そして、ほっと息をつくと、窓の外を見た。
(あ…積もってる)
昨夜から降り始めた雪が積もっていて、窓の外の景色は真っ白になっていた。
その雪に朝陽が反射していて、キラキラと輝いている。
(幸せ、だなぁ)
そう思った。
昔のちっちゃかった自分に教えてあげたい。あなたはちゃんと、幸せになれるんだよ、って。
(でも)
これは、始まりなんだ。
気を抜いちゃいけない。
さっき、玲央に忠告されなかったら、この幸せが綻んでいたかもしれないんだって、ちゃんと肝に銘じておかなければいけない。
私と沙織さんは、12歳も歳が離れている。
女同士で、叔母と姪の関係なんだ。
幸せだから…幸せを壊さないようにしなくちゃいけない。
私はそっと、胸に手を押し当てた。
「…沙織さんにふさわしい人に、なりたい」
窓の外では、淡い冬の光が降っていた。
きらきらと、指輪の光と同じ色で。
■■■■■
寝れなかった。
昨日のことを思い返すだけで、胸が熱くなって、身体がじんじんと火照ってしまって、幸せと興奮ととまどいと焦燥と渇望とがぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け回っていて、いくら目を閉じていても眠りに落ちることができなかった。
(未来…)
恋人の名前を思う。
思うだけで、身体がびくっと震える。
自分が吐いた吐息が熱くなっているのが分かる。
私はベッドの上で、ぎゅっと丸くなりながら、必死に自分を抑えていた。
「…好き」
誰にも聞かれていないのに、そう呟いてしまう。
いや違う。聞いている人が一人だけいた。私だ。
自分で放った「好き」という言葉が自分の耳に入ってきて、それが脳に伝わってさらに恥ずかしくなる。
(12歳も年下なのに)
私は未来に耽溺している。未来のことを思うだけで、もう、たまらなくなる。
足をバタバタさせて、少しでも落ち着こうとする。
無駄だった。
指を触る。
そこにたしかにある、硬いものの感触を確かめる。
(未来とお揃いの…指輪)
昨日のことを思い出す。
2人でお店に入って、2人で選んで、2人でつけた、お揃いの指輪。
(私なんかが、こんな幸せを感じてもいいの?)
暖かくて、仕方ない。
幸せすぎて、仕方がない。
そんなことをずっと考えながら悶々としていたら、目の端に光が舞いこんできた。
いつの間にか、朝陽が昇っていた。
(…眩しい)
私が住んでいるマンションの窓の隙間から、冬の白い光が舞いこんでくる。私はそっと、指を掲げた。
指に付けた指輪が光に照らされる。
光がきらりと散らばって、まるで指先に小さな太陽がもう一つ生まれたみたいに見えた。
(ちゃんと、ある)
夢じゃない。
昨日のことは、夢じゃない。
ちゃんと現実のことで、本当にあったことで、だから、あの夜、未来の唇に触れたことも現実で。
(未来…柔らかかった)
思い出して、顔が真っ赤になる。
自分で自分の顔は見れないけど、真っ赤になっているのがはっきりとわかる。身体中の血流がすべて顔に集まってきたみたいな気がする。
(柔らかいって、何を思い出しているのよ…)
何をって、言わないでも分かっているでしょう?
未来の…12歳年下の子の…ちっちゃな唇の中にあったはずの…私の中に入ってきた、あの、舌先。
(ああああああああああああああああああああっ)
駄目教師駄目大人駄目人間。
何を思い返しているのよ。変態。
柔らかかった…濡れていた。
ばか馬鹿ばーか。
考えるな、馬鹿。
舌先が触れ合った時、脳が溶けるかと思った。
だから考えるな。
ちょっとだけしか触れていなかったのに、舌先だけだったのに、でも、それが、未来から、未来の方からしてくれて。
馬鹿ばか駄目だめ。
きもち、よくて。
ばーーーーーーかーーーーーーーー!!!
その時、スマホが光ってくれたおかげで、なんとか妄想の渦から抜け出すことができた。もしもそうでなければ…私、自分で自分を止めることなんて出来なかったかもしれない。
火照った顔のまま、スマホを見る。
『沙織さん、おはようございます。昨日、幸せでした。今も幸せです。朝からずっと、沙織さんのことばかり考えています』
文字が目に入る。
そして添付された写真を見る。
(…っ)
脳が、白くバグっていく。
未来の写真。
可愛い私の恋人の写真。
昨日の指輪に、そっと口づけをしてくれている写真。
(可愛い…かわいい…かわいいよぅ)
あぁ、駄目だ。
私、この子のこと、好きになりすぎている。
スマホに抱き着いて足をバタバタさせる。スマホの中の未来にキスしたくなる。これが普段澄ました顔で教職についている、27歳の女の本当の姿だった。
落ち着け、落ち着け、私。
私はそっと、スマホをかかげる。
返信、しなくちゃ。
(写真、撮ろう)
もう一度、未来の写真を見る。
起きたばかりなのだろう、寝ぐせがついたままの未来。それがたまらなく愛おしい。
(私も…指輪に口づけをして…)
私も、未来と同じ気持ちだよ、って伝えよう。
同じだよって。
同じ。
(…未来の、唇)
(の中の)
(柔らかい)
(舌)
ああああ。
馬鹿か、ばかか私は。
何を考えているの?
私はもう27歳の大人なのよ?
相手はまだ高校生。12歳も歳下なのよ?
ちゃーんと、冷静に、なりなさい。
ぺろ。
舌を出す。
指輪にそっと、触れるように。
何考えているの何考えているの馬鹿じゃないの何考えているの。
これじゃまるで、また、未来と、昨夜みたいなキスしたいって言っているみたいなものじゃないの。
落ち着きなさい、私。
おちつけ、27歳の私。
冷静になって、まともになって、ちゃんと考えて。
ほら、もう一度、ちゃんとした写真を撮りなおそう。
『未来、おはよう。私もとっても、幸せよ』
そのまま、送ってしまった。
ああああああああ。
もう取り消せない。
何してるの、私。
なにすました文章送っているの?
本当は、ベッドの上でじたばたしながら興奮しているのに。
見られる前に取り消さなきゃ。
未来に見られる前に。
前に。
じっと待つ。
既読。
あああああ。
もう駄目。
見られちゃった。
私の…気持ちを、見られちゃった。
じっと返事を待つ。
なかなか来ない。
あ、駄目。
やっぱり送るんじゃなかった。
(欲求不満の駄目女だって、未来に思われちゃったのかな…)
目の前がくらくらする。
頭が沸騰しそうになる。
失敗した…失敗、しちゃった。
そんなことを考えていたら、スマホが光った。
『沙織さん、素敵すぎます。もう大好きです。早くまた会いたいです』
ほっと胸をなでおろす。
よかった…見捨てられてはいなかった。
呆れられてはいなかった。
(会いたい)
今すぐにでも、未来に会いたい。
こんなに私の心を簡単に揺れ動かしてくる、私の可愛い恋人に会いたい。
会いたい。
けど。
(我慢、しなくちゃ)
あんなに結城先生から忠告されているのに。
あれほど白鳥先生から注目されているのに。
頭で分かっていても、いざ、未来と出会ってしまったら、私は歯止めがきかなくなる。
自分の中から湧き上がってくる衝動に勝てなくなってしまう。
会うと、駄目。
見ると、駄目。
私は、未来の可愛らしさに、勝てる気がしない。
しないのに、分かっているのに、でも。
(…会いたい)
会って、抱きしめて、体温を感じて、未来に喜んでもらいたい。
喜ぶ未来をみたい。
あの子を、幸せにしたい。
あの子は、私と会うことに喜びを感じてくれている。
それが、分かる。
痛いほどわかるから、どうしても、応えたくなってしまう。
ただ幸せになりたいだけなのに、ただ幸せにしてあげたいだけなのに。
(どうして)
この道は、難しいのだろう。
普通の恋ならこうじゃなかった。
普通の恋なら、問題じゃなかった。
でも、私が選んだ恋は、普通じゃないのだから。
私が選ばれた恋は、普通じゃないのだから。
それを分かった上で、理解した上で。
(それでも)
私はもう、この恋以外を選ぶ気にはなれない。
この恋は…私の最後の恋なんだ。
(未来…)
(あなたのことが…)
(好き)
愛してる。
だから、たとえこの先に待っているのが破滅に向かう道なのだとしても。
私は、この道を、未来と一緒に、手をつないで。
歩いて、行こう。
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そして私たちは。
16歳と、28歳になる。
一番波乱に満ち溢れた、高校2年になった未来の1年間が。
逃げようもなく、始まる。




