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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
70/85

第70話 報告。【未来15歳/沙織27歳】

 日曜日の朝。

 昨日の「再婚の話」から一晩経ったけど、、胸の奥のざわつきはまったく収まらなかった。むしろ、さらに酷くなっているような気がする。

 私はどんな顔をしながら話を聞いていたのだろうか。思い出せない。

 ただ、できるだけ笑おうと努力していたことだけは覚えている。


(頭が痛い)


 目を覚ました瞬間から、胸の真ん中が少しだけ寒い。息も浅くなる。

 頭は起きているのに、身体が起きてこない。

 私はベッドに横たわったまま、ずっと天井を眺めていた。


(再婚)

(さいこん)


 お父さんと、茜先生が、再婚。

 私に新しいお母さんができる。

 玲央くんが家族になる。

 家族が増える。


(…お母さんは)


 どっちのお母さん、といえばのだろう。本物のお母さん?それなら、茜先生が偽物のお母さんということになってしまう。

 頭がぐるぐるする。

 何も考えたくないのに、いろんな感情が渦を巻いてはそのたびに思考の泡が湧き出てくる。


 感情が追い付かない。


 そんな私の心を見透かしたかのように、枕元に置いていたスマホに一通のメッセージが届いた。


『今日、会える?』


 沙織さんからだった。

 胸がきゅっと締め付けられる。

 暖かい感情が湧き上がってきて、全身をめぐって、黒いもやもやした気持ちが消えていく。

 沙織さんはすごい。

 たった一言で、こんなにも私を救ってくれる。


 しばらく画面を見つめ続けて、嬉しさに頬をゆるませながら、震える指で返信した。


『会いたいです』



■■■■■



 待ち合わせの駅前についた時、沙織さんはいつもより少しだけ「よそゆきの服」だった。黒いスカートに白いブラウス。その相反したコントラストがお互いを強調しあっていて、綺麗で、胸の奥が熱くなる。


 私の姿を見て、沙織さんがほほ笑んでくれた。


「未来、おはよう」


 私は小走りで沙織さんに近づいていく。

 今日は休日なので、私ももちろん、制服ではなく私服を着ていた。沙織さんの隣を歩いていても違和感がないように、できるだけおしゃれをする。淡いピンク色でまとめたコーディネイトで、ちょっとでも可愛く見てもらえたら嬉しいな、と思う。


「沙織さん、おはよう!」


 二日ぶりだね、と続ける。

 高校に入る前は、休日が楽しみだった。でも高校に入ってからは、沙織さんと会える平日の方が楽しくなっていた。だから、こうして休日にも沙織さんに会えるのは、純粋に嬉しい。


「つむぎちゃんは大丈夫だった?」

「うん、私が家を出る時、いつも通りついてこようとはしたんだけど…」


 朝の光景を思い出す。当たり前のように私の後ろについてくるつむぎを抱きかかえて、お父さんに渡した。

 つむぎは「ねーちゃといくー!」と言っていたけど、お父さんが「こっちはまかせて、いってらっしゃい」とつむぎの手を引きながら言ってくれたのだ。


(…やっぱり、うち、いい家族だよね)


 そう思うたびに、これから先、この家族関係が変わっていくというのが信じられなくなる。ここに、茜先生と玲央くんが加わる…違和感しかない。


「じゃぁ、行こうか」


 そう言うと、沙織さんは歩き始めた。私はその手を握り締めたかったけど、ぐっとこらえて我慢する。

 ここは駅前。人も多い。

 どこで誰が見ているか分からない…もしも高校で変な噂でもたってしまったとしたら、私はともかく、沙織さんの立場がなくなってしまう。


(昔なら、小さい頃の私なら、なんの遠慮もなしに大好きな沙織さんの手を握っていたのにな)


 恋人となった今の方が、恋人じゃなかった昔よりも沙織さんとの距離が離れてしまったような気がする。私と沙織さんとの今の距離、約50センチメートル。

 この短い距離が、永遠に長い距離のように感じる。


 沙織さんは私と歩幅を合わせて、小さくゆっくりと歩いてくれた。

 道の途中で私の手首が少し震えていたのに気づいて、手を握ってはくれなかったけど、そっと、指先で触れてくれた。


「無理はしなくていいよ」

「無理なんかしてません」

「嘘」

「嘘なんかじゃ、ありません」


(お前、嘘つくの下手なんだからな)


 この前、玲央くんに言われた言葉が頭の中に浮かんできた。

 大きい男の子。

 金髪で、耳に三連ピアスをしていて、見た目は怖いけど、本当は優しくて親孝行で。

 …そして、今度わたしの家族になる男の子。


 今日はいい天気で、隣には恋人の沙織さんがいて、本来なら幸せで仕方のない休日のはずなのに、私の心だけは雨雲でどんよりと曇っているみたいだった。



■■■■■



 海が見える小高い丘。

 潮風がギリギリ届かない距離。


 そこが、今日の私たちの目的地だった。


 本来なら車で来る場所なのに、私と沙織さんは時間をかけて歩いてやってきたので、けっこうへとへとになっていた。

 周りに人はいない。

 今は私と沙織さんの2人きり。


 今日、私は、沙織さんと2人で…お母さんに会いに来たのだ。


 新しくできるお母さんじゃなくって、私を産んでくれたお母さん。

 私にとってかけがえのない人で、沙織さんにとってもかけがえのない人で、お姉さんで、初恋の人。


 墓地には、春の名残が少しだけ漂っていた。

 新しい緑の匂い。風が揺らす花の音。静かな日曜日。


「お母さん、ただいま」


 お母さんの墓は小さくて、でも綺麗に掃除されていた。

 お父さんがよく掃除をしているから。


 私はゆっくりとしゃがみこむと、墓石にそっと触れた。


「あんまり来れなくてごめんね」


 指先が震える。

 月命日にはできるだけ来たいとは思っているんだけど、どうしても日々が忙しく、だんだんと足が遠のいてしまっているのが自分でもわかる。お父さんは仕事の合間をみてよく足を運んでいるというのに、私は少し、薄情な人間なのかな、と自己嫌悪してしまう。


(別にいいのよー。気にしないで。あんたが楽しく過ごしてくれる方が、母さんの幸せなんだから)


 そんな声が聞こえてきた気がした。

 幻聴、かな。

 でもあの母さんなら、ケラケラ笑いながらそう言いそうだな、とも思う。


 沙織さんが後ろに静かに立っていて、しゃがんだ私をそっと見守ってくれている。

 この距離感が、ありがたい。


「今日はね、お母さんに、2つ報告があるの」


 風が吹いた。

 春なのに、少しだけ、冷たい風。

 私は目を閉じて、祈って、それから目を開いて、お母さんの墓石に向かってかたりかけた。


「お父さん、再婚するって」


 墓石は何も答えない。

 ただ悠然と、そこにあるだけだ。

 でも。でも。


(そうかー。どんな人だった?私より美人だったら許さないよ。あんたは顔で奥さん決めるのかーって、3回くらいあの人のお尻蹴っ飛ばしてやるから)


 なんて言われたような気がする。

 そんなはずないんだけど。

 私は思わず、ふふっと笑ってしまった。


「安心して。お母さんは世界で一番美人だから」


 お墓に向かってそう語り掛けながら、また、昔の事を思い出してしまった。


 私がこの街に引っ越してきた日のこと。私がまだ、8歳だった時のこと。


(沙織は世界で3番目に可愛いから、期待していてね)

(1番可愛いのは、私。2番目が、未来。だから沙織は3番目だよ)

(…1番が私じゃないんだ)

(素質は十分にあるんだけどねー。まだ私みたいな大人の魅力には勝てないよ)


 道中の車の中で、こんなこと言っていたな…あの時、横でお父さんが「未来が1番だよ」とフォローしてくれたけど、それを聞いたお母さんが「なんだよこのやろー。それが愛する妻に対する言葉かよー」と言いながら運転中のお父さんをつついていたな。


 懐かしいな。

 もう7年も前の話なのか。


 あの時の家族は、私とお母さんとお父さんの3人だけで。まだつむぎも生まれていなくて、そして。


 沙織さんとも、まだ会っていなかったんだ。


 私はしゃがんだまま、隣で立っている沙織さんを見上げた。

 お母さんの妹で、私の叔母で、私の…恋人。


 私はお墓を見て、そして、そっとお墓に手を触れた。

 朝露で少しだけ湿っているような気がする。

 その冷たさを感じながら、2つ目の報告をする。


「私、沙織さんと、お付き合いしています」


 初めて、お母さんに伝える。

 今まで胸の内に秘めていた想いを、まだお父さんにも告げていない想いを、家族ではじめて、お母さんにだけ、伝える。


「沙織さんが好きです。沙織さんを愛しています。お母さん、知ってた?沙織さん、昔からずっと、お母さんのこと好きだったんだよ。私ね、たぶん、お母さんのこと大好きだけど、でも同じくらい、嫉妬していたんだよ」


 隣の沙織さんは何も言わない。ただ黙って私の告白を聞いていてくれている。


「お母さん死んじゃったから、お母さんと戦うことは出来なくなったけど、でもね、もしお母さんが生きていたとしても…」


 お墓から手を離し、自分の胸をどんと叩く。


「私、絶対に、負けなかったからっ」


 私は、沙織さんが好き。大好きで、愛してる。もしお母さんが生きていたら、沙織さんをめぐってお母さんと戦わなければならない日が来ていたかもしれない。でも、お母さんはいなくなってしまって、形の上では、私の不戦勝になってしまったみたいだ。

 でも、たとえもしもお母さんがいたとしても、私は絶対にあきらめていないし、絶対に沙織さんと恋人になっていたと信じている。

 だって、私は。


 お母さんの…娘だから。


 いつも明るくて、たくさん私たちを愛してくれて、包み込んでくれて、柔らかな気持ちにさせてくれた、世界で一番のお母さん。


 お母さんがいてくれたから私は生まれることができて、お母さんがいてくれたから、私はつむぎに会うことができて、お母さんがいてくれたから、私は沙織さんと巡りあうことができた。


 だから。

 今日、私がここに来たのは。


 目的は。


 もう一度、そっとお墓に手を触れる。

 さっきまで冷たかったお墓は、私の手の体温で暖められていた。


「お母さん、私を産んでくれて、ありがとう」


 感謝の気持ちを伝えるためだった。




「未来」


 沙織さんがしゃがみこんで、私の隣に座った。


「お母さんに言いたい事…ちゃんと伝えられた?」

「…うん」

「なら、よかった」


 そう言うと、沙織さんもお母さんのお墓に向かって、語り掛け始めた。


「姉さん、浩平さん、再婚するんだって」


 私と同じように、お父さんの再婚話から入る。


「…正直、複雑な気持ち。祝福してあげたい気持ちはたしかにあるんだけど、でも、なんていうかな、許せない気持ちもたしかにあるんだ」


 そう言って、お母さんのお墓を撫でる。


「姉さん、私、姉さんのことが好きでした。妹として…じゃなく、女として…好きでした」

「…だから、姉さんが私じゃなくって、浩平さんを選んだ時…すごく、悲しかったし、悔しかった」

「でも、浩平さんいい人で…憎めればよかったんだけどね。憎むこと、できなかったよ」

「なにより…浩平さんと結婚した姉さん…幸せそうだったから」


 沙織さんは目を閉じている。何を考えているんだろう。何を思っているんだろう。


「姉さんが死んで、浩平さん頑張っていたよ。つむぎちゃんと未来をしっかりと育てているよ」

「えらいと思う。だから、幸せになってほしいと思う」

「でもね、私の中で、私の姉さんをとったんだから、死ぬまでずっと、姉さん一筋でいてほしかったな、っていう気持ちも、たしかにあるんだよ」

「わがままだよね。傲慢だよね。でも、思っちゃうことは、仕方ないよね」


 目を開ける。

 うっすらと涙が滲んでいるように見える。


「姉さん…どうして死んじゃったの…」


 私はそっと、沙織さんの服の袖をつまんだ。

 沙織さんは私の方をみて、にっこりとほほ笑んでくれた。


「姉さん、私、あなたの娘と、付き合っています」


 沙織さんはそういうと、私の手を握ってくれた。


「未来が、好きです。姪っ子としてではなく、女として…好きです」

「姉さんを好きだった気持ちは本当です。そして今も、ずっと好きです。愛しています。もしも今、姉さんが生きていたら…ううん。そんなこと、分からないよね。でもね」

「私は今、未来のことが、好きなんです。姉さんを好きな気持ちは残ったままで、そのままの気持ちで、それでも、未来が好きです。愛しています」


 握りしめてくれる手の力が強くなる。想いが伝わってくる。

 私もぎゅっと、沙織さんの手を握り返す。


「私たちは…これからも、変わっていきます。浩平さんも、新しい道を歩き始めました。私も未来も、姉さんが残しくれたつむぎちゃんも、これから先、どんどん変わっていくと思います」

「姉さん、こんな私たちを、どうか天国から見守っていてください…私たちが…」


 風が吹く。

 春の風が。


「幸せになろうとしている姿を」




■■■■■



 帰り道。

 行きは登りだったけど帰りはくだりなので、楽に歩けるかな、と思っていたけど、そんなことは無かった。

 むしろここに来るまで疲れていたから、行きよりも苦しいまである。

 私と沙織さんは手をつないだまま、息をはぁはぁ吐きだしながら歩いていた。


 歩きながら…なぜか。


「あははははは」


 笑い声が出てきた。


「お母さんに報告しちゃったね」

「うん…未来、伝えたい事、全部伝えられた?」

「…たぶん。もし何かあったら、またお母さんのところに行くよ」

「その時は呼んでね。私も一緒にいくから」


 そう言って、沙織さんは頬を紅くしてうつむいた。


「私は未来の…彼女…なんだからね」

「うんっ」


 嬉しい。

 空が晴れている。

 さっきまで曇っていた私の心も、今はこの空のように、綺麗に澄み渡っていた。


「未来、なんか、さっぱりした顔しているね」

「そうかな?」

「そうだよ」


 あんなに死にそうな顔していたのに…心配、したのよ、すごく。

 そう言ってくれる沙織さんの顔が、陽光に照らされてすごく綺麗にみえた。


「お母さんと話をしていたら、なんかもやもやしているのが馬鹿らしくなってきちゃって」

「…少し、分かる気がする」

「やっぱりお母さんって、すごいね」

「…ええ」


 私の、自慢の姉ですから、と沙織さんが自慢そうに言ってきた。


「私の自慢のお母さんでもあるからね」


 対抗して、私も言う。

 そして、2人で顔を見合わせて、ぷふって笑う。


 ひとしきり笑った後、沙織さんが目の端に浮かんだ涙をぬぐいながら、私に言ってきた。


「未来、今日は日曜日だし、このままデートしちゃいましょう」

「え…いいの?」

「いいのよ」


 沙織さんは空を見上げる。

 その綺麗な黒髪が風にふかれてたなびいている。


「姉さんだったら、私のことなんて気にせずに、どんどん楽しんじゃえー!って言ってくれるでしょうから」

「そうだね…そうだよ」

「ええ、そうよ」


 私は沙織さんの手をにぎったまま、青い空の下、今日これから先の楽しいデートの時間を思い浮かべて、ウキウキしながら足を速めた。


「沙織さんと、デート、だー!」


 心が軽い。

 飛べるように軽い。


 青い空。

 綺麗な雲。


 となりには最愛の恋人。


 たぶん私はいま、世界で一番、幸せな女子高生だった。

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