表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第六章 【未来15歳/沙織27歳】
63/85

第63話 キス、したい【未来15歳/沙織27歳】

 高校生活初めてのホームルームが終わり、教室内はざわざわとした雰囲気で包まれている。

 机を寄せ合って自己紹介の感想を言い合う声が、窓から入る春の風に混じって流れていく。

 春。

 そう、今は、春なんだ。

 気持ちが高揚していくのも仕方ない…だって、高校一年の春の初日なんて、人生で一回しか経験できないんだから。


 私は席をたつと、誰にも声をかけられずに一人だけで浮いている男の子、玲央くんの傍にむかった。


「玲央くん、こんにちは」

「星野さん、お久しぶりです」

「一緒の高校になれたね!」

「…まぁ、俺の場合は、ギリギリもギリギリって感じでしたけど…」


 背が高くて、金髪で、耳には三連ピアス。目つきもするどくて、黙って座っているだけでも威圧感がある。そんな虎みたいな玲央くんだけど、実は猫みたいに優しいところがあると私は知っていた。


「…未来…この人…知り合いなの…?」


 私のうしろから、おずおずとした声で聴いてきたのは、凛だった。

 私は振り返り、凛を引き寄せる。


「うん。藤原玲央くん。つむぎの通っている保育園の先生の息子さんで、以前、悪い人に絡まれていたところを助けてもらったことがあるんだ」

「絡まれてって…未来、そんなことがあったの!?」

「あ、ごめん、言っていなかったっけ?」

「初耳…なんともなかった?」


 心配して、焦って私の手を握ってくる凛。普段はツンとすました日本人形みたいに冷静な子なのに、私にだけは、こうやって感情をあらわにしてくれるのは、正直、ちょっと嬉しい。


「大丈夫だったよー。大丈夫じゃなかったらこんなこと笑って言えないよ。玲央くんに助けてもらったんだよ。かっこよかったよ」

「…別に、普通のことしただけだよ」


 少しだけ照れてる玲央くんは、少しだけ可愛かった。

 凛はまじまじと玲央くんを見つめていたけど、やがてため息を一つつくと、玲央くんに向かって語り掛けた。


「私、白鷺凛って言います。未来を助けてくれてありがとう…あなた、見た目は怖いけど、けっこういいところあるみたいね」

「それはどうも…あんた、入学式で代表挨拶していた人だよね?」

「そうだけど…それが何か?」

「ってことは、首席で合格ってわけだ」


 真顔な玲央くん。いぶかしげに見つめる凛。その間でおろおろする私。

 そして、破顔一笑。玲央くんが笑った。


「俺、たぶん最下位入学だから、学年トップとビリがこうやって話してるのって、なんか面白いな」

「…あなたが変な奴、ってことだけは分かったわ」


 凛は笑って、手を差し伸べた。


「これからよろしく、劣等生さん」

「こちらこそよろしくな、優等生さん」


 そうして、握手をする。

 なんか変な関係だけど、一応友達になった、ってことでいいのかな。


「それで、未来」


 2人のやりとりを見ていた私にふりかえって、凛がたずねてきた。


「部活はどうするつもり?」

「どうするも何も…」


 決まっている。


「文芸部に入るよ。神見羅先輩もいるし」

「…またあの人と一緒になるのかー」


 凛がため息をつく。

 中学時代を思い出すなぁ…凛と神見羅先輩、いつも皮肉や軽口をいいながら、なんだかんだでいい関係だったと思う。凛に言ったら怒るだろうし、神見羅先輩に言ったらドヤ顔で返されそうだけど。


「部活、かー」


 座ったままの玲央くんがつぶやいた。


「俺、中学時代はどこにも所属していなかったけど、高校生にもなったし、どこかに入ってみようかな」

「そうなの?あなた背も高いし、何かスポーツでもやっていたのかと思ったわ」

「人を見てくれだけで判断してもらいたくないな。たとえば、俺の趣味、お菓子作りなんだぜ?」

「…意外だわ」

「ちなみにあんたの好きなお菓子、和菓子だろ?」

「…人を見てくれで判断しないでくれる?」


 さっき知り合ったばかりだというのに、凛と玲央くん、波長が合うのだろうか?2人のやりとりを聞いていると、もう何年も付き合っている友人のような気がしてくる。


「母さんの手伝いをしていたら自然に好きになったんだよ。母さん、保育園によくお菓子とか持っていくから」

「あ、いつもつむぎが美味しいっていっていたお菓子、実は玲央くんが作っていたの?」

「時々、だよ。時々」


 照れる玲央くんは、まるで猫みたいだった。


「まぁ、高校で菓子研究会に入るのもなんだし、やっぱり体育系の何かにするわ」

「じゃぁ、バスケ部とかいいんじゃない?あなた、背高いし」

「あんた本当に頭いいのか?割と適当に言っていないか?」

「大真面目よ。うん。あなた、バスケ部が天職よ。バスケ部に入って甲子園目指しなさい」

「…学年首席さんに言われるなら仕方ないか」


 玲央くんは手を頭の後ろに組んで、椅子にもたれかかりながら言った。


「バスケ部にするかー」


 いいの?本当に?

 思わず笑ってしまう。つられて、凛も笑う。凛の笑顔、可愛いんだからもっと他の人にも見せればいいのにな。


「颯真はサッカーの推薦で入ったから当然サッカー部だろうけど、葵はどこに入るつもりなのかな?」

「あの子は…まぁ、好き勝手やるでしょう」


 凛は腰に手をあてながら言った。ふたごなのに、凛と葵はけっこう違う。中学から高校になって、これから先、もっと変わっていくんだろうな。


「とりあえず進路も決まったことだし、これからも頑張ろうね」


 そう言って、笑う。

 笑いながら…私は、ふと視線を廊下へとむけた。


 沙織さんが、廊下の向こうを歩いているのが見えた。


 急に胸がぎゅっとして、息が詰まった。

 思い返されるのは、さっきの感覚。

 沙織さんが、私だけに向けてくれた合図を見た時の、あの溢れんばかりの幸せな感覚。


 みんなの前ではちゃんと「先生」なのに、私に対してだけ、そっと「恋人」だと伝えてくれる…それが嬉しくて、思い出すだけで、喉の奥が熱くなる。


(沙織さん…)


 もう一度、廊下の向こうで歩く沙織さんを見つめる。


 教師としての顔をしている。

 背筋の伸びた歩き方をしている。

 白いブラウスにジャケットで、柔らかくまとめた黒髪の後姿がたまらなく大人っぽい。

 そんな沙織さんが他の先生方と並んで歩いている姿を見ると、それがいつもよりほんの少し、遠くに感じて。


 その遠さが、痛い。


(…沙織さん)


 その名前を心の中で叫ぶだけで、肌の下に熱いものが走る。血液の代わりに溶岩が流れているような、私を焼き尽くすような灼熱の熱さ。


 その時。

 廊下の向こうを歩いていた沙織さんが、ふいに足を止めて。

 ほんの一瞬だけ。

 こっちを見た。


 目が、合った。


 たったそれだけのことなのに、私の世界はそれで完璧に完全に静かになった。

 凛の声も、玲央くんの声も、教室内のざわめきも、窓の外も、何もかも、世界がすべて。

 全部遠くなって。


 沙織さんが、ほほ笑んでくれた。

 他の人には分からないくらい、少しだけ。

 私だけに向けて。


 そしてそのまま、沙織さんはすぐにまた前を向いて歩きだした。

 歩きながら、とん、とん、とん、と3回、人差し指で右耳を叩いた。


 胸がつかまれる。

 甘く痛くなって、いとおしくてたまらなくなる。


(沙織さん…)

(好き…大好き)

(…沙織さんに、触れたい…)

(沙織さんの、声が聞きたい…)


 みんなと楽しく話をしているのに、みんなの話にちゃんと相槌をうったり答えたりしているのに、私の心はもうすでにここには無かった。

 私は一人で、恋をしていた。


 もう、この気持ちは、私の中で膨らんで、膨らんで、胸の中に入りきらない。

 私の身体中を駆けずり回って、細胞の隅々まで酸素と愛で満たされていく。


 春の風が窓から吹き抜けてきて、髪を揺らし、私の想いは止まらなくなる。


 駆け出したい。

 その背中に飛びつきたい。

 沙織さんの匂いを感じたい。


 駄目なのは分かっている。

 我慢しなくちゃいけないのも分かっている。

 でも。

 想いが溢れてくるのはとめられない。


(沙織さん)


 私。

 いま。

 すっごく。

 沙織さんと…



 キス、したい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ