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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
74/85

第74話 駄目な大人の沙織さん【未来15歳/沙織27歳】

 6月の朝。

 もう春を過ぎているのに、まだ夏になっていない、ちゅうど中間の、日常と期待が入り混じった暖かい季節。

 カーテンのすき間から差し込む白い光をみながら、私はぼぅっと考え事をしていた。


(今夜、だったよね)


 頭がうまく働かない。私はベッドに横たわったまま、天井を眺めて深呼吸をした。

 今夜、未来の家で行われる「ささやかなパーティ」に招待されているのだ。


(浩平さん…)


 私は、亡くなった姉の夫の名前を思い浮かべ、そして彼が今日、姉とは違う新しい奥さんを籍に入れたという事も思い浮かべた。

 2人とも再婚だし、籍を入れるだけで式はしない…らしい。ただ、式の代わりに、家でちょっとしたホームパーティを行うことにして、それに私も誘われた、ということだ。


(私と浩平さんとの関係って、なんなんだろう)


 以前は、姉さんの夫だった。

 愛する姉さんを奪った男でもあった。

 でも、姉さんは死んでしまったから…血縁関係でいえば、私と浩平さんの間には何もなくなったということだ。


(ううん、違うか)


 未来がいる。

 姉さんと浩平さんの娘で…年の離れた、私の恋人。


(浩平さんは、私の恋人の…お父さん、か)


 もしも私と未来が男と女だったとしたら、「お嬢さんを私にください」という昔からこすられつくしたシチュエーションが待っていたかもしれないけど、あいにくながら、私と未来は、どちらも女で、女と女の恋人同士だ。


(それに、12歳も歳が離れているし)

(そもそも、叔母と姪っ子の関係だし)


 言えないよね、と思ってしまう。あなたのお嬢さんを私にください。私の姉の子供を私にください…なんて。


(でも、いつまでも隠し通せるはずもないし)


 未来と別れる、などという選択肢は頭から無かった。別れるくらいなら、最初から付き合ってなどいない。…そもそも、別れることを前提として付き合おうとする人なんているはずもないだろうけど。


(未来が、私の未来からいなくなる…)


 そんな光景を妄想する。いつも私を慕ってくれるあの瞳。まっすぐな心。柔らかそうな…胸。

 そのすべてが無くなったとして、私は耐えられるだろうか?


(…無理)


 いや。だめ。

 もう未来のいない人生なんて考えることすら出来なくなっていた。


(私、12歳も年上なのにな…)


 まるで、中学生か高校生にでも戻ったかのような気分だった。心がドキドキして、身体がふわふわしている。


(そういえば、私が中学生の時は)


 すでに、姉さんを愛していたな。好きで好きで、たまらなかったな。あの頃の気持ちと、今の気持ち、どちらが大きいのだろうか?


(大きいも小さいも、ないか)


 姉さんが好きだったという気持ちは、今でもずっと大事に私の中にある。むしろ、姉さんが死んでいなくなってしまった今、もうこの「好きだった」という気持ちはアクリル樹脂に固められたみたいに、変わらない永遠として私の中に残り続けていくのだろう。

 未来への愛とは違う。

 姉さんを愛した時の私は、他に愛を知らなかった。世界で姉さんだけしか私には必要なかった。もしも世界が私と姉さんの2人だけになっていたとしても、私はそれで十分に満足して幸せだったことだろう。


(でも、未来は)


 未来には、まだまだ広い世界が待ち受けている。たくさんの可能性がある。

 それを踏まえた上で。

 未来を愛した時、すでに私の心の中に姉さんへの愛は永遠に残っている状態だった。その上で、その前提で、私は未来を愛してしまった。

 どちらも大切で、どちらもキラキラしていて、永遠に変わることがないだろうと思っていた姉さんへの愛も、未来の愛を知ってしまった今、また別角度からの美しさを持って私の心を照らしてくれている。


(人って、こんな風に変わるんだ)


 愛って、増えるんだ。

 自分の中でそう解釈して、そう受け入れて、どちらも大切におもいながら、


(でも、浩平さんが再婚するのは…もやもやする)


 そんな矛盾を抱えてしまう。結局、私は我儘な女なのだろう。自分の心が一番大事で、他の人の中にも、自分の理想を投影してしまっているのだろう。


(浩平さんと、新しい奥さんとの、再婚を祝うホームパーティ…本当に、私が参加してもいいのかな)


 朝から同じことをずっと考えてしまっている。

 本音をいえば、参加したくない。私から姉さんを奪っていった男の人が、姉さんを失くした後、また別の女の人と一緒になる姿を見たくはない。

 これは別に、浩平さんが嫌い、というわけではない。

 むしろ、どちらかといえば、好感をもっている。


 以前。

 浩平さんから「…私たち…同類ですね」と言われたことがある。あれは姉さんが亡くなってしばらくした時だったかな。


(浩平さん、私が姉さんに向けている気持ちに…)


 気づいていた、のかもしれない。気づいていながら、そっとしておいてくれたのかもしれない。

 なら。


(今の、私の中にある未来への気持ちも…)


 もしかしたら、気づいているのかもしれない。

 気づいていながら…また、そっとしておいてくれているのかも、しれない。


(もしそうなら)


 かなわないなぁ。私には無理だ。私が大切にできるのは自分自身と…せいぜい、私の手が届く範囲の…恋人、だけだ。


 正直。

 浩平さんのために、新しい奥さんを祝うためにホームパーティに参加しようとは思えないけど、恋人のためなら…未来のためなら…


「…未来、今日、どうしているかな」


 そう考えた瞬間、心が勝手に答えを決めていた。

 今日から、未来の家族関係は劇的に変わる。

 新しいお母さんができて、新しい兄ができる。

 うまくいくか、いかないか、それは分からないけど、確実に分かっているのは、「関係が変わる」ということであり、未来にとって大切な一日になるということだ。


(そんな大切な日を迎える未来のそばに、いてあげたい)


 参加する以外の選択肢は、これで消えてしまった。


 ただ。


 胸の奥に、別の感情がひっそりと沈んでいるのも、同時に分かった。

 恋人を、未来を支えてあげたい、その気持ちに嘘はない。

 それとは別に、もう一つの感情も存在しているのだ。


(未来の家族が、今日から新しい形になる)

(未来に…新しい居場所ができる)

(祝ってあげたいのに…でもちょっと…心の中がもやもやする)

(寂しい…というより、この感情は…)

(嫉妬、かも)


 浩平さんは、何も悪いことをしていない。

 正式に姉さんと付き合い、正式に姉さんと結婚し、子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いた。

 姉さんを失ってからも、浩平さんはちゃんと頑張って未来とつむぎちゃんを育てて、まっとうに、まっすぐに、正式に、新しい人と出会い、プロポーズをして受け入れられ、相手の連れ子さんも正式に引き取って、正しく、新しい家庭をまた作ろうとしている。


(どこまでも正しくて、どこまでもまっすぐで)


 私とは、違う。


 私は好きになった姉さんについに最後まで告白することができなかったし、今も愛する人とはこそこそ隠れて付き合っている。

 女同士だから、年の差があるから、叔母と姪の関係だから。

 いろいろと言い訳を列挙することはできるけど、結局、最後の最後までふり切れていないのは、私自身に責任がある。


 分かっている。分かっているけど。

 それでも、私だって…


(幸せに、なりたい)

(誰からも祝福されて…そして、愛する人の特別な存在になりたい)


 私はいつから、こんな風になってしまったのだろう。


 未来。

 好き。

 未来のことを考えていると、心がほわっと暖かくなって、幸せになる。

 気持ちよくなる。


 未来は、私の姉さんの娘で…最初は、やっぱり、どうしても、未来の中に姉さんの面影を求めていた、と思う。

 その仕草、風貌、雰囲気、そのすべてが、未来が小さな女の子から大人に近づいていくにつれて、どんどん姉さんへと近づいていったような気がする。

 私は姉さんが好きだった。

 だから、未来の中に、私が手に入れることができなかった姉さんの残滓を求めていた…


 けど、今は違う。


 未来は、未来のままで。

 あの子それ自身のことを、いまは、好きだ…ありていな言葉だけど、ありふれた言葉だけど、


(愛してる)


 認める。

 12も歳の離れた姪っ子に、私はこれ以上ないくらい、溺れている。

 

 姉の影じゃない。

 ひとりの女として、未来のことを、愛してしまった。


(キスしたい)


 唐突に、思ってしまった。

 今まで未来とは、3回、キスをした。


 1回目は…未来が中学生の時。

 未来の告白にこたえて…思わず…私から…ファーストキス。


 2回目は…未来が私のマンションに泊まりに来た時。

 姉さんとの思いとは別なんだと分かって…愛おしくて。


 3回目は…姉さんのお墓参りをした後にしたデートの時。帰り際に。


(もっと…)


 したい、と、思ってしまう。

 思いながら、頭をふる。ぶんぶんふる。


(駄目)


 溺れちゃ、駄目。未来との関係に溺れたら…絶対に…もう、のぼってこれない。


 未来の唇の感触を思い出してしまう。

 柔らくて、暖かくて。

 もっと、もっと、感じたい…


(駄目。駄目。駄目。12歳も年下の女の子なのに。まだ15歳の子なのに)


 15歳。

 もう…小さい女の子じゃない。

 8歳の頃の、出会ったばかりの小さな女の子じゃ…ない。


 背も伸びた。

 もう私と同じか、ちょっと高いくらい。

 私は背が高い方じゃないし、未来は高い方で。

 だから、立っていたら、視線が合うようになってしまった。


 未来がキスを求めてくれるのが、分かる。

 目が、瞳が、いつも私を求めてくれている…それが、しびれる位、気持ちいい。


 この前のデートの時は…もしかしたら誰かに見られてしまうかもしれないのに、衝動を抑えることができなかった。


(私…どんどん…)


 未来に、はまってきている。

 しかも、それは、綺麗な綺麗なキラキラしたはまり方じゃなくって。


(未来の胸…)


 大きくなってる。キスした時、私の身体に触れたその胸の大きさが、柔らかさと暖かさが、伝わってきた。


(駄目。駄目。駄目。考えちゃ、駄目)


 キス、したい。たくさん、キス、したい。

 本当は、それ以上を。

 その、先を。


「…行かなきゃ」


 なんとか頑張って、現実に戻ろうとする。

 今夜、ホームパーティで未来の家にいくから、どんな服を着ていくのか決めなくちゃ。

 私はベッドから立ち上がり、全身がうつる姿見の前にたった。


(…これ…私…)


 そこに立っていたのは、頬を真っ赤に紅潮させて、胸を動悸させながら、汗をかきながら欲情している、27歳の女の姿だった。


 私は、経験が、ない。

 ずっと姉さんのことが好きで、姉さんばかり追っていて、姉さんを手に入れることができなくなってからも姉さんのことを忘れることができず、言いよってくれた男の人はそれなりにたくさんいたのだけど…その誰とも付き合う気にはなれなかった。


 未来が初めてだ。

 私、未来しか知らない。

 もっと…未来を…知りたい。

 心も、身体も、全部。


(駄目駄目駄目駄目駄目)


 まだ未来は未成年。

 私は大人で、27歳で、教師。

 理性を持たないと。抑制しないと。落ち着け、落ち着け。


(ホームパーティといっても、身内だけで集まるんだから、あんまり気合入れちゃだめだよね)


 あえて別のことを考える。

 今夜、何着ていこう。

 クローゼットを開き、いろいろ取り出しては鏡の前で合わせて見る。


 大げさなドレスは違うけど、かといって、あんまりラフな格好も違うと思う。


 できるだけ自分を綺麗に見せたい…見てほしい…


 誰に?

 もちろん…恋人に。

 12歳も歳の離れた、姪っ子に。


 淡い青のブラウスと、白いスカートを手に取る。

 少しだけ柔らかい印象の組み合わせ。


(…これなら、未来も)


 私のこと、綺麗って思ってくれるかな。


 鏡の前でそんなことを考えながらいろいろ試している自分の姿を見て、思わず苦笑が漏れる。


「…なんか、デート前みたい」


 デートじゃない。ホームパーティだ。

 未来だけじゃなく、浩平さんも、つむぎちゃんも、新しい奥さんも、その連れ子…私のクラスで受け持っている、玲央くんもいる。

 2人きりじゃないのよ、と思う。


(2人きり…)


 もしも2人きりなら、私、どうするつもりなんだろう。

 未来の新しい生活の門出となる大切なパーティのはずなのに、私はいま、自分の気持ちばかり考えている。


(駄目人間)

(駄目女教師)

(年下の恋人に狂った色ボケ女)


 自分で自分に言い聞かせる。

 言いながら、こうやって言い聞かせないともう駄目なんだなぁ、私、とまた自己嫌悪に陥ってしまう。


 ふと、部屋の片隅においている、姉さんの写真に目をやる。

 綺麗な姉さん。

 写真の中の姉さんは時が止まっているかのようで、ずっと笑顔のままで。


(…やっぱり、好き)


 姉さんを好き、という気持ちは変わらない。たぶん、この気持ちは、私が死ぬまで残っているんだと思う。

 けど、今はもう、私の中にまた別の人がすくってしまった。


「姉さん、私も…幸せになっても、いい?」


 返事はない。

 返事を求めているわけでもない。

 私は「幸せになってもいい?」と聞きながら、その実、幸せになりたい、と思っていた。


(私は、幸せになりたい)


 未来と一緒に、幸せになりたい。



 もし、今、私と未来が付き合っているって周りにバレたとしたら、何もかもが終わてしまう。


 15歳の女子高生と、27歳の女教師が両手をつないで歩いて行けるほど、世界は優しくはない。


 分かってる。分かってるから。


「…今度は、うまく、やるからね」


 最後まで告白できなかった愛する人の写真に向かって、私はそっとつぶやいた。

 うまくやる。

 誰にもバレないように、秘密に、絶対に。

 浩平さんにも…今はまだ…言えない。

 あの人は優しいから許してくれるかもしれないけど…でも、新しい奥さんはどうだろう?周囲は?世間は?


 私は正しいことをしているわけではないと冷静に判断できるだけの分別がありながら、未来のことを考えると止めることのできない溢れる情動も同時にあわせ持っていた。


 人を好きになるって、正しいことのはずなのに、どうして私はいつも、正しくない選択肢ばかり選んでしまうのだろう。


 私はそっと、唇に手を触れた。

 この唇に触れた未来の唇の感触を…思い出していた。


(もっと)


 先に。


 正しくない私は、正しくないと分かっていながら、全力でブレーキとアクセルを両方同時に踏みながら前に向かっていった。


 身体が熱く火照っているのが分かる。

 心が焦がれると、全身にまでそれが伝わるのだろう。


「未来…好きよ」


 誰もいない部屋の中。

 夜のパーティまでまだ時間はある。


 私は着替えをやめて、そのまま、ベッドに倒れこむと。


 未来のことを考えながら、手を動かした。

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