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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
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第73話 まだ家族じゃないけど【未来15歳/沙織27歳】

 文芸部の部室を出た時は、もう夕方だった。


「まっすぐ家に帰るんだよ~」


 神美羅先輩はそう言いながら、部室の中で毛布にくるまりながら私たちに向かって手をふってくる。神美羅先輩にとっての家って、もしかしたら部室なのかもしれない。そういえば、家に帰っている姿みたことないな、と思う。


「気を付けてね」


 楼蘭先輩はそのまま神美羅先輩のもぐりこんだ毛布の上に座ると、毛布の中から漏れてきた「ぐぇっ」っという呻き声を華麗にスルーして、ほほ笑んだ。


「有難うございました」

「また明日」


 私と凛の2人はそう挨拶を交わすと、校舎の外へと向かう。

 影が伸びている。

 他愛もない談笑をしながら歩いていたら、校門のところで呼び止められた。


「おっす」

「…おっす」


 玲央くんだった。

 その大きな背中を校門によりかけたまま、私たち2人を見てくる…正確には、その中の1人、私だけを見ている。


「家まで送るよ」

「…家までって」


 私は凛の方を見る。

 凛は寂しそうな顔をしている。何か言いたいけれど、それをぐっと我慢している時の顔だった。


「私、葵と待ち合わせして、ちょっと買い物して帰るから…だから」


 私のことは気にしないで、と、凛が言う。

 申し訳ないな、と思ったけど、その凛の優しさに甘えることにした。


「ごめんね、凛。明日、いろいろ話そうね」

「うん…また明日、未来」


 凛は小さく手を振ると、校舎の方へと戻っていった。

 その背中が夕方の光に溶け込んでいくのを見て、胸がちくりと痛む。


 玲央くんが近づいてきて、「じゃぁ、行こうか」と語り掛けてきた。


「…うん」


 そう答えて、玲央くんの後ろをついて歩く。

 2人とも押し黙ったまま、会話はない。私たちの住んでいる街から高校までは電車で30分の距離がある。


 家に送る、と言われたけど、まずは駅にいって電車にのる。

 電車を待ちながら、そこでも会話は何もない。


 電車に乗って、30分。

 茜色に染まった景色がどんどん背中の方へと流れていくけど、やはり、そこでも会話は何もない。

 気まずい空気だけが私と玲央くんの間に流れていた。


 街についた。

 黙ったまま駅をでる。

 人通りは少ない。


 私の家は、駅を出て右の道。

 玲央くんの家は、駅を出て左の道。


(今はまだ、別々の家)


 ふと、思う。

 もうすぐ、お父さんと茜先生は再婚して、そうしたら、玲央くんの家と私の家が同じ家になる。

 家族、になる。


(実感湧かないや)


 そう思いながら、玲央くんの方を向くと、


「今日は送ってくれて有難うね」


 と言ってさよならの手を振ろうとした…したのだけど、玲央くんがかぶりをふった。


「家まで送る、って言っただろ」

「え…」

「だから、家まで、だよ」


 そう言って、私と一緒に、駅を出て右の道を歩く。


 田舎だから、人通りは少ない。海からは潮風が吹いてきて、玲央くんの金髪を揺らしている。

 歩きながら、まだ会話はない。玲央くんは私の歩幅に合わせて車道側を歩いてくれていた。そのさりげない優しさに、ふと、去年の事を思い出す。


 去年の冬、コンビニを出て悪いやからに絡まれた時、私を助けてくれた玲央くんも、そういえばこうやって車道側を歩いてくれていたな。


(そうだった)

(玲央くんは…見た目は金髪で不良っぽいのだけど、優しい人なんだった)

(この人が…これから)

(私の新しい家族になるんだよね)


 隣を歩く玲央くんをじっと見つめる。私の視線に気づいた玲央くんが、頬をぽりぽりとかきながら口を開いた。


「ごめんな」

「…何が?」

「本当は凛と帰りたかったんだろうに、こうやって誘ってしまってさ」

「いいよ」


 凛だって分かってくれると思うし、それに玲央くん、私に何か言いたいことがあるんでしょう?


「…慣れてないんだ」

「…?」

「いや、家族が増えるって、よくわかんなくて、どうすればいいのか考えていて、そしたら」


 玲央くんは足を止めて、私をまっすぐに見つめてきた。


「そういえば、未来とちゃんと話し合っていなかったな、って思い出した」

「あぁ…」


 真面目だ。

 玲央くんは、こういう人だった。

 見た目は怖いライオンみたいなのに、中身は優しいポメラニアンみたいな男の子だった。


「俺の母さん、さ」


 ぽつり、ぽつりと、語り掛けてくる。


「父さんが死んでから、ずっと俺を一人で育ててくれて、苦労たくさんかけてるのに、それでも辛そうな顔は見せなくてさ」

「毎日遅くまで頑張って、俺も手伝えることはできるだけ手伝おうと思っているんだけど、それもなかなかうまくできなくて」

「やきもきして」

「…でも、そんな母さんが…最近…」


 笑うんだ。

 幸せそうに。


「俺だけじゃ、母さんにあんな表情してもらうことなんて出来なかった。浩平さんと出会って、浩平さんが、母さんを変えてくれたんだ」


 だから。

 玲央くんは、ゆっくりと、私を見つめてきた。

 その瞳は優しかったけど、その中にゆるぎない決意が込められているのが分かる。


「俺は、母さんと浩平さんとの再婚を祝福したい。母さんに笑っていてもらいたい、それが俺の気持ちだよ」

「…」

「ただ、俺ばかりの気持ちじゃなくって、未来の気持ちも聞きたい。でないと…不公平、だろ」


 それが、今日、未来を誘った理由。

 大きな玲央くんを見上げて、私は、ここまで強く、お父さんのこと考えていたかな?と思った。

 私が考えていたのは、いつも自分のことばかりで、自分の気持ちばかりで。

 玲央くんみたいに、優しくはなれていない。

 けど、それって…


 悪いこと、じゃないよね。


「私は、ね。正直、寂しいんだ」

「…未来…」

「玲央くんのお父さん、玲央くんがちっちゃい頃に亡くなられたから、あんまりお父さんのこと覚えていない、って、前言っていたよね」

「あぁ、言った」

「私のお母さん、亡くなったの5年前なんだけど…」


 私、今でもはっきり、お母さんのこと覚えているの。


「だからね、寂しいの。こうやってどんどん変わっていくのが、寂しいの。お母さんの思い出もいつか薄く忘れてしまうかもしれないのかな、って思うのが、寂しいの」

「…」

「茜先生のことは、好きだよ。いい人だって思う。いつもつむぎの事優しくしてくれているし、つむぎだって茜先生になついてる」

「…うん。保母さんだから、平等に接しないといけないのに…ついつい可愛くて、可愛がっちゃうんだって、母さん言ってたよ」

「ありがとね。でもね、私の中で、茜先生はまだ『先生』であって、『お母さん』じゃないんだ」

「…」

「だから、ね」


 私は口を閉じて、目を閉じて、しばらく考えて。

 それから、ゆっくりと目を開いて、玲央くんを見て、いった。


「これから少しずつ、家族に、なっていこう、ね」


 茜先生も。

 玲央くんも。

 今はまだ、家族じゃないけど。

 今は、ってだけで、これからもずっと、じゃないから。


(沙織さん)


 愛しい人を、思う。

 私がこんな風に考えることができるようになったのは、沙織さんがいてくれたからだ。沙織さんが、私を支えてくれているからだ。


「…人を好きになるって、すごいね」


 私はぽつりと、そう漏らした。


「…未来?」

「好きって気持ち、すごいパワーがあるね。玲央くんのお母さんも、私のお父さんも、好き、な気持ちでいろいろと変わっていってるんだろうね」


 私は、まっすぐに玲央くんを見つめた。

 これから、家族になる男の子。

 一緒に家族を作っていく男の子。


「あのね…」


 言おうか。言うまいか。

 言った方がいいのか、隠した方がいいのか。

 言わない方がいいに決まっている。秘密にしていたほうがいいに決まっている。


 頭じゃ分かっているのだけど、心が、それを拒否していた。


 私は、口を開いた。


「私ね、好きな人がいるの」

「…好きな人?」

「うん」


 世界で、一番大好きな人。

 私の、キラキラ輝く宝物。

 誰にも譲りたくない、誰にも渡さない、私だけの、恋人。


「沙織さん」

「…?」


 一瞬、訳が分からないといった風に、玲央くんが目を白黒にさせた。なんで、と思ったけど、すぐに、そうか、と思った。

 私は昔からずっと「沙織さん」って言っているけど、普通、担任の先生の苗字を覚えることはあっても、下の名前まで気にして覚えることはないよね。


「水瀬沙織さん」

「水瀬…水瀬って、え、もしかして、水瀬先生のことか!?」

「うん、そうだよ」


 言っちゃった。

 どうして言っちゃったのかな…自分でもよく分かんないや。

 沙織さんからも、私たちの関係は絶対に秘密にしておかなくちゃいけない、って釘を刺されていたのにな。


 でも、玲央くんのまっすぐな瞳を見ていたら。

 伝えなきゃ、って思っちゃったの。


「でも…未来…ちょっと待って…俺、いま、頭が混乱してる」


 親の再婚の相談をしていたはずなのに、まったく別の大きな問題をきかされて、見るからに焦っている玲央くんを見て、なぜか少しおかしくなってしまった。


「水瀬先生って…たしか…浩平さんの…亡くなった奥さんの…」

「妹だよ」


 私は答える。

 玲央君はさらに混乱している。


「あれ…ということは…水瀬先生と未来って…」

「叔母と姪っ子の関係だよ」

「…え、あ、そうだよな、うん」


 あまりに普通に私がこたえるものだから、逆に自分が間違っているのか?というような表情を浮かべる玲央くん。


「歳の差は…」

「12歳」

「性別は…」

「女同士」

「それで…」

「叔母と、姪っ子」


 いやぁ。

 改めて羅列してみたら…すごいよね、私たち。

 ぽかんと口をあけている玲央くんを見ていて、なぜか楽しくなってきてしまった。変な感じにスイッチ入ってしまったのかもしれない。


「好きって、好きってこと?」

「玲央くんのお母さんが、私のお父さんに向けている好きって感情と、たぶん同じだよ」

「未来、女が好きなの?」

「女が好きっていうか…好きになった人が、たまたま同性だっただけ、なのかなぁ。私、沙織さんが初恋だから、他の好きっていう感情が分からないもの」

「へ、へー」


 そうなんだ、と、玲央くんが力なく言う。


「それで、その、未来と水瀬先生は…」


 どんな関係なの、と、聞きたそうな目をしていたので、私ははっきりと、答えてあげた。


「恋人、なの」

「…」

「私たち、付き合っているの」

「…」


 返事はない。

 どう答えればいいのか悩んでいるのかもしれない。

 あ、そうだ。

 玲央くんに聞きたいことあったんだった。

 ついでだから、いま、聞いちゃおう。


「玲央くん」

「は、はい」

「玲央くんの誕生日、いつ?」

「え、4月25日だけど」

「そうかー。なら玲央くんの方が私より早く生まれたんだね」


 私は口元に手をあてて考えた。

 そして少し考えた後、玲央くんにむかって言った。


「あのね、私と沙織さんとの関係、まだお父さんには言っていないの」

「今は秘密なの」

「だから、ね」


 私たちはまだ家族じゃないけど。

 もうすぐ家族になるんだから。 


「このことは、今は内緒にしていてね…玲央お兄ちゃんっ!」


 …共犯者、になってもらおうかな。


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