第66話 夢で逢えたら【未来15歳/沙織27歳】
白いシーツにくるまった未来が、じっと上目遣いで私を見つめてきた。
肩も、胸元も、腰のラインも、シーツを通してはっきりとわかる…それは15歳の少女らしい繊細な柔らかさで。
私はただ、その輪郭を追うだけで目が熱くなった。
(夢…これは、夢?)
頭が混乱してよく回らない。
白い部屋だった。家具も何もなく、ただ、ベッドだけがある。白いベッドに、白いスーツ、そして恋人の未来。
首をかしげるその仕草が可愛くて、いとおしくて。
これが夢だろうか現実だろうか、関係がなくなる。
(…触りたい…)
そう、思ってしまった。
私はゆっくりと未来に近づく。
(…駄目。触れたら駄目。そんなこと、しちゃいけない)
頭の奥で声がする。常識、という名の声。
でも、そんな葛藤なんて、私は一瞬で踏み越えてしまった。
「未来…」
そっと、シーツをはがす。
中から出てきたのは、生まれたままの未来の姿。
裸の、未来。
綺麗な肌。まだ若く、無垢で穢れのない白さ。足を閉じるようにベッドの上にぺたんと座り込んでいて、腰のくびれに確かな成長を感じる。
鎖骨。うっすらとした肌のしたにくぼみがあるのが分かる。
私の視線はその下…二つのふくらみに向けられていた。
小ぶりだけど、形のよいそれは…わずかに上を向いていて。
その先…は、あいまいで。
(未来が8歳の時に、一緒にお風呂、はいったな…)
そう思い出す。
そして、それから未来の裸を見たことがないことも同時に思い出す。
だから、記憶がないから。
はっきりとは、見えないのだろう。
未来は何も言わず、何も隠そうとせず、生まれたままの姿を私の前にさらけだして、じっと私を見つめている。
気が付くと、私も裸だということに気が付いた。
見慣れているからか、私の裸は鮮明で…どうしても、目の前の未来と比べてしまう。
(15歳の裸と、27歳の身体なんだから)
違うのも、当たり前だよね…と想い、少し悲しくなる。
でも、未来は嬉しそうに身を委ねてくる。肌を合わせてくる。頬をこすりあわせてくる。
(未来…)
愛おしい。
この12歳年下の恋人が、いとおしくてたまらない。
私は未来の頬に手をあてて、触れた瞬間、未来がふわっと笑って。
あまりの愛おしさに涙がでそうになって。
そのまま、未来の唇に、私の唇を重ねていた。
キスの思い出はあるからか…さっきの未来の胸の先の…あやふやな印象とは違って…キスの感触は鮮明で…
気持ちよくて…
溶けそうで…
そして…
「…っ!!!!」
心臓の音で、目が覚めた。
部屋は静かで、現実だけが残酷に冷たい。
見慣れた部屋。私の部屋。
当然、隣に裸の未来は眠っていなくて…私は一人ぼっちで布団にくるまっていた。
(…最低…っ)
布団の中で顔を覆いながら、自己嫌悪につぶされそうになる。恥ずかしい。死にたい。
未来はまだ子供だ。
12歳年下で、まだ15歳の高校一年生で…そして、私の教え子だ。
(そんな子に…キスする夢…見るなんて…)
夢の中での出来事なのに、罪悪感が胸を刺してくる。
身体を冷やすような、消えてしまいたくなるほどの自己嫌悪。
でも、一番自分が許せないのは、夢の中でキスしてしまったという事ではなく、
(もっと、したかった…)
と思ってしまっている事実だった。
何が、守らなければならない存在なのだろう。何が大人としての立場を考えているというのだろう。私は自分の欲望にあらがっているように見せかけつつ、その実、自分の中で蠢いている性欲を見て見ぬふりしているだけの、駄目な大人でしかないのではないか。
(駄目人間)
(駄目教師)
(最低)
あえてひどい言葉を使って、自分を貶めようとしてみる。そう思う事自体が、本当に救いようのない自分というものの証明ではないだろうか。
私は未来の事が大好きで、好きになった人を求めようとしてしまうのは…仕方のないことなのかもしれないけど。
でも、その相手は、12歳も年下の姪っ子で教え子なのだから。
絶対に、何があっても、最後の理性を持って。
一線を超えるようなことをしてはいけない。
それは私を守ることでもあり、何より、未来を守ることでもあるのだから。
■■■■■
夢のあと、なんとか身支度をして部屋を出てきたものの、気持ちは沈んだままで。
「おはようございます、水瀬先生」
「…おはようございます、結城先生」
マンションのエントランスで出会った結城先生に挨拶をされても、気の抜けた挨拶しか返すことしかできなかった。
「…水瀬先生、ひどい顔されてますけど、何かありました?」
そんな私の表情を見た結城先生は、訝しげに眉を寄せる。金髪で、活発で、私が知る限りトップクラスの美人である結城先生に見つめられていると、嘘をついて場をごまかす気力も湧いては来ない。
「その…変な夢…見てしまいまして」
正直に答える。
結城先生は私と未来との関係を知っているから、すぐに察することができたようで、
「未来ちゃんとえっちする夢でも見ちゃったんです?」
と聞いてきた。
慌てて、「えっちじゃありませんっ!キスまでです!」と答える。汗が止まらない。まだ朝が始まったばかりだというのに。
「そうなんですか、残念」
「…何が残念なんでしょうか…」
「これは失礼いたしました、いや、ついつい、ね」
綺麗な顔で笑う結城先生。そんな姿を見ていたら、朝から沈んでいた気持ちも少し落ち着いてきた。
「別に本当にキスしたわけじゃないですし、夢で見るくらいなら仕方ないんじゃないですか?」
「…そう、でしょうか…」
普通の関係なら、そうかもしれない。けれど、私と未来との関係は普通じゃない。女同士で、12歳も歳が離れていて、叔母と姪で、何より、教師と生徒だ。
超えてはいけない属性が間に挟まりすぎている。
「でも、そうか、水瀬先生の場合は、する側、ですもんね」
「する側?」
「水瀬先生は知っておられるでしょう?」
私と、姉さんとの関係、と、結城先生は妖しく言った。その表情は妖艶で、先ほどまでからからと笑っていた人と思えないほど、雰囲気が一変していた。
「私の場合は、される側、でしたから」
そうだった。
結城先生は実のお姉さんと付き合っていて、その関係の始まりは、結城先生が15歳の時のクリスマスに、お姉さんから…キスされた…というか、それより先、最後までされた…というのがきっかけだった、と聞いている。
「された側の意見を言わせてもらうなら」
結城先生がその形のいい唇に指をあてながら、少し考えこんだ後、そっと私に向かって話をしてくれた。
「私は、嬉しかったですよ。好きな人に、奪ってもらえたんですから」
朝からなんてことを言う人なんだろう。
他の誰かに聞かれたらどうするのだろう…幸い、いま、ここには私と結城先生の二人しかいないのだけど。
「私は15歳で、もう姉さんの身体の中で見たことがない場所は無くなって、それに姉さんも、私の身体、全部…それはもう、隅々まで全部見て触ってくれましたから」
「…」
「好きな人に愛されて、求めてもらえて、あげることができて、私は嬉しかったです…嬉しかったですけど」
結城先生は、私を見つめる。
その瞳は真剣で、まっすぐだった。
「結局、私と姉との関係は周りにバレてしまい、結果として、姉は職を失いました」
言葉が刺さる。
私の心臓を貫いてくる。
「愛、っていえば言葉は綺麗ですけど、現実はそんなものです。私は姉の未来を奪ってしまったんです。ひどいですよね。何がひどいって、そんなことを経験してなお、私は同じ状況になったら、また同じ決断をするだろうな、って分かっているってことです」
結城先生は歩く。私も、その隣を遅れないようについて歩く。まるで、結城先生が先に作ってくれた道をなぞるようにして。
「水瀬先生、夢の中の自分まで責めないでください。未来ちゃんのことを大切に想っているからこそ、苦しまれているんでしょう?つらいんでしょう?」
結城先生の言葉に、私の胸の奥の硬い塊が、少しだけほどけた気がする。
「…私、ひどいですよね…それでもなお、あの子に触れたいって思ってるなんて」
「触れたい、って思うことは、悪いことではありませんよ。想いが溢れてくることは生きてるかぎり、仕方のないことですから」
「…そう、ですかね」
「そう、ですよ?」
歩く。
結城先生の言葉に救われた気がして、私も「有難うございます…」と返す。心が少しだけ、軽くなる。軽くなったけど、その後、すぐに結城先生は私のおろした心を拾い上げるような言葉を続けてきた。
「ただひとつだけ、その想いは、行動は、絶対に他の人にばらしてはいけません…何があっても、隠し通さなければなりません」
「…」
「先ほども言いましたが、私の姉さんは、私との関係が周囲にバレた結果、職を失いました。私の姉さん、教師だったんですよ?15歳の子供に手を出す教師なんて、いくら心がつながっていたといっても、社会的にはアウトです」
突きつけられた現実に、返す言葉もない。
「水瀬先生、水瀬先生が恐れているのは、自分が職を失うことじゃないですよね?もしそうなったとして、自分ではなく、そうしてしまったと未来ちゃんが悲しむことが、一番怖いんですよね?」
「…」
「後悔しないようにしてください、なんて言いません。どんな行動をとったとしても、後悔は絶対にしてしまうんですから」
「…」
「水瀬先生はね、たぶん、自分で思われているほど弱くはないですよ。けど、1人で何でもできるほど強くはない。だから、何かあったら…」
頼ってください、ね。
そう言うと、結城先生は笑ってくれた。
煌めく金髪がまぶしくて、ありがたくて。
その美しさに、私はつい、聞いてしまった。
「…結城先生は、いま、ちゃんと幸せになれてますか?」
「もちろん」
そういうと、結城先生は周りに見えないように、そっと、私に首筋を見せてくれた。
そこにはうっすらと…歯型のようなあとがあった。
「…!?」
「今朝、姉さんがつけてくれた痕です♪」
嬉しそうに言う。そして、私に近づいてきて、囁いてくる。
まだ見せられないところに沢山つけてもらってるんですけど…水瀬先生、見たいです?
「け、けっこうです!」
私は顔を真っ赤にしてかぶりを振り、それを見た結城先生は、ケラケラと笑った。
■■■■■
職員室に入ると、体育教師の鷲尾先生が手にしていたバスケットボールを置きながら、元気に挨拶をしてきてくれた。
「水瀬先生、おはようございます!」
「あ、鷲尾先生、おはようございます」
鷲尾先生は体育教師らしく爽やかなひとで、人懐っこく、どこか大型の飼い犬のような愛嬌もある。生徒たちからの人気も絶大だ。
そしてなにより…分かりやすく、私に好意をむけてきてくれている。
悪い人ではなく、どちらかといえばいい人なんだろうけど、正直、苦手だった。
「文芸部に、あの白鷺凛が入部したらしいじゃないですか?2年生の首席神見羅と、1年生主席の白鷺、その2人が入るなんて、文芸部すごいですね」
「えぇ…まぁ…」
力なく答える。
未来だって入っているのに…そう口に出そうとして、出すのも変だと思ってやめておいた。
「部員全員頑張ってくれていて、いい雰囲気になったと思います」
「さすがですね!水瀬先生みたいに落ち着いた人が顧問なら、生徒たちだって安心ですよ!」
内心は一番落ち着いていないんですけどね、と思う。
鷲尾先生の言葉は純粋に好意と好奇心から出ていて、そこに悪意なんて一つも含まれていないのが分かる。
でも、だからこそ。
余計に胸が締め付けられる。
(この人は、正しいんだ)
(正しくないのは、私)
未来のことを思い、この関係が普通のものではないと再認識してしまい、少し苦しくなる。
そんな話をしている時、背後から声をかけられた。
こちらこそ、本物の、落ち着いた声。
教頭の、白鳥先生だった。
「水瀬先生。昨日の報告書、拝見させてもらいました。ちゃんと立派なものでしたよ」
「有難うございます」
今年49歳になるこの白鳥真理子先生は、厳しいが、公平な教師だ。
権力には酔わないし、生徒を守ることに対しては真剣で…恐れられつつ、信頼されている。
(いつか、私がめざすべき道は、この先生なんだろうな9
と思う。思うからこそ、
(だから…私と未来との恋をしれば…一番「正しく」止めに来る人だ…)
ということも、分かる。
私は正しくない。それは分かっている。でもこの正しくない道を、まっすぐ歩いていこうと決めているんだ。
「入学したばかりの1年生は、とくに心が揺れやすいですから、担任として彼らや彼女たちを導いていくのは、あなたの大切な仕事ですからね」
それは、勉強を教えることよりも、もっとずっと大切なことですよ?
白鳥先生はそう念を押すと、自分の席へと帰っていった。
「…はい」
返事をする。
私は、教師。生徒たちを守り、導く立場。
分かっている。頭では分かっているのだけど。
今朝見た夢の中のあやまちを思い出して、それが胸にとれない棘のように、刺さった。
■■■■■
廊下の向こう側から未来が歩いてくる。
制服のスカートが揺れて、春風にさらされて、髪が光っていて。
綺麗で、美しくて、それが胸に苦しい。
未来は私を見ると、周りに誰もいないことを確認してから、小さく手をあげた。
「…沙織さん」
小さく、嬉しそうに。
その姿をみるだけで、私の心は一瞬で溶けてしまう。
朝の罪悪感も。
結城先生とのやりとりも。
職員室での現実も。
全てが一瞬で、ミキサーに吸い込まれて細かくくだかれて消え去っていく。
(駄目だ)
どんな決意も、どんな覚悟も、どれだけ崇高な願いも、目的も、誓いも。
溢れてくる暖かい愛情の波の前には、無力だった。
未来を見て。
その制服を見て。
その制服の下に隠された…未来の胸を…想像してしまうくらい。
私はとろけるくらい、この姪っ子のことを、愛している。
誰よりも、何よりも。
理性も論理も壊してしまうほどに。
私一人では溺れてしまう。
溺れて、この子の足を持って、底なしの沼へと引きずり込んでしまう。
(私一人じゃ、駄目)
だからこそ。
正しい大人たち、の存在が必要なのだろう。
溺れて落ちていく私の手を引き上げてくれるのだろう。
もうすでに、未来の存在はあまりに大きくて。
強い重力を持った太陽がすべての星を引き付けるように、私は抗うこと出来ずに未来へと引き寄せられてしまう。
好き。
大好き。
愛してる。
だからこそ、私は、未来を守るためにも、周りに頼ろう。
しっかりと、教師に、なろう。
大人に、なろう。
そう決意して、未来をみて、にっこり笑う。
未来は私の傍によってきて、周囲に人影がないのを確認して、そっと、私の耳につぶやいてきた。
「今夜、お父さん、保育園のあつまりで遅くなるんです。家にいないんです」
「だから」
「…今夜、沙織さんのマンションに行ってもいいですか?」
「ひゃ、はいっ!」
即答してしまった。
「約束ですよ!」
そう言って嬉しそうに走り去っていく未来の後姿を見て。
さっきまであれほど決意していた覚悟が砂上の楼閣でしかなかったと気づかされて。
「…どうしよう…」
私は疼く胸をおさえてまま、そう呟いてしまった。




