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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
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第64話 恋人同士の夜のメッセージ【未来15歳/沙織27歳】

 夜。

 お風呂に入って、髪を乾かして、あとは寝るだけ、なのに。

 身体が火照って、止まらない。

 私はベッドに横たわると、スマホを握りしめたまま、ずっと画面ばかり見ていた。


(沙織さん…)


 胸の奥が、変にざわざわしている。


 今日の沙織さんの姿を思い出す。

 入学式が終わった後、ホームルームでみんなの前に立っていた沙織さん。声も姿勢も、黒板に向かう手つきも、全部すらっとしていて、綺麗で、大人で。全部いつもより遠くて…先生、だった。


 でも、みんなの先生なのに、それでも誰にも分からないように、私だけに分かるように、そっと、秘密の合図で私に気持ちを伝えてくれた。


(あの時は…みんなの先生じゃなくって…私だけの、恋人だったんだ…)


 身体の奥が熱い。火照る。なんか、もじもじして、いてもたってもいられなくなる。私は布団にもぐりこんで、息を押し殺すみたいに深呼吸をした。


(…言っていいのかな…やっぱり、駄目かな…)


 画面を開いてはメッセージを打ち込み。

 恥ずかしくなってそれを消しては、しばらく悶々として、また打ち込み。

 そんな行動を10回くらい繰り返した後、私はやっと、覚悟を決めた。


(沙織さん…)


 目をつむり、送信する。

 私の想いが、電波を通じて離れた沙織さんに、届く。


『沙織さん…起きてますか?今日、学校で、合図してくれて、とっても嬉しかったです』

『それでね、沙織さん。私、変なんです。なんか、あれから胸が苦しくなるくらい痛くて、落ち着かなくて。沙織さんに会いたくて、会いたくて、仕方ないんです』


 既読がつく。

 まだ返事はこない。

  

 私は手をとめて、本当のことを言うべきかどうか悩んで、指が震えて画面がぼやけた。


 言っていいのかな。

 言わない方がいいんだろうな。

 でも、言いたい。

 言いたくていいたくて、たまらない。


『えっと…言っていいかどうか迷ったんですけど…』


 ここまで書いて、私はスマホをいったんおいた。

 でも、手放せない。

 想いを伝えたい。

 私は再びスマホを握り締めると、意を決して続きを書く。


『私、沙織さんと、キス、したいです』


 送っちゃった。

 送信しちゃった。

 もう戻れない。

 

 体温が一気に上がった気がした。

 布団の中で丸まって、声にならない言葉を漏らす。


「どうしよう…どうしよう…送っちゃったよ…」


 既読が付くのが怖い。

 でも、つかないのも怖い。

 どっちも怖い。

 怖くて怖くて仕方ないけど…でも、想いはもう止められない。


 返事を待つ数分間が永遠みたいに長くて、息を殺しながらじっと私は布団の中で丸まって待ち続けた。


 そして。

 スマホが震えた。


 光る画面をみて、沙織さんからメッセージが届いているのを見て。

 私は、息をのんだ。


『未来。私の大事な未来。想いを伝えてくれてありがとう。私のこと、こんなにも想っていてくれて、私、とても幸せです』


 読むだけで涙が出そうになる。

 ううん。

 出そうになる、じゃない。実際に、私は泣いていた。

 だって、文字がにじんでよく見えないもん。


『でもね。今日の未来をみていて、未来の事が大好きで、気持ちが抑えられない私がいるのと同時に、もう一人、教師として、先生として、大事な生徒を守らなくちゃいけない、って思う私がいるのも分かったの』


 沙織さんらしい言い方。

 優しい言い方。私を気遣ってくれる言葉。でも、今はその気持ちが、苦しい。


『だから、ね。今は…まだ、未来とキスできない。未来を大事にしたいの。未来を…ううん。違うね。本当はね、私もしたい。未来とキスしたくて、たまらない。でも、今しちゃったら、私もう、止められなくなりそうなの。ちゃんと先生として、未来を守れなくなりそうなの』


 メッセージは続いている。


『だから、もう少しだけ、待っていて。私が、もう少しだけ強くなるまで、待っていて。こんな弱い私でごめんね。未来。私の大事な未来。大好き。大好きだから、お願い…』


 沙織さんの心がにじんできて、私も、苦しくて、嬉しくて、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。


 会いたい。

 触れたい。

 でも、今手を伸ばしたら、大事な何かが壊れてしまいそうで。


 苦しいけど、幸せで。

 届かないのに、ちゃんと繋がっていて。

 私は涙の滲む視界でスマホを見つめながら、一文字ひともじ、返事を書いた。


『沙織さん、困らせちゃってごめんなさい。沙織さんの気持ちがちゃんと整うまで、私、ずっと待ってます。でも、これだけは言わせてください。私、沙織さんが好きです。大好きです。昔からずっと、この気持ちだけは変わっていませんし、これからも変わらないです。沙織さん、おやすみなさい』


 送信ボタンを押した後、私は布団に顔をうずめた。

 涙をふこう。

 8歳から15歳まで、もう7年も待ったんだから、もう少し待つことぐらい…できる、よね。


 また、明日も学校がある。

 また、明日。

 沙織さんに、会いに行こう。




■■■■■




 私は部屋の明かりを落とすと、紅茶を飲みながら机に向かっていた。

 新一年生の名簿。自己紹介のメモ。明日から始まる授業への準備。

 私の中にある「教師としての私」は、いつも通り、例年通り、淡々としつつ、それでもしっかりと前に進んでいる…はずだった。


(けど)


 今日の私は違う。

 今日の私は…駄目だ。


 何度も手が止まって、動かなくなる。

 その理由は分かっている。


(未来の視線が…胸に残って離れない…)


 今日のホームルームの時。

 誰にも気づかれないように交わした、あの小さな合図。

 未来だけに送った、私の心の中の気持ち。


 ほんの一瞬。

 でも、あの一瞬を。


(未来は、全身で受け取ってくれた)


 頬を紅潮させて、身体中から幸せをほとばしらせていて。輝いていて。


(あんな顔、見せられたら…)


 たまらないよ…


 私は紅茶を一口飲み、息を吐いた。

 自制しなければいけない。私は教師なんだから、生徒たちを導いていく責任があるんだから。

 でも、そんな私の中にある教師という枠組みを、未来を求めて簡単に壊してしまいそうになる自分が怖かった。


 机の上に置いていたスマホが光った。

 差出人を見る前から、誰からのメッセージなのかはピンときた。


(未来、だろうな)


 そう思って、スマホを手に取る。差出人の名前を見て、


「やっぱり、来たわね」


 と言って、少し笑う。なにが「やっぱり」なんだか…自分で自分がおかしくて苦笑してしまう。


 スマホには、こうメッセージが届いていた。


『沙織さん…起きてますか?今日、学校で、合図してくれて、とっても嬉しかったです』


 読んだ瞬間、胸が熱くなるのが分かった。

 あぁ…未来、気づいてくれたんだ。私の気持ち、受け取ってくれたんだ。うん。そうだよ。私、未来のこと、大好きだから、ね。

 でも、その後に続くメッセージを読み進んでいくにつれて、私の呼吸はゆっくりと深くなっていった。


『それでね、沙織さん。私、変なんです。なんか、あれから胸が苦しくなるくらい痛くて、落ち着かなくて。沙織さんに会いたくて、会いたくて、仕方ないんです』


(未来…)


 まだ高校一年生になったばかりの、その小さな胸の中に、こんな大きな感情を抱いてくれて、しかもそれをまっすぐに私に向けてくれている。

 嬉しい。

 正直に、嬉しい。


 けど、だからこそ。


 私はスマホを手に持つ。指が震えている。

 返事を書こうとした時…もう一通、通知が来た。


『えっと…言っていいかどうか迷ったんですけど…』


 未来が、伝えようとしてくる。

 気持ちをまっすぐに、伝えようとしてくる。

 嬉しいけど…怖い。

 受け取るのが、怖い。


 スマホが、光る。


『私、沙織さんと、キス、したいです』


 予想はしていた。

 していたけれど…その一文を見て、息が止まった。


 喉の奥が熱くなる。

 胸の奥がきゅっとしめつけられる。


(…未来もいま、私と同じような顔しているんだろうな)


 言葉だけでわかる。

 見なくても分かる。

 未来は、いつも泣きそうで、真剣で、まっすぐで。

 私みたいな汚れちゃってる大人なんかよりも、何倍も何十倍も、真剣な気持ちで描いてくれている。


 私は壁を見つめた。

 視界が滲んでいく。


(…あなたは…ずるい…)


 だって。大好きなそんなあなたから、こんなまっすぐな言葉を伝えられたら、その気持ちに答えてあげたくて仕方がなくなるに決まっているじゃない。


 でも。


(私は、教師)

(未来は、生徒)


 私は未来を…守らなければならない…姉さんに言われた言葉を思い出す…(未来を、お願いね)…うん。分かってる。分かってるよ。


 私はスマホを胸元に引き寄せて、深呼吸して、そしてゆっくりと、返信を内はじめた。


『未来。私の大事な未来。想いを伝えてくれてありがとう。私のこと、こんなにも想っていてくれて、私、とても幸せです』


 書いていて、胸がちくりと痛む。

 嬉しくて仕方ないのに、幸せで仕方ないのに、だからこそ、私はちゃんと、未来に伝えなければいけないことがある。


『でもね。今日の未来をみていて、未来の事が大好きで、気持ちが抑えられない私がいるのと同時に、もう一人、教師として、先生として、大事な生徒を守らなくちゃいけない、って思う私がいるのも分かったの』


 これも本音。

 偽りのない、本音…ううん。本当は偽りかもしれない。自分を騙そうとしているだけなのかもしれない。けど、悪いことじゃない。私の中に、別の私がいて、その私が私を見て、間違えないように、失敗しないように、正しくなるように、ちゃんと導いてくれているんだと思う。


『だから、ね。今は…まだ、未来とキスできない。未来を大事にしたいの。未来を…ううん。違うね。本当はね、私もしたい。未来とキスしたくて、たまらない。でも、今しちゃったら、私もう、止められなくなりそうなの。ちゃんと先生として、未来を守れなくなりそうなの』


 本当は、今すぐ未来を抱きしめたい。

 抱きしめて、触れて、未来を感じたい。

 未来の頬に手を添えて、あの柔らかい唇に触れたい。


 私は、未来と、キスをしたい。

 それが本音。

 私は駄目な大人で、駄目な教師なんだと思う。


 でも、だからこそ。


 弱い自分を見つめたままで、それでも、ちゃんと未来を守っていきたい。


『だから、もう少しだけ、待っていて。私が、もう少しだけ強くなるまで、待っていて。こんな弱い私でごめんね。未来。私の大事な未来。大好き。大好きだから、お願い…』


 送信ボタンを押した後、私はしばらく宙を見つめていた。

 胸に手をあてる。

 心臓が動いているのが分かる。

 大好き。

 好き。


 だから。


 未来から、返信が来る。


『沙織さん、困らせちゃってごめんなさい。沙織さんの気持ちがちゃんと整うまで、私、ずっと待ってます。でも、これだけは言わせてください。私、沙織さんが好きです。大好きです。昔からずっと、この気持ちだけは変わっていませんし、これからも変わらないです。沙織さん、おやすみなさい』


 涙が出る。

 溢れた涙は、止まらない。


(未来…あなたは、どうして…)


 こんなに、まっすぐなの。

 いともたやすく、私の心を貫いてくるの。


(未来のことを、好きになれてよかった)


 未来のことを、愛することができてよかった。


 キス、したい。


 私の方こそ、未来にキスしたい。

 キスして、抱きしめて、できることなら、その先にいきたい。


(だから、我慢)


 まだ私はぎりぎり教師の縁に立てている。

 奈落に落ちそうな私の理性は、細い蜘蛛の糸でなんとかつながっている。


(でも、それがいつまでもつのか…)


 分からない。

 私の中の情動の水は、私の中の心の防波堤を決壊寸前で。


 悶々としながら。

 頑張って、我慢して。


 私は布団の中に、もぐりこんだ。


 また、明日も学校がある。

 また、明日。

 私はどんな顔をして、未来に会えばいいのだろうか?

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