第79話 沙織の秋。【未来15歳/沙織27歳】
実家を出たのは、昨年の春。今は秋だから、もう1年半以上になる。思い返しても、私の人生で一番濃い1年半だったような気がする。
その理由は言わずもがなで、恋人ができたことだ。
(…未来)
12歳年の離れた姪っ子が、私の恋人だった。あの子の笑顔を思い浮かべるだけで、胸の奥が暖かくなる。幸せの快感が身体中をかけめぐり、内側から私を刺激してくる。
私の初恋は姉さんだった。
なら未来への恋心は、なんと呼ぶべきなのだろう。二度目の初恋?ううん。こんな風に考えたら、三度目、四度目の初恋ができてしまう。
私の中の姉さんへの想いは特別なもので、今でもずっと残滓となって残っている。
未来への想いも、特別なものだと信じたい。ならば、三度目、四度目と続くかもしれないという表現をしては失礼だ。
だから、私の中の未来への恋心に名前をつけるとしたら、
(最後の恋)
私はもう、未来以外を愛さない。
姉さんで恋心を知った私は、未来への恋心で恋を終えよう。
この二つの恋を知ることができただけで、私はもう…十分だ。私は幸せものだ。
私は未来を愛している。
未来も、私を愛してくれている。
愛した人に、愛してもらえるなんて、こんな奇跡が本当にあるんだ。
(ううん、違うよね)
奇跡、なんかじゃない。
私が未来を愛するようになったのは…未来が、私を愛してくれたからだ。
愛の矢印は、最初は未来からしか伸びていなかった。
私は未来のまっすぐな気持ちに感化され、変わり、作り替えられた。姉さんを失ってからっぽになってしまった私。未来はその隙間に入り込んできた…わけじゃない。未来は、私を包み込んでくれた。空っぽになった私を、空っぽのままで、受け入れてくれた。
(どうしてこんなにも、私のことを好きでいてくれるんだろう)
自信がない。
こんな12歳も年上の叔母さんを、あんなキラキラ輝く宝石のような子が慕ってくれるだなんて、今考えたら夢のようだ。
(沙織さんの顔が好きです)
一目惚れだった、と言っていた。
顔かぁ…と苦笑して、私は鏡を見る。
27歳の女が、そこに立っていた。
自分で自分を客観的に評価してみる。悪い顔立ち…ではないと思う。姉さんの血を引いているのだから、当たり前だった。姉さんは世界で一番綺麗だった。
…でも。
(私は…そこまでじゃない)
正直に、そう思う。
美しさでいえば、結城先生の方がよっぽど美しい。あの輝く金髪をもった先輩教師の美しさはどこから来ているのだろう?内面からかもしれない。あの人の過去が、結城先生の美しさに拍車をかけているのかもしれない。
(それに…結城先生の…お姉さん)
先日の夏祭りの時にも見た、結城先生のお姉さん。あの美しさはなんと表現すればいいのだろう。結城先生が明るく輝く太陽のような美しさだとするなら、あのお姉さんの美しさは夜を照らす乳白色の満月のような美しさだった。太陽と月、あの姉妹の関係を表すなら、そう表現する他ないと思う。
(若い子でいえば…)
神美羅さん。銀髪で、深紅の瞳で、あの子の美しさはちょっと人間離れしている。結城先生たちが人の範疇の美しさだとしたら、神美羅さんの美しさは少しベクトルが違う。真似できない、独特の美しさだ。
(白鷺さん)
あの子も綺麗だ。和風の美しさというか、名前通りに、凛とした美しさを秘めている。
こう思い返してみるだけで、世の中にはたくさんの美しい人たちがたくさんいて、その中で私は特別でもなんでもないのに…でも、それでも。
(未来は、私を選んでくれた)
胸が痛くなる。嬉しさで胸が痛くなることなんてあるんだ。
それに、見ていたら分かるし、伝わってくる。
未来は…私しか、見ていない。
その純粋な氷細工の短剣のような愛が、私をまっすぐに貫いてきたんだ。
(もう、手放したくない)
(別れたくない)
(未来がいない未来なんて…いらない)
私は12歳も歳のはなれた姪っ子に溺れている。
自分でも少しひいてしまうくらい、耽溺している。
今の私の中から、未来を引く。そうしたら、何が残るのだろう。
(吐きそう)
ちょっと想像しただけで、お腹の中が逆流しそうになる。
私から未来を引いたら、もう何も残らない。残るとしても、せいぜい髪の毛ぐらいだろうか。それもすぐに散り散りになる。
(私、重いなぁ)
自分でもわかる。
27にもなって、こんなに恋に狂うとは思わなかった。
もう恋に抗うことなんて出来ない。私がなんとか教師として理性を保てているのは、それが教師に対する矜持や世間体に対する義務感からなどではなく、ただ、未来を失うことへの恐怖からだけだった。
私は他の何を失ってもたぶん耐えれる。
もし職を失ったとしても、立場を失ったとしても、たぶん大丈夫。隣に未来がいてくれると考えただけで、それは不幸なんかじゃない。
(けど、未来を失うのは)
耐えられない。
それは、いろいろな意味で。
さっき、私は未来に対する恋心を「最後の恋」だと表現してみたけど、これはあながち嘘ではないだろう。
私は、もしも未来を失ったとしたら、
(たぶん、死ぬ)
だから、私の中での未来への恋心は、私の人生最後の恋で間違いないのだ。
(…だから、重いよね…)
ははは、と軽く自嘲して笑ってしまう。
スマホを見る。
そこには、両親から送られてきたメッセージが何通か来ていた。
内容は…私の身体を気遣うもの。
実家を出てから1年半、時々実家には帰るものの、その頻度もだんだんと少なくなってきている。
理由はいろいろある。
単に仕事が忙しくなってきた、というのもあるし、実家に行くよりも未来の家に行く方が楽しい、という身もふたもない理由もある。
でも、何よりも、実家に帰るたびに両親から言われる、
「お前ももう27歳だし、なんかいい人とかいないのかい?」
という言葉がつらいのだ。
「あんたの姉さんは、20歳の時にはもう浩平さんと結婚していたというのに…」
悪気もなくそんなことも言われる。
それが…なんというか…嫌だ。
(いい人は、いるんだよ)
と言いたいけど、言えるわけがない。
私のいい人は、あなたの孫ですよ、なんて。
(私と未来は女同士だから、結婚、できないけど)
いつか、一緒に、暮らしたい。
本音をいえば、そう。
でも、そんなのは、私の両親からしてみれば、娘と孫が付き合うなんて、ありえない話だろうな。
(私の恋は…普通じゃない)
客観的に見ると…そういう結論になってしまう。
夏祭りの時の、白鳥先生の言葉を思い出す。
(一度しかない青春、一度しかない時間、それを生徒たちが楽しむのは大いに結構…むしろ、楽しむべきです。でも、だからこそ)
(そんな生徒たちが、まっすぐ楽しめるように、道を外さないように指導してあげるのが私たちのやるべきこと、ではないでしょうか?水瀬先生)
道を外さないように指導するどころか、私は暴走する車に乗り、ガードレールを突き破って飛び出している…
本当は。
この恋は、諦めた方がいいのだろう。
それが、たぶん正解なのだろう。
当たり前で、まっすぐて、間違っていない、正しい道なのだろう。
結城先生の事を考える。
あの人は…強い。
たがえた道を、堂々と歩いている。瀟洒に、完璧に、迷いなく。
(…私は、あんなに強くなれない)
怖い。
未来を連れて一緒に堕ちていけるほど、あの子の未来を奪うほどの勇気も覚悟も信念もない。
ただ、恋心だけがある。
駄目だと分かっているけど、手放したくない。
間違っている道だと分かっているけど、おっかなびっくりでも、この道を歩いていきたい。
私の最後の恋を、最後まで、まっとうしていきたい。
スマホを手に取る。
メッセージを書く。
『未来…会いたい』
そして、消す。
またメッセージを書く。
『未来…愛してる』
また、消す。
また、書く。
『未来…キスしたい』
『未来…抱きしめたい』
『未来の体温を感じたい』
『未来の胸…触っても、いい?』
そして、全部、消す。
こんなの、送れるわけがない。
だって、だって、こんなメッセージ送ったら、たぶん、あの子は、
(全部…受け入れてくれる…)
だから、我慢。
今日は、我慢。
明日は…我慢、できるかな。
明後日は…その次は…?
分からない。
分からない。
分からない、けど。
(未来…好き)
(愛してる)
この気持ちだけは、分かる。
こうして秋が終わり。
冬が来る。




