第71話 【閑話休題⑧】神美羅先輩と凛と楼蘭の場合
今日は未来が家の都合とやらで学校を休みだったので、私は暇を持て余していた。
そもそも、私が学校に来る理由の88%くらいは未来に会うためなので、残り12%の為にがんばる気力も湧いてこず、気が付いたら午前中の授業が終わっていた。
(はぁ…お腹もすいてきたし、とりあえず購買部にでも行こうかな)
そう思って、席を立つ。
別にお昼を抜いてもいいのだけど、昼休みに一人で教室でぼぅっとしているのも味気ない。
(そういえば)
今日は未来だけじゃなく、玲央も休んでいる。
あの2人に共通点とかあったかな?と考えてみたのだけど、特に何も思いつかなかったので、単なる偶然なのだと思うことにしよう。
そんなわけで。
私は軽い気持ちで購買部へと向かい、そしてその自分の選択を大いに後悔することになるのだった。
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一言でいえば、そこは戦場だった。
昼休みの購買部にはパンを求める生徒たちが殺到して、叫び声と駆け足とが交錯していた。
私はといえば、カレーパンの一つでも買おうと思って購買部へと足を運んでみたものの、この狂騒をみて早々に購入を諦めていた。
(さて、どうしましょうか)
時間を持て余してしまった。
パンを買いに来て、パンを買わずに教室に戻るのは、何か負けた気がしてしまう。
たいていの人がそうであるように、私は勝つことは大好きだけど、負けることは嫌いだ。
そんなわけで、教室に戻るという選択肢は早々になくしてしまう。
(部室にでもいって、時間をつぶすとするかな)
という極めて消極的な理由により、私は文芸部の部室へと向かうことにした。
(いつもなら、部室に向かう隣に未来がいてくれるのに)
私は、未来のことが大好きだ。
好きだけど、別に私に振り向いてほしいわけではない。私にはそんな資格は無いと思っているし、ただ、未来に幸せになってもらいたいだけだ。
幸せそうに笑っている未来をみているだけで私は幸せになれるし、それ以上も、それ以下も望まない。
恋人にはなれなくても、親友になりたい。
どんな時でも隣に立って、未来を支えることができれば、それでいい。
そんな事を考えていたら、部室前についた。
(さて)
ここで少し考える。
行く当てもなくふらふらと来てしまったが、はたして、よかったのだろうか。なんとなく、めんどくさい人がいる気がする。具体的には、神美羅先輩がいる気がする。
(ま、いいか)
そう思い、扉を開ける。
同時に、紙とインクの匂いに包まれる。
この雰囲気は、嫌いではない。
部室の中に入ると、予想通りの人が、予想外の行動をとっていた。神美羅先輩が、今日は寝ておらず、椅子に座って本を読んでいたのだ。
「…神美羅先輩、おやすみしていないなんてめずらしいですね。明日の天気は雨でしょうか」
「凛、相変わらず私のことが大好きだねぇ。今日は未来ちゃん休みだったよね。寂しくなって私に会いにきてくれたのかい?」
「別に神美羅先輩のことなんて好きじゃありませんよ。むしろ反対ですね。嫌いです」
「これは異なことを。好きの反対は無関心だよ。私のことをこんなに気にしてくれているなんて、まったく凛はツンデレだなぁ」
「死んでください」
「ちゃんと吸血鬼を殺す作法にのっとって、胸に杭を打ち込んでくれるかい?」
けらけらと笑う神美羅先輩を無視すると、私も椅子に座る。
ちらりと横目で神美羅先輩を見る。
長い銀髪が美しい。肌は新雪のように白く、瞳はかき氷に垂らされたイチゴシロップのように赤い。
(黙っていれば美人なんだけどなぁ)
黙っていないから、残念美人の立場に堕ちてしまっていた。そういえば、何の本を読んでいるんだろう?
(神美羅先輩のことだから、どうせ吸血鬼関連の本だよね)
みてみたら、「彼岸島」だった。…一応、吸血鬼もの、か。必要なのは杭じゃなくて丸太じゃないの?そんな事を思いながら、いま取り掛かっている百合小説の続きでも書こうかな、とノートをひろげたとき。
ぐぅ~
お腹から音が鳴った。
顔を真っ赤にして、お腹を押さえて、神美羅先輩を見る。
神美羅先輩は、今まで見たことがないほどにんまりとした笑顔を浮かべていた。丸太…丸太はどこだ…
「あれ~、凛、もしかしてお腹すいているのかな?」
「すいてません」
「でもさっき、凛の可愛いお腹から可愛い声が聞こえてきたよ?」
「気のせいです」
「私、吸血鬼だから、耳いいのよね。ほら、昔からアニメの歌でも言っているでしょう?デビルイアーは地獄耳、って」
「チョップしますよ?」
「パンチ力、だぁー」
そう言うと、神美羅先輩は鞄をごそごそとして、中から袋に入ったパンを取り出してきた。
カレーパンだった。
「ほら、凛、食べな」
「どうしたんですか?これ」
「購買部にいって買ってきたんだけど、よく考えたら私、吸血鬼だから、固形物喉に通らないのよね。だから凛が代わりに食べてくれるとありがたいな」
「じゃぁなんで買ったんですか…」
と言いながら、受け取る。必要ないのに買うなんて、しかも私の好きなカレーパンだなんて、それじゃまるで…
(私のために、準備していてくれたみたいじゃない)
まったく、この先輩ときたら分からない。一言でいえば、ミステリアスだ。だから、なんとなく、惹かれてしまうものがあるのかもしれない。
一口食べて、カレーの匂いを鼻腔に感じる。そしてふと、思い浮かんだ疑問を口にする。
「でも、神美羅先輩、さっき購買部にいませんでしたよね?」
「ふっふっふ、簡単なことだよ、明智くん」
「誰が明智くんですか」
「え?毛利小五郎の方がよかった?」
「…どっちでもいいです」
「午前中、授業サボって購買部に行ったに決まっているじゃないか」
「…この不良学生」
「吸血鬼だからね」
「はいはい」
とはいえ、目の前で足をぶらぶらさせながら彼岸島を読んでいるこの不良学生は、成績だけでいえばぶっちぎりの学年首席なのであった。
こんな人に負ける他の生徒はたまらないな…私、学年違っていてよかったな。
そんな事を思っていたら、また部室の扉が開く音が聞こえた。
一瞬、未来かと思って胸が高鳴ったけど、今日は未来は休んでいるので、未来であるはずがない。
ならば顧問の水瀬先生…のはずもない。こんな時間にわざわざ部室にくるはずがない。
となると、おのずと選択肢は残り一つに絞られてしまう。
「由良、午前中、また授業サボっていたでしょう。まったく、後輩にしめしがつかないんだから、ちゃんとしなさいよね」
「おぉ、これはこれは、わが麗しの姫、楼蘭蘭子同級生じゃないか」
「説明的な口調、ありがとう」
さらりと前髪を流した、黒縁メガネをかけた楼蘭先輩がそこには立っていた。
落ち着いた顔つきだが、その目は鋭い。
神美羅先輩を下の名前である「由良」と呼ぶ楼蘭先輩は、わが文芸部に所属している最後の一人でもあり、そして神美羅先輩の幼馴染でもある、とのことだった。
「楼蘭先輩、こんにちは」
「こんにちは、凛。あんまりこの先輩と絡んじゃだめよ。駄目人間になるからね」
「心得ています」
「ちょっと蘭子、私のことを駄目人間製造美少女吸血鬼みたいに言うのやめてくれる?」
「後半、勝手にいろいろ盛り足すのやめてくれる?うざいから」
そう言いながら、楼蘭先輩は手にしていたトマトジュースを神美羅先輩に手渡した。
「はい、これ」
「さすが蘭子、私のこと良くわかってくれているね。結婚しよう」
「そのプロポーズ、何回目だったかしら?」
「お前は今までに食べたパンの枚数を…」
「はいはい」
神美羅先輩の軽口を軽く受けがなすと、楼蘭先輩は自然に神美羅先輩の隣に座った。
そしてこちらはちゃんと並んで買ったのであろうメロンパンを取り出すと、私の方を見る。
「凛。こんな時間に珍しいわね。今日は未来と一緒じゃないの?」
「未来、家の用事があるとかで、今日は休みなんです」
「そうか。だから寂しそうな顔してるのね」
「だから私が癒してあげていたんだよー」
「はい、由良、死んで」
「ひどくない!?」
口をはさんできた神美羅先輩を一言で処す楼蘭先輩。相変わらず、強いなぁ。
真面目な楼蘭先輩と不真面目な神美羅先輩。二人を足して2で割れば、ちょっと不真面目な女子高生が出来上がる。
「別に…寂しくなんて…」
ないです、と言おうとしたけど、言えなかった。
だって、正直な話、寂しいのだから。
「凛、本当に未来のこと好きだよな」
「悪いですか、神美羅先輩」
「悪いなんていってないよ」
さっきまでおちゃらけていたのが嘘のように、優しい表情を浮かべる。時々こんな顔を見せてくれるから、この先輩を嫌いになることなんて出来ない。
「凛、純愛だもんね」
「若さっていいなぁ」
「若くないのが言ってるわね」
「…一応、私と蘭子、同い年なんだけどね」
「あら、そう」
先輩2人のやりとりを見ていて、少し、微笑ましくなってしまう。
なんだかんだ言って、仲、いいよね。
私と未来も、時間を重ねればこんな風になれるのかな。
そういえば、と思う。
吸血鬼が大好きな神美羅先輩だけど、その神美羅先輩が一番好きな本は、レ・ファニュが書いた古典的名著、「吸血鬼カーミラ」だ。
かの有名なブラム・ストーカーの書いた「吸血鬼ドラキュラ」よりも四半世紀ほど早く発表されたこの小説は、ドラキュラにも多大な影響を与えており、いわば吸血鬼文学の祖とでもいうべき作品だ。
(その、吸血鬼カーミラの主人公の名前は…)
ローラ。
吸血鬼カーミラという小説は、主人公のローラが美しき同性愛者の吸血鬼カーミラと出会い、不可思議な現象に巻き込まれ、そしてその討伐までが書かれた作品だ。
(カーミラと、ローラ)
(神美羅先輩と、楼蘭先輩)
(神美羅と、楼蘭)
偶然、だよね、と思いつつ、偶然でもないのかな、とも思う。
神美羅先輩と、楼蘭先輩。
私と、未来。
それに、顧問の水瀬先生。
この5人を頂点として作り出される五芒星が我が文芸部であり、黄金比で形作られたペンタグラムのような文芸部を、なんだかんだで私はとても気に入っている。
いつの間にか、居場所になっている。
私は神美羅先輩からもらったカレーパンの最後の一口を飲み込み、トマトジュースを飲みながらメロンパンを食べている楼蘭先輩にちょっかいを出しつつ軽くあしらわれている神美羅先輩をみてほほ笑んで。
(明日は、未来、来るかなぁ)
と思った。
決して報われることはなくても、好きな人に、ただ、会いたい。
それだけが私の望むすべてなのだから。




