第69話 揺れる光②【未来15歳/沙織27歳】
目の前を歩いている玲央くんの背中をみていて、
(大きいな)
と私は思っていた。
大きい背中。私とは身体の作り方からして違う。一歩一歩も大きくて、追いつくのに努力しないといけない。
玲央くんは普通に歩いているだけなのに、私は駆け足になる。朝の公園の中を、私たち2人の足音が不ぞろいに響いていた。
けっこう歩いた。
その間、ずっと無言。
さすがに少し疲れて、私はベンチに座った。玲央くんは近くにあった自販機の前に立つと、聞いてくる。
「未来、何か飲みたいものある?」
「…オレンジジュースが好き」
ごとん。
玲央くんがお金をいれて、自販機の中にジュースが落ちる音が聞こえてきた。
そのまま渡してくれたので、「払うよ」と言ったら「いいよ」と答えてくれたので、お言葉に甘えることにする。
朝の公園で同級生の男の子と飲むオレンジジュースは甘かった。
「それで」
玲央くんは私の顔を覗き込むように言った。
「なにか、あった?」
もう隠しても無駄だよね、とさとる。
私はベンチに座ったまま、足をぶらぶらとさせて上を向いた。
「お父さんからメッセージが来て、私に話したいことがあるって」
「ふーん」
ぱんぱんに詰めこまれた買い物袋をてにかけたまま、玲央くんは少し考え事をしていた。朝陽に金髪が照らされていて、光っているようにみえる。
「話したいって言われているなら、話をすればいいじゃん。なに悩むことがあるんだよ?」
「それはそうだけど…」
沙織さんと私との関係を考えて、考え込んでしまう。沙織さんは大丈夫って言ってくれたけど、このタイミングでのこのメッセージなので、どうしてもそのことが頭にちらついてしまって離れない。
沙織さんと付き合うことが悪いことだなんて思っていない。けど、そのことをお父さんに伝えていないのは、やっぱり悪いことなのかな、と思ってしまう。
(だって、家族だもんね)
家族だからといって全てを話す必要はないとは思うけど、それでも、伝えられることは伝えたいと思う。
私が考え込んで黙っているのをみて、玲央くんが口を開いた。
「浩平さん、いい人だから、大丈夫だよ」
「…」
私のお父さんの名前、どうして知っているんだろう?と思ったけど、そういえば以前、お父さんにいろいろよくしてもらっている、って言っていたよね、と思い出す。
(お父さんと玲央くん)
比べてみて、少しおかしくなる。
背も高く、金髪で三連ピアスの玲央くんに、見た目ふつうのサラリーマンのお父さん。同じ男でも、こうも差が出てくるものなのかな。
「少し、羨ましい」
「え?なにが?」
ぼそりとそう呟いた玲央くんの言葉が意外なものだったので、驚いてしまう。
「俺、親父いないから」
「あ、そうか…」
玲央くんのお父さん、玲央くんが小さいころに亡くなった、という話をしていたような気がする。だから、小さい頃からお母さんが一人で玲央くんを育ててくれたから、感謝しているって照れくさそうにいっていた姿を思い出す。
空気が重くなってきたので、話題を逸らそうとする。
「そ、そういえば玲央くん、どうして金髪に染めているの?それにピアスだって…目立ってかっこいいとは思うけど、は、はは」
「これ、親父の真似なんだ」
そらそうとした話題は、ブーメランとなって戻ってきた。
「俺が小さいころに親父死んだから、正直、親父の事はあんまり覚えていないんだ。けど、母さん、いつも親父の写真みながら話しかけているんだよ」
玲央くんはそう言うと、空を見上げた。
染められた金髪が風に揺れる。
「最初は、母さんに苦労かけているから、親父の真似すれば母さんも喜んでくれるかな、って軽いノリで染めてみたんだけど、そしたら母さん、まるで親父が生き返ってきたみたいだよ、やっぱり親子なんだねぇ、って思った以上に喜んでくれたから、なんか引っ込みつかなくなって…」
そういって、振り返って、笑う。
「もう癖になっちまったから、今更もとに戻すこともできなくなったよ」
「…そうなんだ」
亡くなったお父さんみたいに、か。
お母さんのことを思い出す。
私も、お母さんみたいに…ううん。沙織さんも言ってくれていた。私とお母さんは違うんだって。
私は胸に手をあてて、玲央くんに向かっていった。
「似合っているよ、金髪。かっこいい」
「そうか?へへ。俺に惚れるなよ?」
「それは…無いかなぁ」
私はもう惚れている人がいるし、その人で私の心は一杯なんだから。
「まぁ、未来もいろいろあるんだろうけど、親がいる間に、親孝行してみてもいいんじゃないか?」
親孝行、か。
お父さんに心配をかけないこと、それを親孝行というなら、沙織さんと付き合っている私は絶対に心配かけてしまうだろうから、親不孝になるのかな。
「…うん、考えてみるよ」
あいまいな返事。
否定も肯定もしない、それが正直な私の気持ちだった。
「有難うね。ちょっとだけ気持ち軽くなったよ」
「どういたしまして…あまり役には立てなかったみたいだけど」
ううん。
気をかけてくれる人がいるだけで、背負う荷物は半分になるんだよ。
そして、玲央くんは買い物袋を手にしたまま、大きな背伸びをした。
「それじゃ、俺もそろそろ帰るよ。なんか母さん張り切って食事つくるって言っていたから、その手伝いもしたいし」
「何かあるの?」
「よく知らないけど、誰か来るんだって。母さん嬉しそうにしていたから、いい人でも来るんじゃないかな」
「へー。そうなんだ。いいね」
「ああ。じゃあ、未来もあんまり浩平さんに心配かけるなよ。まっすぐ家に帰るんだぞ」
「…うん」
立ち上がって去っていく玲央くんの背中を見ながら、私は小さく息をはいた。
何があるかは分からないけど、前に行かなきゃなにも進まない。
沙織さん、私、頑張るよ。
そう思いながら、帰路へとつくことにした。
■■■■■
家に帰って扉を開けると、まっさきに出迎えてくれたのはつむぎだった。
「ねーちゃーーー!」
いつも通り、元気いっぱいに、とてとてとてっと走ってくる。
まだ5歳のつむぎは、その全身全部をつかって、私に愛情を届けてきてくれている。可愛い。
「ねーちゃ、つむぎね、おえかきしたの。みてー!」
「本当?見せてみせて」
奥で待っているはずのお父さんのことは気になるけど、まずはこの可愛い妹との逢瀬を楽しむことにする。
つむぎは得意げに紙を差し出してきた。
そこに描かれているのは、クレヨンで描かれた大きな太陽と、家族の絵だった。
「これお父さんかな?似てるねー。つむぎ、上手だね」
「えへへー」
「それで、これは私かな?」
「うんっ!ねーちゃー!」
「じゃぁ、この真ん中で私たち2人に手をつながれているのがつむぎなんだ」
「あたりー!」
嬉しそうにはしゃいでいるつむぎ。
絵の中の私たちは幸せそうに笑っている。真ん中にかかれたつむぎが一番背が高く描かれているのだけど、それはつむぎの世界のルールなのかもしれない。
私は笑って、つむぎの頭を撫でてあげる。
「すごいねー。つむぎ。将来は画家になれるかもしれないね」
「うん、つむぎ、がかになるー!」
私の一言で将来のゴッホかセザンヌが誕生してしまったかもしれない。にこにこ笑顔のつむぎを見ていると、私も自然とにこにこしてしまう。
こうして穏やかな空気に包まれていた時。
「おかえり、未来」
奥から、お父さんの声が聞こえてきた。
「うん、ただいま」
そう返事をかえすと、お父さんの方を見る。
呼びかけられた声の中に、怒りや憤りや悲しみなどは一切含まれていなかった。伝わってくるのは、愛情と…そして、緊張。
お父さんはいつも通りテーブルの上に新聞をひろげていたけど、よく見てみたら、その新聞の日付は3日前のものだった。平静なように見せかけていて、けっこう何か動揺しているのかな、と思ってしまう。
「えーっと、何か大事な話があるんだったっけ?」
「そうなんだ。それなんだよ。そうかな。そうかぁ」
要領をえない。しどろもどろになってるお父さんを見ていたら、さっきまで緊張していた私が馬鹿らしく思えてきた。
「そっちいくよ」
「あ、いや、いい」
え?なんで?
話があるんじゃなかったの?
「あー。話はあるんだが、ここではなんだから、場所を変えないか」
場所を変える?それこそなんで?家じゃできない話?
「かえゆー!」
意味を分かっていないつむぎが、とてとて走ってきて私の足にしがみついてきた。
お父さんは眼鏡をおさえながら立ち上がる。
お昼を告げる時計がなる。
いったい、なんなんだろう、これ?
■■■■■
いつものお父さんの車に、私とつむぎは乗り込んだ。
つむぎをチャイルドシートに座らせて、私は助手席に乗り込む。
「どこに行くの?」
「えーっと、あの、その、つけばわかるよ」
なんか挙動不審なお父さん。
一人で焦ってエンストをする。
おいおい、大丈夫なの…事故って一家全滅、なんて羽目にはならないよね?
家を出る時に間違ってバックに入れてしまい、あわててブレーキを踏んで庭の芝生を傷つけて、つむぎちゃんチャイルドシートに座っていてよかった、と思ったらつむぎちゃんはきゃっきゃと喜んでいて、それで改めてお父さんは今度は間違えずにそろりと車を前進させた。
太陽はちょうど頭の上にのぼっていて、陽光が少し眩しいくらいだった。
道中、お父さんは一言も口をひらくことなく、ただ緊張しているのが肌に伝わってきた。いったいどこに連れていかれるのだろう?まさか勤めている会社が倒産してしまったとか…
いやいや、それならもっと暗い雰囲気になるはずだし、もう、何がなにやら分かんない。
そう思っていたら、やがて車は市営住宅の前でとまった。
どうやら、ここが目的地らしい。
家からそんなに離れてはいなかった。行こうと思えば、自転車でも行ける距離だった。
つむぎをチャイルドシートからおろし、先に歩き始めたお父さんの後ろをつむぎの手を引きながら追いかける。
お父さん、足が速い。
何を急いでいるんだろう。
エレベーターには乗らず、階段で2階へとあがった。
扉の前でお父さんが深呼吸をしている。
追いついた私は部屋の前の表札を見て、そして、息が止まった。
『藤原』
聞いたことがある苗字。
まさか、ね、と思う。
そんな偶然、あるわけがない。
「よし」
お父さんはそう言うと、意を決したように、呼び鈴を押した。
ピンポン、と音がして、中から人の足音がしてくる。
ドアが開いた。
「お待ちしていました、浩平さん」
「約束の時間、すぎちゃいましたか」
「いいえ、大丈夫です」
エプロン姿のままお父さんを出迎えているその人の顔を、私は知っている。
時々、つむぎを迎えにいく保育園で。
優しく出迎えてくれる、その笑顔。
「いらっしゃい、未来ちゃん。今日は来てくれて有難うね」
茜先生、だった。
頭が混乱する。
え、どうして。
どうして茜先生の家に、お父さん、来ているの?
部屋の奥から、料理のいい匂いがただよってきていた。
中をのぞく。
中にいた男の人と、目が合う。
その人は、年の頃は私と同じくらいで。
金髪で。
耳に三連のピアスをしていて。
「…未来?」
「え…玲央くん…なんで…?」
頭が落ち着かない。
頭の中がぐるぐるする。
「あー!れおにーちゃー!」
つむぎが嬉しそうに、私とお父さん、そして茜先生の隣をすり抜けて家の中に走ってはいっていった。
いったい。
何が。
どうなっているの?
■■■■■
部屋の中は質素な感じなのに、テーブルの上に並べられていた料理は豪華なものだった。
そのテーブルの向こう側に茜先生と玲央くんが座っていて、こちら側に私とお父さん、そして用意された子供用の椅子の上につむぎが座っていた。
お父さんは緊張していて、汗をだらだらとかいている。
茜先生は普段保育園で見るときよりもにこやかに笑っている。
玲央くんは驚いた顔のまま私を見ていて、私もたぶん、玲央くんと同じ顔をしている。
つむぎは嬉しそうにきゃっきゃとしながら、テーブルの上のからあげに手を伸ばそうとしていた。
混乱の中、茜先生が、私に視線をむけた。
「未来ちゃん、突然のことで、驚かせてごめんね。でも、どうしても、今日だけはちゃんとお話をしたかったの」
笑顔から真剣な表情に変わっている。
まっすぐに、私の目を見つめてくる。
まだ頭の中の整理がつかない。ある答えが頭の中に浮かんでは、それをかき消していく。
横で、お父さんが息を大きく吸ったのが聞こえてきた。
少しの沈黙。
そして、お父さんは懐からハンカチを取り出すと、流れてきた汗をぬぐい、ゆっくりと、でもしっかりとした声で、私に伝えてきた。
「未来…お父さん、こちらの方…茜先生と…」
どくん。どくん。どくん。
血の音が耳の奥から聞こえてくる。
息が止まる。
「…再婚を、考えているんだ」
そして世界が止まる。
一瞬、脳が働くことをやめた。
言葉が脳に入り込んできたのに、その意味を理解することができなかった。
さいこん。
再婚。
再婚。
(お父さんが、茜先生と?)
頭の中がぐるぐるする。
息がうまく吸えない。
空気が足りない…酸素が足りない。
止まった私を見て、茜先生が、頭をさげてきた。
「未来ちゃん、いきなりこんな話をしてごめんなさい。あなたのお母さんの代わりになれる人なんて誰もいないって分かっています。けど、私は、浩平さんと、未来ちゃんと、紬希ちゃんの新しい家族になりたいと思っているの」
昨夜の事を思い出す。
泣きながら、沙織さんに尋ねた言葉。
(…私は…お母さんの…変わり、ですか?)
お母さんの代わりなんて、どこにもいない。誰もなれない。
けど。
…けど。
沙織さんが、お母さんのことを好きなまま…新しく私を愛してくれたように。
お父さんも…お母さんのことを好きなまま…茜先生を、愛してしまったのかもしれない。
玲央くんを見る。
玲央くんもびっくりしている。
玲央くんも知らなかったんだ…
もしも。
お父さんと茜先生が再婚したら…私…玲央くんと…
家族に、なるの?
想像もつかない。
頭が回らない。
沈黙。
長いながい、沈黙。
その沈黙を破ったのは。
「えーー!あかねせんせい、わたしのおかあさんになってくるのー?わぁい!」
無邪気に喜ぶ、つむぎの笑い声だった。




