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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
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第65話 秘密の文芸部【未来15歳/沙織27歳】

 放課後の廊下は人の声と笑い声が入り混じっていて、春の匂いがする。

 白い廊下を凛と一緒に歩きながら、私は胸の奥でどくどくと脈打つ感覚をごまかせずにいた。


(沙織さん)


 朝からずっと、沙織さんのことを考えている。高校に入学してからの私は、変だ。四六時中、沙織さんのことばかり考えている。

 だって、仕方ないじゃない。

 同じ学校に、沙織さんがいるんだもの。

 いま私が吸っている空気は、沙織さんが吸っている空気と同じで、いま私がいる空間は、もしかしたら沙織さんも通った空間かもしれなくて。

 人を好きになるって、こんなに馬鹿になることなんだろうか。何も考えられなくなることなんだろうか。


(でも、私、今まで沙織さんしか好きになったことがないから…)


 いわゆる「普通」が分からない。

 私にとって、好き、という感情は沙織さんとイコールで結びついている。

 沙織さんを見ているだけで幸せで、声を聞いているだけで耳がとろけそうになって、沙織さんの匂いを感じるだけで身体の奥が疼いてしまうのが分かる。


(私、駄目だめだぁ)


 ちょっとだけ、自己嫌悪してしまう。

 女子高生なんだから、楽しいことがたくさんあるはずで、やらなければいけないこと、やってもいいこと、今しかできないこともたくさんあるはずなのに。


(私がやりたいことは、全部ぜーんぶ沙織さんのことだけ)


 なんだから、もう仕方ない。

 私の細胞の一つひとつが、沙織さんを好き、という成分でできているんだ。


(だから)


 沙織さんにふさわしい女性になるために、頑張らないと。私と一緒に歩いていて、沙織さんが恥ずかしくないような女性にならないと。


(早く大人になりたいな…)


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、


「…未来、みーく?」

「あ、ごめん、考え事してた」

「もう…部活にいくの、そんなに楽しみなの?」

「楽しみというか、あの…」


 凛に声をかけられて、現実に戻される。


「ひ、久々に神見羅先輩に会えるの、楽しみだねっ」

「…またあの日々が始まるのかぁ…」


 ごまかすように答えた私に、凛はやれやれといったふうに返してくる。

 私と凛は、文芸部の部室へと向かっていた。入部届を出すためだ。

 中学の時から私と凛は一緒の文芸部に所属していたし、高校に入ってからも文芸部に入ろうと約束していた。

 そもそも、私と凛が仲良くなれたのは同じ文芸部に入っていたことが原因なので、当たり前と言えばあたりまえの行動なんだけど。


 私がドキドキしているのには、別の理由がある。


(沙織さん)


 私の心を動かすものと言えば、沙織さんのことしかなかった。文芸部の顧問は、沙織さんなんだ。

 去年、高校の文化祭に顔出しさせてもらった時に、神見羅先輩から沙織さんが顧問の先生だと教えてもらって以来、この時をずっと待っていた。


(部活でも、沙織さんに会えるんだ…)


 会いたい。

 会いたくて、仕方がない。


「…未来?」


 またぼぅっとしてしまった私をのぞき込むと、凛は少し笑った。


「あいかわらず、だね。まぁ、いいけど」


 凛の横顔は白くて端正で、だまっていれば本当に日本人形みたいに美しい。その凛は私にだけは柔らかい表情を見せてくれる。親友、なんだ。

 凛は部室の扉を軽くたたいた。


 カラン、と扉が開く。



■■■■■



 文芸部の部室は、木の匂いがした。

 本棚には詩集や小説、それに文学全集が並んでいる。窓からは夕方の光が差し込んできて、空気は清浄で満ち足りている。


 そんな中。

 部室の中心に、丸まった布団があった。


(あ、これ)


 いつもの光景だ。中学時代の部室で、何度もみた光景だ。

 とたんに、懐かしさが溢れてくる。布団がもぞもぞと動く。中からにょきっと手が出てくる。

 白い手。すらりと伸びた指。神見羅先輩だ。


「お、来たね、未来に凛」


 そのままひらひらと手を動かす。中から出てくる気配はない。もう春なんだから、外に出ても温かいだろうに、この先輩はいつも丸まって寝ている。


「神見羅先輩、お久しぶりです!」


 私はにこっと挨拶をする。凛は何もいわず、ずんずんと布団に近づくと、


「それが先輩の態度ですか」


 と言って、布団を引っぺがした。

 中から出てきたのは桃太郎…ではなく、銀色の長髪に紅い瞳の、ありえないほどの美女だった。美。まさに、美。黙っていれば深窓の令嬢で通るであろうこの先輩は、けっして黙ることがないので、残念ながら深窓の令嬢にはなれないのだった。


(変わらないなぁ、神見羅先輩)


 ちょっと嬉しくなる。でも、そんな先輩も、少しだけ大人っぽくなったような気もしないこともな…


「それが後輩の態度かー」


 情けなく言いながら、手を伸ばして布団を取り返そうとする。そして凛にぺしっと叩かれて、ふてくされて向こうを向いた。子供か。


「私、吸血鬼だから、太陽の光に弱いのに」

「神見羅先輩、一緒ににんにくラーメン食べにいきません?」

「いいねぇ。替え玉する?」

「吸血鬼としてのアイデンティティはどこにいったんですか…」


 中学時代とまったく変わらない神見羅先輩と凛とのやりとりと見ていると、ほっとして、あぁ、返ってきたんだな、この日常が、と思えてくる。


「まぁ、それはともかく…」


 神見羅先輩は顔をあげると、いつもの不思議な笑みを浮かべた。

 立ち上がり、長い銀髪をひるがえす。夕陽の中に、銀色の粒子がキラキラと舞い散ったかのような錯覚に襲われる。


「文芸部にようこそ、凛、未来」


 そう言って、笑う。

 掴みどころがないのに、心の奥だけは全部見透かされてしまうような気がする人、それが神見羅先輩だった。


「こちらこそ、よろしくお願いします、神見羅先輩」

「あんまり迷惑かけないでくださいね」


 私と凛が軽く挨拶をすると、神見羅先輩は目を細めた。


「凛、高校の制服も似合っているね。可愛いよ」

「…褒めても何も出ませんよ」

「残念。トマトジュース買ってきてほしかったのに」

「微妙に吸血鬼要素足してくるところ、本当にむかつきますね」

「凛、私のこと好きでしょう?」

「海よりも高く、山よりも深く尊敬していますよ?」


 頭の悪いやりとりをしているこの2人だけど、凛は今年の首席で、神見羅先輩は昨年の首席だった。つまり、この高校の1年と2年のトップがこの場所にいるのだ。


(私一人で平均値さげているなぁ)


 こればかりは相手が悪い。


「文芸部って、何人在籍しているんですか?確か去年は神見羅先輩しかいないって言われていましたけど」

「ふっふっふ、聞いて驚け若人よ」

「いいから早く言ってください」

「なんと、2倍に増えたのだよ」

「2倍って、去年は神見羅先輩1人だけだったから、1人増えただけじゃないですか」

「そして今年は未来と凛が入ってくれた。これでさらに2倍」

「はぁ」

「さらにここに3倍の回転を加えると?」


 ウォーズマン理論なんてだれがわかるんだ。

 とにかく、あと1人部員がいることだけは分かった。


「それで、その人はいまどこにおられるんです?」

「今日は来ていないよ。まぁ、そのうち気が向いたら来るんじゃない?」

「相変わらず適当ですね…」

「生きるのが上手い、って言ってもらいたいな」


 けらけらと神見羅先輩は笑う。

 それが本当に楽しそうで、悔しいけど、なんかやられた気持ちになるけど、私はこういう雰囲気が嫌いではなかった。


「じゃぁ、今日はこれで全員集合ということですね」


 凛が言う。神見羅先輩がニヤッと笑う。


「うんにゃ。あと1人、大事な人を忘れているよ」

「あと1人?」

「うちの顧問」


 その時、扉が開いた。


「入るわね」


 胸が、高鳴る。

 世界で一番、私を動揺させて高揚させる声。


 沙織さん。


 白いブラウスに紺のカーディガンを着た、私の恋人が部室に入ってきた。



■■■■■



楼蘭ろうらんさんはまだ部室に来ていないのかしら?」

「あの子は気まぐれだから、今日もどこかでサボっているんじゃないかな?」

「はぁ…神見羅さんといい、楼蘭さんといい、この文芸部は変わった人しか入ってこないのかしら」


(楼蘭さん…?どんな人なんだろう。神見羅先輩と並ぶ存在だなんて、ちょっと怖い気もするけど…)


 神見羅先輩と沙織さんが話をしているのをじっと見つめながら、そんな事を考えていた。


 いやいや、今はそれどころではない。

 いま、私の目の前に、沙織さんがいるのだから。

 沙織さんだ…朝のホームルームで会って以来の沙織さんだ…朝よりもっと、綺麗になっている気がする…

 沙織さんの黒髪…すごく好き…いい匂いもする。どんな香水つかっているんだろう?大人びた沙織さんも素敵だなぁ…


「今年はさらに、期待のルーキーが2人も入ってきましたよ」


 神見羅さんはそう言って、私たちを紹介する。

 私は手をふり、凛はぺこりと頭を下げた。


「星野未来です」

「白鷺凛です」


 知っているけど、改めて。

 沙織さんは髪を低い位置で結んでいて、いつもより少し落ち着いた印象だった。その姿を見ているだけで、胸がつんと締め付けられる。


「文芸部顧問の水瀬沙織です。宜しくお願いします」


 教師の顔。

 ここでは恋人の顔はまったく見せてくれなかった…仕方ないけど、私もぐっと我慢する。


 凛が丁寧に「宜しくお願いします」ともう一回頭を下げたので、私も慌てて真似をして、胸がいっぱいでうまく声は出なかったのだけど、かろうじて「宜しくお願いします」と言って頭をさげることができた。


「…知り合い同士なんだから、そんなにかしこまらなくもいいんじゃない?」


 足を組んで軽そうに言う神見羅先輩にむかって、沙織さんは


「いえ。最初だからこそ、ちゃんとしないと」


 と釘を刺す。

 この言葉は神見羅先輩に向けて言っているようで…その実、本当は私に向けて言っているんだろうな、と思った。


(ちゃんと、しないと)


 胸がちくりとする。沙織さんを見る。沙織さんは真剣な瞳で、それを見ていて、私もふと分かった。理解した。


(ううん、私に、だけじゃない)

(沙織さんは、その言葉を)

(自分に向かって)

(言っているんだ)


 ちゃんとしないと。


 それは、ある種の決意宣言、でもあった。



■■■■■



「それでは初日の今日は…そうですね。自己紹介をかねて、簡単なショートストーリーを書いてみることにしましょう」


 そう言うと、沙織さんは用意していたプリントを配り始めた。

 昨日からもう準備していたのだろう。真面目だなぁ、と思うと同時に、そんなところも好きだなぁ、と惚れた弱みでもっともっと好きになってしまう。


 私の机にプリントを置くとき、沙織さんの指が、少しだけ私に触れた。


(…っ)


 電気が走ったみたいに、全身がびくっとした。誰も気づかないくらいの一瞬、でも、私には分かった。

 沙織さんはわざと触れたんじゃない。偶然だ。でも、それでも、一瞬でも沙織さんに触れたと思うだけで、それだけで嬉しくなる自分が、どうしようもなく恥ずかしく思えた。


(私、ちょろすぎるのかなぁ)


 そう思って、沙織さんを見上げる。

 他の人にもプリントを配っている沙織さんの頬が、ちょっと紅潮しているのが見えた。


(あ)


 沙織さんも、おんなじだ。

 えへへ。

 我慢している沙織さんも…とてつもなく、可愛いなぁ。



■■■■■



 みんなボールペンを出して、プリントに取り掛かろうとしていた。

 凛は姿勢を正して、まっすぐ真剣に。

 神見羅先輩は最初は机に座っていたのに、きがついたらソファに寝そべって書き始めている。自由だなぁ。


 そして私はといえば。


 鞄から、万年筆を取り出した。

 黒漆に螺鈿が散りばめられた、綺麗な万年筆。

 水面のように光が揺れて、小さな虹がみえる。


「未来、昔からずっと、それ使っているね」

「うん、私の宝物なんだ」


 言いながら、万年筆をそっと胸にあてる。


 宝物。

 ずっと使っている、宝物。

 私が9歳の時に、沙織さんからもらったクリスマスプレゼント。

 見ているだけで、胸がじんと熱くなってくる。


 沙織さんは。

 ただ静かに、私を見ていた。


 沙織さんの顔は教師の顔で。

 頑張って、教師の顔を維持しようとしているのが分かって。

 でも、その瞳が。

 沙織さんからもらった万年筆を大事に使っている私を見つめてくれるその瞳が。

 どうしようもなく、優しさと悦びが零れて溢れているのが分かった。


(沙織さんにもらったものは、なんでも全部、私の宝物なんです)


 今もらっているこの視線も、時間も、気持ちも。

 全部ぜんぶ、大事な宝物だった。




■■■■■


 

 しばらくして。

 私たち3人は、なんとかショートストーリーを書きあげた。

 神見羅先輩と凛はお互いのプリントを交換して、それぞれ感想を言い合っている。


「神見羅先輩、相変わらず吸血鬼ものしか書いていませんね」

「そういう凛だって、昔からずっと百合小説ばかりだね」

「いいじゃないですか。好きなんですから」

「悪いなんて言ってないよ。むしろ、凛のその変わらない姿勢が好きだな」

「…っ」

「あ、デレたー!ツンデレ凛がデレたー!」

「うるさい。死んでください」


 楽しそうな2人。

 中学時代の延長線上に、いまのこの高校時代があるのだろう。

 2人で言いあいながら、気づけば2人だけの世界を作っている。


 まるで、そのタイミングを見計らったかのように。

 沙織さんが私の隣に座った。


 神見羅先輩と凛はお互いの作品の批評に集中していて、私たちの方を見ていない。

 意識が完全に離れている。


 その瞬間。


(あ)


 沙織さんの指が、机の下で、私の手をそっと触れてくる。


(…っ)


 心臓が跳ねる。

 言葉は無い。視線も合わせない。

 ただ、そっと、触れるだけ。

 それだけのはずなのに、沙織さんの心に直接触れたみたいで、私は涙が出るほど嬉しくなる。


 私の指も沙織さんを求め、机の下で、沙織さんの指を触る。

 沙織さんの指が動く。

 触れてもらうところが気持ちいい。

 もっと、沙織さんに触れてほしい。

 もっと、沙織さんに触れたい。


 私は、指をそっと動かして、沙織さんの手のひらを撫でた。


「…あん」


 小さい声。

 火照るような声。

 2人には気づかれていない、私だけに聞こえた、沙織さんの声。


 ちらっと沙織さんを見る。

 沙織さんは、真っ赤な顔をしている。

 どうしてあんな声なんか出したの、と、自分で恥ずかしがっているみたいな、必死な顔。


(可愛い)


 たまらない。

 もっと、あの声、聞きたいな。

 悪戯心もわいてくる。

 指を動かそうとする。


(あ)


 沙織さんの指が絡まってくる。

 しっかりと、私の手を握ってくる。

 これじゃ、沙織さんの手の平には触れない。

 それだけは残念だけど。

 でも。


(暖かい…)


 沙織さんの手が暖かくて、その体温が私の手にも移ってきて、私の心も溶けていく。

 握られた手を、ぎゅっと握り返す。

 私が握り返すと、沙織さんもぎゅっと握り返してくれる。


 会話はないけど、会話をしている。


 机の下で、誰にも知られないように、気づかれないように。

 2人だけの、小さな秘密の逢瀬を繰り返す。


(好きです)

(私、沙織さんが…好きです)


 言葉には出さなくても、握った私の手は、雄弁にそう物語っていた。


 見つからないように。

 秘密に。

 でも、たくさんの「好き」を伝えて。


 そして、たくさんの「好き」が返ってくる。


 これを幸せと呼ばなくて、何を幸せと呼ぶんだろう。


 私の中の宝物の時間が。

 またひとつ、増えた。

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