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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
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第77話 万華鏡のような花火の下で【未来15歳/沙織27歳】

 夏祭りは夜からなので、着替えるためにいったん家に帰っていた。

 部活に出ていた玲央ももう帰宅していて、つむぎと一緒に遊んでいる。

 お父さんはコーヒーを飲みながらテレビを見ていて、その隣に茜先生が座っている。


 これが今の、私の新しい家族風景だった。


「浴衣、どれにしましょうか…未来ちゃんならどんな浴衣でも似合うわね」

「有難うございます、茜先生。でも私、着ていく浴衣はもう決めているんです」


 にこにこしながら私に尋ねてきた茜先生に対して、私も笑ってそう答えた。

 ちょうど一年前の花火大会で、私は沙織さんに告白して、そして彼女になった。

 だから今日、私が着ていくべき浴衣は決まっていた。


 赤茶系のベースカラーに、ストライプのように規則的に並んだ白の藤柄。帯は無地の黄色い帯で。


(私が…沙織さんの彼女になれた時に着ていた浴衣…)


 あれからもう一年が経つのか。早いような、長かったような。

 私は浴衣を手にして目を閉じる。沙織さんの事を考える。去年の沙織さんの姿を思い出す。


(打合せなんてしていないけど)


 沙織さんも、今夜の夏祭りで、あの時と同じ浴衣を着てきてくれるんじゃないかという予感があった。

 今頃、私と同じように、浴衣を手にして一年前の事を思い出してくれていたら…離れていても、心がつながっているみたいで、嬉しい。


「ふふ、未来ちゃん、とっても楽しそう」


 茜先生がそう言いながら、そっと私の頬に手を当ててくれた。


「可愛い未来ちゃんを、もっと可愛くしてあげなくちゃ、ね」


 そして、髪、結ってあげるって、茜先生が言ってくれる。私は顔をあげて聞き返す。


「いいんですか?」

「もちろん♪」


 茜先生は腕まくりをして、笑ってくれる。


「未来ちゃんをいっちばん可愛くしてあげる!」



■■■■■



「はい、完成♪」


 茜先生は私の肩に手をやると、そういって満足そうに笑った。

 鏡の前に立つ。

 そこには、浴衣姿で、頭をお団子に結ってもらっている私の姿が映っていた。首をかしげてみる。鏡の中の私も首をかしげる。

 にー、って笑ってみた。鏡の中の私も、にー、って笑う。

 私が動くたびに、頭の上のお団子も合わせて動いてくれて…なんていうか。


(可愛い…かも)


 私は振り向いて、大きな声でお礼を言った。


「茜先生、有難うございます!」

「いえいえ、どういたしまして」


 茜先生は腰に手を当てると、まんざらでもないように得意げな表情を浮かべた。


「素材がよかったからね」

「ねーちゃー!きれいー!」


 先ほどまで玲央と遊んでいたつむぎが、玲央から離れて、いつも通りとてとてっと走って私に向かってきた。


(くるか…)


 と思って身構えたら、今日は飛びついてくるのではなく、ぐるぐると私の周りをまわり始めた。


「きれいー!かわいいー!ねーちゃすごいー!」

「えへへ…それほどでも…」


 妹に褒められて照れてしまう。そのまま、聞いてみた。


「つむぎも夏祭り、行く?」

「ううん。いかない。れおくんとあそぶの」


 そう言うと、来た時と同じような勢いで、玲央のところへととてとてとてー、っと走っていった。


「おぉー、つむぎ、お兄ちゃんと遊ぶかー」

「うん、れおくんとあそんであげるー」


 嬉しそうにはしゃいでいるつむぎの姿を見ていると、ふと、胸によぎるものがあった。


(なんか…寂しい)


 今まではずっと私にべったりだったのに、最近は私より玲央になついているような気がする。子離れされた親の気持ちって、こんなものなのかな…。


「うん、綺麗だよ、未来」


 テーブルに座ったままで、お父さんが私を見て、嬉しそうに笑った。

 コーヒーからは湯気が出ている。もう夏だというのに、お父さんは昔から熱いコーヒーを好んでいるのだった。


「…母さんに、似てきたな」


 そう言って目を細める。

 母さん…この場合の母さんは、茜先生ではない。私を産んでくれたお母さんのことだ。

 隣に立っている茜先生を見てみる。新婚の夫から前妻の話題を出されるなんて、どんな気持ちなんだろう…

 茜先生は、優しく笑っていた。


「奥さま、すごく素敵な方だったんですね」

「あぁ…私にはもったいないくらいの、いい妻だったよ」


 お父さん、デリカシー!デリカシー!


「うふふ。なら今の私はどうですか?」

「君も…私にはもったいないくらいの、素敵な人だよ」

「有難うございます、浩平さん」


 穏やかな空気が流れている。お父さんと茜先生が再婚したのほあ6月で、まだ2ヶ月くらいしか経っていないのに、もはや熟年夫婦のような雰囲気を漂わせている。


「あー、まぁ、目の前で親にいちゃつかれている子供の気持ちってもんも考えてもらいたいね」

「たいねー!」


 玲央くんがこほんと咳払いをして、2人をちゃかす。つむぎも真似をして、手をあげて笑っている。


「そ、それじゃそろそろ時間だから、私、行ってくるね」


 手を振り、バッグを手に取って私は出かけることにした。


「いってらっしゃい、未来ちゃん」


 茜先生も笑って手を振ってくれる。


「それだけ可愛かったら、どんな男の子だってイチコロよ♪」

「…え、ええ」


 そうですね、といって、私は苦笑いをする。

 ごめんね、茜先生。私が堕としたいのは、男の子じゃなくって、女の人なんです…


「つむぎは俺が見ているから、お前はとことん、楽しんできなよ」


 微妙になってしまった空気を払拭するかのように、玲央がそう口をはさんできた。

 私は玲央を見る。

 玲央はバツが悪そうに眼を逸らす…私が好きな人が誰かを知っているこの義兄は、見た目金髪で三連ピアスといった不良風のくせに、細かな気遣いのできる…いい男、なのだった。


(ありがと、ね)

(まぁ、なんていうか、がんばれ)


 目と目でアイコンタクトをすると、改めて私は、元気よく声をあげた。


「よーし、楽しんでくるぞー!」

「ぞー!」


 つむぎも真似して声をあげてくる。

 開いた扉から、夏の空気が入ってきた。


 さぁ、祭りへ、行こう。

 文芸部のみんなが…沙織さんが待ってくれているんだから。




■■■■■



(少し遅れた、かしら)


 私はそう思いながら、夏祭り会場の人ごみの中を小走りではしっていた。

 一年ぶりの浴衣姿なので、動きにくい。

 慌てて人にぶつかってしまい、「ごめんなさい」と謝りながら進んでいく。


(ちょっとお化粧するのに気合いれすぎちゃった…)


 反省する。

 今から合流するのは文芸部の生徒たちで、教師の私よりもみんなずっと若い。一緒に歩くのだから、少しでも彼女たちに恥ずかしくないようにしないと…


(…っていうのは、違うよね)


 私が綺麗でいたいのは、たった一人の女の子の前でだけだった。


(未来)


 その名前を、顔を思い浮かべるだけで、自然と顔の筋肉が緩やかになってしまい、ふにゃぁっとした大人の女がしてはいけない顔になってしまう。

 12歳年の離れた私の彼女。

 その子に会えると思うだけで、心の中が花園で満たされてしまうかのようだった。


(未来…私のこの姿見たら…どう思ってくれるかな)


 いま私が着ているのは、白地に藍色の紫陽花が映える浴衣だった。帯は紫色一色で、大人びた落ち着きがある組み合わせ、だと思う。

 私がこの浴衣を選んだ理由は簡単で。


(もう、一年前になるのよね)


 ちょうど一年前の花火大会の時に、私はこの浴衣姿で未来に想いを伝えたからだった。

 私と未来が恋人同士になった、思い出の浴衣。


 あれから一年たって、想いは弱まるどころか、さらに激しく燃えるようなものになっていて、自分でも驚くほど…私は、未来に溺れている。


(この角を曲がれば…)


 集合地点。

 人ごみの中、笑い声が聞こえてくる。


「あ、先生」


 4人の浴衣姿の女の子たちが、私の姿を見て手をふってくれている。

 一番最初に声をあげてくれたのは浴衣姿に銀髪の髪をたなびかせている、一同の中でも一際目立つ神美羅さんだった。


「普段部室で見るよりずっと、なんか、あれですね。うん、そんな感じ」

「…由良、その語彙力、本当に文芸部員なのかしら」

「これでも部長だぞー」

「はいはい」


 そんな神美羅さんをたしなめている楼蘭さんは、落ち着いた絵柄の浴衣を着ている。華やかな神美羅さんと並んでいるとバランスがとれていい感じだと思う。


「水瀬先生、お疲れ様です」


 いつも日本人形みたいな白鷺さんが浴衣を着ているので、いつもより更に和の雰囲気を身にまとっている。白鷺さんが私を見つめる瞳には、ある種の感情を感じ取ることができる。それはかつて、私が浩平さんに向けていた感情と似ていて、世間ではそれを、嫉妬、というのだろう。


「沙織さん…」


 心臓が跳ねる。

 さっき、この集団の中で一番華やかなのは神美羅さんだと思ったけど、それは世間一般での評価というもので、私にとっては…この、未来こそが、比べるものもなく世界一なのだった。


 目と目が合う。


(あ…)


 そんな予感はしていた。そしてたぶん、未来も同じ予感をしていたのだろう。

 頬が熱くなるのを感じる。


(一年前と、同じ浴衣)


 一瞬、心が昨年に戻ったかのような気がした。まだ恋人じゃなかった時の気持ち。あのドキドキ感は…今ではもう、味わうことができないのかもしれない。

 それは今が幸せである証拠ではあるのかもしれないけど…一抹の寂寥感も伴うものだった。


「これで文芸部、全員集合だねっ。部活動を開始するよっ」

「…それで由良、具体的には何をするのかしら」

「もちろん、射的、水ヨーヨー、型抜き、いろいろ全制覇に決まっているじゃない」

「元気ねぇ」

「今は夜だからね…私、吸血鬼だから、夜になったら目が覚めるのよ」

「低血圧なだけじゃない」

「なにおー。血ー吸っちゃうぞー」


 楽しそうにはしゃいでいる神美羅さんと楼蘭さん。それを見つめてやれやれと肩をすくめている白鷺さん。

 そして…じっと私を見つめている、未来。


(いま、この場に2人きりだったら)


 抱きしめたい。

 そんな事を思いながら、私はふと空をみあげた。


 暗い夜空が、祭りの灯りで明るく照らされていて、星がかすんでよく見えない。


(とはいえ)


 私にとっての輝く星は、今、目の前にいるんだけど。

 輝くような愛に包まれた、世界で一番綺麗な一番星が、私の未来を照らしている。




■■■■■



「…はぐれちゃいましたね」


 未来はそう言うと、手にしたリンゴ飴をぺろっと舐めた。

 私は横でその姿を見ながら…未来の舌の動きを見て、心臓が激しく動くのを感じながら、「そうね」とだけつぶやいた。


 それなりに大きな街で行われている夏祭りだから、人も多い。

 ぶつからずに歩くことは不可能なので、未来と身体をそっと寄せ合う。

 未来は私を見て、嬉しそうに笑って、そっと近づいてくる。


(ごめん、ね)


 はぐれたのは、わざとだった。

 勢いよくふらふらといろんな屋台に向かう神美羅さんと、それをたしなめている楼蘭さん、マイペースにその後ろをついていく白鷺さんを先に行かせつつ、私は自然にゆっくりと未来と一緒に集団から離れていた。


 ちょっとでも離れたら、あとは人混みがその差を広げてくれる。


 こうして私は、未来と二人きりになることに成功していた。


(駄目だなぁ、私)


 自己反省してしまう。

 2人きりになったのには、大きな目的が…あったわけではない。ただ単に、私が、未来と2人きりになりたいと思っただけだった。自分の欲望に忠実にまっすぐ行動してしまっただけだった。


(でも、仕方ないじゃない)


 隣を歩く未来を見る。一年前と同じ浴衣。想いでの詰まった浴衣。赤地に白い藤柄の浴衣。来ているものは一年前と同じなのに、2人の関係は大きく変わってしまっていた。


「…未来」

「はい、沙織さん」

「その浴衣…」

「…はい」


 去年と同じです。おそろい、ですね。えへへ。


(可愛い)

(抱きしめたい)

(ぎゅーってしたい)


 心の中のもう一人の私がそう囁いてくるのを、最後に残った自我でなんとか押さえつける。今は祭りのど真ん中。どこで誰が見ているかも分からない。衝動的な行動は慎むべきだった。


(…よかった)


 逆に、安堵する。

 もしも今、周りに誰もいなくて2人っきりだったとしたら…果たして私は、この湧き上がってくる欲望を押さえつけることができていたであろうか。考える間でもなく答えは明白で、押し寄せる津波にむかって単身サーフボードで挑むようなものだろう。

 飲まれて、流されて、一巻の終わりだ。


(冷静に、冷静に。私は大人なんだから、未来をしっかりエスコートしないと)


 そう思い、また未来を見つめる。

 去年と違った団子頭が可愛らしい。浴衣から少しちらっと見えるうなじが綺麗で、触りたい。駄目教師。見るな。


「沙織さん…」

「なに?」

「食べます?」


 未来は手にしていたリンゴ飴をそっと差し出してくれた。

 リンゴ飴は濡れていて、赤くぬめりと光っているようにみえる。


 私はもちろん、大人として冷静で的確な判断をくだす。


「あーん」


 口を開けた。

 未来は笑ってリンゴ飴を差し出そうとして、そして少しだけ考え込む。


(なんだろう?)


 と思っていたら、未来はリンゴ飴をくるっと半回転させた。


「私が舐めたの…こっちですから」


 そう言って、自分が舐めた方を私に向けてくる。リンゴが濡れている。

 幸せ。甘い。

 美味しい。リンゴの味…未来の、味が混じっている。


「…未来」


 どくん。どくん。

 心臓の音が聞こえる。耳の真裏で聞こえてくるみたいな、大きな音。

 血の流れる音がごーっと聞こえてくる気がする。その血全てに、私の思いと欲望が混ざり合ってどろどろしている気がする。


(抱きしめたい)

(駄目)

(引き寄せたい)

(周りに人がいるんだから)

(未来の匂い)

(やめて。やめろ。駄目だから)

(リンゴ飴…甘い…)

(未来の味)

(唾液)

(抱きしめたい)

(駄目駄目駄目駄目駄目)


「…沙織さん…」


 未来が目を閉じる。


「…いいよ」


 むしろ、して。


 目の前が真っ白になって、私は未来の腰に手を伸ばして、未来がびくっと震えて、そして。





「あなたたち、何しているの?」


 聞き覚えのある声に、現実に引き戻される。

 さっと手を離し、振り返る。

 背中が凍る。

 浴衣と首筋の隙間からドライアイスの塊が投げ込まれたような気がする。


「教頭…先生…」


 そこに立っていたのは、私の勤める高校の教頭であり、私が目指す先生の1人であり、もっとも厳格な教師でもある…


 白鳥先生、だった。



■■■■■



「白鳥先生…どうして、ここに?」

「どうしてって…決まっているじゃない」


 白鳥先生は祭り会場には似つかわしくない普段のスーツ姿で、その立ち姿は高校でいつも見かけている厳格さに満ち溢れていた。


「祭りだからといって、生徒たちが羽目をはずさないように、監視で回っていたんです」


 頼まれてもいないのに、自主的に。

 そんなの、生徒たちにとっても…


「煙たがられるでしょうね。分かってます」


 教頭は…白鳥先生は…まるで私の心の中を読んだかのように、私の心に浮かんだ言葉に返事を返してきた。


「一度しかない青春、一度しかない時間、それを生徒たちが楽しむのは大いに結構…むしろ、楽しむべきです。でも、だからこそ」


 白鳥先生は、私の目を見つめてくる。

 厳しさと、その奥にある優しさ。でも自分を曲げることのない、確かな信念をそこに見出すことができる。


「そんな生徒たちが、まっすぐ楽しめるように、道を外さないように指導してあげるのが私たちのやるべきこと、ではないでしょうか?水瀬先生」

「…はい…おっしゃる通りです」

「それで」


 白鳥先生が私の隣にいた未来に視線を向ける。

 未来はびくっとして、そっと私の後ろに隠れそうになる。


「あなたは…確か…」


 一瞬、白鳥先生は目を閉じる。大ベテランの教師である白鳥先生の頭の中には、たくさんの生徒のファイルが保存されているのだろう。それを検索して、確かめて、確信して、白鳥先生は目を開いた。


「星野さん、ですね」

「はい…」


 星野未来です、と、小さい声で未来は答えた。


「わ、私の姪っ子なんです。今日は文芸部の活動の一環として夏祭りに参加していまして、それで…」

「文芸部?他のメンバーはどこに?」

「それは…」


 わざとはぐれました、なんて言えるわけがない。

 別に悪いことをしているわけではないのだから、堂々としていればいい。

 そう。

 ただ、12歳下の姪っ子と恋人関係になっていて、教師と生徒の関係で、今私はその恋人に対して…欲情していて、女同士で、2人きりになるためにわざとみんなからはぐれていて、キスしたくて、抱きしめたくて、


(あ、駄目だ)


 スリーアウトどころかコールドゲームだ。

 私は自分のことしか考えていないのに、白鳥先生は自分が嫌われることも承知の上で、生徒のことを考えて行動している。

 正しいのは100%白鳥先生の方で。

 間違っているのは100%私の方で。

 それは分かっていて明白なのだけど。


(…)


 きゅっと、未来が、私の浴衣の袖を握った。未来の気持ちが、心配が、不安が、流れ込んでくる。


(未来…)


 私の心を奮い立たせるには、それで十分以上だった。

 私は唾を飲み込んで、息を吸って、心臓をドキドキさせながら、口を開こうとして、





 その時。


「あれー。教頭先生じゃないですか。夏祭りでの見回り、ご苦労様です♪」


 朗らかな声が、私たちの間に割り込んできた。

 その声は大きなものではないのに、夏祭りの喧騒の中、透き通るように人々の間をすり抜けてきて、私と白鳥先生の間に透明な障壁を作ってくれたかのようだった。


「あなたは…」

「もちろん、デート中ですわ、教頭先生」


 人ごみをかき分けて出てきたのは、目の覚めるような美人だった。

 しかも、2人。

 華やかな浴衣姿で、手を握り合っていて、1人は金髪で、1人は黒髪を綺麗に結い上げている。


 結城先生と、その恋人のお姉さんだった。


「偶然ってあるものなんですね。楽しい夏祭り中に、まさか同じ高校の同僚の方々とばったり出会えるなんて」


 そう言いながら、結城先生は自然に私と白鳥先生の間に割り込んでくる。

 あまりにも自然だったので、それが私たちを守ろうとしてくれていることに気づくまで少し時間がかかった。


 結城先生はにっこり笑いながら白鳥先生を見ていて、私と未来には背中を見せている。

 その真っ赤な帯の裏側に手を伸ばして、白鳥先生に気づかれないように、手を軽く振ってくれていた。

 はやくおいきなさい、と、その手が雄弁に物語っている。


「…結城先生」

「なんでしょう、教頭先生」

「あなたは仮にも先生なのですから、もう少し節度というものを…」

「嫌ですわ、教頭先生」


 結城先生は笑う。

 笑うが、その瞳だけは笑っていなかった。


「私が節度を持てるような女だったら…そもそも姉さんが教師を辞めることなんて…なかったんですから」

「あなたは…」


 何かを言いたそうな教頭先生の口を閉じさせるかのように、 結城先生の隣に立っている人…結城先生のお姉さん、結城綾奈さんが口をはさんできた。

 

「お久しぶりです、白鳥先生」

「…結城先生」

「いやですわ、白鳥先生。私はもう、先生じゃありませんから」


 そう言うと、たおやかに笑う。

 妖艶な笑み。

 落ち着いた笑み。


「その節は大変、お世話になりました」

「…あなたは…」


 とても、優秀な先生でした、と、白鳥先生が心情を吐露する。


「あんなことさえ…しなければ」

「お言葉ですが」


 綾奈さんは白鳥先生の方を向いたまま、ふいに、隣に立っていた結城先生の腰に手を伸ばして、自らの方へと引き寄せた。

 そしてそのまま、その頬に唇を寄せる。

 キス、した。


 こんな人ごみの中で。

 まるで誰もいないかのように。まるで世界に自分と恋人の2人しかいないかのように。


「選んだのは私ですし、もしもあの時同じ状況に陥ったとしても、私はまた、同じ行動をとりますよ」

「…」

「白鳥先生、先生には感謝しているんです。あんな状況の中でも、あなたは何とかしようと、裏でたくさん動いてくださったのですから」

「…結果の伴わない行動なんて、意味のないものよ」


 白鳥先生は、寂しそうな表情を浮かべる。


「結局、私は貴女を守れなかったのですから」

「教え子に手を出した女教師のことなんて、気にしないでください」


 そうだった。

 結城先生から聞いたことがある。

 綾奈さんは、当時女子高生だった結城先生に…手を出して…抱いて…それがおおやけになって…教師を退職せざるを得なかったのだ、と。


 ずきん。


 胸が痛む。

 私も…。だ。


「あなたは」


 白鳥先生が、ゆっくりと、しかしはっきりと、まっすぐに綾奈さんを見つめながら、口を開いた。


「最高の教師に、なれるはずでした」

「結果として、最低の教師になってしまいましたけどね」

「私の長い教師生活の中で、あなたほどの逸材に出会えたことはありませんでした」

「それがこの体たらくで、むしろ申し訳ありませんわ」

「…本当に…本当に…」


 もったい、ない。

 白鳥先生は、心の底から悔しそうに、そう言葉を漏らした。


「あなたが教師生活を続けていたら、今頃、どれほどたくさんの生徒たちが…導かれていたことか…」


 綾奈さんは何も答えなかった。

 自らの事について言われていた時には軽口を返していたにも関わらず。

 白鳥先生の言葉が、教頭の言葉が、生徒たちをおもんばかる、本音の気持ちだと分かっていたから、なのかもしれない。


「その点については、申し訳ありません…でも」


 綾奈さんは、結城先生を抱き寄せると、愛おしそうに頬をくっつけあっていた。


「私の夢は、妹が叶えてくれましたから」

「…」

「だから私は、いま、幸せなんです」


 祭りの音が大きくなる。

 人ごみが大きく揺れる。

 白鳥先生は大きなため息をついた。


「本当に…それが…あなたの選んだ選択…なのですね。本当に後悔はしていないのですか?」

「反省はしています…もっとうまくやればよかった、と。でも、後悔だけは…」


 綾奈さんは結城先生を見つめる。

 その瞳は本当に優しくて、見ていただけの私ですら、心が綺麗に溶かされていく気がした。


「していません」





 長い長い沈黙の後、同じくらい長い長い溜息を白鳥先生は吐いた。

 そして、顔をあげ、本当に残念そうで、でも何か吹っ切れたかのような表情を浮かべる。


「もう行きなさい。あなたもあなたの考えがあるのでしょう。それは私の考えとは永遠に交わらないとは思いますが、もはやあなたは部外者、私が口出すことではないでしょう」

「ありがとうございます、白鳥先生」


 頭をさげる綾奈さん。

 その隣で、結城先生も明るい声をかけた。


「私もですよね?」

「結城先生、あなたはしっかり関係者です。あまり羽目を外しませんように」

「前向きに善処します」

「はぁ…もういいです」


 毒気を抜かれたように笑う白鳥先生。

 そしてそのまま、私の方を振り向く。


「水瀬先生」

「はい」

「さきほど、他の文芸部の声が聞こえましたよ。あなたが引率しているのでしょう?しっかりしてくださいね」

「…はい、申し訳ありません」


 結城先生にぺこりと頭をさげ、未来の手をとり、白鳥先生の隣を通り過ぎようとする。

 その時、白鳥先生が、私だけに聞こえるように、小さな声で呟いてきた。


「…私は、やはり後悔しています。だからこそ…あなたに対して…後悔するようなことは、しませんからね」


 あなたはあの2人のようにはならないで、と、言われた気がした。

 私は「はい」とも「いいえ」とも返事をすることができず。

 ただ、ぺこりと頭だけをさげて、通り過ぎていった。




■■■■■



「もう、未来も先生も、はぐれないでよ」


 凛はそう言うと、頬をぷっくらと膨らませて怒ってくる。

 神美羅先輩は両手いっぱいに水ヨーヨーやお面やお菓子を手にしていて、持ちきれない分は楼蘭先輩に手伝ってもらっていた。


「ごめん、ごめんね」


 そう言いながら、私は、一歩後ろに立っている沙織さんをちらっと見つめた。


 沙織さんは笑っていた。

 笑っていたけど、その表情の中には、最初あったときのような燃えるような火のような感情ではなく、深い、水の底のような、深海の奥底の信じられないような水圧にそれでも耐えているような、なにか決意のようなものがみえた。


 それはもちろん、不快なものではなく、むしろ私を今まで以上にもっともっと大切に大事にしてくれる決意のようなものだと伝わってくるのだけど。


「あ、花火」


 凛が空を見上げる。


「たーまやー!」


 神美羅先輩が嬉しそうに声をあげる。


「かーぎやー」


 楼蘭先輩がやれやれというように、でも嬉しそうに神美羅先輩に続く。



 一年前のあの日、私は花火の下で沙織さん恋人になった。

 それは一生忘れない、私の中の、大切で愛おしい、透明なクリスタルのような煌めいた記憶。


 一年たった今日。

 満天を埋め尽くすような花火の下で。

 文芸部の明るく素敵な仲間たちに囲まれながら。


 私と沙織さんは、恋人で。


 ただ二人とも押し黙ったまま、花火に照らされていた。


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