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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第一章 【未来8歳/沙織20歳】
8/13

第8話 【閑話休題①】お姉ちゃんになった日

 春の光は、いつもより少しだけ眩しかった。

それはたぶん、今日という日が特別な日になるからだと思う。


 朝から家の中はバタバタしていた。

 お母さんを連れてお父さんは出て行ったから、8歳の私は1人で家でお留守番をしていたのだ。

 とりあえず朝ご飯の準備をすることにする。


「昨日のカレー…あったあった」


 冷めたカレーをお皿に移して、電子レンジに入れる。「あたためすぎると危ないから、気をつけなさいね」と言ってくれたお母さんの声を思い出しながら、ボタンを押した。


 ――ピッ、ピッ、ピッ。


 電子音がやけに大きく響いた気がした。


 私は今日から、「お姉ちゃん」になるのだ。



◾️◾️◾️◾️◾️


 ずっと待っていた日だった。

 お母さんのお腹に向かって、毎日話しかけていた。


「早く会いたいなー」


 って。


「私のこと、好きになってくれるかなー」


 って。


 お母さんのお腹に耳を当てて目を閉じると、中から小さな音が聞こえてきた気がした。


「この中にいるんだよね、赤ちゃん!」


 と言ったら、「そうよ。いま、頑張って大きくなっているんだよ」って、お母さんも笑ってくれた。

 …笑うたびに、時々、お母さんが少し苦しそうな表情を浮かべる時もあって、それはなんとなく怖かった。


(お腹の中に赤ちゃんがいるのって、どんな感じなんだろう?)


 そう思いながら自分のお腹をさすってみたけど、くすぐったいだけだった。


◾️◾️◾️◾️◾️


 お父さんが迎えに来てくれたのは、夜遅くになってからだった。

 へとへとになっているお父さんの車に乗せてもらって、病院へと向かう。

 お父さんは疲れきっていたけど、でも、とても満足そうな顔をしていた。


 病室に入ると、お母さんは白い布団の中に横たわっていて、その腕の中に、小さな小さな、「なにか」がいた。


 最初、それが人間だなんて思わなかった。

 だって、くしゃくしゃな変な顔だし、指だって豆みたいに小さいし、鳴き声もなんかしゃがれた猫みたいに変だったんだもん。


「…陽子、これが、沙織だよ」


 お母さんが柔らかく笑っていった。


 私は赤ちゃんの側に近づいて、手を伸ばす。


 赤ちゃんが少し動いて、私の指をぎゅって握ってきた。

 すごく弱い力なのに…そこに命を感じた。

 柔らかくて、暖かくて。

 ぎゅって私の指をにぎったまま、離そうとはしなかった。


「沙織、お姉ちゃんのこと、もう大好きなのかな」


 そう言って、お母さんが笑った。

 沙織。

 私の、妹の名前。


「沙織」


 赤ちゃんに向かって呼びかけてみる。当然、返事はないのだけど、私の指を握る力が少し強くなったような気がした。


「なんか、行かないでって言ってるみたい」


 私は、そのまま赤ちゃんの小さな手を両手で包み込んで、そっとつぶやいた。


「はじめまして、沙織。私は陽子。あなたの…お姉ちゃんだよ」


 赤ちゃんが、目を開けた。

 生まれたばかりだし、まだ何も見えていないはずなのに、それでも、まっすぐに私を見つめている気がする。


 くしゃくしゃな可愛い顔。

 豆みたいに小さい可愛い指。

 猫みたいな可愛い鳴き声。


 なんかもう、全部ぜんぶ、可愛くて仕方がない。


 私は、この子の中に、いろんな力を見つけた。

 弱くか弱い身体の中に、たしかにある力。


 生きる力。

 笑う力。

 泣く力。


 そして…暖かくて大きな、愛される力。




 そうやって、じーっと赤ちゃんをみつめていたら、後ろから、お父さんの声が聞こえてきた。


「陽子、お姉ちゃんになった気分はどうだい?」


 私は少し考えてから、答える。


「…悪くないよ」


 そう、悪くない。

 ぜんぜん、悪くない。

 お姉ちゃんになった喜びもあるけど、それ以上に、私の中にあったのは、生まれて初めて芽生えてきた…「責任感」だった。


「私ね…この子を、沙織を、守りたい。沙織を、いっぱい幸せにしてあげたい。私、お姉ちゃんだもの。沙織をたーっくさん、幸せにしてあげないといけないんだ」


 お父さんが、少し驚いたような表情を浮かべた。私の答えが意外だったみたいだ。


「…陽子は、いいお姉ちゃんになれるよ」


 うん。

 私は、いいお姉ちゃんになる。

 立派なお姉ちゃんになる。


 生まれたばかりの小さな妹をみていると、「守りたい」という感情と共に、もっと強い、「離れたくない」という気持ちが湧き上がってくる。


「沙織、お姉ちゃんが、いっぱいいっぱい、いーっぱい、あなたのことを幸せにしてあげるからね」



◾️◾️◾️◾️◾️


 お母さんと赤ちゃんを残して、私とお父さんは家に帰った。


 私は、布団に横たわって、目を閉じる。

 布団の中で、手を閉じて、開く。


 すると、さっきの小さな手の感触が、まだ私の手のひらの中に残っているのを感じた。


 あたたかくて。

 やわらかくて。

 

 胸の奥が、暖かくともる。

 

 私の名前は、水瀬陽子。

 妹の名前は、水瀬沙織。


 わたしの、たった1人の、大切な妹。


 布団の中の暗闇の中で、手のひらに残ったあたたかい光を感じながら、私はつぶやいた。


「ねえ、沙織。早く大きくなってね。お姉ちゃんが…たくさん、いろんなことしてあげるからね」


 言葉は力になり、力は未来をかえる。


「沙織、一緒に遊びましょうね」


 やわらかな笑顔。


「沙織、一緒に笑おうね」


 心が、体が、あたたかくなる。


「沙織…お姉ちゃんが絶対に…あなたを幸せにしてあげるからね」


 言葉は力になり、力は未来を変えて。


 そして生み出された言葉は、自らを縛る…


 呪いにもなりえた。



「私が、あなたを、幸せに」


「してあげるから」


「ね」

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